王子様と不良は、秘密の関係です。



「やっぱり氷室くん来ないの残念だね」
「篠宮くんとセットで売り出そうと思ってたのに……」

 少し離れた場所で女子たちが囁き合っているのが耳に入った。別に俺は聞き耳を立てていたわけではない。意識などしていなかった。ただ、その名前があまりにも鮮明に響きすぎたのだ。
 俺の脳が勝手にその名前に反応してしまっていた。

 
「クラスの展示も参加するって言ってくれてたのに、昨日の夕方、急に手伝えないって言い出したの、馬鹿馬鹿しくなったのかな?」
「やっぱりサボりかなあ。ノリ悪いし、冷たいよね」
「広報部に駆り出されてるらしいよ。カメラマンやってるのかも」
「でも、クラス展示全く手伝わないのは感じ悪いよ」
 
 
 言葉の一つ一つが胸に刺さるし、耳が痛い。
 
 氷室がクラス展示の参加を取りやめたのは、間違いなく俺のせいだ。学園祭期間中の接触ゼロという約束を守るために、俺と距離を置いてくれたのだろう。だが、その決断が、結果的に氷室をクラスから孤立させている可能性があるのは看過できない。
 本当に、俺は一体何をしているんだ。

 朝、何も口に入れていないのが悪かったのか、吐き気が増してきた。腹の底から湧き上がってくる胃液が喉元まで迫り上がりそうで、唇を噛み締めて必死に堪える。寝不足もあってなんだか目眩がする。

 こんな些細なことでメンタルがヤられてしまう自分が情けないと昨日は思っていたが、多分俺自身にとっては『些細なこと』ではないのだ。それは、認めるしかない。



 不意にスマホが震えて通知を知らせた。フラフラとパーティションの陰に入って画面を見れば、新着メッセージが1件届いていた。

『今日の学園祭、見に行くからな~』

 待ち望んでいた男からのメッセージではなく、呑気なブラコン兄、玲央からの連絡だった。気が付いたら『来なくていい、来るな』と無の境地で入力していて、慌てて削除する。

 『了解。午後からなら少し案内できるよ』と打って返信をした。玲央にこのコスプレ姿は絶対に見られたくないので、やはりサッサと逃げ出すか。

 というか、そもそも、今日ここへ来た一番重要な目的を達成するために、俺は行動すべきなのだ。でなければ精神的に落ち着かない。まず、氷室を捕獲するために探そう。


「松崎さん、僕ちょっと氷室くんを探してくるよ。校内にいるかもしれないし」
「は? えっ? 篠宮くん、ちょっと待って」
「すぐ戻るから」

 制止を振り切って、教室を出ようとした瞬間、腕を掴まれた。嫌な予感がしつつ振り返ると、松崎さんではなく、何故か眉を吊り上げた桐谷が仁王立ちしていた。

「篠宮会長は教室にいてください。その御姿で出歩くのは危険です。あの不良は私が探し出しますので、会長が動く必要ありません。」
「……桐谷くん、危険なんてないよ」

 俺は桐谷の言葉に被せるように言った。掴まれていた腕をやんわりと解く。笑顔を貼り付けつつ、視線は真っ直ぐに桐谷を捉える。

「……君が昨日してくれた忠告も否定しておく。氷室くんが持っていた参考書は、君の指摘どおり、僕が使用していたものだけど……」
 
「やはり! あの低俗野郎、篠宮会長の私物を盗み取っていたんですね。許せません!」
「盗んでいないよ」

 俺がキッパリと否定すると、桐谷がピクリと肩を震わせた。

「……は?」
「参考書は僕が自分から氷室くんに貸していただけだから。最近よく一緒に勉強してたんだ」

「え……?」
「あと、彼は写真が趣味だけど、盗撮などはしない人間だよ。偶然君が目撃した写真撮影も、学園祭の準備の記録の為にしていたものだと本人に確認した。多分本当のことだと思う」

「会長……それは……」
「僕が最初にきちんと伝えなかったから、君にも心配かけてしまったね。すまない、桐谷くん」

 桐谷は虚を突かれたような表情で目を丸くして固まっている。俺は苦笑しながら肩を竦めた。


 最初から素直に認めていれば、良かったのだ。
 
 自分のイメージやプライドを守ることばかり考えて、氷室に変な気を使わせて。自分から話しかけるなと言っておきながら、実際に氷室がその通りに行動すると、まるで拒絶され捨てられた猫のように落ち込んでしまう。自分自身の身勝手さに心底反吐が出る。
 
 氷室が学園の噂通りの人間でないことくらい、俺は既に分かっている筈なのに。



「じゃあ、僕は氷室くんを探して連れて来るから」
「まっ……」
「待って! 篠宮くん、これ持っていって!!」

 教室を抜け出そうとした時に、今度は松崎さんに腕を掴まれた。彼女の手には、でかいプラカードが握られていた。そこには『2-A 執事とメイドのカフェ♡王子様も出迎えるよ!!』とデカデカと書かれていた。

  ……なんという羞恥プレイ用アイテムだ。それを俺に掲げて歩けと言うのか?


「校内巡回するなら、ついでにコレ持って目立つように掲げてね? 頑張って宣伝お願い!! 氷室くんを発見したら、彼に持たせてもいいから」
「……ハイ。ワカリマシタ」

 有無を言わさぬ松崎さんの剣幕に、俺は逆らうことができなかった。要は逃げ出すなということか。恭しく受け取ったが、胃袋に穴が開きそうだ。これがとどめの一撃だ。

 
 
 今すぐ愚痴をぶち撒けてストレスを発散したい。
 
 



 
 氷室に、早く会いたい。