文芸部の一匹狼は、美術部の王子様を放っておけない


 意図があったわけでは無い。迷子になった子どもが、やっと見つけた親の背中を逃がさんとするのと、同義の反射だった。

 右堂はバッグを掴み、屈んだ姿勢のまま、
「何?」
 と迷惑そうな顔をした。

 左神は咄嗟の行動の理由を、自分でも見つけられずにいた。
 しばしの間、無言で睨み合って、ようやく手を離したとき、「合同誌のことなんだけよ」と考えることを放棄していた話題を切り出した。

「俺が書いたら、てめえも描くのか?」

 右堂は背筋を伸ばし、同じ高さにある左神の目から顔を逸らして、瞼を伏せた。

「僕は描いてあげてもいいけど、そもそも君が書きたくないんだろう? だったらその質問に何の意味があるんだい?」

 どこか自嘲気味に口角を上げる様子が、端麗な顔には不似合いに見えた。学校にいる右堂は、どの人間に対しても星がきらめくような笑顔を振りまいている。そんな彼が浮かべる虚ろな笑顔に、左神は何故だか胸が痛んだ。

 右堂はぼんやりと、静かな川の流れに視線を向けながら続けた。

「他の奴に頼むといい。何だかんだと言いながら暇な奴の一人や二人はいるだろう。僕のことは気にしなくていい。別に、無闇に人と馴れ合いたいわけでも、絵を描きたいわけでも無い」

 乾いた声だった。
 硝子のように硬質な王子サマは、話すのをやめたら粉々になってしまいそうな儚さがあった。

 左神の手のひらに、嫉妬と悲嘆の汗が滲む。
 自分が本心では欲しいと思っているものを、すべて持っている男は、それを求めないどころか蔑ろにして、隠れて孤独を貪りながら自嘲しているのだ。

 左神は、再び右堂が煙草を取り出すのを見て、それをひったくった。
 右堂が挑発的な微笑を浮かべる。

「いい子ぶるなよ、ヒダリ君」

「こんなものに手を出すほど、てめえは何に追い詰められてんだ」

 取り上げた煙草を、左神は握り潰した。手を開くと、粉状の葉がパラパラと風に舞った。
 右堂は頑なに目を合わせず「疲れているだけだ」とせせらぎに消えそうな声で言った。

「いつまでも『王子サマ』でいるのは疲れる。ただそれだけだよ。くだらないだろう」

 右堂が一拍置いて溜息をつく。

「僕のことはもういいだろう。中身を知られたら道化は終わりだ。僕も君には関わらないから、君も僕には関わるな。煙草のことは好きに喋ってくれて構わない。文句があったら後で言ってくれ。僕は帰るぞ。今日はもう休みたいんだ」

 そう覇気のない声で言うと、右堂は左神のわきを通って、怠そうに土手を上り始めた。擦れ違いざまに匂った煙草の苦い香りが、左神の鼻腔に刻みつく。
 左神は右堂の背中に向けて声を張った。

「書いてやるよ。書けば描くんだろ。俺となんか馴れ合う必要もねえし、疲れたら全部ぶん投げりゃいい」

 右堂が、流れてくる車のライトに体を染めながら、振り返った右堂が怪訝そうな顔をする。
 左神は構わず続けた。

「三日で書き上げる。首洗って待ってろ」

 その剣幕を見て、右堂がくつくつと笑った。

「そうか。楽しみに待ってるよ」

 左神の目の前で星が弾けた。



***



 昼休み、左神は図書館へ向かうために二階の廊下を歩いてた。

 生徒たちの上げる喧騒を無表情で軽蔑しながら、ただぼんやりと窓の外の景色を眺めていたとき。だだっ広い校庭の死角となっている校舎の影で、右堂が怠そうに佇んでいるのを見つけた。同時に、その向かいに、小柄な男子生徒が立っているのが見えた。
 二人の様子が気になった左神は、わきを通っていく生徒を避けて、二人の姿がギリギリ見える位置で立ち止まった。

 男子生徒の口が動く。
 なまっちろい童顔が、朱に染まっていた。

 右堂の横顔は優しげに微笑んでいた。男子生徒の言葉をうんうんと頷きながら受け止め、そのあとに、一層の慈しみの籠った表情を彼に向けると、口の端を上げながら言葉を返していた。

 読唇はできないが、男子生徒にとって不都合なことを言ったことは明白だった。


 男子生徒は肩を怒らせた後、鬼のように目尻を吊りを上げて、右堂めがけて悪意の籠った拳を振り上げたのだった。


 左神は思わず前のめりになった。

 恐らく右堂は、飛んできた手を抑えるなり避けるなり出来た筈だ。
 なのにそれをせず、男子生徒の手を正面にから食らった。

 鉤のかたちにした男子生徒の手は、右堂の左頬を引っ搔き、平行に並んだ赤い四本線を作った。


 右堂は滲む血液をを押さえることもせず、何事もなかったかのように柔和に笑んで、動揺して後退りする男子生徒の腕を掴んで抱き寄せた。
 まるで恋人にするようなハグに、面食らったのは観客である左神だった。
 男子生徒を抱きながら、ゆっくりと頭を撫で、耳元で何かを呟くさまは、誰もが羨むロマンチックな光景だった。

 別れを惜しむように、ゆっくりと体を離した右堂に、男子生徒が恐縮したように何度も頭を下げる。そして男子生徒が涙を拭いながら走り去って行くところを見て、ようやく左神は詰めていた息を吐いたのだった。

 残された右堂は微笑みを絶やさぬままそれを見送り、しばらくしてから指先で頬の傷に触れた。血のついた指を確認してから、校舎の裏口へ歩いてゆく。
 左神は体の軸がずれたように、窓枠に体を寄りかからせた。ぶつけた頭がぞわぞわと落ち着かない。

『自分は何も見ていない、関係がない』と思い込むことががひどく難しかった。左神は重い体を起こしてのろのろと、胸の中におかしな余韻を残しながら廊下の突き当りにある図書館へ向かった。

 図書館の手前まで来たとき、階段のほうからきゃあきゃあと騒がしい声が聞こえた。

 嫌な予感がした。