1月末の土曜日、うちの美容院には久しぶりに延岡に連れられ、みっちゃんがヘアカットに来ていた。
俺は店内で延岡と話しながら、母さんにカットされるみっちゃんを見守っている。バイト中の仁科は他のお客様の対応をしていた。
「みっちゃん、会うたびに可愛くなるねー!」
「ありがとう!」
「そろそろバレンタインがあるけど、みっちゃんは誰にあげるの?」
「うーんとね、パパとお兄ちゃんときづくんとりっくん、あとねぇ…」
もじもじしているみっちゃん。
「おやおや、その反応は好きな子かしら?」
「え!?みっちゃん好きな奴できたの!?」
「んなこと言ってたっけなぁ?」
「…ちかげくんにあげたいの」
小さな声で恥ずかしそうに言ったみっちゃんは頬を赤らめる。
「あらー仁科くんが好きなのね!」
「そうなんすよ!初めて会った時から仁科にベタ惚れで」
「みっちゃん、男を見極めるセンスあるわ!うんうん、仁科くん良いよねぇ」
「俺のみっちゃんなのに…」
「あはは、宮はそろそろ諦めろ」
カットが終わり、みっちゃんの席にほうきを持った仁科が来た。
「わぁ、みっちゃん一段と可愛くなったね」
仁科の言葉に嬉しそうな顔を見せるみっちゃんは、完全に恋する乙女だ。
しかし、椅子から降りたみっちゃんは、仁科ではなく俺のところへ近寄ってきた。
「りっくん」
「どした?」
「どうかな?わたし、かわいい?」
「うん、世界で1番かわいいよ!」
「わたし、大きくなったらりっくんのおよめさんになるね!」
「…えっ!?あ、え、俺!?なんで!?仁科じゃねーの!?」
「ママがいってたの。みっちゃんのことをいっぱいだいすきなひととけっこんしたら、しあわせになるよって。わたしのことをいちばんすきなのは、りっくんでしょ?」
「…みっちゃん」
喜びのあまり目を潤ませ、唇を噛み締めた。
「そうだよ、みっちゃんのことを幸せにするのは俺だから!…お兄さん、よろしくお願いします」
「宮が弟とか笑えるな!」
自分のことを1番好きな人となら幸せになれる。その言葉で思い浮かんだのは、ただ1人。
「…。」
仁科と目が合い、ふわっと微笑んだ顔に胸の奥が締め付けられる。
数日後の節分。昼休みに練習場へ集まった弓道部員一同。みんなの前に立つ俺と木津は、頭の横に付けていた鬼の面を顔にセットした。
「おっしゃ!弓道部恒例、福来たる豆まき開始だぁーっ!!」
「手加減抜きでかかって来いやぁーー!!」
鬼役の俺と木津に向かって、全力で豆を投げ始める部員たち。
「鬼は外ー!福は内ー!!」
この豆まきは弓道部で代々行われているもの。部長と副部長が鬼役をし、みんなで退治する。もちろん、投げた豆は放課後の部活時間に拾う。
「お!やってるやってる」
延岡が仁科と峰岸を連れてやって来た。
「え、がちで豆まきしてるじゃーん!俺らもまぜてまぜてー」
「あ、宮ちゃんと木津くんが鬼なんだ!」
茅野から豆を受け取った延岡たちは、遠慮なく投げつけてくる。
「いってぇ!延岡、本気出すなよ!」
「これいい運動になるな!」
あっという間に豆は無くなり、鬼の役目を終えた俺と木津は息切れをしている。
「はぁ…はぁ…」
「豆避けるのってこんな疲れんだな」
「なめてたわ…」
「先輩、肩貸しましょうか?」
みんなで教室に戻る中、茅野が俺に声をかけた。
「か弱い女の子の肩なんて借りられねーよ」
「弓道で鍛えた肩なんですけど!」
「あはは、じゃあ…」
「宮ちゃん、はい」
仁科が俺の前にしゃがみ、腕を後ろに伸ばした。
「えっ?」
「教室までおんぶしてあげる!」
「いやいやいや!いいって!」
「鬼さんへの労い!」
「お、それいいな!木津、俺の背中乗れよ!」
延岡は木津をおんぶしようとする。
「やった!お願いしまーす!」
