ヘブンリーブルー・スター

 才能は、人を殺す。
 時として、驚くほどにあっけなく、あっさりと。

「日生先輩!」
 放課後の教室に響いた声に、二年五組の面々の視線が出入り口に集中する。
 でも、まぁ、そうだよな。自分の机で帰り支度を進めながら、俺は納得した。なにせ相手は、うちの高校一と評しても過言でない有名人だ。
 蓮見宵。文芸部の後輩の、「現役イケメン高校生作家」さま。その宵が、迷いなくずかずかと教室に足を踏み入れる。そうして、ぴたりと俺の席で止まった。
「なに、宵。どうしたの? なんか用?」
「日生先輩」
 面倒くせなぁとうんざりしつつも笑った俺と正反対の、気難しい顔。昔から変わらない生真面目な調子で、宵が言う。
「今日の部活は参加しますよね? 文化祭で発行する部誌の進捗の共有会」
「あー、マジごめん。今日バイトなんだよね、俺」
「バイトって」
 軽い謝罪に、宵はぴくりと眉を動かした。
「文芸部の活動日は毎週金曜ってわかってますよね。それなのに、なんでシフト入れるんですか」
 うん、まったくもってごもっとも。俺が積極的に文芸部の活動に参加する気があれば、の話だけど。
 もう一度へらりと笑い、リュックを手に立ち上がる。今から帰りますよという、わかりやすい意思表示。
「でも、まぁ入れちゃったから。ごめんな、宵」
「…………じゃあ、来週。来週は絶対出てくださいね」
「うーん、絶対はなぁ。どうかなぁ」
 おざなりな返事に、宵の纏う空気がムッとする。
 なけなしの罪悪感は疼いたけど、バイトがあることは嘘じゃない。自分に言い聞かせ、俺はひらりと手を振った。
「じゃ、まぁ、そういうことだから」
「ちょっと、先輩――日生さん!」
 呼び止める宵の声は聞こえたものの――ついでに、宵に絡み始めた女子の声も聞こえたけど――、気がつかないふりで廊下に出る。
「あ、仲野」
「いいの、あれ。ほっといて」
 教室を出るタイミングが一緒になった仲野に声をかけると、仲野は背後を指さした。一年が女子に絡まれていることが気にかかったらしい。
「部活の後輩なんじゃなかったっけ」
「いいの、いいの。自分でなんとかするっしょ」
 あいつだって、いつまでもガキじゃないんだし。軽い調子で笑い飛ばし、そのままなんとなく並んで昇降口に向かう。
「冷てー先輩だな。っていうか、いまさらだけど、洸平、おまえなんで文芸部?」
「えー、似合わない? 俺」
「似合わないっつーか、チャラいし。あと本読んでるイメージもないし」
「いや、まぁ、そうだけど。でも、ほら、うち、部活強制じゃん。文芸部楽そうだったからさぁ」
 チャラくて適当な俺らしい理由に、仲野はあっさり得心したみたいだった。
「たしかに。文芸部ってあんま活動なさそうだよな」
「だろー?」
「でも、なんかはしてんだろ? なに。みんな小説書いてんの?」
「んなわけないじゃん。書いてるやつもいるけど、俺みたいな感じも多いよ。適当に部室で駄弁ってるみたいな」
 そもそもの話だけど、読書感想文じゃあるまいし、小説って強制されて書くもんじゃないと思うし。
 ――なのに、なんで、あいつはあんなにしつこく誘うかな。
 あいつがうちの高校に入学して、もうそろそろ半年になる。飽きねぇな、あいつ。あーあ、という気分で、俺は笑った。
「だったんだけど。この春に熱血くんが入ってきちゃったの。どうしてくれんの、俺の平穏って話だよ」
「あー、はい。さっきの。噂の一年のイケメン作家」
「そう、そう。まぁ、熱血だけあって努力はすごいんだけどね」
「へぇ、そこも熱血なんだ」
「まぁね。いや、マジイケメンだから腹は立つんだけど。でも、がんばってんだよ、あいつ」
 へぇ、という興味のなさそうな仲野の相槌に、俺は二度目のあーあ、を呟いた。もちろん内心で、だけど。
 あーあ。なんで、俺、あいつのフォローなんてしてんだろ。

