約束はミックスジュースで

 俺が対話から逃げて、勝手に帰って会話を終わらせた。今日も湊と目を合わさず拒絶した。俺を頼れなくなった湊は一人で行くという一番危険な選択肢を取らざるを得なかったのだろう。俺が湊の計画を親にばらすことを危惧して、今日無理矢理決行したのかもしれない。その結果、最悪のタイミングで雨が降った。こんなことになるくらいなら、ちゃんと話をすればよかった。
 吸う息が冷たい。吐く息が白く広がって視界の邪魔だ。住宅街を抜けて、花霞山の麓へとたどり着く。人の気配はない。夜に山道を通ることが想定されていないのか、灯りもほとんどない。湊の名前を呼びながら山道を駆け上がった。
 俺の予想が全部的外れで、無駄足に終わってほしいと思った。湊はちゃっかり家に帰っていて、「ナツ、全然俺のことわかってないじゃん」と笑ってほしい。それで今度こそちゃんと話し合って、お互いのことを理解するんだ。本音で話してきたつもりで、肝心なことは何もわかっちゃいなかった。もう一度、ちゃんとやり直すんだ。本当の友達になるために。
 山の中腹、神社まであと少しのところで大きな木が見えた。木の根元が小さくライトグリーンの光を放っている。俺のマスコットと同じ色だ。急いで駆け寄る。湊が倒れていた。
「湊、おい湊!」
 大声で名前を呼びながら湊を抱き起こす。髪とコートが濡れていて冷たい。
「ナツ……?」
 湊が手を伸ばして俺の頬に触れた。その手は震えていて、信じられないくらい冷たかった。俺の存在を確かめるように、湊の指が俺の頬をなぞった。
 大急ぎで鞄からタオルを出して湊の体を拭き始めると、息も絶え絶えにか細い声で湊が話し始めた。
「神社に向かって歩いてたら、急に息苦しくなっちゃってさ。空気薄くなってるし、雨降るかなーって思って木の下で雨宿りしようとしたんだ。傘持ってなかったし。思ったより雨しのげなかったけど。それで、雨やんだからもうひとがんばりするかーって思って立ち上がったら、足に力全く入らなくて倒れちゃった。動けないヤバいって思って、怒られるの覚悟で親に連絡しようとしたらスマホも圏外で、人も来ないし……」
 湊の体が氷のように冷たい。俺のコートと学ランとカーディガンを脱いで、湊に羽織らせる。
「このままナツと仲直りできないまま死ぬのかなーって思ってたら、ナツが助けに来てくれた。これ、夢じゃないよね?」
「夢じゃねえよ、俺はここにいる」
 湊を強く抱きしめた。湊の体を支えているが、ほとんど体に力が入っていない。低体温症をおこしているかもしれない。救急車を呼ぼうとしたが、スマホは圏外だった。俺がおぶって山を降りるしかない。
 スマホのライトをオンにして胸ポケットに入れて前方を照らす。湊と俺の鞄からマスコットのストラップを外し、手首に巻いて足元を照らす。他の荷物は置いていく。湊を背負い立ち上がった。
「ちょっと揺れるけど少しだけがんばれよ」
 一刻も早く湊を病院に連れて行かなくてはならない。俺は全速力で走りだした。
「ごめんね。また迷惑かけちゃった」
 俺の耳元で湊が謝る。弱々しい声だった。
「俺、今までずっとナツの優しさに甘えてた。もう二度と我儘言わない。迷惑もかけない。だから……」
 俺の首筋に水のようなものがかかる。湊が俺の背中ですすり泣いている。
「もう一回、俺の友達になって」
 絞り出すような声で湊はそう言った。俺の首に回した腕にかすかに力が入るのを感じた。
「迷惑だなんて思ったこと、一度もねえよ」
 昨日俺はひどいことを言って、湊を傷つけた。それでも、湊はまだ俺と友達でいたいと言ってくれた。
