フィーネの旋律

 私の両親は、父が外交官で母が秘書。ふたりは仕事のパートナーとして、世界中を飛び回っていた。だから私は、物心ついた頃からずっと、ひとりで育ってきたようなものだった。

 けれどそのかわり、「服部」という執事がついていた。執事といっても、ただの世話係ではない。家の管理人であり、料理人であり、教育係でもあった。親代わりとして、十分すぎるほどの熱意と愛情を注いでくれた。でも、それでも私の心の空白を埋めることはできなかった。

 人形のような外見と、無口な性格が災いして、女友達はほとんどいなかった。けれど、たったひとりだけ――私の心の支えになってくれた人がいる。

 私の家のすぐそばに、小さな公園がある。木々に囲まれていて、遊具や砂場の他に、季節ごとに花が咲く花壇や、東屋もある。休日には家族連れがよく訪れる、穏やかな場所。

 ある日曜日、服部がその公園に私を連れ出してくれた。あの日、私に声をかけてきたのが、近所に住む同級生――高円寺涼太だった。

「こんにちは、ひとりなの?」

 まるで「晴天に霹靂」だった。彼の表情があまりにも晴れやかだったせいで、私の胸の奥には、自分の陰鬱な影がくっきりと映った。

「……だれ、あなた」

 壁を張るように、あえて不機嫌そうに答えたのを覚えている。

「リョータ。小学校、となりのクラスだけど俺のこと知らない?」
「……知らないわ。気安く話しかけてこないでよ」

 つっけんどんな返事だったのに、彼はまるで気にしていない様子で、にっと笑って砂場を指差した。

「ねぇ、ここにはサメの歯が埋まっているんだ」
「海じゃないし、あるわけないじゃん。そういうの、モーソーっていうのよ」
「ほんとだよ。このへん、大昔は海だったんだって。だから、一緒に探さない?」

 そう言って、涼太はポケットから灰色の小さな石のようなものを取り出した。三角錐の形で、小指の先ほどの大きさがある。

「ほら、こういうやつだよ。いっぱいあるんだ」
「……ほんと?」

 私はまじまじとそれを見つめた。鈍く光っていて、確かにサメの歯のようにも見えた。物珍しさに惹かれて、私は黙って砂場を掘り始めた。古代の遺物を探すような、浮世離れした感覚が、なぜか魅力的に思えた。

 あの日、ふたりで砂遊びを始めたのは、小学校に入学して間もない、春の陽だまりのような日だったと記憶している。

 最初はサメの歯を探すつもりだったのに、いつのまにか砂の山を作ってトンネルを掘って、そのトンネル越しに手を繋いだり、ブランコでどこまで高く漕げるか競争したり――気づけば、私は涼太のペースにはまっていた。

 そして、誰にも見せたことのない笑顔を、つい彼に見せてしまった。

 それから毎週日曜日、約束したわけでもないのに、私たちは公園で顔を合わせるようになった。

「ねぇ、麗ちゃんは将来何になるの? 僕はたぶん、お医者さんになるんだ。パパがお医者さんだから跡を継ぐんだよ」
「私はね、好きなお仕事を選んでいいって言われているの。パパとママは外交官っていう仕事だから、リョータくんと違って跡継ぎとか気にしなくていいんだって」
「ふーん、いいなぁ。好きなことができて」

 涼太は羨ましそうに私の顔を覗き込んできた。その時、胸の奥にぽつりと芽生えた想いがあった。本当にあどけない、ぽろりとこぼれた花の種のようなもの。

 ――私、リョータくんのお嫁さんになりたい。

 この人はきっと、素敵な家のご子息様。だから、ちゃんとリョータくんに見合う、立派な女性になろうって思った。子供らしい夢だったけれど、私はその想いをずっと胸に抱えたまま、恋焦がれる日々を過ごしてきた。

 だから、涼太が城西高等学校に進学するって聞いた時、私は迷うことなく同じ高校を受験すると決めた。

 そして今、後悔の念に身悶えている。

 もし、あの日学園祭に行かなければ。もし、有紗ちゃんの誘いを断っていたら。もし、涼太が千賀さんのメロディを耳にしていなければ――。

 千賀さんに出会ってから、涼太は憑かれたようにフルートの練習を始めた。まるで、それが人生を賭ける価値のあるものだと信じているかのように。そして私のことなんて、まるで見なくなってしまった。

 今の涼太は、千賀さんの奏でる旋律を追い続けている。だから、花宮さんの音色に惹かれるのもわかる。

 花宮さんは、生まれ持った才覚、天性のようなものを秘めている。悔しいけれど、私の手では届くことのない、音楽の真髄のようなものと深く繋がっている気がする。

 私がどんなにあがいたって、敵うはずがない。その埋めることのできない“違い”が涼太を私から引き離していくのだと、覚悟せずにはいられなかった。