文芸部の一匹狼は、美術部の王子様を放っておけない

 階段を上ってきたのは、右堂だった。頬の傷を見つけた女子たちに、『どうしたの』『告ってきた奴にやられたんでしょ』と心配とからかいの混ざった声を掛けられている。

「僕のことを愛し過ぎていたんだろう。みんな悪く思わないでやってくれよ。僕の美貌が彼をそうさせてしまったんだから」

 右堂の気障な言葉にどっと笑いが起きる。

 階段の下には、右堂に告白していた男子生徒が、行き先を塞がれ、決まり悪そうに立ち止まっていた。しかしすぐに、恥ずかしそうに一階へ下りて行く。

 先程勇気を出して告白してきた男子生徒をネタにする右堂が、左神には理解できなかった。それどころかまるで別の生き物に見えて仕方がなかった。

 左神は歩調を早め、開いたままの図書室へ入る。
 視界の端で、右堂が立ち止まったのが見えた。
 白い頬に、血のにじむ四本線。
 わざと本棚に視線を貼り付けた。
 図書室の古紙の匂いを吸い込んで心を落ち着かせる。

 背後騒がしさが遠ざかっても、右堂の下卑た笑い混じりの言動は脳に焼きついたまま離れなかった。

 右堂に対する、嫌悪と軽蔑は増す一方だ。
 あの男のために小説を書くのかと思うと、激しい後悔と、体の奥に虫が這いずるような気持ち悪さを感じた。



***



「よく見るでしょう、そんな光景なんて」

 放課後、左神の前の金井は、器用にシャーペンを回しながら、猫のようにぱっちりとした目を、愉快そうに細めた。

「彼は男子にも女子にもモテるもの」

 左神は肘をついた左手で額を押さえて「それはそれで気持ち悪いんですけど」と声を顰めた。

「告ってきた奴のこと蔑ろに……いや、馬鹿にするんすよ。それが気に食わねえ」

「牽制じゃないの? 告白されるのもそれを断るのも面倒だから、見せしめみたいなこと言うのよ。きっとね」

「じゃあ見せしめられた奴が可哀想だろ」

「じゃあ左神君は、顔に怪我をした右堂君のほうは可哀想じゃないって言うのね」

「それは……あいつの、自業自得っていうか」

「告白されて加害されるのが自業自得なら、怨恨で殺されても自業自得ってこと?」

「いや、それとこれとは程度が違うじゃないすか……」

「同じじゃない」と言いながら、金井は小さな両手で左神の右の手首を掴んだ。

「もしも左神君が私のことを好きだと告白してきて、私はそれを断るの。そしたら、あなたのこの手が故意にね――――」


 金井が掴んだ左神の腕を、金井自身に向かって振り上げた。
 左神の拳が、筋肉質な腕の重さと重力の勢いをを伴い、金井の頭に振り下ろされる。


 ――……その前に。

 焦った左神は金井の手の束縛を振りきり、己の腕を引っ込めた。
 肝を冷やした左神が目を瞠って彼女を見つめるなかで、金井は妖しげに笑った。

「血が出るほど私を殴ったら、あなたはそれを、『告白を断った私が悪い』と言うの?」

 のたうち回っるような鼓動を深呼吸で整えながら、左神は首を横に振った。
 こめかみに冷や汗が伝う。
 先輩として好ましく思っている金井を傷つけると思っただけで、凶器と同義の拳が震えた。

「やめて下さいよ、こんなこと。本当に怪我させたらどうするんですか」

 怯えた目をした左神から視線を逸らし、金井は朱色の空を見据えた。

「そうね、うん、そうかもね。彼は、本当に怪我をさせられたいのかもね。やられてやり返したほうが、お互い傷付けあったぶん、後腐れが無いと思っているのかもね」

「何すかそれ。訳分かんねえ」

「気にすること無いわ。左神君は、あなたが見た彼だけを見ていればいいのよ。深く知られることを、あの子だって望んでいないだろうし。嫌いなんでしょう? あの子もあなたのことは嫌いだと思うわよ」

 言われて、ズキリと心臓が痛んだ。
 嫌い、という言葉が胸に突き刺さる。
 別にあんなナルシストオカマ野郎に好かれたいとは思っていない。
 しかし、相手が誰であっても、他人から嫌われていると知るのは、人並みに傷付くのだった。

 金井のペアになった男子がやってきて打ち合わせを始めたので、左神は己の目前にある書きかけのノートに目を落とした。悩みながらもプロットの段階まできた作業に没入する。

 その日、右堂が文芸部の部室に現れることは無かった。



***



 合同誌に載せる小説は、右堂に宣言した通り三日で書き上がった。
 まだ粗いところはあるものの、右堂に読ませた後に推敲すれば十分に間に合う予定だ。

 右堂のほうはその間、余程暇なのかずっと部活に出ておらず、美術部員によれば友人たちと街をねり歩いていたり、女子とカラオケボックスに入って行くのを目撃したという。人が苦労して作品を書いているのに暢気なものだと、呆れを通り越して腹立たしく思えた。

 しかし、左神が勝手に決めた〆切の日に、灰色の雲の帰路にあるいつもの橋の下を覗くと、右堂はやはりコンクリートの躯体に寄り掛かり、煙草を吸っていた。

「部活にも顔出さねえで、まるで他人事じゃねえか」

 左神がコートのポケットに手を入れながら言う。
 右堂は相変わらず上衣をワイシャツ一枚纏っただけで、唇を青くしていた。
 右堂がははは、と乾いた笑い声を上げる。そして「だってやることが無いんだよ」と白い吐息を浮かばせた。

「合同誌のためにみんなが頑張っているのに教室でぼけっとしていると、一人だのけ者のようで居心地が悪くなる」

 左神には、右堂の言葉が嫌味に聞こえた。

「俺が小説を完成させないからやることがねえって言いてえのか?」

「そんなことは言ってないだろう。 そう聞こえるなら君にそういう自覚があるってことだ」

「てめえは何でそう癪に障ることばかり言うんだ。俺だって、こんなクソみてえな企画がなかったら、てめえになんか一生関わることも無く平和に過ごしてたのによ。書いて損した。てめえに読ませる小説なんてねえよ」

 言って、左神はマフラーの端を翻した。

 右堂が、ふうと煙を吐き出す。
 そしてかすかな声で一言を零した。


「なんだ、楽しみにしてたのに」


 左神は思わず立ち止まった。