「遊びに行きたいって誘ってくれるのも、俺のこと頼ってくれるのもずっと嬉しかった。でも、俺より優弥の方がナツにとっては大事なんだって思ったら、すごくムカついて、勝手に嫉妬して思ってもないこと言った。俺、ずっと優弥が羨ましかった。馬鹿だよな、命懸かってる場面でそんな自己中なことばっかり考えて、最低だよな」
「そんなことない。ナツはずっと優しかったよ。最初の挨拶で緊張して失敗して頭真っ白になってた時に、最初に声をかけてくれたのがナツだった。どれだけ心強かったかわかる? ナツのおかげで毎日楽しかったんだ。生きててよかったって思えたんだ。だから、自分のこと最低なんて言わないで」
 湊はこんな俺のことをいい奴だと信じてくれている。友を命を懸けて守った曽祖父のようにまっすぐな人だと信じている。でも、本当は違う。
「わかってる。転校生の不安な気持ちも、声かけてもらった時の安心感も誰より俺が知ってる」
 転校を繰り返すたびに最初に優しくしてくれた人を心のよりどころにして依存した。だから自分も転校生には優しくしよう。言葉だけ聞けば立派な考えだが、その奥にあるのは決して綺麗な感情ではない。
「だから湊に声かけた。転校初日の不安な時に優しくしたら、絶対俺のこと裏切らない友達になってくれるんじゃないかって、心のどっかで期待してた。前に話しただろ? 俺、つるむやつはいっぱいいるけど、本当の親友っていなくてさ。誰といても疎外感あって、なんか寂しくて。湊のこと利用してた。本当にごめん!」
「ナツ……」
「最初は打算だった。でも、湊といると楽しくて初めて心の底から笑えた。信じてくれるかわからないけど、誰でもいいわけじゃない。もし許してくれるなら、もう一度ちゃんと湊と本当の友達になりたい」
「ナツ……」
「俺、ひいじいさんみたいに立派じゃないから、これから先も湊のことがっかりさせるかもしれない。でも、湊にとって一番大事なのが優弥だとしても、俺は湊が一番大事だから」
「バカナツ。本当に俺のこと全然わかってないじゃん」
 ナツが俺の体をぺちっと叩いた。ボロボロの体にほとんど力は入っていなかった。
「俺がナツと一緒にいたいって思ったのは、ウズラさんの曾孫のナツじゃなくて、転校生だった俺に優しくしてくれたナツだよ。打算かどうかなんて関係ない。心強かったのも楽しかったのも、全部事実だよ」
 気付けば涙があふれていた。止めようとしても止まらなかった。しゃくりあげながら絞り出すようにしてナツが続ける。
「俺にとってもナツが世界で一番大事な友達だよ。優弥のために花霞神社でお祈りしようとしたのも、罪滅ぼしのつもりだったんだ。ナツといるのが楽しすぎて、優弥のお見舞い全然いかなくなっちゃったから。優弥には朔がいるしって心の中で言い訳してたけど、やっぱり申し訳なくて、手術の時くらい俺にできることをしようって思って。でも、俺最低だね。きっと地獄行きだね」
 湊の息遣いがいっそう苦しげになった。
「花霞神社への一生のお願い、優弥じゃなくてナツに使おうとした。ナツと仲直りできますようにってお願いしに来たんだ。罰が当たったのかな」
 それを聞いた瞬間、全身の血の気が引いた。全部俺のせいじゃないか。湊を危険な目に合わせて苦しませているのは俺じゃないか。
「ごめん、ごめん……ごめん!」
 謝って澄むことじゃない。なのに、それしか言えなかった。走りながら謝った。
「泣かないで、謝んないで。ナツは悪くないよ。俺が馬鹿で、仲直りの仕方わかんなくて、勝手に神頼みしようとしただけ」
 違う。俺が拒絶したからだ。全部俺が悪い。
「ナツ、もうワガママ言わないって言ったけど、やっぱり一個だけお願い聞いてほしいな。これが本当に最後の一生のお願い。俺とこれからも……」
 湊の声がだんだん小さくなり、最後には聞こえなくなった。
