第6話 失くしちゃった
昨夜は結局、よく寝付けなかった。
ぼやけた頭で歯を磨いて、用意だけされている朝食を一人で食べ、いつものように電車に乗って学校へ向かう。
途中で坂中や山下、川上に会って、「なんか疲れてね?」「大丈夫かよ~」なんて絡まれつつ、他愛もない話をしていたときだ。
「そういや、あれ聞いた?」
「何?」
校舎へ向かう途中、山下が、思い出したように言った。
「幻のUSB、見つけたら賞金百万だって」
「――は?」
面白がるような声色を耳にして、頭の中が、ひやりと冷たくなった。
「あー見た見た。また八重がなんか企画してたよな」
「情報だけでもいいんだっけ?」
「カバンの中に入ったUSBなんていくらでも偽造できそうだけどねえ」
三人がワイワイと話す内容が、右から左へと流れて行く。
俺は、昨日、何をした?
八重と連絡を取った後、シャワーを浴びて、そのまま眠ってしまった。
SNSの世界で何が繰り広げられているのか、把握できていない。
嫌な予感がして、「悪い、急ぐ!」と言い残し、俺は教室まで走って向かった。
――いない。
いつも俺より早く教室にいて、自分の席で音楽を聞きながら教科書を読んでいる長身で無愛想な男の姿が、ない。
「ちょ、久瀬見なかった!?」
「ええ、俺より朝比奈のが仲良しじゃん!」
先に席にいた井山を捕まえて聞くけれど、返って来るのはそんな言葉だ。
ズキリ、と胸が痛むのは、最後に見た久瀬の後ろ姿が頭を過ったから。
「もう少ししたら来るんじゃん? のんびりな日もあんだろ」
井山はゆるく言って笑う。
いつもだったら、俺だってそう思う。
でも。
「あ、いたいた。ねえ、見た? すっごい反響!」
明るい声が聞こえてきて、はっと顔を上げる。
良い笑顔の八重が見せて来たのは、SNSの画面だ。
そこには、『情報求む! 幻のUSB、見つけたら賞金百万円!?』と、USBと黒いカバンのイメージ画像と共に投稿された文章があった。
リアルタイムで数字が増え、どんどんと拡散されていく様子を目の当たりにし、ぞくりと背筋が震えた。
「こんなにバズったの初めて! 朝比奈に感謝だねー」
「俺、内緒って言わなかった?」
「私も言ったよ、苦手だって」
ああ、神様。
叶うなら、昨日の夜に、時間を戻してくれませんか。
結局、授業が始まっても、久瀬は現れなかった。
一方の俺は、気が気じゃない。
休み時間になると、教室の中も、USBの話題で持ち切りだ。
「マジで百万もらえんのかな」「証拠とかどうすんのよ」「つか、こういうときこそ、アレじゃね?」
その一言で、教室中の視線が、一気に俺に向かってきた。
「え」
「失くしもの係に依頼して見つかったらさ、懸賞金は依頼人の取り分になんの」
「いやー、どうかなあー」
「久瀬がいないのってもしかして、」
「あ、あ、朝比奈くん、ちょっといいかな……」
そんなに絡んだ覚えのないクラスメイトたちからの視線を受けきれず、視線を横へ横へと逸らしていると、救いの声が聞こえる。
それは、教室の入口で俺を手招きする、汐見先生のものだった。
コレ幸いと席を立ち、先生の方へと小走りで向かう。
「うわっ、先生、大丈夫すか」
先生は、ものすごく、やつれていた……。
普段の爽やかイケメンが嘘のように、目の下に隈ができ、顔色が悪い。
「いや、いいんだ、これは自業自得だから……それより、その、SNSの件、」
小さく潜められた声にドキリとする。
「アレで先生たちもピリっとしてて、持ち物検査とか始まっちゃいそうでさ……せっかくキミたちに依頼したのに、俺の人生今日で終わりかも……いや、自業自得なんですけど……ははは……」
乾いた笑いに涙が混じっている。
そして、はっとした。
久瀬は、ひとりで、見つけようとしている。
それなのに、先生を、諦めさせるわけにはいかない。
「せっ、先生!」
俺は、項垂れる先生の肩を掴んだ。
「あとちょっと……、今日だけ、待ってて!」
「え……」
「多分絶対、見つけてるヤツがいるんだ! ……その、本人が、見つからないだけで」
「それって……」
「だから、あと少しだけ、諦めないで」
真っ直ぐと先生の瞳を見据えて言うと、先生がゆっくり瞬く。そして、笑った。
「わかった。……どうせ教師失格の身、最後くらい、キミたちのこと、信じるよ」
しっかりと頷いてくれるのに、ほっと胸を撫で下ろす。
この次は、俺の仕事だ。
俺が、絶対に、"失くしもの”を探さなきゃ。
――でも。
「なんで、連絡先、交換してねーんだよー!!」
いくら確認しても、俺のスマホには、久瀬の連絡先はない。
SNSでだって繋がっていない。
つまりは、久瀬を見つけるヒントは、何もないってことだ。
『友達なのに、彼女の有無も知らないんだな』
坂中の件で言われた言葉が、今更になって脳裏を過ぎる。
彼女の有無どころか、連絡先も、どこに住んでいるかも、交友関係も、趣味も、好きな食べ物も、なにも知らない。
唯一知っているのは、コーヒーはブラック派ってことだけ。
ああ、くそ。
もっと、興味持っとけばよかった!
