夏休み、俺たちは毎日のように一緒に遊んだ。湊の家に入り浸った。人生で一番楽しい夏だった。何度か優弥の病院にも連れていかれ、相変わらず優弥は内輪ネタで盛り上がるし、朔は不愛想で気分が悪かった。しかし、俺は湊の義兄弟だ。寛容な心で彼らに接した。
二学期になると、季節の変わり目に湊が体調を崩して十日ほど学校を休んだ。死ぬほど心配したけど、無事元気に登校してきたときは心底ほっとした。
俺たちは変わらず友達だった。こんな日々がいつまでも続くことを無邪気に信じていた。
「ねえナツ、一生のお願い」
十二月のある日の放課後、いつものカラオケ店に入るや否や、いつになく真剣なまなざしで湊が切り出した。
「優弥が今度手術するんだって。だから、手術が成功しますようにって花霞神社にお祈りしに行きたいんだ」
また優弥かよ、しかもまた一生のお願いかよとモヤモヤした。
「お前、花霞神社ってどういうとこかわかってんの?」
「わかってるよ。一生に一度、どんなお願いも叶えてくれる神社でしょ。父さんも母さんもみんなそこでお祈りしてくれたから俺も元気になれたんだし、絶対効果あると思うんだよね」
「そうじゃなくて、山道二十分くらい歩くんだぞ。冬で寒いし、電車で遊びに行くのとはわけが違うだろ」
整備された一本道とはいえ山道だ。狭くて車が通れないので、バスやタクシーも使えない。おまけに磁場と木々の関係でやたら電波が悪くスマホが圏外になりがちなので、何かあったときに助けも呼べない。
「危ないからやめとけよ。健康の神様がいる神社ならほかにもあるだろ」
「えー、でも二十歳まで生きられないって言われてた俺がこうやって生きてるんだからやっぱり花霞神社の御利益って段違いなんだって。それに、俺なら平気だよ。だって、小学生が遠足でいくこともあるんでしょ?」
「お前、ガキより体力ないじゃん。俺が良くても親御さんはいい顔しないだろ」
正直、俺も湊が心配だ。なんとか諦めさせたかった。
「親が危ないから絶対ダメって言って連れて行ってくれないからナツに頼んでるんじゃん。一人で行くのは不安だけど、何かあってもナツがいれば安心かなって」
「いや、ダメだろ。親御さんの言うこと聞いとけ危ねえから」
湊はどうも自分の体力を過信するきらいがある。親の許可はとっていないと思っていたら、まさか明確に禁止を言い渡されているとは思わなかった。
「えー、ナツまでそんなこというの? 俺、最近元気なのにひどいなー」
「でも万が一ってこともあるだろ。俺、責任取れねえ。普通に無理」
俺は首を横に振り続けた。しかし一向に湊が俺の話を聞こうとしない。何としても神様に対して一度きりの権利を使いたいのだろう。自分のためではなく、大切な友達のために。俺の腹の中で黒い塊が渦巻き始める。
「わかった、じゃあ今週の日曜日に一人で行く。親にはナツとカラオケ行ってることにするから、電話かかってきたら話合わせてね」
湊としては譲歩したつもりなのだろう。でも、湊は気づいているのだろうか。
「それ、どっちにしろ何かあったときお前の親に責められるの俺だよな?」
自分の声とは思えないほど低い声。感情のコントロールが効かない。違う。こんなことが言いたいんじゃない。
「お前の心配してやってんのに、くだらねえ迷信の話ばっかしてガキかよ」
湊の顔が直視できない。違う、喧嘩したいわけじゃないのに。
「えっと、気に障ったならごめん。ただ、優弥の命がかかってるから俺にできることは全部してあげたいなって思っただけで。ごめん、忘れて。ナツには迷惑かけないように勝手にするから」
「いや、この話聞かされた時点ですでに迷惑なんだけど。俺を友達見殺しにした犯罪者にしてえの?」
「違う、そんなつもりじゃない」
湊がうろたえている。たぶんこいつは誰かに強い言葉で責められたことなどないのだろう。だとすれば、もう少し強く言えば思い直してくれるかもしれない。
「どういうつもりか知らないけど、俺の心配とか全部踏みにじって、万が一の時は俺を悪者にすることになるってわかってる?」
湊は世間知らずなだけで頭がいい。友達の一大事で気が動転しているだけだ。後でフォローをいれればわかってくれるだろう。
「それでも行くって言うなら、絶交する」
最後通牒を突き付ける。ここまで言えば、体が弱いくせに神頼みに命を懸けるなんて馬鹿げた真似はやめるだろう。ヒュッと息をのむ音がした。
「なんで」
湊が大粒の涙を流し始める。涙を拭うこともせず、しゃくりあげている。ヤバい、言い過ぎた。湊の肩に手を伸ばそうとしたところで湊が続けた。
