俺で上書きしなよ 〜500日で好きになる?〜

 元カノの話をファミレスで聞いた翌朝。自転車を漕ぐ俺のスピードは亀のようにノロマだ。

 「はぁー…」
やべー…気が重い。どんな顔して仁科に会えばいいんだよ。いや、別にやましいことはこれっぽっちもねーけどさ…。

 昨日彼女が泣いていた原因は、別れた先輩のことだった。どうやら5組の女子から聞いた情報は若干誤りがあったようで、彼女いわく、受験に集中したいから結果が出るまで距離を置こうと言われたらしい。邪魔はしないから距離を置くのは嫌だと伝えたが拒否されたそうだ。学校の休み時間ぐらい会えないの?と聞いても無理と言われ、受験が終わってもこのまま振られるのではと不安に襲われ泣いていた、とのことだった。
 文化祭前の俺なら、そんな男やめて俺のとこ戻ってこいよ、的なカッコつけたこと言ってたかもしれないが、今の俺は純粋に元カレ、友達として話を聞いてあげることができた。

 結局良い解決案は出ず、信じて待つしかないというありきたりなアドバイスしか出来なかった。


 教室に入ると仁科は峰岸や女子に囲まれていた。
「…。」
俺はそのまま自分の席に座り、後ろの延岡と他愛ない話を始める。


 仁科と何も話せないまま、あっという間に放課後になった。
 木津と部室に向かう俺に後ろから「律樹っ」と声がかかり、振り向いた先には元カノがいる。
「ごめん、呼び止めて」
「いや、大丈夫だけど」
 隣にいる木津は怪訝そうな表情で俺を見ている。
「これ、昨日のお礼…。昼休みに渡しに行こうと思ったんだけど、タイミングなくて」
 手渡されたのは、見覚えのあるクッキー。これは俺が気に入っていた彼女の手作りクッキーだ。
ー…懐かしいな。
「ありがと」
「良かったら、木津も食べて」
「えっ、あ、うん」
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れ」

 元カノが去り、再び俺に視線を送る木津に説明をする。
「いや、より戻してねーからな?」
「え、手作りクッキーもらったのに?」
「それは俺も想定外だったけどさ。昨日色々あって恋愛相談乗ったんだよ。まぁ、やっと友達に戻ったってことだな」
「へぇー」

 友達に戻れたのは嘘じゃない。だって、あんなに未練のあった元カノと2人になっても、俺の心はビクともしなかった。それどころか、こんな時でさえ仁科のことが頭から離れないんだと思い知らされた。

 練習中、矢を放つ俺は全く集中出来ていない。
「ごめん、集中切れたから俺一旦筋トレするわ」
「え、宮先輩が集中切れるなんて珍しい。もしかして、悩み事ですか!?」
「別にー」
「…。」

 筋トレをしている俺の側に木津がしゃがんだ。
「今日もう帰っていいぞ?」
「え、なんで?」
「うーん、なんとなく?」
「何だよそれ」
「なんかモヤモヤしてることあるなら、さっさとスッキリさせろよ」
「え、木津はエスパーなの?」
「そうかもしれない」
「あはは…じゃあ、お言葉に甘えて帰ろっかな」


 自宅に帰り着き、玄関を開けるとちょうど中から母さんが出てきた。
「びっくりしたぁ。おかえり。あれ?部活は?」
「休んだ」
「体調悪いの?」
「ううん。今日って…仁科何時まで?」
「え、仁科くん?19時半までだけど、その後サロンモデルしてもらうから、終わるの20時過ぎかなぁ」
「え、サロンモデル!?」
「髪切ってあげるよって話から、うちの店のSNS用に写真撮影することになったのよ。あんなイケメン隠しておくなんてもったいないじゃない」
「…その撮影、俺も見ていい?」
「別に構わないけど…」

 しばらくして母さんに呼ばれ、店内に入るとカットとヘアセットを終えた仁科が立っていた。
「…っ」
あまりのカッコ良さに息が止まるかと思った。
「リツ、そこでレフ板持って」
「あ、うん…」

