俺で上書きしなよ 〜500日で好きになる?〜


 「宮ちゃん。…みーやちゃん!」
「…えっ?」
「プリント、受け取って」
「あぁ、ごめん」
 教室で1番後ろの机に伏せていた俺は、前の席の仁科からプリントを受け取った。同時に5時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。
 「なに、まだ引きずってんの?もう1ヶ月ぐらい経つんだし、そろそろ吹っ切りなよー」
「…そんな簡単に吹っ切れねーよ」

 俺、高校2年生の宮 律樹は、夏休み中に同じ高校に通う大好きだった彼女に振られた。もし付き合っていれば今日が1年記念日だったのに…。
 「…1年記念に行きたいとこ、したいこと、伝えたいこといっぱいあったのに。…はぁ、つら」
こんなに未練タラタラなんて、自分でも女々しいとは思う。
「例えば?」
仁科は興味本位で聞いてくる。
「…引くなよ?」
「うん」
「…思い出の地を巡るデート。んで、写真撮ってフォトアルバムにまとめようと思ってた…」
「……宮ちゃんって、結構乙女だね」
「うるせぇ…」
「巡れるほど色んなとこ行ったんだ」
「まぁ、11ヶ月ぐらい付き合ったし、季節ごとのデートやカップルっぽいスポットは色々行ったかな」
「ふーん」
 そうだ、学校の中も、街の中も、どこにでも彼女との思い出が溢れている。
ー…より戻すカップルの割合って何%なんだろ…。

 「吹っ切るためにさぁ…俺と上書きするのはどう?」
「ん?どーゆー意味?」
「デートや彼女と学校でしたこと、俺ともっかいしようよ。彼女とのこと忘れるくらい宮ちゃんをときめかせる自信あるよ?」
「……え」

 仁科 千影は誰にでも分け隔てなく接し、性別関係なく仲良くなる人気者タイプの人間で、2年で同じクラスになった時も、別グループの俺に対しすぐに“宮ちゃん”と親しげに呼んできた。

 「それって、いっぱい遊ぼうって話?」
俺を元気づけるための提案かもしれない。
「遊ぶっていうより……ねぇ、知ってる?高校生活って、約1000日間なんだってさ」
「へぇ、そうなんだ、知らなかった」
「もうすぐ10月だから…あと半分。宮ちゃん…」
俺の机で頬杖をついた仁科。

「残りの500日で、俺のこと好きになってみない?」

 ほんの少し口角を上げ、じっと見つめてくる。
「えっ…それって……」
言葉を遮るように6時間目のチャイムが鳴り、仁科はニコッと笑い前を向いた。

 え、今…好きにって言った!?……冗談だよな?


 帰りのホームルームが終わり、俺のところへ延岡が来た。
「宮ー、帰ろうぜ」
 延岡は1年の時から同じクラスで、バスケ部に所属している爽やか男子。うちの学校は、毎週水曜日がノー部活デーのため、水曜は一緒に帰ることが多い。
「はいよー」
「ごめん、のべくん。宮ちゃん、今日俺と予定あるから一緒に帰れないんだ」
…ん?
「あ、そうなんだ。了解。じゃあ、また明日な!2人ともお疲れ」
「お疲れー」
 延岡は、俺と仁科に予定があることを不思議がることなく教室を出て行った。

 「おい、予定なんかないだろ」
「あるあるー」
スマホを取り出した仁科。
「10月の元カノとの思い出教えて。行った所、したこととか」
「は?あの話まじなの?」
「当たり前でしょ。初デートどこ行った?」
どうやらスマホにメモするつもりらしい。
「…ショッピングモールで映画観て、昼ごはん食べて……つうか、思い出すほど余計忘れられなくなるんじゃね?」
「大丈夫大丈夫ー。体育祭は特別なことしなかったの?去年は同じクラスだったよね?」
 元カノとは1年の時は同じで、2年は違うクラスになった。
「付き合いたてだったし、体育祭はそんな特別なことしてない。…リレーで勝ってハチマキ渡すとかしてみたかったけど、俺二人三脚出たから」
「ほんと宮ちゃんって、少女漫画みたいなこと好きだね。あ、だから種目決めでリレー立候補したの?」
「…うん。もしかしたらやり直すチャンスになるかもと思って…」
やべ、俺かなり痛いヤツじゃん…。
「そっかぁ…代わろうか?」
仁科はリレーメンバーで、アンカーに選ばれている。ちなみに俺はジャンケンに負けて、結局今年も二人三脚に出ることになった。
「いや、いい」
「とりあえず10月は、体育祭と初デートぐらい?」
「あとは一緒に放課後の教室でテスト勉強したりしたかな」
「おっけー」

