まぶたを開けると、群青色の空が広がっていて、その下に心配そうな顔が並んでいた。高円寺先輩、麗先輩、それに菜摘。
「あれ? わたし……」
皆がほっとしたように胸を撫でおろす。麗先輩の膝の上に頭を乗せていたらしく、後頭部がじんわりと暖かくて、なんだか安心した。
ゆっくりと上体を起こして、あたりを見回す。ここは舞台裏だ。倒れたわたしを皆が運んでくれたらしい。
高円寺先輩が、心底安心したような顔で話しかけてきた。
「脅かすなよ、まったく気が気じゃなかったんだ」
「あ……わたし、気を失っていたんですね。どれくらい経ちましたか?」
「ほんの数分だよ。舞台から下ろしてしばらくしたら目を覚ましたからな。観客も心配しているぞ」
並んだ席に目を向けると、観客たちが舞台裏に視線を向けていた。わたしに起きたことが、場をざわつかせてしまったみたい。でも、次第に安堵のため息が会場を包んでいくのがわかった。
――あれは夢だったのかな。でも、どうしてこんなに悲しい気持ちなんだろう。
胸の奥が、ぽっかりと穴が空いたみたいに寂しかった。
麗先輩が鞄から薄桃色のハンカチを取り出し、黙ってわたしに渡してくれた。
その仕草で、ようやく気づいた。自分が泣いていたんだということに。熱い雫が頬を伝っていた。
ハンカチを受け取って、泣き顔を隠すようにそっと涙を拭いた。
少しずつ気持ちが落ち着いてきた。麗先輩がわたしの手をそっと引いて言う。
「ご来場の方々も心配していらっしゃるわ。挨拶して元気なところを見せましょう。立ち上がれる?」
「はい、大丈夫だと思います、麗先輩」
慎重に体を起こして、腰を浮かせた。まだ少しふらつくけれど、ちゃんと立って歩ける。
その時だった。わたしのブラウスの隙間から、ぽろりと何かがこぼれ落ちた。
あっ……!
それは、漆黒に染まった八分音符だった。五線譜の上では見慣れた記号のひとつ。でも、それがここにあるということが、何を意味しているのか――わたしにはすぐにわかった。
あれは、やっぱり夢なんかじゃなかったんだ!
空を見上げると、雲の隙間に、音色の残り香のようなものが漂っていた。それは次第に空へと吸い込まれていく。わたしの胸が、ざわざわと騒ぎ出した。
――千賀先輩が、連れていかれる!
口元を引き締めて、すっくと立ち上がる。まるで運命を引き寄せるような気持ちで、部員たちに向かって叫んだ。
「みんな、楽器を持って舞台に上がって! 音楽を奏でてほしいの!」
いつもよりずっと強くて、熱を帯びた声が出た。
「ちょっとどうしたのよ、はるか。アンコールかかってないでしょ?」
菜摘が怪訝そうな顔で尋ねた。
「お願い、わたしの頼みを聞いて! わたしが秘密にしてきたこと、菜摘にも教えるから!」
わたしの必死な表情に、菜摘ははっとしたみたいだった。何か大切なことを伝えようとしているって、気づいてくれたんだと思う。
菜摘がすぐさま声を張り上げる。
「赤城先輩、麗先輩、はるかの言うとおりにしてあげてください。はるかがこんなふうに言うんだから、大切なことに違いないんです!」
菜摘は髪が地面につくほど、大きく腰を折った。
ほんっっっとにありがとう、菜摘……!
