約束はミックスジュースで

 翌日、湊の家に案内された。古くて広い平屋だ。湊の母親に玄関で出迎えられ、信じられないくらい歓迎された。
「ナツ君、湊と仲良くしてくれてありがとう。この子、本当に家でもずっとナツ君の話ばっかりなのよ。本当に素敵なご縁だわ」
「いえ、こちらこそ湊君にはいつもお世話になっています」
 テンプレートの挨拶だが、紛れもなく本心だった。家に上がると廊下には油絵が飾ってあった。見覚えのある景色、花霞山を描いた風景画だ。
「それ、ひいじいちゃんが描いたんだ。ここ、元々ひいじいちゃんの家。去年まで住民票は隣の県だったんだけど、退院してからも念のため病院の近くに住みたくて、引っ越してきたんだ。前は課題出せば出席日数融通してくれる私立にいたけど、普通に歩いて通えるとこに転校したってわけ」
「なるほどな。俺も今住んでるの元々じいちゃんの家だわ。介護のために引っ越してきた。去年の秋に死んじゃったけど」
 若き日は外交官として世界中を飛び回ってきた祖父だが、終の棲家には生まれ故郷を選んだ。
 話している間に湊の部屋に着き、湊は原稿を用意した。
「こちら原稿でぇす。お納めください兄者ぁ」
 照れ隠しなのかおちゃらけながら原稿を俺に押し付けると、ベッドに飛び込んで枕に顔をうずめている。俺そっくりな男が剣を構えている一枚絵が表紙だ。
「うっま! お前こんな才能あったのかよ」
 まだペン入れをする前の段階だったが、贔屓目なしに画力がかなり高い。森の四コマ漫画とは比べるのも失礼なレベルだ。
 わくわくしながらページをめくる。王道のバトル物のようだ。空間認識能力が高いのだろう。絵に奥行きがあって立体的だ。激しい戦闘シーンは、まるで本当に動いているように見える。
 しかし一方で、話はかなり粗削りでわかりにくい。全体的にセリフ回しは微妙で、結末も何が何だかよくわからなかった。しかし、主人公のキャラだけは魅力的で血が通っている。曲がったことが大嫌いで、時に優しく時に厳しく人を導き、ピンチの時には身を挺して仲間を守る。俺もこんな風になりたいと思えるようなキャラだ。
「絵うますぎだろ。プロ目指してんの?」
「うん。ペンネームはまだ決めてないけど」
「決めたら今のうちにサインくれ」
「気が早いってー」
 湊は枕を抱きしめながら照れている。
「俺さ、東京の大学に行こうと思ってるんだ。人より人生経験少ないからさ、いい漫画描くためには都会に出て色々経験積みたいって言うか。あと、出版社もいっぱいあるから持ち込みもしやすいかなって」
 確かに人生経験の乏しさゆえにストーリーがいまひとつでは、せっかく絵はプロ並みなのにもったいない。湊は頭がいいからどこでも受かるだろう。ちゃんと夢があってそれに向かって行動している。俺よりずっと大人だ。俺は地元の大学に行くつもりだから、一緒にいられる期間はあと二年もない。寂しいけれど、それが湊の夢なら俺は応援しようと思う。
「なれるよ、絶対」
「ナツがそう言ってくれると本当になれる気がしてきた」
 湊が枕を抱きしめたまま笑った。
「ナツ君、湊、ご飯できたわよー」
「あ、今行く!」
 俺が漫画を読んでいる間に、湊の母親が飯を用意してくれていた。テーブルの上のカレーよりもまず、正面の壁に飾られた二枚の油絵に視線が行った。一枚目は俺によく似た男の肖像画だ。なぜか軍服を着ている。もう一枚は十歳くらいの男の子が二人で遊んでいる絵だ。片方は俺の幼少期によく似ている。
 気になって飯どころではない。これは俺が忘れているだけで昔出会ってたパターンか? でも、湊はずっと入院していたはずだ。
「あの絵もお前が描いたの?」
「違うよ、ひいじいちゃんが描いたんだ。ひいじいちゃんの一生涯の大親友の“ウズラさん”。ウズラさんの隣に居るのが、小さい頃のひいじいちゃん」
 去年百歳で亡くなった湊の曽祖父。親友のあだ名は“ウズラ”。俺の曽祖父も生きていればそれくらいの年だろう。そして、俺は曽祖父の生き写しだと言う。
「俺のひいじいさん?」
「そう。ナツのひいおじいさんと、俺のひいじいちゃん、大親友だったんだ。最期までずっとウズラさんの話ばっかりだったよ。ウズラがいたから俺がいるんだ、お前たちがいるんだって」
 理解が追い付かない。俺の曽祖父は俺どころか父が生まれる遥か昔に死んでいる。俺は曽祖父のことを何も知らないのだ。