木津はノリノリで延岡の背中に乗った。
「ほら、宮ちゃんも」
「…。」
ただの悪ふざけなのに恥ずかしくなるのは、相手が仁科だからだ。
ここで俺だけ断るのは他のやつに怪しまれると思い、ゆっくり仁科の背中に身体を委ねた。
「しっかり掴まっててね」
「うん…」
…恥ずかしい、でも嬉しいとか思ってる俺やべぇな。
「じゃあ、また放課後な」
「お疲れ様です」
1年と階段近くで別れてる時、俺は一度仁科からおりた。
「茅野」
「はい…?」
頭に付けていた鬼の面を外し、茅野の頭に付けた。
「え!?」
「うん、似合ってる」
「ちょ、それどういう意味ですか!」
「あはは!来年は鬼役がんばれー」
「もぉ!…あの、宮先輩…」
「ん?」
「来週の14日って…空いてたりしますか?」
「14って、土曜?」
「はい」
「たぶんその日昼から延岡ん家行くから、午前中か夜なら空いてるけど」
「宮ちゃーん、行くよー」
「あー、うん!ごめん、部活ん時聞くわ」
「あ、はい…」
「なんの話してたの?」
「14日暇か聞かれた」
仁科は足を止めた。
「…宮ちゃん、それ意味わかってる?」
「へ?……あ!バレンタインか!え、たまたまじゃね!?」
「たまたまじゃないって。…俺バレンタインはバイトだから、仕事終わったら宮ちゃんの部屋行くね」
「え!?…つうか、茅野は部活でお世話になってるから渡すだけだろ。木津にも渡すだろうし。…そもそも、仁科だっていっぱい貰うくせに」
「貰わないよ」
「ハロウィンだってあんなに貰ったのに、バレンタイン渡されないわけねーだろ!」
「受け取らないんだって!今年は1個も受け取るつもりない」
「は?なんでそうなるんだよ」
「…宮ちゃんから以外は受け取らないって決めてるから」
「え…」
「ていうか本鈴なるし、教室戻ろ」
「…。」
付き合ってもねーのに、なんでバレンタイン貰う貰わないの話でグダってんだよ。…違うな。曖昧な関係だから、ハッキリ嫌って言える立場じゃないからこうなったんだ。
放課後、部活に行く前にモヤモヤを無くしたくて、仁科に一言だけ伝えた。
「俺はバレンタインより11日の方が断然楽しみだから…」
来週は仁科と会う約束をしている。
「…うん、俺も!」
1週間後、今日は約束していた仁科と出掛ける日。冬限定でオープンしている屋外のスケートリンクにやって来た。
「うまく滑れるかなぁ」
「転びまくるかもな」
2人ともアイススケートは初挑戦だが、失敗する姿を見せてもいいと思える。むしろ、初めてのことを2人でチャレンジ出来るのが嬉しい。
「コツ掴めたかも!」
仁科は持ち前の運動神経の良さで、初心者とは思えない滑りをする。その近くで俺は、産まれたての子鹿状態だ。
「宮ちゃん、掴まって」
差し出された仁科の手を握り、ゆっくり滑り出す。
「おぉー!滑れた!」
「上手上手!」
仁科にサポートしてもらいながら、思いっきりスケートを楽しんだ。
「寒いけどめちゃくちゃ楽しいね!」
「だな!」
自然と取り合う手の安心感は半端ない。そして、俺の横で無邪気な笑顔を見せる仁科は、最高に可愛くてかっこいい。
スケートリンクの後、冷えた身体を温めるため、こたつ席のあるカフェで昼飯を食べることにした。周りは女性客だらけだったが、仁科とならそんな空間も平気に思える。
「あったけぇー」
「やばー、こたつ最高だねー」
「部屋にこたつ置こっかな」
「そんなの絶対俺、宮ちゃんの部屋入り浸るじゃーん」
「たぶん仁科より先に延岡や木津が入り浸るな」
それぞれ頼んだメニューを食べながら話をする。学校だとゆっくり話す時間は意外と少なくて、時間を気にせず話せるこの時間が結構嬉しい。
「仕事慣れてきた?」
「うん、だいぶ慣れたし、皆さん良い人過ぎて楽しく働けてる。宮ちゃん家で夜ご飯ご馳走になること多いのは申し訳ないけどね」
