王子様と不良は、秘密の関係です。



 翌日、学園祭当日。快晴。

 朝、洗面所で鏡を見れば、幽鬼のような青白い顔色の男が映っていた。正直言って最悪の状態だ。学園の王子様が聞いてあきれる。ボンヤリとした頭のまま身支度を整え、登校準備を始める。


  

 昨夜、このままではまずいと本能的に感じた俺は、氷室ときちんと話し合うため、『バイトが終わったら連絡してくれ』と奴にメッセージを送信した。けれど、その後数時間待っても既読はつかず、我慢できずに電話をしても繋がらない。……単純に寝落ちしてただけかもしれないと一縷の望みを託して眠ろうとしたが、全く眠れない。
 
 いっそ家に押しかけようかとも考えたが、そこまでするのは流石に常軌を逸しているような気がして何とか我慢した。

 悶々としながらスマホを睨み付けていると、深夜にやっと氷室から返信がきた。しかし、そこに並んでいた文章に全身が硬直する。

 
『お疲れ。バイトだったから、返信出来なかった。悪い。学園祭中の接触はゼロにするって約束はきちんと守るから安心してくれ。借りてる参考書は、学園祭終わってからこっそりお前の机の中に入れておく。体調気をつけろよ』

 
 労りの言葉はあるが、単なる一方通行のメッセージだ。メッセージを受け取ってすぐに電話したが、氷室からの応答なし。折り返しもなし。
 俺は思わずスマホを壁に叩きつけたい衝動に駆られたが、寸前で耐えた。
 

 結局、その一件で滅茶苦茶になった俺の情緒は、全く改善されることはなく朝を迎えた。マジで一睡もできなかった。
 
 これまで溜め込んでいたストレスが一気に溢れだしたのか、何故か胃痛と吐き気が止まらない。
 「朝ご飯いらない」と母に告げれば、小言を言われてしまったが、言葉を返す余裕がなくそのまま無言で家を出た。


 こんな状況で学園の王子様たる仮面を維持することができるのか心配だが、そこは意地でも乗り切るしかない。学園祭は実行委員会のメンバーが中心となって全体の企画を行っているが、生徒会もサポート業務があり、疎かにはできない。クラスの催し物にも参加しなければならない。
 
 何より、もう一度、氷室ときちんと話をしたい。
 




 どちらにしろ、今日は絶対に休むわけにはいかないのだ。

***


「篠宮会長、おはようございます。顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
「おはよう、桐谷くん。ちょっと寝不足なだけだよ。問題ないから安心して」

 いつも通り爽やかな笑顔を心がけて挨拶を交わすが、きちんと笑えているのか自信がない。桐谷は怪訝な表情をしていたものの、さらに追及する様子はなかった。

 登校後、生徒会室で簡単にミーティングを行い、各部署への配置を確認して回った。午前中は別の役員が校内の見回りをしてくれるので、俺は2年A組の手伝いをすることとなっている。



「篠宮くん、遅い! もうすぐ開店だよ!!」    

 教室に入ると、学園祭実行委員の松崎さんが待ち構えていた。見たところ既に俺のクラスの催し物の準備は完了しているようだ。教室内は、テーマに沿ったデコレーションで彩られており、スペースで区切られた臨時のキッチンでは調理班が料理や飲み物の最終チェックを行っている。
 
 教室中央には、お客さんが注文を受けたり食事をしたりするエリアが広がっている。入り口付近には、メイド服を着た女子や執事風の服を纏った男子たちがスタンバイしている。

「ごめん。えっと……僕は裏方を手伝えばいいんだよね?」

「篠宮くんが裏方のわけないでしょ? 何言ってんの。はい、これ衣装ね。着替えたら髪もセットするから」
「……ん?」

 裏方だと思っていたのに、なぜかニコニコしながら衣装を手渡された。しかも他の男子生徒が着用している地味で簡易なものと違い、俺のやつだけやたらキラキラと輝いて見える。明らかに豪華仕様だ。

「……執事はやらなくていいって、桐谷くんから聞いたんだけど……?」
 
「もちろん。篠宮くんに執事やらせるなんて言語道断だって桐谷くんから猛抗議受けて、私たちも反省して各自の役割を見直したの。だから、篠宮くんは『王子様』だよ。衣装は手芸部の酒井さん作成の超大作の一点物!徹夜で仕上げたんだって!!篠宮くんのイメージぴったりで凄いよ!ホント神業って感じ」

 差し出された衣装を広げてみれば、光沢のあるシルバーの生地に豪華な金糸の刺繍が施されており、袖口や襟元にはフリルがふんだんにあしらわれている。ウェスト部分には大きなベルトが巻かれ、細いチェーンが垂れ下がっている。……非常に凝った作りで、まるで童話の王子様が着用しそうな華美な衣装だった。