「ウズラさんね、戦場でひいじいちゃんを銃弾から庇って亡くなったんだ。ひいじいちゃんの命の恩人なんだ。って話、誇張抜きに百回くらい聞いた」
 湊の描いた漫画で身を挺して仲間を庇う主人公の姿を思い出した。あれは曽祖父がモデルだったのだろうか。
「でね、ウズラさんの最期の言葉が『妻と息子を頼む』だったから、戦争終わった後は約束通りウズラさんの息子さん、ナツのおじいさんが独り立ちするまで金銭的な援助してたんだって。だから、ナツのおじいさんとは死ぬ直前まで手紙のやり取りしてたんだ」
 思い返してみれば、生前の祖父はよく誰かに手紙を書いていた気がする。
「その手紙、お前も読んだの?」
「いや、人の手紙読むのはいくら家族でもマナー違反っしょ。でもね、ひいじいちゃんが話してくれてたよ。ウズラにはお前と同い年の曾孫がいるんだぞって」
「そこまで縁あるなら、じいさんとか父親同士も仲良くても良さそうだけどな」
「だって、ナツのおじいさんずっと海外にいたでしょ? だから手紙のやり取りしてただけ。ひいじいちゃん、ナツのお父さんとは会ったことないって。ナツのお父さん、ワシントンで生まれたんだよね?」
「俺んちの事情に詳しすぎだろ。じゃあ、俺のことは最初から知ってたんだ」
「うん。ナツの通ってる高校も知ってた」
 徒歩圏内には三つ高校がある。わざわざ部活が充実していないうちの高校を選んだのはそういうことだろうか。
「ナツのいる高校選んだって言ったらストーカーっぽいってドン引きされると思って、最初はひいじいちゃんのこと隠してたんだよね。でも、色々ばれちゃったしもう全部言っちゃえって思ってうち呼んだけど、どこから話せばいいかわからなくてさ」
「いや、引かねえって」
 初の学校生活となれば、少しでも縁のある人がいる学校を選びたいと思うのは自然なことだろう。曽祖父の恩人の曾孫。それが俺を信頼していた理由。今までのことが全部つながった。

 食後、風呂を借りて、布団に入る。頭の中で今日一日にあったことを整理していた。俺と湊の曽祖父同士は親友、湊は漫画家志望、湊の漫画の主人公のモデルは曽祖父。色々と予想外な一日だった。
「ナツ、起きてる?」
 湊に話しかけられた。
「起きてるけど」
 また爆弾級の秘密を告白してくるのかと思い身構えた。
「じゃあさ、恋バナしよ。宿泊行事って恋バナするんでしょ?」
「何だよ、お前好きな奴いんの?」
「ナツから先に言ってよ」
「俺はいねえけど。てか、お前が言い出したんだろ」
「嘘だあ。ナツ、藤野さんのこと好きっしょ。よく話してるし」
「そりゃ席が隣だからな」
 湊が勘違いして勝手にテンションを上げている。藤野とは去年も同じクラスだったので会話することくらいはあるが、そういう目で見たことはない。そもそも、俺は他の女子とも普通に話す。いくら言っても理解しないようなので反撃することにした。
「お前こそ、香川に頭いいって褒められて舞い上がってたじゃん。香川のこと好きなんだろ」
「えー、違うよ! 褒められたら誰だって嬉しいっしょ」
「香川、美人だもんな。そうかそうか、好きな子に褒められてそんなに嬉しいか」
「だから、違うって!」
 慌てふためいているのが声だけでもわかって正直笑えた。
「本当に違うから! ていうか、女の子苦手」
「じゃあなんで恋バナしようとか言い出したんだよ」
「お泊り会ってそういうもんかなって思って。別に俺は好きな子いないよ」
「なんだよ、つまんねーの。まあ、俺も恋愛とか面倒くさいし興味ない。ていうか、恋愛第一最優先みたいな空気が苦手なんだよな」
 湊が恋愛中ではないとわかり、ぶっちゃけトークをかます。
「わかる、俺も。十三歳の時同じ病院に入院してた女の子と仲良かったんだよね。でも、その子が退院して彼氏できた途端にラインブロックされてさ、それから女の子ってちょっと苦手。いくら仲良くしてても彼氏できたら『もう連絡してこないで』とか言ってくるし、こっちから話しかけるのは無理。別に話しかけられるぶんには怖くないけど」
「なんだそのクソ女。自意識過剰すぎだろ。てか、俺も中学の時似たようなことあったわ。いくら彼氏が束縛激しいからっていきなり無視とか感じ悪すぎだろ」
 断じてその子に好意はなかったが、友人に無視されれば人並には傷つく。