すると麗先輩が突然、司会者からマイクを奪い取って、会場に向かって叫んだ。
「皆さん、ご迷惑をお掛けしました。部員がひとり、体調を崩しましたがもう大丈夫です。それではお詫びとして、アンコールをさせていただきます!」
会場がどっと湧き上がった。麗先輩のいきいきとしたアナウンスは、まるで魔法のように不穏な空気を一掃した。
「さあ、みんな、最後の演奏よ!」
部員たちは赤城先輩に率いられて、けたたましい足音を立てながら舞台に上がっていった。その時、菜摘がわたしに向かってぐっと親指を突きたててウインクしてくれた。わたしも満面の笑みで返した。
高円寺先輩が、麗先輩の耳元で尋ねているのが聞こえた。
「おいおい、何の曲を演奏するんだよ、十一人って」
「そんなの私だって知らないわよ。でも、花宮さんの言うとおりにしてあげて」
「なんてこった。でもまぁ、あいつならすごいことをやってくれそうだ」
「すごいことねぇ。たとえば神ってる演奏みたいな? ただの勘だけど」
「女の勘か、きっと当たるだろうな!」
ふたりも皆の後を追って舞台に上がっていった。
十一人のメンバーがステージに並ぶ。わたしは最後に登壇し、舞台の一番前に立った。
魂を懸けて演奏すると決め、フルートを構えて息を吹き込む。
その瞬間――。
「ピィー! ヒョロロォォォー!」
わたしのフルートから飛び出した音色は、まるで鳶の鳴き声みたいに、どこまでも響き渡った。
とたん、星座のように壮大な譜面が空に現れ、まばゆい光を放った。それは、赤城先輩たちが演奏した『インパルシブ』の譜面だった。
わたしはフルートを掲げて、腕を伸ばして、空のキャンパスめがけて大きな円を描いた。
音楽が、未知の世界を描いていく。
「音符さんたち、お願い、世界を繋げて!」
わたしがそう願った瞬間、空に浮かぶ五線譜の中で眠っていた音楽記号たちが、ふわりと浮き上がった。ひとつひとつの音符が、まるで意志を持っているかのように瞬いて、隊形を整えていく。
麗先輩も、高円寺先輩も、ステージに立つ部員たちも、皆空を見上げて、言葉を失っていた。
「信じられない……これが音楽の力だなんて」
「俺たちは夢を見ているのか……?」
並び変えられた譜面は、「インパルシブ」を逆再生したものだった。それも、見事な十一重奏に編曲されていた。
その時、高円寺先輩が部員の皆に向かって叫んだ。
「みんな、聞いてくれ。これは部長からの命令だ。最大限の集中力を発揮し、この譜面に書かれている自分のパートを演奏してくれ!」
びりびりと痺れるような緊張の中で、高円寺先輩と麗先輩がフルートを構えた。菜摘もすぐに後に続く。
「あたしたちもはるかに続けえ!」
「よっしゃ、わけわからないけど、いっちょやってみるか!」
「すっげえことになってきた! 鳥肌もんだぜ!」
皆がそれぞれの驚きと感動を口にしながら、楽器を構えていく。
わたしは心の中で強く念じた。
――わたしたちは、この音楽を千賀先輩に届ける。わたしの大切な千賀先輩は、誰にだって奪わせはしない!
そして、トワイライトが染める学園祭の舞台に、皆の旋律がほとばしった。
イントロから、荒々しいクレッシェンドの音色が疾走する。怒涛の勢いで、漆黒の音符が吐き出されていく。
音楽が空を震わせ、世界を揺らしていた。
人々を感動させ、歴史に刻まれるような音楽とは、まるで正反対だった。
力強くて、反骨心に満ちていて、まるで既存の音楽を壊すために生まれてきたような音色。
部員たちの漲る情熱を詰め込んで放たれた漆黒の音符の渦は、宵闇の空を突き上げて雷鳴を呼び、大地を揺るがせるほどの力を持っていた。
音のエネルギーは膨張して、もはやアンサンブルの域を超えていた。
オーケストラのような――いや、名前なんてつけられないほどの悪魔的な迫力を持つ旋律に、聴衆も容赦なく巻き込まれている。
それでも、誰ひとりとして演奏を止めなかった。
わたしたちは、止まらなかった。
演奏の常識を覆して、音楽の歴史を冒涜して、神にさえ楯突くようなそのメロディは、十一人のアンサンブル部員によって奏でられていた。
わたしは魂の叫びを、フルートに注ぎ込んだ。
音楽は、みんなを繋げる。
未知の世界を、心の中に描き出す。
そんな力が、きっとあるはずなんだ。
そしてこれは、ただの音楽なんかじゃない。
常識の破壊から生まれた、奇跡の贈り物。
今、初めてわかった。
わたしはきっと、大切な人を護るために、音色を操る力を持っていたんだ。
だから――。
わたしはこのメロディを、わたしの大切な人のために奏でる。
どうか、届いて。
わたしたちの奏でる、『フィーネの旋律』!
