約束はミックスジュースで

 翌朝、久々に一人で登校した。昨日のうちに湊には「もう待ち合わせやめよう。返信不要」と連絡した。朝は特に寒い。寒空の下、俺を待って風邪でもひかれたら最悪だからだ。
 森や安井と駄弁っていると、湊が登校してきた。
「お、おはよう!」
 教室に入るなり、教室全体に向けて挨拶する。ラインで謝ることすらしなかったくせに、ちらちら俺の方を見ている。その小賢しさに腹が立った。みんながまばらに挨拶を返したが、俺は反応しなかった。
「ウズラ、市野と喧嘩したの?」
「まあ、そんなとこ」
 その後、体育のキャッチボールで二人組を組めと言われた。俺は安井と組んだ。湊とは目を合わせなかった。
「市野ずっとこっち見てんじゃん。可哀想に」
「知るかよ」
 こちらから声をかけてやる義理はない。お前から謝れよ。来週も先生と組むことになるぞ。心の中でそう呟いた。
 俺は悪くない。湊が謝らない限り許さない。もらったマスコットは鞄につけっぱなしだ。まだ絶交は成立してないってわかるだろ。謝ったら許してやるから。
 ついに放課後になっても湊は謝らず、さっさと帰ってしまった。どうやら仲直りする気はないようだ。
 図書室で勉強してから帰ることにした。途中、窓の外から雨の音がした。天気予報ではずっと晴れと言っていたので、今日は傘を持ってきていない。雨が止むのを待たなければならず、予定より長く勉強した。
 村時雨が止んだところで学校を出た。商店街で、例の進学校の制服の集団の中に見慣れた顔を見つけた。朔が呑気に友達と談笑しながら歩いていた。
 湊は優弥のために俺に滅茶苦茶な要求をしてきた。そのせいで絶交する羽目になったというのに、優弥の幼馴染のこいつは優弥を放置してへらへらしている。無性に腹が立った。ずかずかと歩いて彼のもとに近づく。俺の気配を察して、朔が振り返った。
「友達が手術するってのに何呑気にほっつき歩いてんだよクソが! お前が役立たずだから、湊が無茶する羽目になってんじゃねえか! お前の幼馴染だろ、お前が面倒見ろよ!」
 俺は朔の胸ぐらにつかみかかった。周囲の友人がぎょっとしていたが、朔がうまいこと追い払っていた。そんな余裕にも腹が立って仕方がなかった。
「お前が花霞神社行けよ! 湊より優弥との付き合い長いんだろ? お前が手術の成功祈れよ!湊に行かせんなよ。あいつ、体調崩すと長引くんだよ。頼むから、あいつに無理させないでくれよ!」
 あろうことか、朔は舌打ちした。
「お前に言われなくても、とっくの昔に行ったけど。それこそ、湊と出会うより前にな。毎年ずっと優弥が元気になるように祈ってるし、お百度参りだってした。千羽鶴だって一人で折った。それでも治らなかったから、俺が医者になろうとしてんだろうが」
 朔は俺の腕を掴むと、乱暴に突き飛ばしてきた。俺は尻餅をついた。
「で、ようやく治療法見つかって、優弥が治るかもって時にいきなり喚きだしてなんなんだお前は。お前、優弥のこと嫌いだろ」
「そう思うんなら、俺のこと呼ぶなって言えよ。お前が言えば、優弥も聞くだろ」
 少なくとも態度に出した覚えはない。ずっと我慢してきた。
「優弥と湊が盛り上がってる時、いつもズボン握りしめてるよな。優弥に嫉妬してんのバレバレ。言い方を変える。お前、湊のこと恋愛的な意味で好きなのか?」
 ああ、こいつもか。見透かしたようなふりをして、俺のことを何もわかっちゃいない。結局こいつも恋愛脳だ。
「湊は友達だよ」
 湊の顔を可愛いとかかっこいいとかそういう目で見たことはない。同じ部屋で寝ようと、隣で着替えようと、俺は湊に何も感じなかった。テレビに映る可愛いアイドルに抱くような感情を湊には抱けなかった。
「恋愛の好きじゃなきゃいけないのかよ。恋愛がそんなに偉いのかよ」
 友情はいつだって恋愛より軽く扱われる。嫉妬することも束縛することも、恋愛なら許されるのに友情だと異常者扱いだ。恋愛には結婚というゴールがあって、国が永遠を証明してくれる。でも、友情には証明書が存在しない。一生の友情はどうやっても口約束にしかならない。
「一番の友達になりたいって、そんなにおかしな感情かよ」
 湊のことを好きになれたらよかったのに。そうしたら、ずっと一緒にいたいと言うことが許されるのに。でも、俺は湊に恋をすることは一生できない。友達だから、苦しい。気づけば涙があふれていた。
「おかしくないよって言ってほしいわけ? 俺、お前に優しくする義理ねえわ。お前優弥のこと嫌ってるし」
 地面を見つめる俺に、朔が冷たく吐き捨てた。
「ああ、嫌いだよ! 自分の病気治すために医者になろうとしてくれる友達がいるくせに、湊まで奪おうとしてくる奴なんて。わざわざ呼びつけて湊との付き合いの長さ見せつけて……挙句の果てに花霞神社での一生のお願いまで湊に使わせようとしやがって。あいつには、お前がいるだろ!」