「女だけじゃなくて男にもいるけどな、やたら恋愛脳なやつ。彼女出来た途端に友達ないがしろにするやつって何考えてるんだろうな」
「そうそう、彼女と毎日二時間通話してるくせに、俺とのラインは三日放置とかね。毎日お見舞い来てとはいわないけどさ。俺には外の世界とのつながり、ラインしかないのにひどくない? まあ、彼女できなくても退院した子とはそのうち疎遠になるけどね。早いか遅いかの違いってだけで」
 天真爛漫に見える湊だが、今までずっと寂しい思いをしてきたのだろう。きっと、俺の何倍も。
「ナツは優しいからそのうち彼女できるんだろうけどさ、藤野さんと付き合ってもたまには俺とも遊んでよ」
「だから藤野のこと好きじゃねえってば」
「それと、また俺が体調崩して学校行けなくなっても、ライン無視しないでくれたら嬉しいなって」
「んな薄情なことするわけないだろ。てか、縁起でもないこというなっつーの。手術して病気治ったんだろ?」
「それはそうだけど、時々今の生活全部夢なんじゃないかって思うことあるんだよね。入院生活長すぎたのかなー、なんて」
 一学期も終わりに近いが、四月からずっと湊と一緒にいた。たくさん話もした。でも、今日になって初めて湊の心の柔らかい部分に触れた気がする。
「湊の不安とか寂しさとか全部はわかってやれねえけど、自分がやられて嫌だったこと人にするほどクズじゃねえわ」
「え?」
「俺、小さい頃から転校しまくってたんだよ。絶対会いに行くって口約束しても、すぐに連絡帰って来なくなってばっかり。みんな俺のことすぐ忘れる」
 この話を誰かにするのは初めてだ。
「転校時期によっちゃ友達作るのも一苦労。人間関係出来上がってるところに放り込まれるわけだからアウェーなわけよ」
 友達と別れた寂しさや不安の中で、優しくしてくれる人がたまに現れる。昔はそういう優しい子に依存していた。転校生の俺が孤立しないように声をかけてくれる人、彼らが神様に見えた。だから、俺も自分より後に転校してきた人には絶対に優しくしようと決めていた。次の転校生が来る前に俺が次の学校に転校してばかりだったけれど。
「まあ、俺に優しくしてくれるようないいやつって大抵すぐに彼女できるし、友達も多いんだよな。要するに俺より大事な友達とか彼女がいるわけ。俺は輪に入れてもらってる立場だから優先度低いよなーって感じ」
 我ながら情けない話だ。幻滅されないだろうか。いや、湊なら受け止めてくれるだろう。
「だからさ、俺はこの先彼女できてもお前のことないがしろにしたりしねえよ。お前こそ、東京行っても俺のこと忘れんなよ」
 今の言葉も重かった。今日の俺はどうかしている。湊が東京に行くのは一年半以上も先だと言うのに。
「当たり前じゃん。だって義兄弟の契り交わしたよね、兄者」
「あー、激マズ湊スペシャルでな」
「ドブ水に俺の名前つけるのやめてよー」
「お前がつけたんだろ」
「まあとにかく、義兄弟の盃は絶対なんだよ。ひいじいちゃんとウズラさんも義兄弟の盃交わしたから、ひいじいちゃんは死ぬまでウズラさんのこと忘れなかった。ずっと友達だったんだ」
 二か月前にカラオケで聞いた話だ。相手が俺の曽祖父だとは今日初めて知ったけれど。
「そうだな。俺のひいじいさんってお前のひいじいさん庇って死んだんだろ。妻子がいようと友情貫いて死んだってことだし、本物の友情もあるんじゃねえの」
「うん。だからどっちかが引っ越しても、彼女ができても、結婚しても、おじいちゃんになっても俺たちだって変わらないでいよう。約束」
「言ったな。約束破ったら湊スペシャル一気飲みだからな」
「グラスじゃ生ぬるいからペットボトルでイッキね。って、その名前やめてってば」
「お前グラスでも飲みきれなかっただろ。どこが生ぬるいんだよ。でも、罰則は厳しい方がいいって言うのは同意。そのドブ水に梅昆布茶の粉も追加しよう」
「あはは、そしたらナツ考案のレシピだからナツデラックスだね!」
「お前こそドブ水に人の名前つけんなよ」
「あはは、ナツデラックス、あはは」
 湊のツボに入ったようでずっと笑っている。俺もつられて笑った。
 湊は俺を曽祖父の話の中のヒーローに重ねていただけなのかもしれない。湊にとって俺より優弥の方が付き合いの長い気の合う友達かもしれない。でも、もうどうだっていいじゃないか。俺と湊は義兄弟の契りを交わした一生の友達。それでいいじゃないか。もう、寂しくない。