「湊? おい、湊?」
 返事がない。腕がだらんと垂れて、湊の体が重くなった。
「おい、どうした?」
 動揺した瞬間、足元への注意がおろそかになった。ぬかるんだ地面に足を取られ、バランスが崩れる。このまま転んだら、湊が怪我をする。そう思って無理矢理踏ん張った。変な力を入れたからか、足を捻った。転倒こそしなかったものの、ガクンと膝をつく。足首からグギョッと人体からしてはいけない音がした。今までの人生で一番の激痛が走る。
 その拍子に胸ポケットからスマホが飛んで、すぐそばの岩にガンっとぶつかって目の前の水たまりにボチャンと落下した。スマホのライトが消えて、マスコットのかすかな灯りだけになる。
「悪い、湊、大丈夫か?」
 躓いた衝撃は湊にも伝わってしまったはずだ。しかし、湊はまったくの無反応だった。
「おい、起きろよ」
 声が震える。全身がアラートを鳴らしている。湊の意識がない。落ち着け。救急車を呼ばないと。だいぶ降りてきたし、そろそろ電波も入るかもしれない。水たまりに手を突っ込んで手探りでスマホを掴む。触っただけでわかるくらいに画面が粉々になっていた。電源ボタンを何度おしても反応しない。
「クソがっ!」
 湊を病院に連れて行かないと。スマホを投げ捨て、湊を担ぎなおして立ち上がる。足首からまたバキっと変な音がして再び全身に響くほどの痛みを感じたが、そんなことは気にしていられなかった。
 俺はふたたび走り出した。走るたびに足が悲鳴を上げている。でも、走らなければ湊が死ぬ。
「目、覚ませよ。なあ湊」
 背中の湊に声をかけ続ける。しかし、反応はない。
「なあ、頼むから返事してくれよ。一生のお願いだから」
 泣きながら頼み続けた。でも、湊は答えてくれない。
「これから先、湊のお願い全部聞いてやるから! だから一回だけ俺のお願いも聞いてくれよ! 死ぬな湊!」
 必死に叫んだ。いつしか道は平坦になって、外灯が目に入ってきた。小さな一軒家がおおい街並みの中、五階建ての花霞総合病院は頭一つ飛び出て見えた。病院の灯りを目指して、死ぬ気で走った。湊が無事なら俺は死んでもいいと思った。

 やっとの思いで病院に辿り着いた。俺は半狂乱になりながら医者に助けを求めた。すぐさま湊の治療が始まった。俺は待合場所でただ祈って待つことしかできなかった。自分の無力さと愚かさを呪った。
 なあ神様、もしいるなら湊を助けてください。俺の一生のお願いです。湊だけは連れて行かないでください。俺が代わりに地獄に行ってもいいから。神様なんて信じていなかったはずなのに、神頼みをしている。それしかできなかった。
 永遠にも感じられるほど長い時間の後、いつの間にか来ていた湊の母親に呼ばれ病室に連れてこられた。湊の腕には点滴が繋がれていた。ぐちゃぐちゃな頭の中に、もう少し遅かったら危なかった、いずれ目を覚ます、そばにいてあげてほしいという言葉が断片的に入ってくる。
 ベッドの横にひざをついて、湊の手を握る。出会った日にハイタッチをしたあの時の体温が戻っていた。
「湊」
 もう一度名前を呼ぶ。本当に無事だったんだよな? ちゃんと目を覚ましてくれるんだよな? 依然として湊を失うかもしれない不安は消えなくて、手を強く握った。

「ん……ナツ?」
 湊の声がした。俺は湊の顔をバッと覗き込んだ。湊が目を開けた。
「湊……!」
 叫びすぎてかすれた声で、もう一度湊の名前を呼んだ。もう二度と離すまいといっそう強く湊の手を強く握った。
「ナツ、俺たちこれからも友達だよね」
 湊が笑って俺の手を握り返した。
「当たり前だろ、馬鹿」
 ほっとした瞬間、頭がグワンとなってクラっと視界が反転した。意識が遠のいていく。それでも手は離さなかった。