「何でそんな簡単に絶交とか言えんの……ひどいよナツ」
その言葉に心臓がすっと冷えるのを感じた。体が固まって動かなくなった。湊は俺の言葉を絶縁宣言ととらえた。つまり、行くということだ。俺の心配の言葉も、心を鬼にした説得も何ひとつ届いていなかった。俺に心配をかけようが、迷惑をかけようがお構いなし、絶縁してでも行くと決断した。
要するに湊は俺よりも優弥を選んだ。今までずっと見て見ぬ振りしてきた事実をここに来て直視することになった。俺は湊に、「お前より優弥の方が大切だ」と宣言された。
「ひどいのはどっちだよ」
俺にとって湊は一番の友達だったのに、湊にとってはそうではなかった。義兄弟なんて湊にとっては口ばかりのごっこ遊びだったのだ。外の世界に優弥がいないから、俺は優弥の代わりにされていただけだった。
「どれだけお前のわがままで俺を振り回せば気が済むんだよ。泣いて一生のお願いって言えば、何でも要求通るとでも思ってんのかよ。俺は便利屋じゃねえんだよ」
湊は何も言わずに泣き続けている。その涙がひどく白々しく見えた。財布からカラオケ代を出して、机に叩きつける。荷物を担いで立ち上がった。
「待って」
蚊の鳴くような声で湊が言った。俺は振り返らなかった。
「もういい。聞きたくねえ」
これ以上ここにいたら泣いてしまいそうだった。
「こんなことになるなら、お前のお願いなんて聞かなきゃよかった」
優弥に会わなければよかった。義兄弟の契りなんて交わさなければよかった。最初の体育の授業で組んでほしいと言われたとき、無視すればよかった。
「あの日お前に、声なんかかけなきゃよかった」
こんなに辛いなら、今まで通りの平穏な日常を生きていたかった。失うくらいなら知りたくなかった。やっぱり、一人の友達に依存するとろくなことがない。わかってたはずじゃないか。
部屋を出て、後ろ手で扉を閉めた。ちゃちな作りとはいえ仮にも防音設備のはずなのに、湊が大声で泣いている声が扉を貫通した。俺は振り返らなかった。
そのまま建物を出ると、目の前がコンビニでゴミ箱があった。湊にもらったおそろいのマスコットを握りしめた。もういらない。鞄から外して、ゴミ箱に突っ込むだけ。それでおしまい。
それだけのはずなのに、できなかった。体が動かないまま、ゴミ箱の前でずっと立ち尽くしていた。結局捨てられなかった。
「泣くくらいなら追いかけて来いよ、バカ」
俺の頬を涙が伝った。風が冷たかった。
二学期になると、季節の変わり目に湊が体調を崩して十日ほど学校を休んだ。死ぬほど心配したけど、無事元気に登校してきたときは心底ほっとした。
俺たちは変わらず友達だった。こんな日々がいつまでも続くことを無邪気に信じていた。
「ねえナツ、一生のお願い」
十二月のある日の放課後、いつものカラオケ店に入るや否や、いつになく真剣なまなざしで湊が切り出した。
「優弥が今度手術するんだって。だから、手術が成功しますようにって花霞神社にお祈りしに行きたいんだ」
また優弥かよ、しかもまた一生のお願いかよとモヤモヤした。
「お前、花霞神社ってどういうとこかわかってんの?」
「わかってるよ。一生に一度、どんなお願いも叶えてくれる神社でしょ。父さんも母さんもみんなそこでお祈りしてくれたから俺も元気になれたんだし、絶対効果あると思うんだよね」
「そうじゃなくて、山道二十分くらい歩くんだぞ。冬で寒いし、電車で遊びに行くのとはわけが違うだろ」
整備された一本道とはいえ山道だ。狭くて車が通れないので、バスやタクシーも使えない。おまけに磁場と木々の関係でやたら電波が悪くスマホが圏外になりがちなので、何かあったときに助けも呼べない。
「危ないからやめとけよ。健康の神様がいる神社ならほかにもあるだろ」
「えー、でも二十歳まで生きられないって言われてた俺がこうやって生きてるんだからやっぱり花霞神社の御利益って段違いなんだって。それに、俺なら平気だよ。だって、小学生が遠足でいくこともあるんでしょ?」
「お前、ガキより体力ないじゃん。俺が良くても親御さんはいい顔しないだろ」
正直、俺も湊が心配だ。なんとか諦めさせたかった。
「親が危ないから絶対ダメって言って連れて行ってくれないからナツに頼んでるんじゃん。一人で行くのは不安だけど、何かあってもナツがいれば安心かなって」
「いや、ダメだろ。親御さんの言うこと聞いとけ危ねえから」
湊はどうも自分の体力を過信するきらいがある。親の許可はとっていないと思っていたら、まさか明確に禁止を言い渡されているとは思わなかった。
「えー、ナツまでそんなこというの? 俺、最近元気なのにひどいなー」
