文芸部の一匹狼は、美術部の王子様を放っておけない


 右堂は汚れた橋の裏側に向かって、弄ぶように、紫煙を吹いていた。

 その目は、左神を認識していないみたいに、前を向いて動かない。煙草を吸い込み吐き出す胸だけが、別の生き物のように上下していた。

 取り巻きを連れていない右堂の周りはひどく寂しげだった。否、彼自身が孤独に見入られているように見えた。表情が削ぎ落された端正な面立ちは作り物めいていて、僅かでも動いていることが奇跡のようにも感じられた。

 左神は右堂をじっと見つめた。
 右堂は頑なに視線を合わせようとしなかった。

「何拗ねてんだよ」

 左神が顎を上げて言う。

「拗ねているように見えるのか?」

 右堂が煙草を踏みつけて応えた。

「読ませて下さい、って頼むなら預けてやってもいい」

「君、案外めんどくさい奴だな」

「そりゃこっちの台詞だ」

 右堂は寒そうに二の腕を擦った。
 白い手や首筋が、貧血の病人のような色をしている。
 早く帰してやりたい気もするし、このまま足止めをして、凍えさせてしまいたい気もする。

 左神はリュックを下ろして、プリントアウトした原稿を取り出した。それを突き出して「『読ませて下さい』って言えよ」と強要する。

「嫌だ、と言ったらそれを引っ込めるのか?」
「そうだ。俺はてめえに読んでもらいたくなんかねえからな」
「じゃあもう鞄にしまいたまえよ。僕は僕に読まれたくないものを、無理に読ませてくれなんて頼んでないだろう?」

 それはそうだ。
 左神は言葉を詰まらせた。

「堂々巡りの問答なんて無駄なだけだ。もういいから、早く帰りなよ」

 右堂は呆れたような声で言った。
 そしてズボンのポケットから煙草の箱を取り出し、一本咥えてジッポで火をつけた。煙草の匂いがひんやりとした風に乗って、左神のほうへ流れてくる。
 左神は副流煙にむせながら、それを直接吸い込んだ煙が右堂の肺を汚していると思うと、ひどく不快な気持ちになった。御伽噺の登場人物のような美しい男の中身が自らの手で黒く汚されていると思うと、それはもう、自傷行為に思えてならなかった。

「なあ」

 つい小言を言いそうになって喉元で食い止める。
 右堂は怪訝そうに左神に視線を向けた。
 左神は持っていた原稿の束をメガホンのように丸くして、もう片方の手のひらを叩いた。

「俺は帰る。だから、てめえも早く帰れ」
「ああ、まあ、帰るよ」
「その一本で最後にしろよ。そんな幽霊みたいな顔で歩いてたら通行人を怖がらせるぞ」
「善処するよ」

 ほんとに分かってんのかよ、とまで言うと過保護な母親じみていて気持ち悪く感じ、左神は舌打ちをするだけに留めた。

 帰り際、てきとうに放られていた右堂のバッグの上に原稿を投げて置いて帰った。右堂が左神に注意を向けていたのか分からなかったが、左神は任務を果たした戦士の気分で自転車を漕いで、夕食の匂いが漂う自宅へ急いだ。



***



 冬の匂いがする。
 あれからまた三日が経った。

 左神は時折、前の席にいる金井の真っ黒いな髪を見やりながら、ノートパソコンを睨んでいた。右堂に置いてきた小説の推敲を進めているところだった。それなりの形にしたつもりだから、多少のケチはつけられても、頭から書き直しということは無いだろう。


『天使の結末/左神甲牙』

 ――人間界の降り立った美しい天使が、己の命の欠片と引き換えに、人間を幸福にしていく。

 ――天使は、幸福にした多くの人間に感謝され、愛された。

 ――しかし人間はやがて、その尊い使命と行いを当然のものとし、傲慢になっていった。

 ――悪意にまみれた欲望をぶつけられながら、命の欠片を消耗し、弱っていく天使。

 ――彼は強欲な人間の幸福を願うことに嫌気がさし、自棄なり、人間を誑かし、いたずらに闘争を引き起こすようになっていった。

 ――しばらくして天使は、その有様を見ていた神によって堕天された。

 ――悪魔となった天使は人間からも同族からも疎まれ、また半端者として悪魔にも見放され、孤独なまま地を彷徨った。

 ――天使は虚しいだけの己の存在に絶望し、その身に毒を含み、まるで罰を受けるように、永い時間を苦しみ続けた。

 ――そして、天使から幸福を授けられた者にも、天使を愛した者にも知られぬまま、彼は深い悲しみとともに命の灯を絶ったのだった。


 作品のあらすじはこんなところ。
 短編としてはまずまずの出来だ。

 窓の外の曇天を見上げる。
 キーボードが鳴る音や、ペン先が紙を引っ搔く音が、忙しなく聞こえる部室は居心地がよかった。右堂は自分だけが手持ち無沙汰なのは居心地が悪いと言っていたが、実は自分も理解できなくは無い。暇というのは孤独を持て余すことだ。人にも物事にも構われない感覚は、寂しいという感情と近いところにある。

 だから暇を作らないように、この小説は時間を掛けて直そうと決めてディスプレイを見たとき、淀みなく近づいてくる足音に、意識を引っ張られた。
 傍で止まったそれに気づいて振り返ると、長身の右堂が左神を見下ろしていた。

 右堂は開口一番、

「つまらなかった」

と言って、紙の束をキーボードの上に落とした。