その日の「選考会」が終わると、わたしはそそくさと音楽室を後にした。いつもとは違う雰囲気の視線が向けられていたけれど、気づかないふりをして足早に屋上へ向かう。
もう陽が暮れている。千賀先輩、待ちくたびれているんじゃないかな。それとも、もう帰っちゃったのかも。
重厚な扉を慎重に開けると、そこには遠くの景色を眺める千賀先輩の後ろ姿があった。とくん、と胸の奥が揺れる。
「こんにちは、千賀先輩。ううん、こんばんはですね。お待たせしました」
ゆっくりと視線がわたしに向けられる。振り向いたその表情は、どことなく感慨深げだった。わたしは千賀先輩に丁寧にお礼を言う。
「千賀先輩、うまく演奏できました。本当にありがとうございます」
そして深々と頭を垂れた。
「ちゃんと聴いていたよ、君の演奏。今までで最高の出来栄えだったよ」
千賀先輩は口元を緩め、静かに返事をしてくれた。
「久しぶりに音楽室に行ってみたんだ。せっかく君が演奏するのだから」
「あ、そうだったんですか。嬉しいです。わたし、先輩に気づけなかったですけど」
照れるのを誤魔化して肩をすくめる。千賀先輩は澄んだ瞳の真顔で語りかけてきた。
「僕は自分のメロディを渡せる人を探していたんだ。そして、そう思える人に出逢うことができ、伝えることができた。だから今、僕のメロディは君の中にある」
そう言って、わたしの胸を指差した。わたしは大切な宝物をしまい込むように胸に手を当てる。
「千賀先輩、わたしと同じなんですね。――音色を掴まえることができるんですよね」
その一言に千賀先輩は一瞬、目を丸くした。そして、同意を込めて深くうなずいた。やっぱりそうなんだと確信する。
「わたし、とっても孤独だったんです。音符が視えるのは、神様がわたしに与えた罪なんじゃないかって思っていました。他人に知られたら、みんな敬遠しますよね?」
「ああ、そうだ。誰だって理解してはくれないさ。だからこの能力は使い方を間違えると、不幸を生み出してしまうことだってある。そう、そのせいで……」
千賀先輩はきゅっと表情を引き締めて答えた。その表情は湿り気を含んでいる。
「……アンサンブル部では、僕が生み出した呪縛が皆を苦しめているんだ」
「呪縛……?」
その表現を不思議に思うけれど、千賀先輩はさらに言葉を紡いでいった。
「だから皆を救ってほしいんだ、その呪縛から。アンサンブル部は呪縛が生み出す不協和音で満たされている。今のままでは美しいハーモニーを奏でることなんてまるでかなわない。けれど君が『フィーネの旋律』を奏でられたのなら、皆は救われるはずだ」
「『フィーネの旋律』って……?」
「『世界を描く旋律』のことを、僕はそう呼んでいる」
「世界を……描く、ですか?」
「ああ。君は音楽で世界を描く素質があるはずなんだよ」
千賀先輩の言い方からすると、それは音符が視えることと関係があるように思えた。けれどわたしは理解が追いつかず、小首をかしげる。
「でもどうすればいいんですか? わたしはどんな不協和音があるのか知らないですし、わたしにお悩み相談する人なんていないと思いますし……」
その瞬間、わたしのスマホが振動した。
「あっ、ごめんなさい、千賀先輩」
そう言ってスマホの画面を確認すると、LINEのメッセージが一通、届いていた。送り主は「清井麗」だった。どきーんっ、と心臓が悲鳴をあげて、全身から嫌な汗が噴き出す。
深呼吸をしてから、おそるおそるメッセージを開く。画面にはこう表示されていた。
『話があります。明日放課後、少しだけ時間をもらえるかな』
呼び出しぃぃぃ!? こっわぁぁぁぁ!!