「あれ? わたし……」
皆がほっとしたように胸を撫でおろす。麗先輩の膝の上に頭を乗せていたらしく、後頭部がじんわりと暖かくて、なんだか安心した。
ゆっくりと上体を起こして、あたりを見回す。ここは舞台裏だ。倒れたわたしを皆が運んでくれたらしい。
高円寺先輩が、心底安心したような顔で話しかけてきた。
「脅かすなよ、まったく気が気じゃなかったんだ」
「あ……わたし、気を失っていたんですね。どれくらい経ちましたか?」
「ほんの数分だよ。舞台から下ろしてしばらくしたら目を覚ましたからな。観客も心配しているぞ」
並んだ席に目を向けると、観客たちが舞台裏に視線を向けていた。わたしに起きたことが、場をざわつかせてしまったみたい。でも、次第に安堵のため息が会場を包んでいくのがわかった。
――あれは夢だったのかな。でも、どうしてこんなに悲しい気持ちなんだろう。
胸の奥が、ぽっかりと穴が空いたみたいに寂しかった。
麗先輩が鞄から薄桃色のハンカチを取り出し、黙ってわたしに渡してくれた。
その仕草で、ようやく気づいた。自分が泣いていたんだということに。熱い雫が頬を伝っていた。
ハンカチを受け取って、泣き顔を隠すようにそっと涙を拭いた。
少しずつ気持ちが落ち着いてきた。麗先輩がわたしの手をそっと引いて言う。
「ご来場の方々も心配していらっしゃるわ。挨拶して元気なところを見せましょう。立ち上がれる?」
「はい、大丈夫だと思います、麗先輩」
慎重に体を起こして、腰を浮かせた。まだ少しふらつくけれど、ちゃんと立って歩ける。
その時だった。わたしのブラウスの隙間から、ぽろりと何かがこぼれ落ちた。
あっ……!
それは、漆黒に染まった八分音符だった。五線譜の上では見慣れた記号のひとつ。でも、それがここにあるということが、何を意味しているのか――わたしにはすぐにわかった。
あれは、やっぱり夢なんかじゃなかったんだ!
空を見上げると、雲の隙間に、音色の残り香のようなものが漂っていた。それは次第に空へと吸い込まれていく。わたしの胸が、ざわざわと騒ぎ出した。
――千賀先輩が、連れていかれる!
口元を引き締めて、すっくと立ち上がる。まるで運命を引き寄せるような気持ちで、部員たちに向かって叫んだ。
「みんな、楽器を持って舞台に上がって! 音楽を奏でてほしいの!」
いつもよりずっと強くて、熱を帯びた声が出た。
「ちょっとどうしたのよ、はるか。アンコールかかってないでしょ?」
菜摘が怪訝そうな顔で尋ねた。
「お願い、わたしの頼みを聞いて! わたしが秘密にしてきたこと、菜摘にも教えるから!」
わたしの必死な表情に、菜摘ははっとしたみたいだった。何か大切なことを伝えようとしているって、気づいてくれたんだと思う。
菜摘がすぐさま声を張り上げる。
「赤城先輩、麗先輩、はるかの言うとおりにしてあげてください。はるかがこんなふうに言うんだから、大切なことに違いないんです!」
菜摘は髪が地面につくほど、大きく腰を折った。
ほんっっっとにありがとう、菜摘……!