 「じゃあ、撮影始めよっか」
一眼レフを持った男性スタッフが仁科を撮り始めた。
 母さんの指示であろうアイボリーのニットを着た仁科は本物のモデルのようだった。

 「どうしよう、素材が良すぎてもうOKなんだけど」
撮った写真を確認した母さんは、あまりの良さに驚いていた。
「…うん、もう大丈夫!ありがとね、仁科くん」
「こちらこそ素敵にカットしてくださりありがとうございます」
「あ、せっかくだしリツも一緒に撮る?もちろん、スマホでだけど」
「えっ、いや、いいよ別に」
「お願いしてもいいですか?」
「…。」

 仁科に肩を組まれ、どんな表情をすればいいのか分からないまま、シャッター音が聞こえた。


 俺は知らされていなかったが、今日は撮影後に仁科も我が家で夜飯を食べる予定だったらしい。仁科と2人で話したかった俺は、母さんにお願いして自分の部屋で仁科と食べる事にした。

 「…いただきます」
「いただきます」
「…。」

 仁科の様子が明らかにおかしい。いつもなら話しかけてくるのに、黙々と食べている。いや、それは俺もなんだけど。…つうか、俺がちゃんと話さないとだよな。
 「あのさ…」
「…。」
「…昨日…校門で俺と元カノが一緒にいるの…見たよな?」
「……うん、見た」
「誤解されるようなことしたのは、すげぇ反省してんだけどさ…その、成り行きで恋愛相談乗っただけだから…普通に友達として会っただけだから…」
「…そっか」
「…ごめん」
「…俺、宮ちゃんの未練吹っ切れたっていうの信じてて。…本当に信じてたはずなのに、昨日彼女といるの見て不安になった自分がいてさ。付き合ってただけあって、並んでるのお似合いに見えたし」
「…。」
「だけど、わざわざ時間作って話してくれたおかげで安心した。…もう不安にならないために7秒ハグしてもいい?」
「7秒ハグ?」
「なんかね、7秒ハグしたら幸せホルモンが出て、安心するんだってさ」
「へぇ、そうなんだ」
「じゃあ、お願いしまーす」
仁科は両手を広げ、いつものニコニコ顔で求めてくる。
「…。」
 照れながらゆっくりと仁科の目の前にいくと、ぎゅっと抱きしめれた。俺も背中に腕を回し、抱きしめ返す。

 1…2…3…

 誤解が解けたからなのか、ハグ効果なのか、お互いの体温が伝わり合って、すげぇ安心する。

 4…5…6…7……

 そっと腕が離れ、自然と見つめ合う形になった。そのまま引き寄せられるようにお互いの顔が近付いていく…

 …あ、これ……

 目を閉じた瞬間「リツーっ」と母さんの呼ぶ声が聞こえて、現実に引き戻された。


 夜遅く布団の中で眠れない俺は、仁科のことが頭ん中をぐるぐる回っている。
 あの時、母さんから呼ばれなかったら多分キスしてた。仁科とキス……
「色んな意味でやばくね?」



 寝不足のまま朝を迎えたが、スッキリしている自分がいる。

 駐輪場から教室に向かう途中、木津を見かけて声をかけた。
「木津ーっ、おはよー!」
「あ、おはよう」
「昨日はありがとな」
「全然。モヤモヤは無くなった?」
「うん、スッキリしました!」
「そうか、ならよかった。…で、俺の分のクッキーは?」
「え?」
「木津も食べてって言ってくれてただろうが」
「いや、半分部室に置いて行くの無理だし、手作りだから昨日のうちに食っちゃったし…」
「貴重な手作りクッキー…」
「悪かったって!今度俺が作ってきてやるから!」
「女子の手作りだから意味があんだよ!律樹の手作りもらっても嬉しくないんだよ!」
「俺だって愛情込めて作るって!」
「そういう問題じゃねー!」
「あはは」
「そういや昨日、茅野が宮が深刻な悩みを抱えてるんじゃないかって心配してたぞ」
「まじか」
「元カノから手作りクッキーもらってふわふわしてるだけって説明しといた」
「おいっ!それ変な誤解されんだろ」
「多分今日会ったら、軽蔑の目で見られるだろうな」
「はぁ…」