「あはは、まかないみたいなもんだろ。…でも、よかった」
「ん?」
「木津が言い出したとはいえ、無理矢理勧めたみたいに思ってたから。友達だと断りづらいだろうし。だから、楽しそうに働いてくれてて安心した」
「宮ちゃんは、ほんと優しいね。これ以上俺を好きにさせてどうしたいの?」
「は?…そういうのいいから」
ふざけた言葉さえ、仁科に言われるとときめきそうになる。
…俺、いつの間にこんなに好きになったんだろ。
カフェを出た俺たちは、とりあえず駅に向かう。
「この後の予定決めてなかったね。どうする?モールとか遊びに行く?」
「…。」
明日も学校で会えるけど、誰にも邪魔されたくないからわざわざ今日に決めたんだ。
「ちょっと公園寄っていい?」
「…?」
誰もいない公園のベンチに座り、俺は鞄から小さな紙袋を取り出した。
「あのさ、ちょっと早いんだけど…これ」
「え、なに」
何を受け取ったのか分かっていない仁科に伝える。
「…バレンタインのチョコ」
「えっ、ありがとう!わー、めっちゃ嬉しい!」
きっと友チョコだと思っているんだろうな。
「…それ…本命チョコだから…」
「…え…本命って…」
俺の言葉に仁科は驚いてる。
…そうだよな。これまで何一つ言葉で気持ちを伝えていなかった。いつも伝えてくれるのは仁科のほうで。だから、今日はちゃんと伝えるんだ。どんな結果になろうとも…
「うん。俺……仁科が好き」
「えっ…」
「…ちゃんと恋愛として好きになったから。…だけど…付き合うのは不安っていうか…」
「それは、男同士だから?」
「いや、周りの目は気になるだろうけど、そこは2人で考えて乗り越えたらいいと思ってる」
「じゃあ、何が不安なの?」
「…女々しいって思われるかもだけど…」
「宮ちゃんの女々しさには慣れてるよ」
「ふっ、俺どんだけ女々しいんだよ。……どんなに好き同士で付き合っても、いつまでその気持ちが続くか分かんねぇじゃん?お互いの愛が無くなることもあれば、片方だけ無くなることもあって。自分の気持ちだけ取り残されて別れたから、俺はずっと彼女を引きずってたんだよ」
「…。」
「…仁科がさ、俺のことずっと好きでいてくれた事も、未練のある俺を受け入れてくれた事も知ってて、本気で想ってくれてるって分かってる。だからこそ…仁科の気持ちがいつか消えちゃった時が怖いんだよ…。仁科のこと好きになればなるほど、離れたの想像したらしんどくなんだよ。付き合ったら冷める事もあるだろうし、だったら今のまま友達でいたほうがいいのかなって考えて…だけど、仁科が他の人を好きとか絶対嫌で……あー俺、すげぇダサいし面倒くせぇな…ごめん…」
「宮ちゃん、相変わらず乙女だね」
「…仕方ねぇじゃん」
「…俺だっておんなじ気持ちだよ。宮ちゃんの気持ちが俺に向き続けてくれるか不安でしょうがないよ。だけど、それ以上に宮ちゃんと想い合えることが嬉しくて、2人でいる未来を考えるのがめちゃくちゃ楽しいの。…何日、何年なんて決めずに宮ちゃんと生きていきたいなって思ってる。だからさ、起こってもない不安なんてお互い捨てようよ」
「…うん、そうだな」
「よし!もう安心したってことで……宮ちゃん、好きだよ…俺と付き合ってくれますか?」
優しい表情で聞いてくる。
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ末永くよろしくお願いしますっ」
見つめ合い、ゆっくりとキスをした。
「…なんか、照れるな」
「ふふっ。…大好きっ!」
「…俺もすげぇ好き」
上書きなんて一生要らない。2人だけの思い出を500日…ううん、もっともっと長い日々で作っていこう。



