約束はミックスジュースで

 骨にひびが入っていたらしい。当分松葉杖生活だ。炎症による発熱に加え、ずっと薄着でいたせいで質の悪い風邪を引いた。あのあと意識を失った俺も点滴を受ける羽目になり、迎えに来た親に無茶を叱られた。
 翌週いっぱいまで寝込んで、週末になってようやく回復した。ちょうどそのタイミングで親が新しいスマホを買ってきてくれた。幸い番号は変わらず、ラインはそのままのIDで使えた。時を同じくして、湊も新しいスマホを親に買ってもらったようだ。体調が治ったから会いたいと連絡が来た。
 菓子折りと飲み物を大きめのバッグに詰め込んで湊の家に向かった。湊の親からビンタの一つは覚悟していた。最悪二度と敷居を跨がせてもらえないかもしれないが、誠心誠意謝ろうと思った。が、俺を出迎えた湊の母親の反応は想像と正反対のものだった。俺が湊の命の恩人だと何度も感謝された。口をはさむ間もなくて、湊の早口なマシンガントークは母親譲りなんだなと思った。
「あんたも頭下げなさい! 本来ならこっちがナツ君の家に菓子折り持っていくのが礼儀なんだから!」
 母親は湊の頭を手で押さえて無理矢理下げさせた。
「助けてくれてありがとうございます」
 敬語がぎこちないが、とりあえず湊が元気そうで安心した。そのままいつものように湊の部屋に行く。
「言わなかったのかよ、花霞神社行った理由」
 事情を知っていたら温かく迎えてもらえるわけがない。
「言うわけないじゃん。ナツも絶対言っちゃだめだよ。喧嘩したとか言ったらナツのイメージ悪くなるし」
 本当のことを知らないということは、反対を押し切って優弥の手術の成功祈願をしに行ったと思っているのだろうか。
「優弥に悪くね?」
「いや、優弥のせいにしたら優弥が可哀想でしょ。最初に親に相談した時も優弥の名前出してないよ。好きな女の子ができたから恋愛成就のお願いしに行ったことにした。嘘も方便ってやつ。ものすごく怒られたけど」
 色々と不器用なところはあるが、基本的に地頭がいいのでたまにものすごく頭が回る。
「優弥っていえば、手術成功したって。朔がお見舞い来てくれて、その時に聞いた」
 よかった。しかし、彼らの名前を聞いて罪悪感がこみ上げる。
「実はあの日、朔と会ってさ。湊が優弥のことお願いしに行こうとしてること言っちまったんだよな」
「うん。それも聞いた。無茶はほどほどにしとけって言われたし、ナツと喧嘩したことも聞いたよ。あ、本当の理由は朔にも言ってないよ」
「なんか優弥に申し訳ねえ。優弥のために湊が死にかけたって勘違いさせたままにすることになるし、嫉妬して優弥のこと悪く言っちまったし」
「それは大丈夫。朔、今回のこと絶対に優弥には言わないって断言できる。ていうか、優弥に心配かけるなって、俺が倒れたこと口止めされたし。朔は優弥が悲しむようなこと絶対優弥に言わないよ。朔って優弥のこと大好きじゃん?」
「あー、なんかわかる」
「ていうか、ナツが優弥のこと誤解してたのって、俺が無神経だったのが悪いよね。ごめん」
 来る前のラインではお互い触れずにいたことを、湊が切り出した。俺も謝らなければならない。姿勢を正し、手をついて頭を下げた。
「俺の方こそごめん! 親友とか義兄弟とか聞こえのいいこと言っといて、結局湊のことちゃんと信じてなかった。それでめちゃくちゃに傷つけて、挙句の果てに殺しかけた。どんなことがあっても、絶交って言葉だけは使っちゃいけなかった。本当にごめん!」
「ちょっと、土下座なんてやめてよ! 俺怒ってないし、悪いの俺だし。ていうか、足崩しなよ、痛いでしょ」
 湊が慌てふためいている。だが、土下座だけでは俺の気がおさまらない。鞄から空のペットボトルを取り出して蓋を開ける。
「俺は、一生友達って約束を破った。だから、けじめつけさせてくれ」
 コーラ、コーヒー、ココア、ミルクティー、カルピス、メロンソーダ、レモネード、オレンジジュース。持ってきた飲み物を次々に開けてこぼさないように少しずつペットボトルの中に移して混ぜる。少量ずつでも八種類も混ぜればすぐに満杯になった。
「ちょっと待って、ストップ!」
「約束破ったら、湊スペシャルに梅昆布茶混ぜてペットボトルでイッキだったよな」
 湊の制止を振り切ってポケットから梅昆布茶の粉末を一気に流しいれた。粉が炭酸に反応して泡が吹き上がる。溢れ出す前に飲み口に口をつけて流し込んだ。
 この世の地獄みたいな味がした。ただでさえ最悪のドブ水に不快な塩気と過剰な酸味まで加わって、一億円もらっても飲みたくない味だ。無理矢理喉に流し込むと、脂汗が出てくる。湊がずっと「やめなよ」と言っているが、一度止めたら、再び口にする勇気がないので一気に飲みきるしかない。気持ち悪い。死にそうだ。本能が異物を体に入れることを拒否している。
「おうぇっ!」
 半分ほど飲んだところで限界が来て口を離した。飲み込みきれなかったドブ水が口からこぼれる。全部吐き出しそうになったが、床は汚さず俺の服を汚すにとどめた。