俺は舌打ちをして、授業が始まる前の予鈴を無視し、廊下に出たままスマホのグループトークの画面を出す。
『久瀬のこと、何か知らねえ?』
カバンは教室に置いたまま、学校を飛び出した。
このまま、じっとしているわけにはいかない。
俺に何が出来るかわからないけど、だからって、何もしないのはいやだった。
――もう、後悔はしたくない。
別れたときの久瀬の姿が脳裏に焼き付いて離れなくて、奥歯を強く噛み締める。
気づいたら、久瀬と別れた、繁華街に来ていた。
ちらほらと見える警察の制服を目にして、俺はブレザーを脱いでコインロッカーに突っ込んだ。黄色いパーカーと黒いスラックスなら、私服に見えないこともない。
久瀬が汐見先生から聞き出した情報を思い出す。それを頼りに、この辺りにいるかもしれないと思ったからだ。
昼間の繁華街は、見慣れない場所だ。ゲーセンや、カフェ、カラオケ等が並ぶ一画が、放課後に来るところとは違う雰囲気を持っている。
宛もなく、久瀬とUSB、どちらも探さないといけない。
昨日、久瀬と汐見先生が話していた内容を思い出す。確か、この辺りの居酒屋で、飲み会をしていたと言っていた。
「おまえら白高だろ? これ、知らね?」
じゃあ居酒屋の近くでも探してみるかって、足先を向けた瞬間、耳に入って来た言葉に動きを止める。
視線を動かすと、ゲーセンの店先で、ガラの悪い人が、うちの高校の制服を着た男子二人に絡んでいた。
咄嗟に、店と店の間の壁に身を隠して、その会話に聞き耳を立てる。
「そ、それ。俺らもちょっと探してみるかって言ってて」
「へえ」
「詳しいことは知らないっす」
「ふーん……」
おいおいおい、マジかよ……。
さあ、と、全身の体温が下がっていくのを感じた。
USB争奪戦は、今や、学校の外でも始まっている。
それもそうだ、八重はきっと何も考えずに『賞金百万円』と書いたのかもしれないが、字面のインパクトが強すぎる。
――もし、もしも。
久瀬が、昨日のうちにUSBを見つけていて、それを知らない誰かに奪われそうになっていたら?
ついでに、久瀬自体が、身動きの取れない状態になっていたら?