すると麗先輩が突然、司会者からマイクを奪い取って、会場に向かって叫んだ。
「皆さん、ご迷惑をお掛けしました。部員がひとり、体調を崩しましたがもう大丈夫です。それではお詫びとして、アンコールをさせていただきます!」
会場がどっと湧き上がった。麗先輩のいきいきとしたアナウンスは、まるで魔法のように不穏な空気を一掃した。
「さあ、みんな、最後の演奏よ!」
部員たちは赤城先輩に率いられて、けたたましい足音を立てながら舞台に上がっていった。その時、菜摘がわたしに向かってぐっと親指を突きたててウインクしてくれた。わたしも満面の笑みで返した。
高円寺先輩が、麗先輩の耳元で尋ねているのが聞こえた。
「おいおい、何の曲を演奏するんだよ、十一人って」
「そんなの私だって知らないわよ。でも、花宮さんの言うとおりにしてあげて」
「なんてこった。でもまぁ、あいつならすごいことをやってくれそうだ」
「すごいことねぇ。たとえば神ってる演奏みたいな? ただの勘だけど」
「女の勘か、きっと当たるだろうな!」
ふたりも皆の後を追って舞台に上がっていった。
十一人のメンバーがステージに並ぶ。わたしは最後に登壇し、舞台の一番前に立った。
魂を懸けて演奏すると決め、フルートを構えて息を吹き込む。
その瞬間――。
「ピィー! ヒョロロォォォー!」
わたしのフルートから飛び出した音色は、まるで鳶の鳴き声みたいに、どこまでも響き渡った。
とたん、星座のように壮大な譜面が空に現れ、まばゆい光を放った。それは、赤城先輩たちが演奏した『インパルシブ』の譜面だった。
わたしはフルートを掲げて、腕を伸ばして、空のキャンパスめがけて大きな円を描いた。
音楽が、未知の世界を描いていく。
「音符さんたち、お願い、世界を繋げて!」
わたしがそう願った瞬間、空に浮かぶ五線譜の中で眠っていた音楽記号たちが、ふわりと浮き上がった。ひとつひとつの音符が、まるで意志を持っているかのように瞬いて、隊形を整えていく。
麗先輩も、高円寺先輩も、ステージに立つ部員たちも、皆空を見上げて、言葉を失っていた。
「信じられない……これが音楽の力だなんて」
「俺たちは夢を見ているのか……?」
並び変えられた譜面は、「インパルシブ」を逆再生したものだった。それも、見事な十一重奏に編曲されていた。
その時、高円寺先輩が部員の皆に向かって叫んだ。
「みんな、聞いてくれ。これは部長からの命令だ。最大限の集中力を発揮し、この譜面に書かれている自分のパートを演奏してくれ!」
びりびりと痺れるような緊張の中で、高円寺先輩と麗先輩がフルートを構えた。菜摘もすぐに後に続く。
「あたしたちもはるかに続けえ!」
「よっしゃ、わけわからないけど、いっちょやってみるか!」
「すっげえことになってきた! 鳥肌もんだぜ!」
皆がそれぞれの驚きと感動を口にしながら、楽器を構えていく。
わたしは心の中で強く念じた。
――わたしたちは、この音楽を千賀先輩に届ける。わたしの大切な千賀先輩は、誰にだって奪わせはしない!
そして、トワイライトが染める学園祭の舞台に、皆の旋律がほとばしった。
イントロから、荒々しいクレッシェンドの音色が疾走する。怒涛の勢いで、漆黒の音符が吐き出されていく。
音楽が空を震わせ、世界を揺らしていた。
人々を感動させ、歴史に刻まれるような音楽とは、まるで正反対だった。
力強くて、反骨心に満ちていて、まるで既存の音楽を壊すために生まれてきたような音色。
部員たちの漲る情熱を詰め込んで放たれた漆黒の音符の渦は、宵闇の空を突き上げて雷鳴を呼び、大地を揺るがせるほどの力を持っていた。
音のエネルギーは膨張して、もはやアンサンブルの域を超えていた。
オーケストラのような――いや、名前なんてつけられないほどの悪魔的な迫力を持つ旋律に、聴衆も容赦なく巻き込まれている。
それでも、誰ひとりとして演奏を止めなかった。
わたしたちは、止まらなかった。
演奏の常識を覆して、音楽の歴史を冒涜して、神にさえ楯突くようなそのメロディは、十一人のアンサンブル部員によって奏でられていた。
わたしは魂の叫びを、フルートに注ぎ込んだ。
音楽は、みんなを繋げる。
未知の世界を、心の中に描き出す。
そんな力が、きっとあるはずなんだ。
そしてこれは、ただの音楽なんかじゃない。
常識の破壊から生まれた、奇跡の贈り物。
今、初めてわかった。
わたしはきっと、大切な人を護るために、音色を操る力を持っていたんだ。
だから――。
わたしはこのメロディを、わたしの大切な人のために奏でる。
どうか、届いて。
わたしたちの奏でる、『フィーネの旋律』!



