『今すぐ生徒会室に出頭しろ』
既に帰宅している最中かもしれないと思いつつ、学園祭前に釘を刺しておこうと氷室を呼び出した。
桐谷は勘違い甚だしいが、あの感じだと完全に氷室を敵認定していて、警戒して行動を監視し始めるだろう。俺の傍にいる時は尚更だ。
桐谷の目を誤魔化せるとは到底思えない。もし桐谷が氷室の行動をマークしていた場合、俺と氷室に密な関係があるということにいつ気付いてもおかしくない。
そうすれば桐谷のことだ。氷室を徹底的に潰しにかかるだろう。少なくとも、学園祭期間中は最大限の注意を払うべきだ。
……あの過保護な桐谷ならば、当日は常に俺の近くに控えていて、側近のごとく護衛についてくる。下手に動くこともできないので、氷室には事前に釘を刺しておく必要がある。桐谷には一応牽制はしておくが、氷室本人が学園内の俺に接近しなければ何の問題もないのだ。
メッセージが既読になって数分後に、ノックの音とともに生徒会室の扉が開いた。俺が入るように促すと、氷室が無愛想な表情のまま室内に入ってきた。
「学園では話しかけるなっつったの誰だよ」
「氷室くん、少し黙っててもらえるかな」
笑顔で氷室を制しながら、俺は廊下を見回して誰もいないことを素早く確認し、生徒会室の鍵をカチャリと締めた。万が一誰かが入ってくる可能性を防ぐためだ。俺と氷室の関係に気付かれてはいけない。ここは慎重にいく。
氷室は「……用心深いことで」と呆れ果てた目をしながらも、大人しく椅子に腰かけた。俺も正面の席に座り、向かい合うように対峙する。
「今日、生徒会副会長の桐谷くんが、君が学園祭の撮影係に決まったことを教えてくれてね。どうやら広報部から頼まれて、今回のイベント中の写真撮影をする仕事が回ってきたとか」
「ああ……。ちょっとした謝礼も出るっていうから引き受けた。なんだよ、それで怒ってんのか?」
「別に。そんなことで怒らないよ」
そうだ、別にそのことで怒ってはいない。ただ、本人以外からその情報を知らされて、なぜか無性にイライラしているだけだ。氷室にとってはただの仕事で、俺に話しても話さなくてもどちらでもいいことなのだ。
氷室の方を見ると、訝しげに首を傾げている。俺の内心のモヤモヤに気付いていないようだ。
……ふう、平常心平常心。ここで感情的になるのはナンセンスだ。王子様としての篠宮理久なら、もっとスマートに振る舞えるはず。俺は気持ちを切り替えるように、ゆっくりと深呼吸をした後、桐谷のことを簡単に説明した。明日から警戒するように念押しする。
氷室は俺を見つめながら、溜息をついた。
「……事情は分かった。来週からはお前から借りた参考書は教室で広げないし、すぐに返す。写真は学園祭の準備中の様子を撮ってたときに、たまたま桐谷に見られただけと思うが、お前が映り込んでる写真は全部消して、学園祭当日もお前のことは撮らない。これまでと同じく学園ではお前に話しかけないし、そもそも近づかない。他に何か言っておきたいことはあるか?」
「へ?」
「お前、明日のクラス当番何時からだ?」
「えっと……朝イチで、多分午前中いっぱい……」
「……俺も同じ時間帯だったけど、仕方ないからバックレるわ。明日も一切お前に接触するつもりないから安心してくれ」
「え?え?」
氷室から次々と繰り出される言葉に頭が追いつかない。奴の態度は明らかに冷淡で、二人だけでいるときの気安い雰囲気は皆無だ。
「俺みたいな素行不良の奴と交流があることを、誰にも知られたくないんだったよな? お前の王子様キャラが崩壊するもんな。いろいろと今まで無理言って悪かった。この先、お前の日常生活を脅かすことはしない。お前の希望どおりにしてやるよ。勉強も後は自分で何とかするから、取引はもう終了だ」
「……え?」
一瞬、息が止まった。氷室は一体何を言っているんだ?
別に俺は氷室と交流を止めたいわけではない。いや、俺に近付くなとお願いすることはそういうことになるのか……? 俺は愕然とした。
俺はただ、俺を崇拝している桐谷がお前を危険視して、ロックオンしているから。お前に何をしでかすか分からないから、十分注意しろと伝えたかっただけなのだ。それだけなのに。
「今日は夕方からバイト入れてるんだ。もう帰っていいか?」と言う奴を引き留めようと口を開きかけて、どういう理由で説得すればいいのか、すぐに言葉が出てこなくて、俺はそのまま固まってしまった。
氷室がゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ。今までありがとな。篠宮」
「ちょ……」
氷室はそのままドアへ向かって歩き始めた。追いかけようと伸ばした腕は宙を掴むだけだ。俺は混乱したまま動けず、氷室の背中が扉の向こうに消えていくのを見守るしかなかった。
生徒会室に一人取り残された俺は、しばらく放心状態で立ち尽くしていた。
(何だよ、それ……)
ただ単に氷室が心配だっただけなのに。
こんな形で拒絶されるとは思わなかった。何でだ? 言い方がまずかった? でも、学園では話しかけるなと最初から俺は言ってて、アイツもそれを納得してたはずだ。なんで今更……。
お前との取引を終わらせたいなんて、一度も願っていない。
何故か心臓がギュウっと痛くなる感覚があって、胸のあたりを抑えた。いつの間にか握りしめていた拳が震えている。
氷室の突き放すような冷たい言葉が頭のなかをぐるぐる回っている。頭がうまく働かない。
急激に足元が崩れていくような、妙な不安感に襲われていた。