「でも万が一ってこともあるだろ。俺、責任取れねえ。普通に無理」
俺は首を横に振り続けた。しかし一向に湊が俺の話を聞こうとしない。何としても神様に対して一度きりの権利を使いたいのだろう。自分のためではなく、大切な友達のために。俺の腹の中で黒い塊が渦巻き始める。
「わかった、じゃあ今週の日曜日に一人で行く。親にはナツとカラオケ行ってることにするから、電話かかってきたら話合わせてね」
湊としては譲歩したつもりなのだろう。でも、湊は気づいているのだろうか。
「それ、どっちにしろ何かあったときお前の親に責められるの俺だよな?」
自分の声とは思えないほど低い声。感情のコントロールが効かない。違う。こんなことが言いたいんじゃない。
「お前の心配してやってんのに、くだらねえ迷信の話ばっかしてガキかよ」
湊の顔が直視できない。違う、喧嘩したいわけじゃないのに。
「えっと、気に障ったならごめん。ただ、優弥の命がかかってるから俺にできることは全部してあげたいなって思っただけで。ごめん、忘れて。ナツには迷惑かけないように勝手にするから」
「いや、この話聞かされた時点ですでに迷惑なんだけど。俺を友達見殺しにした犯罪者にしてえの?」
「違う、そんなつもりじゃない」
湊がうろたえている。たぶんこいつは誰かに強い言葉で責められたことなどないのだろう。だとすれば、もう少し強く言えば思い直してくれるかもしれない。
「どういうつもりか知らないけど、俺の心配とか全部踏みにじって、万が一の時は俺を悪者にすることになるってわかってる?」
湊は世間知らずなだけで頭がいい。友達の一大事で気が動転しているだけだ。後でフォローをいれればわかってくれるだろう。
「それでも行くって言うなら、絶交する」
最後通牒を突き付ける。ここまで言えば、体が弱いくせに神頼みに命を懸けるなんて馬鹿げた真似はやめるだろう。ヒュッと息をのむ音がした。
「なんで」
湊が大粒の涙を流し始める。涙を拭うこともせず、しゃくりあげている。ヤバい、言い過ぎた。湊の肩に手を伸ばそうとしたところで湊が続けた。
「何でそんな簡単に絶交とか言えんの……ひどいよナツ」
その言葉に心臓がすっと冷えるのを感じた。体が固まって動かなくなった。湊は俺の言葉を絶縁宣言ととらえた。つまり、行くということだ。俺の心配の言葉も、心を鬼にした説得も何ひとつ届いていなかった。俺に心配をかけようが、迷惑をかけようがお構いなし、絶縁してでも行くと決断した。
要するに湊は俺よりも優弥を選んだ。今までずっと見て見ぬ振りしてきた事実をここに来て直視することになった。俺は湊に、「お前より優弥の方が大切だ」と宣言された。
「ひどいのはどっちだよ」
俺にとって湊は一番の友達だったのに、湊にとってはそうではなかった。義兄弟なんて湊にとっては口ばかりのごっこ遊びだったのだ。外の世界に優弥がいないから、俺は優弥の代わりにされていただけだった。
「どれだけお前のわがままで俺を振り回せば気が済むんだよ。泣いて一生のお願いって言えば、何でも要求通るとでも思ってんのかよ。俺は便利屋じゃねえんだよ」
湊は何も言わずに泣き続けている。その涙がひどく白々しく見えた。財布からカラオケ代を出して、机に叩きつける。荷物を担いで立ち上がった。
「待って」
蚊の鳴くような声で湊が言った。俺は振り返らなかった。
「もういい。聞きたくねえ」
これ以上ここにいたら泣いてしまいそうだった。
「こんなことになるなら、お前のお願いなんて聞かなきゃよかった」
優弥に会わなければよかった。義兄弟の契りなんて交わさなければよかった。最初の体育の授業で組んでほしいと言われたとき、無視すればよかった。
「あの日お前に、声なんかかけなきゃよかった」
こんなに辛いなら、今まで通りの平穏な日常を生きていたかった。失うくらいなら知りたくなかった。やっぱり、一人の友達に依存するとろくなことがない。わかってたはずじゃないか。
部屋を出て、後ろ手で扉を閉めた。ちゃちな作りとはいえ仮にも防音設備のはずなのに、湊が大声で泣いている声が扉を貫通した。俺は振り返らなかった。
そのまま建物を出ると、目の前がコンビニでゴミ箱があった。湊にもらったおそろいのマスコットを握りしめた。もういらない。鞄から外して、ゴミ箱に突っ込むだけ。それでおしまい。
それだけのはずなのに、できなかった。体が動かないまま、ゴミ箱の前でずっと立ち尽くしていた。結局捨てられなかった。
「泣くくらいなら追いかけて来いよ、バカ」
俺の頬を涙が伝った。風が冷たかった。