背中がぞっと冷たくなるのを感じた。すると千賀先輩がすっと近寄って、画面を覗き込んだ。意味ありげな笑みを浮かべて言う。
「ほら、さっそく向こうからやって来たじゃないか。お悩み相談かどうかは知らないけれどさ」
わたしはメッセージを見直し、『既読』の二文字に茫然とする。
ああ、逃げ出したいけど逃げ出せないよぉ。はぁ……。
もう陽が暮れている。千賀先輩、待ちくたびれているんじゃないかな。それとも、もう帰っちゃったのかも。
重厚な扉を慎重に開けると、そこには遠くの景色を眺める千賀先輩の後ろ姿があった。とくん、と胸の奥が揺れる。
「こんにちは、千賀先輩。ううん、こんばんはですね。お待たせしました」
ゆっくりと視線がわたしに向けられる。振り向いたその表情は、どことなく感慨深げだった。わたしは千賀先輩に丁寧にお礼を言う。
「千賀先輩、うまく演奏できました。本当にありがとうございます」
そして深々と頭を垂れた。
「ちゃんと聴いていたよ、君の演奏。今までで最高の出来栄えだったよ」
千賀先輩は口元を緩め、静かに返事をしてくれた。
「久しぶりに音楽室に行ってみたんだ。せっかく君が演奏するのだから」
「あ、そうだったんですか。嬉しいです。わたし、先輩に気づけなかったですけど」
照れるのを誤魔化して肩をすくめる。千賀先輩は澄んだ瞳の真顔で語りかけてきた。
「僕は自分のメロディを渡せる人を探していたんだ。そして、そう思える人に出逢うことができ、伝えることができた。だから今、僕のメロディは君の中にある」
そう言って、わたしの胸を指差した。わたしは大切な宝物をしまい込むように胸に手を当てる。
「千賀先輩、わたしと同じなんですね。――音色を掴まえることができるんですよね」
その一言に千賀先輩は一瞬、目を丸くした。そして、同意を込めて深くうなずいた。やっぱりそうなんだと確信する。
「わたし、とっても孤独だったんです。音符が視えるのは、神様がわたしに与えた罪なんじゃないかって思っていました。他人に知られたら、みんな敬遠しますよね?」
「ああ、そうだ。誰だって理解してはくれないさ。だからこの能力は使い方を間違えると、不幸を生み出してしまうことだってある。そう、そのせいで……」
千賀先輩はきゅっと表情を引き締めて答えた。その表情は湿り気を含んでいる。
「……アンサンブル部では、僕が生み出した呪縛が皆を苦しめているんだ」
「呪縛……?」
その表現を不思議に思うけれど、千賀先輩はさらに言葉を紡いでいった。
「だから皆を救ってほしいんだ、その呪縛から。アンサンブル部は呪縛が生み出す不協和音で満たされている。今のままでは美しいハーモニーを奏でることなんてまるでかなわない。けれど君が『フィーネの旋律』を奏でられたのなら、皆は救われるはずだ」
「『フィーネの旋律』って……?」
「『世界を描く旋律』のことを、僕はそう呼んでいる」
「世界を……描く、ですか?」
「ああ。君は音楽で世界を描く素質があるはずなんだよ」
千賀先輩の言い方からすると、それは音符が視えることと関係があるように思えた。けれどわたしは理解が追いつかず、小首をかしげる。
「でもどうすればいいんですか? わたしはどんな不協和音があるのか知らないですし、わたしにお悩み相談する人なんていないと思いますし……」
その瞬間、わたしのスマホが振動した。
「あっ、ごめんなさい、千賀先輩」
そう言ってスマホの画面を確認すると、LINEのメッセージが一通、届いていた。送り主は「清井麗」だった。どきーんっ、と心臓が悲鳴をあげて、全身から嫌な汗が噴き出す。
深呼吸をしてから、おそるおそるメッセージを開く。画面にはこう表示されていた。
『話があります。明日放課後、少しだけ時間をもらえるかな』
呼び出しぃぃぃ!? こっわぁぁぁぁ!!
背中がぞっと冷たくなるのを感じた。すると千賀先輩がすっと近寄って、画面を覗き込んだ。意味ありげな笑みを浮かべて言う。
「ほら、さっそく向こうからやって来たじゃないか。お悩み相談かどうかは知らないけれどさ」
わたしはメッセージを見直し、『既読』の二文字に茫然とする。
ああ、逃げ出したいけど逃げ出せないよぉ。はぁ……。