悪い想像ばかりが頭を過ぎり、奥歯を噛み締める。
全部、俺のせいだ。
汐見先生は自業自得だと泣いていたけれど、拡散されなきゃ、こんなことにはならなかった。
「くそ、」
拳を握りしめて、小さく吐き出す。
「待ってろよ、久瀬……!」
俺の中の久瀬は、すっかり、ガラの悪いヤンキーに取り囲まれていた。
待ってろよって言ったって、久瀬がいるところを知らないんだった。
勇み足を踏み出しかけて、すぐに落胆する。
ゲーセンでは、うちの生徒の二人組がガラの悪い男から解放された代わりに、おまわりさんから補導を受けている。
ここからどうしようか、といやに晴れている空を見上げていたときに、ピロン、とスマホから音がした。
見ると、グループトークに返信が来ている。
『久瀬、まだ来てねーけど、ワタルまでどこ行ったんだよ』
『もしかして百万見つけに行った?』
『見つかったら山分けよろ~』
山下が「おねがい」とかわいくおねだりしてくるカボチャのスタンプを押してきて、イラッとした。
『久瀬見かけたら教えて』
それだけ送ると、ピロン、と再び通知が来る。グループトークとは別に、坂中からの個別メッセージだ。
『なんか校内やべーことになってる、気をつけろよ』
気遣いの言葉が、じんわりと胸に染みた。
それと同時に、コイツらを巻き込むわけにはいかないと改めて思う。
「サンキュ~」とハートマークを持っているニンジンのスタンプを押して、スマホを閉じた。
久瀬を見つけるのは、俺の、役目だ。
居酒屋も、電車の中も、手がかりはなかった。駅員さんにUSBの落とし物について尋ねてみたら、「今日そればっかりで……もう張り紙作ろうかな」とうんざりしているようだった。恐るべし、懸賞金。
残る手がかりは、汐見先生が寝ていた、マンションだ。
久瀬なら一番最初に潰している場所で、俺が行ったところで意味はないんだろうけど、何かしら手がかりがあるかもしれない。
USBじゃなくて、久瀬の。
この時間帯は、電車も空いている。
自宅方面とは反対方向に乗るのも新鮮だ。
椅子に座って息を吐き、改めてスマホを見る。
『やりすぎちゃったかな?』
八重から、舌を出して笑っている絵文字付きのDMが届いていた。
『反省して頼むから』
『何かあったら守ってね☆』
『いや無理絶対無理』
八重も、事態の重さに気付いている。
さすがに、どうしようもできません。
俺はスマホを置いて、瞼を閉じた。
マンションの最寄り駅で降りた頃には、夕方になっていた。汐見先生、どんだけ遠くに来たんだ……。
初めて訪れる住宅街の中でも、一際大きなタワーマンション。
一生縁がないような場所の入口まで来て、はたと気付く。
(これ、不法侵入になるんじゃね……?)
敷地内までは足を踏み入れることができない。
さあ、どうしようか、と、入口を迂回したところで、足を止めた。
「あ」
思わず声が零れ出る。
マンションの外観、植木が植えてある石畳に、腰掛けている人物がいた。
ブレザーを脱いだワイシャツ一枚に黒いスラックスの姿で、長身で無表情のその人は、俺が探していた、その人だ。
「く、ぜ!」
思わず駆け寄ると、久瀬は目を見張って、俺から目を逸らす。
「なんで来た」
「おまえがいねーから!」
「関係ないだろ」
「は!? 本気で言ってる!?」
久瀬は目を合わせないまま、そう言った。
俺はぐっと拳を握って、久瀬の胸ぐらを掴む。
「どんだけ、心配したと思ってんだよ! くっそ、無事でよかった馬鹿!」
見たところ、久瀬の身体に傷はない。
どうやら、ヤンキーにボコボコにされたのは、俺の脳内だけだったようだ。
――よかった。
「よかったあ……」
安心したら力が抜けて、そのまま、ずるずると久瀬の前に座り込む。
久瀬は、皺ができたワイシャツを伸ばして、俺を見下ろす。
「こんなとこで何してたんだよ」
見上げると、目が合った。
また、関係ないって言われるのを覚悟していたら、久瀬は観念したように、ワイシャツの胸ポケットから、小さなUSBを取り出して見せた。
「え、これって、まさか」
「ここに落ちてた」
「汐見先生の!?」
「間違いない」
よく見ると、うちの高校の名前と、管理番号と思しきIDが書かれたシールが小さく貼ってある。
久瀬はしっかり、役目を果たしていた。
「待って、なんで学校来なかったんだよ?」
「考えてた」
「は?」
「どうしたら安全に、渡せるか」
「安全に、って」
「おまえも、俺も、汐見先生も、八重も、全員にとって最善が何か」
久瀬の声には、相変わらず温度がない。
けれど、その冷静な声が、今は何故か、温かいものに感じられた。
「考えてたら一日経ってたってこと……!?」
「いや、家には帰った。ただ、気付いたらまたここに来てた」
「おまえ、一言言えよ……!」
「連絡先知らないし」
「それはそう!!」
俺が今日何度後悔したかわからない事実をさらっと言われて、力強く同意してしまう。
「じゃあ、一緒に届けに行こうぜ」
「は?」
「汐見先生、ピンチだから」
俺は立ち上がって、短く事実を告げる。
久瀬はその一言で、察したらしい。流石だ。
久瀬も立ち上がって、並んで歩き出した。
悔しいけれど、こいつの隣は、落ち着く。
特急電車で学校に戻りながら、「あのさ」と俺は切り出した。
「連絡先、交換しねえ?」
スマホを見せながら言うと、久瀬が、口許を緩めた。
初めて見た笑顔に驚いて固まっている隙に、久瀬の連絡先が、俺のスマホに入れられた。
これで、ひとつ、知ることができた。