 気づけば誰も居なくなった教室。文字打ちをやめた仁科に少し緊張しながら聞いてみた。
「あのさ…俺の聞き間違いじゃなかったらその……好きになって、みたいなこと言われた気がすんだけど…合ってる?」
「うん、合ってるよ」
さらっと言う仁科は、いつもと変わらない様子だ。
「え、確認なんだけど、仁科って…男が好きなの?」
「うーん、男っていうより…宮ちゃんが好きっ!」
無邪気な笑顔で言われ、思わず照れてしまった。

 待って待って。同じクラスになってから今日までそんな素振り一度もなかったじゃん。これって恋愛じゃなくて、友達として好きってやつ?

 「えっと、俺も仁科のこと友達として好きだけど…」
「俺もって……俺は友達とは別の意味で好きなんだけど」
少し拗ねたような言い方をした仁科。
「…え」
「宮ちゃんが俺を友達としか見てないのは知ってる。だから、俺のことちゃんと意識して?」
 頭が追いつかない。仁科が俺のことを恋愛として好き?あの老若男女問わず人気の仁科が俺を?…いやいや、そんなわけないって。
 「絶対に元カノなんかより俺がいいって言わせてみせるから」
机の上で手をそっと握られた。
…あ、これ本気のやつだ。



 次の日の朝。学校の駐輪場に自転車を停めていると、自転車に乗った木津がやって来た。
「律樹、おはよう」
「おはよう。あ、髪切ったんだ」
「うん、体育祭前にさっぱりしときたくて」

 3組の木津は1年の時に同じクラスだった。
 「今日の練習、筋トレ多めにしていい?」
「もちろん」
 木津は俺と同じ弓道部で、夏に3年生が引退してから新部長を任されている。ついでを言えば俺は副部長として木津をサポート中。

 2組の教室前で木津と別れ中に入ると、仁科がクラスメイト男女数人に囲まれ、席で楽しそうに話をしていた。
 自分の席に着こうとする俺は、昨日言われたことが頭をよぎって若干緊張している。
 「あ、宮ちゃんおはよー」
「…おはよう」
振り向き俺に挨拶した仁科は、特に続けて何か言うわけでもなく、前を向きクラスの奴との会話を再開した。

 あれ、いつもと変わんない…?やっぱ昨日のは、俺を慰めるためのちょっとした悪ノリだったんだろうな。

 朝の予鈴が鳴り、仁科の周りに居たクラスメイトは各々席に戻って行った。
 SHRまでのルーティンであるスマホの通知チェックをすると仁科からメッセージが送られて来ている。それもたった今。

『デートいつ行く?』

…!!
目線をスマホ画面から前に移すと、後ろを振り向いた仁科と目が合った。

…ドキッ

 体ごと俺に向いた仁科は嬉しそうに話しかけてくる。
「宮ちゃん、いつ空いてる?俺、バイトのシフト今日分かるんだけど」
あ、仁科バイトしてるんだ。…つうか、ほんとにデート行くのか。仁科とデート……。
「とりま夜に大丈夫な日連絡するね」
「あ、うん」

 あんなこと言われて身構えてるけど、普通に男友達と遊ぶ感覚でいいよな…?



 翌週の金曜日。体育祭の今日は快晴に恵まれ、グラウンドには全生徒が集まり、開会式が行われていた。
 体育祭は、組ごとの縦割り対決になっていて、俺や延岡は2組の応援スペースへ移動する。

 「2組のみんなー!はーい、円陣組んでー!」
2組の応援団長である3年の先輩が指示を出す。
 延岡と肩を組んだ俺の横に仁科が来て「勝とうねー」って言いながら自然と肩を組んできた。
 100人以上の生徒が大きな円となり、団長の「絶対勝つぞー!!」の掛け声に「おぉーー!!」と全力で叫んだ。

 競技は順調に進み、二人三脚の番がきた。列に並んだ俺のペアは、仁科と仲の良い峰岸。
「みやみや、練習通り頑張ろーね」
「おう!」
 峰岸は、仁科とはまた違うタイプのコミュ力の持ち主で、飄々としていてマイペース。早い段階で俺のことを“みやみや”と親しげに呼んできたところは仁科と仲良いことに納得する。

 第一走者である女子のペアが走り始めた。女子のペアは半周、男子のペアは一周走るルールだ。
 もたつきながらクラスの女子2人が俺たちの方へバトンを差し出す。
「みね、みや、あとよろしくーっ!」
「はいよー」

 練習の甲斐もあって軽快な走りを見せる俺たち。2組の応援席近くを走ると延岡たちが前のめりに声援を送ってくれた。しかし、仁科だけは心配そうな顔をしている。
…何でだ?