 これを短期間で作ったというのなら、相当な手腕だろう。俺の為にここまで気合いを入れてくれたのは有難いが、正直全く嬉しくはない。

 桐谷め。余計なことをしやがって。これを俺に着ろと? 執事コスの方がまだマシではないか? この破壊力抜群の衣装を身に纏って、半日衆目に晒されなければならないなんて……耐え難い苦痛でしかない。どんな罰ゲームだ。


「……篠宮くん、もしかして衣装気に入らなかった? ギリギリになってごめんね。手直しが必要ならすぐやるから……」

 針と糸を両手にした手芸部の酒井さんが、青白い顔をしてフラフラ倒れそうになりながら申し出てくれたが、そこで我儘を言う勇気はなかった。酒井さんの目の下の隈の濃さと憔悴した表情を見れば、どれほど心血を注いで作品を作り上げたのか察する。
 
 彼女は申し訳なさそうにしつつも、瞳の奥に異様な輝きを宿しているし、殺伐としたオーラを醸し出している。目が完全に逝っちゃっている。そういや徹夜で仕上げたとか言ってたな、この人。……これ着るの断ったら酒井さんの命が危ない、と本能的に察した。

「ありがとう、酒井さん。とても素敵な衣装を用意してくれて嬉しいよ」
「本当……? よ、よかったあ」

 安堵した様子の酒井さんは涙をハラハラ流して感激している。俺はなんとか笑顔を向けた。表面上は穏やかを装っているが、内心は荒れ狂っている。

「それじゃ、着替えてくるね」

 俺は逃げるように教室の隅に設置されたパーティションで区切られた狭い空間に入り込んだ。そのまま頭を抱え込む。

(ああ……ヤバい、帰りたい)

 すでに気分はどん底だ。本日1回目のガチ泣きである。胃薬が欲しい。
 しばらく項垂れていると、控室の外から人の気配を感じて、慌てて意識を引き戻した。現状、この衣装に袖を通すしか選択肢がない以上、観念するしかない。
 

 ───覚悟を決めろ、篠宮理久。
 

(とりあえず、ちょっとだけ手伝ったら、体調悪いって言って逃亡するか……。実際マジで吐きそうだし)

 深い溜息をつきつつ、渡された衣装に袖を通す。柔らかな布地が肌に馴染む感触は心地良いが、あまりにも派手過ぎて恥ずかしさが先に立つ。
 着替え終わり、試しにパーテーション越しに備え付けの鏡を覗けば、そこには明らかに浮世離れした、煌びやかな王子様が映っていた。我ながら、あまりの完成度の高さに恐怖さえ感じる。

 ……酒井さん、あなたは天才です。と心の中で称賛しつつ、同時に絶望に打ちひしがれた。


「篠宮くん。着替え終わったら髪とかもセットしていくから、こっち来てくれる?」

 松崎さんの指示する声に従い、臨時のヘアメイクブースへ移動する。椅子に座ると、「レベル高っ!!」「ガチで王子様だね!」などときゃあきゃあ言いながら、複数の女子たちが目を輝かせて俺を取り囲んだ。

「篠宮くん、髪の毛サラサラだね~」
「目も大きいし羨ましい。でも、もっと目力欲しいかなぁ?」
「ちょっとアイライン入れてもいいかな?」
「いいね!マスカラも軽くつけよう!!」
 
「……」

 俺は粛々と施術を受けた。頭にデカい宝石モドキのついた髪飾りを刺され、顔によく分からない物質を塗り込められる。女性陣の暴走に気圧され、抵抗する気力は微塵も湧かなかった。抵抗しても無駄な気がする。
 そもそも、俺自身が女子の扱いに慣れているとはいえ、こういう場で具体的な要望を提示できる勇気は持ち合わせていない。こういった場合は、大人しくされるがままになる選択肢しかないように思えた。

 数十分後、全ての工程が終了して完成した姿を披露することとなった。


「篠宮くん、美しすぎ~~」
「尊い……」
「王子様っていうか、お姫様っぽい?」
「ヤバい、拝んどこ!!」

 教室に黄色い悲鳴が飛び交う。彼女たちは俺を前にして、手を合わせて祈るような動作をしている。もしや、また信者が増えたか?
 

「篠宮会長、完璧です。美しい御姿に感嘆のため息しか出ません。天に召されそうです……」
「……ありがとう、桐谷くん」
 

 いつのまにか横に現れた桐谷が、陶酔したような視線をこちらに向けて褒め讃える。
 
 お前のお節介のせいで、俺はここまで辱めを受けているのだぞ!!と絞殺したい衝動に駆られるが、疲労困憊な今の状態では怒る気力も起きない。