秘密の僕らは、音で触れ合う。

「あ~れ、まだ人いたんだぁ。全員帰ったかと思ってた。あ~……え~っと……?」

 こちらの名前など覚えていないのだろう。明るい色の髪をさらりと耳にかけた黒いマスクの男――峯田眞|《みねた しん》はこちらを見て小首を傾げる。

「掃除当番、だったんで」
「あ~ね。お疲れ様ぁ。ひとりでやってたんだ。エライなぁ」
「うす」

 ぺこ、とあごを出すように礼をすると峯田は笑い声をあげる。きゅぅっと細くなった目で、笑っているのがわかった。
 ちょっと間延びしたような独特のテンポで話しながら、彼は耳からワイヤレスイヤホンを外してケースに入れる。さっきの曲は、あれで聞きながら歌っていたのだろうか。なんという曲だったんだろうと気になり、ついつい視線が動きを追う。

「な~に?」

 オレの視線に気付いたらしい峯田は、首を傾げながらポケットにイヤホンをしまう。

「えっ、あっいや、別に、なんでも……っ」
「そんなキョドらなくても大丈夫だってぇ」
「キョドってる、つもりは……な、なくて」

 話し掛けられると、緊張してどもってしまう。キツい言い方をされているわけではなく、彼から絡まれたことがあるわけでもない。今だって峯田は、派手な雰囲気に見合わぬ穏やかな声で話している。
 威圧感があるわけではない彼に対しても挙動不審になってしまうのは、単純にオレ自身が人付き合いを得意としていないからだ。彼が悪いわけではない。これは、クラスのカースト上位であることが明らかな男に対する、妙な劣等感からくるものだった。

「おれ、怖い~?」
「いや、そんなことは、全然」
「って言いながら、それ怖がってるぅ」

 あははっ、と明るい声を出した彼に、こちらをイジる意図はなさそうだ。しかし、苦手意識が先に立って警戒心は解けない。
 金髪にも見える明るい髪色に、日に焼けた肌とほうじ茶みたいな赤みがかった茶色の瞳。耳にはいくつもピアスをつけていて、ネックレスもブレスレットもじゃらじゃらしている。爪にはしっかりネイルも塗っているのだから、見た目は非常にチャラい。だらりと着崩したファッションの印象もあって真面目な生徒には見えないが、うちは服装自由だから校則に違反しているわけではない。確か、峯田はそこそこ勉強ができたはずだ。そして、黒マスクをほぼ外さないのに、女子の中でとびきりのイケメンとして扱われていた。
 峯田は二年生から同じクラスになったヤツだから、性格などはあまり知らない。しかし、入学式の時に彼を見かけてド派手な奴がいる、と思ったのを覚えている。峯田はいつもグループの中にいて、しかも彼がつるんでいるのはちょっとやんちゃしてそうなキャラの連中だ。いつもぼっちなオレとは対極な存在。どう考えても、お近付きになりたくない部類の人間で、仲良くなれるような人種ではなく、どちらかといえば距離を取りたい相手の一人だった。
 明らかに引いているオレにもやたら積極的に話しかけてくる峯田に戸惑いつつ、ゴミ箱を所定の場所に置く。

「あ、オレ、帰る……」
「ねぇ、え~と……」

 峯田が少し困ったような雰囲気になったのを見て、オレの名前がわからないのだと察する。クラス内でも目立たないヤツの名前など、カースト上位が把握していないのは当然だ。

花咲明莉(はなさき あかり)

 案の定そういうことだったようで、名乗れば峯田はホッとしたように目元を緩めた。

「はなさきあかり。覚えた。いい名前じゃん」
「……ん」

 音だけ聞けば、やたらとキラキラしていてアイドル――しかも女子のような響きの名前は幼い頃からあまり好きではなかった。華やかな顔立ちでも雰囲気でもない自分には、この名前は似合わない。そんなことは、自分が一番わかっていた。名前を褒められたところで、一切嬉しくはなかった。
 じゃぁ、と口の中でもごもごと言って荷物を手に教室を後にしようとすると「ねえ、アカリ」背中に明るい声がかかる。
 ――は?!
 いきなり呼び捨てにされ、ぎょっとして振り返る。名前呼びなど小学校の低学年までしかされたことがない。しかも、峯田と言葉を交わしたのは今日がほぼ初めてだ。目が合えば、峯田は近くの机に置いていたリュックに手を伸ばしながら目を細めて笑う。
 ――陽の者怖ぇ……
 引きつった曖昧な笑みを返したオレに峯田は

「あはは! アカリって面白いなぁ」

 なんて言いながらこちらに向かって歩いてきた。
 ――あ、ヤベェ。
 どっち方面に帰るのかは知らないが、どうやら一緒に教室を出るつもりらしい。このままでは少なくとも校門まで一緒に帰らなければいけなくなる。運悪く駅の方面まで同じだったりしたら、途中で彼のお仲間たちと合流してしまうことになるかもしれない。あまりに場違いな場面を想像して背筋が凍る。

「さよならっ!」
「え? あ……え?」

 返事を待たずに教室から走り出ると、後ろから戸惑ったような声が聞こえてきた。しかし、追いつかれて堪るものか。オレはそのままの勢いで学校を飛び出した。