「ちょっと、人の部屋で何やってんの!」
「やばい、吐きそう」
「バカなの? だからやめろって言ったじゃん! 俺の部屋で吐いたらさすがに怒るからね!」
 湊が強い口調で俺を責める。ごもっともだ。俺はしばらく吐き気と格闘した。少し波がおさまったところで、もう一度ペットボトルに手を伸ばしたが、腕が鉛のように重い。全身がこのドブ水を拒否している。湊が力の入らない俺の手からペットボトルをひったくってため息をついた。
「ナツってさ、器用に見えて不器用なところあるよね。責任の取り方、本当に馬鹿すぎる」
 ごめん、と言おうとしたところでまた吐き気がこみ上げてきて、手で口を押さえた。
「俺も絶交って言葉にだけ反応して、ナツは俺のこと思って止めてくれてたのにちゃんと話聞いてなかった。人付き合いよくわからないって言い訳して、ちゃんと向き合わないで逃げた。ナツのこと傷つけた。一番大事にするって言ったのに、これって友達失格だよね」
 俺は小さく首を振った。湊は悪くない。
「俺も約束破った。だから、罰も半分こ。これでちゃんとやり直そうよ、義兄弟の契り」
 湊は躊躇なく残りをラッパ飲みし始めた。ごくごくと湊の喉が鳴る。グラスのドブ水が飲めなくて涙目になっていた湊が、さらにひどい味の液体を飲み続ける。残量は勢いよく減っていき、ついに空になった。湊が勢いよく空のペットボトルを床にたたきつけ、口元を拭った。
「まっず! 湊スペシャルはドブだったけど、ナツデラックスはもはや毒の権化でしょ!」
 湊は屈託のない顔で笑った。
「お前、漢だな」
「そうですよ、男だから弟なんですよ、兄者」
 湊のこういうところをずっと尊敬していた。きっとこれからも、湊は俺の憧れの太陽だ。

「それでさ、義兄弟の証としてナツにお願いがあるんだけど」
「一生のお願いか?」
「うん、これで本当の本当に最後」
 これからもずっとお前のお願いを聞いてやる、湊には聞こえていなかったと思うけれど一度言ったことを曲げるつもりはない。内容を聞く前に許可した。
「いいよ」
「じゃあ、名前ちょうだい! ペンネーム、カタカナでナツ ミナトにする! あの漫画のペン入れ終わったから、出版社に持ち込みしようと思ってんだよね」
 湊がまた突拍子もないことを言いだした。
「はあ? 正気かよ。ペンネームって大事なもんだろ。もっとちゃんと考えろ馬鹿」
「大事だからそうするんじゃん。それに小説家さんとかだと多いよ、尊敬する人とか友達から苗字もらうの」
「だとしたら、使うの鶉坂の方だろ。レア苗字憧れてるって言ってたじゃん」
「いや、それは結婚みたいで誤解を招くじゃん。あと、ウズラさんも鶉坂だし」
 湊が苦笑いした。気にするポイントが相変わらずずれている。
「恋愛なら結婚って形で一生の約束できるけどさ、友情ってそういうシステムないじゃん。でもさ、俺って形から入るタイプなんだよね。名前って言う目に見える形があれば、また無茶しそうになってもナツのこと考えて思いとどまれるし、東京行っても頑張れるかなって。だいぶ先の話だけど」
 滅茶苦茶な提案だが、湊なりに考えた結論らしい。それを聞いて俺も覚悟を決めた。
「お前が無茶しないように見張っててやるよ。俺も東京行く。お前は漫画頑張れ、俺も勉強死ぬ気で頑張る」
 湊は東京で知見を広げ、それを漫画の糧にしようとしている。湊が輝いて見えるのは、自分があるからだ。俺が湊に依存しているのは自分がないからだ。
「東京行って俺もやりたいこと見つける。それで、お前に誇れる自分になる。お前が俺の名前使うなら、元ネタの俺はかっこよくなくちゃいけないだろ」
 何しろ湊が一生使う名前だ。湊が漫画家として生きている間は、俺もそれにふさわしい自分でいなくてはならない。
「その代わり、一生のお願いって言うからには絶対返品すんなよ。百年契約だ。解約料はナツデラックス二リットルイッキな。途中で死にやがったら毎日墓にナツデラックスぶっかけてやる」
「え、何その拷問。って、待って! 百年後って、俺117歳なんだけど。ギネス記録超えてんじゃん無理!」
「うるせえ。じゃあ、百歳までにまけてやるよ。お前のひいじいさん百歳まで生きたんだろ。破ったら覚悟しとけ」
「いや、お墓って先祖にも子孫にも迷惑かけるやつ」
 湊がうだうだ言っているが、この条件は譲るつもりはない。
「知るか、連帯責任だ。それが嫌なら長生きしろ」
 湊は頭を抱えていたが、むくれた顔で言い返してきた。
「そんなに言うなら、ナツだって百歳まで生きるって約束して。無茶して事故で死ぬとかなしだからね。その時はナツのお墓にナツデラックス三リットルかけるから」
「それじゃあお互い死ねないな」
 俺は笑った。湊も笑った。声をあげて笑い続けた。ペットボトルの散乱する部屋で馬鹿みたいに笑った。今日のことは一生忘れない。百歳になっても、義兄弟の契りは心と舌が覚えている。