 教室のドアのとこで、ちょうど仁科と出会した。
「あ…おはよう」
「おっはよ!」
「…。」
 昨夜のことを意識して顔が熱くなる。
「入んないの?」
「…入る」
「ていうか…」
マフラーで埋もれる俺の耳元に顔を近づけ、
「やっぱこの匂い似合うね…」
と囁いた仁科。
「…ありがと…」
…心臓が何個あっても足りねーよ。

 SHR前にスマホ通知をチェックすると、母さんから昨日撮った仁科とのツーショットが送られてきていた。
 …最高かよ。
いつもと違う雰囲気の仁科を改めて見て、思わずニヤけそうになる。
 母さんは隠しておくのもったいないって言ってたけど、むしろこれ以上仁科のカッコ良さがバレてほしくないと思う俺はワガママなのかな。


 3時間目終わりの10分休憩中に自販機でジュースを買っていると、偶然茅野が通りかかった。
「あっ」
「おー、お疲れ」
木津の言った通り、冷めた視線を向けられる。
「…なんだよ」
「いえ、何も。元気そうでよかったです」
「心がこもってねー。…心配かけてごめんな?はい、これ」
取り出したジュースを手渡した。
「えっ」
「お詫びー。じゃ、また放課後な」
「…。」



 週明けの月曜日。リビングで朝食を食べる俺となぎの前で、母さんはスマホを見ながら「やばい…」と呟いた。
「なに?」
「仁科くんの写真がバズってるわ!!今までにないくらいのいいね数なんだけど!!」
 興奮する母さんは、俺たちにスマホ画面を見せてくる。そこに映る仁科は、女性はもちろん、俺以外の男が見ても惚れるくらいカッコいい。
「すご。お客様増えるかもね」
「ほんとね!」
「まさかそのモデルが働いてるなんて思わねぇだろうな」
「ほんとこんなイケメンがリツのクラスメイトなんてねぇ」
「こういうイケメンって一緒にいる周りもイケメンのイメージだけど、どうなの?」
「なぎ、大正解。仁科と仲良い2人もイケメンなんだよ」
「へぇ!その子達もヘアモデルしてくれたら…」
「やめろやめろ。仁科で満足しとけ」


 3組の教室で木津、延岡と弁当を食ってたら、近くの女子たちから“仁科”というワードが聞こえた。
「バレンタインどーするー?3人みんなに渡す?それとも1人に絞る?」
「去年は3人に渡したけど、今年は1人に渡したいかな!」
「じゃあ、あたしはみねにあげよーっと」
「私は仁科っちで!」
「砂田くんに渡したいけど、受け取ってくれるかなぁ」
 「…。」
…女子ってこんな前からバレンタインのこと考えてんだ。まだ2月にもなってねーのに。去年は彼女に貰うこと以外興味なくて、仁科たち3人がどうだったとか覚えてねぇ…。どうせ沢山貰うんだろうな。
 つうか、女子たちは推しに渡すテンションなの?本命として渡してんの?…え、本命渡されるとか、なんか複雑なんですけど。
 ……いや、複雑になる権利は俺には無いよな。中途半端な関係を作ってるのは俺自身なのに。分かってる、そろそろ前に進まないといけない…。

 予鈴が鳴った後、トイレで仁科と入れ違いになった。
「あ、宮ちゃん!」
俺に会っただけで、こんなに嬉しそうな顔を見せんのは反則だと思う。
「あのさ、仁科…」
「なぁに?」
「あの…来月の休日で、会えそうな日あったりする…?」
「えっ」
「いや、その、バイト忙しいと思うし、時間あればでいいんだけど」
「忙しくても時間作るよ!夜、大丈夫な日連絡するね」
「うん、ありがと」

 恋って本当に厄介だな。なんで好きだけで全部解決しないんだろ。好きなのに、なんでこんなに気持ち伝えるの怖いんだろうな…。