 俺には湊しかいないのに。浅い付き合いの友達が何人いたって、親友と呼べる人は湊しかいなかったのに。
「優弥の名誉のために言うわ。あいつにマウンティングとかいう概念ねえよ。友達の友達はみんな友達、って信じてるだけだ。純粋なんだよ。ハブられてるなんてお前の被害妄想。優弥も湊も三人以上での会話が下手なだけだ。勝手に悪意見出してんじゃねえよ。で、優弥が湊に『手術が成功するように花霞神社でお願いして』って頼んだって? ありえねえ。湊が勝手にやってるだけだ。優弥は自分のためにとっとけって言うタイプ」
 朔が俺の前にしゃがみ、胸ぐらをつかんできた。顔を上げると西日が眩しくて目が痛かかった。もうすぐ日が沈むのだろう。
「お前さ、依存させてくれるなら誰でもいいわけ?」
 朔に睨まれる。その目が怖くて目をそらした。
「意味わかんねえ、もう黙れよ」
「だから、誰でもいいからお前を特別扱いしてくれる友達がほしいのか、それとも湊の一番になりたいのかってことだよ」
 俺はずっと寂しかった。二人組を作れと言われて余らないようにビクビクしていた。孤立しないように友達を作っても、クラスが離れればすぐに疎遠になるようなうわべだけの友達しかできなかった。幼馴染や親友という存在がいる人たちが羨ましかった。
 やっと俺がありのままでいられる友達と巡り合えた。湊がいればそれでよかった。湊にとってもそうであってほしいと思った。でも、湊はそうじゃなかった。優弥の方が大事なら、俺だってお前なんていらない。そうやって遠ざけて全部なかったことにしようとした。でも、なかったことになんてできない。叶うことならば、湊と仲直りがしたい。
「湊がいい……」
 ボロボロと泣いた。涙が溢れて止まらなかった。
「湊の恋人になりたいわけじゃない。でも、湊と一番の友達になりたい。これっておかしいのかな。俺、おかしいのかな」
「知らね。それ聞く相手は俺じゃねえだろ」
 朔が俺の服から手を離して立ち上がった。朔を見上げる。逆光で顔は良く見えない。
「友達に独占欲抱くのは少数派だと思う。べたべたした人間関係を気持ち悪いって思う奴も存在する。でもさ、世間がどう思うかってそんなに大事か? 友情だろうと恋愛だろうと、人間関係って基本は一対一の関係なんだから、相手がどう思うかが一番大事だろ」
 少しずつ暗くなり、鞄につけたマスコットが淡く光を放つ。湊がくれたおそろいのマスコットだ。確かに世間的にはあまり男同士でおそろいのマスコットをつけることはしないだろう。でも、俺は嬉しかった。
「俺は死んでもお前みたいな面倒くさいやつと友達になりたくねえけど、湊は違うんじゃねえの? 湊も依存心強いタイプだし、あいつ最近お前の話しかしないって優弥も言ってたしな。俺にクソみたいな八つ当たりしてる暇あったら、湊と腹割ってはなすべきなんじゃねえの?」
 湊と話がしたい。そう思った。喧嘩になるかもしれない。傷つけるかもしれない。感情が溢れて情けなく泣きながら話すことになるかもしれない。それでも、傷ついても湊がいい。
 一秒でも早く湊と話をしよう。スマホを取り出す。三件着信が入っていた。全部湊の母親からだ。以前湊がスマホを忘れて俺のスマホを貸したことがある。その時の着信履歴からかけてきたのだろう。画面を見ているそばからまたかかってきた。慌てて通話ボタンを押した。
「もしもしナツ君? 今、湊と一緒にいる?」
 俺たちの喧嘩のことは知っているのだろうか。少し気まずい。
「いえ、一緒じゃないです。たぶん、帰ったと思います」
「それが、帰ってないの。今日はまっすぐ帰ってくるって言ってたのに。携帯にかけても電源切れちゃってるみたいで。ナツ君と一緒だと思ったんだけど。ごめんね、いきなり電話して。またいつでも遊びに来てね」
 電話が切れた。平静を装ってはいたが、母親は随分と動揺した声色だった。湊が行きそうな場所といえば、優弥の病院だろうか。
「おい、優弥と連絡とれるか。湊が来てないか聞いてくれ」
「手術前は面会謝絶」
 優弥のところではない。他に湊が行きそうな場所。親に隠さなくてはいけないような用事。
「まさか……」
 電源を切っているのではなく、電波が入らない場所。花霞神社だ。でも、行くのは日曜日だと言っていた。それに学校が終わってからだいぶ経っている。参拝をし終わって家についていてもおかしくない時間だ。
 冷静に今日の出来事を思い出す。いつもよりハードだった体育。天気予報になかった突然の雨で下がった気圧。湊の身に何かあったのかもしれない。
「おい、どうした?」
 朔の声も耳に入らなかった。考えるより先に体が動き出していた。ただひたすら、全力で走った。湊が無事であることを願った。