 その理由はすぐに分かった。バトンを待つ第三走者たちの中に元カノの姿があった。

 あ、俺の意識が元カノに揺らぐのを心配してたのか…。…そんなの今さらなのに。
 開会式の時、応援中、二人三脚の待機中…気付いたら元カノの姿を視界に入れてしまっていた。可愛いな、なんて未練ありまくりのこと考えちゃってさ…。

 結果は5組中2位だった。まずまずの順位に峰岸とハイタッチする。


 「クラス対抗リレーに出場する生徒の皆さんは、待機場所への移動をお願いします」
集合のアナウンスが流れる。
「仁科行くぞー」
「うん」
 応援席からリレーメンバーが移動する中、仁科が俺のところへ駆け寄ってきた。
「宮ちゃん」
「ん?」
俺の横にしゃがみ込み、こっそり耳打ちしてくる。
「宮ちゃんのために1位取るから、見ててね」
ニコッと微笑まれ、耳が熱くなった。
「…頑張れ」
「うん!」
 去って行く仁科の後ろ姿を何とも言えない気持ちで見ていた。

 なんかすげー特別感あること言ってきたんだけど。…これも上書き案件?

 「前半の部最後は、クラス対抗リレーです」
各学年のリレーメンバーが入場してきて、仁科は隣にいる1組のアンカーと楽しげに話していた。あれは砂田というサッカー部の新部長だ。話したことはないが、仁科や峰岸と一緒に居るところをよく見かける。

 1年のリレーが終わり、2年の第一走者がスタート位置に立った。
 「位置に着いてよーい…」
…パァンッ!!
 ピストルの音で一斉に走り出した5人。列の1番後ろでアンカーの襷をかけた仁科は、2組のメンバーを笑顔で応援している。
 そういや、2組のリレーメンバーは陸上部やサッカー部もいるのに何で帰宅部の仁科がアンカーなんだろう。早めにリードするために速い奴を先にしたとか?

 第四走者がバトンを受け取った時点で2組は2位だった。そのまま差が埋まることはなく、バトンはアンカー仁科の手に。

 「え……」
走り出した仁科のスピードは、俺の想像をはるかに超える速さだった。
…嘘、仁科ってあんな速かったの?練習の時と全然違うじゃん。

 前の選手との距離はどんどん縮まり、ゴール直前で追い抜くと、そのままゴールテープを切った仁科。
 2組の応援席からは大歓声が沸き起こる。
「仁科すげー!!」
俺の横で興奮する延岡に峰岸が話しかけた。
「千影、めちゃくちゃ運動神経良いのよ。どの運動部でも通用するのに本人は興味なくてさ。去年はリレー出るの嫌がったのに、今年はやる気満々でびっくりしたけどねー」

 前半の部が終わり、後半の応援合戦用に着替えるため、一度グラウンドを離れていく生徒たち。
「宮ちゃん…」
後ろから仁科が俺を手招きする。
「ごめん、延岡。先行ってて」

 グラウンドの隅っこで仁科は、首に緩く巻いていたハチマキを取り、笑顔で俺に差し出してきた。
「あげるっ!」
「えっ…」
…これって、俺が言ってたやつじゃん。

ーー「…リレーで勝ってハチマキ渡すとかしてみたかったけど…」

 「何固まってんのー」
仁科は、俺の手首にハチマキを巻き始めた。
「…これでよしっ!」
「ありがと…」
まさか自分がされる側になるなんて思ってもみなくてびっくりしてしまい、恥ずかしくなった。
 巻き終えた仁科は、顔を覗き込んでくる。
「リレー中、俺だけ見ててくれた?」
その表情や言い方がいつもと違い甘めで、思わずドキッとしてしまった。
「う、うん。見てた……すげーかっこよかった」
「ほんと!?嬉しいっ!久々に本気で走ってよかったー」
そう言う仁科は、子供みたいに嬉しそうに喜んでる。
 「好きな人のために頑張んのっていーね!」
少し照れくさそうに言われて、胸が苦しくなった。

 だって俺…まだまだ彼女のこと忘れられそうにねぇもん…。