 蓮見宵。中学二年生のときに新人賞を受賞してデビューした、新進気鋭の新人作家。
 その宵と俺の関係がなにかというと、宵がデビューする前。先輩ぶって宵に小説の書き方を教えたことがあるというだけだ。
 たったそれだけ。
 それで、うん。誰に対する言い訳でもないんだけど、俺のプライドのために言っておく。べつに、俺は宵が嫌いなわけじゃない。
 ただ、なんていうの?
 簡単な言葉で言うと、先輩だったはずの俺を追い越してぱっぱと本物になった宵に、ちょっとだけ複雑な感情を抱いている。
 たぶん、どこにでも転がっている、よくある話。

 ※

「え、なにやってんの。おまえ」
 バイトのシフトが終わって、ファミレスを出て。
 さぁ家に帰ろうと歩き始めたタイミングで、暗がりに佇む知り合いを見つけたら、声が呆れてもしかたないんじゃないかな、と思う。
 十月も後半になると、夜は少し肌寒い。制服のポケットに手を突っ込んで、俺はもう一度呼びかけた。
「宵」
「あ、先輩」
 ようやく気づいたという態度で、ガードレールにもたれて一心不乱にスマホを打っていた宵が顔を上げる。
 いったいいつからいたのか、微妙に顔が白い。ほんの少しの苛々を抱えたまま、俺は繰り返した。
「なにしてんの、おまえ。こんな時間に」
「や、先輩待ってたんですけど」
「はぁ?」
「そのあいだにいろいろ書いてたら熱中しちゃって」
「…………いや、熱中しすぎだろ」
 というか、そういう天才ぶり、見せつけてくれなくていいから。という嫌味を呑み込んで、さらに問いかける。
「それで、なに。待ってたってなんの用?」
 あたりまえのつもりの質問に、なぜか宵は眉間にしわを刻んだ。
「いや、なに。その顔」
「先輩が俺を置いて行くから大変だった」
「はぁ?」
 二度目の「はぁ?」に、宵の表情がますます不服そうなものになる。
 いや、まぁ、ほかのやつが見たら、いつもの澄ました宵かもしれないけど。とにかく、俺からしたらそう。
 それにしても、なんなんだ、マジで。内心ちょっと面倒になっていると、宵が恨みがましい声を出した。
「放課後。先輩が置いて行くから、よくわかんない話に付き合わされた」
「よくわかんない話って、おまえのファンみたいなもんだろ。ファンサしてやればいいじゃんか」
「俺の本が好きなわけじゃない。俺の本に興味があるわけでもない。ああいうのはファンじゃないです」
 はっきり言い切った宵に、溜息がこぼれる。
 マジおまえそういうとこだよ、という嫌味も押し込んで、俺はガリっと髪を掻き上げた。
「っていうか、だから来るなって言ったんだよ。春に。おまえ目立つからって。なのに、なんでわざわざ来たわけ、俺のクラスに」
「…………先輩が」
「俺がなに?」
「先週の活動日も休んだから、それで」
「なに。俺がとうとう文芸部辞めるって思ったってこと?」
 素直に黙り込んだ宵が、ふいと俺から目を逸らす。
 ……いや、もう、マジでなんなの、こいつ。
 もうひとつ溜息を吐き、俺はできるだけなんでもないように打ち明けた。
「どっちもバイト。いっつもたくさんシフト入ってくれてる人がバイクで事故って足折ったんだよ、それで代わりに入っただけ」
 ぱっと顔を上げた宵が、ぱちりと瞬く。そうしてから、「なんだ」と心底安心した態度で呟いた。いや、だから、マジでその顔。
 しかたねぇなぁという気持ちが半分と、放課後の一件に対する罪悪感が半分。そんな割合でもって「宵」と呼びかける。
「そんなわけで、ちょっとバイト代余裕あるんだけど」
「はい」
「奢ってやろっか。夜まだだろ」
 あーあ、俺よりよっぽど金持ってるやつになに言ってんだよ、死ねよ、俺。
 誘った直後に後悔したのに、輝いた宵の瞳を見たら撤回なんてできなくて。ポケットに手を突っ込み直して、俺は言った。
「友達のラーメン屋」
 微妙にかっこつけたふうになってしまったが、よくよく考えなくても、俺は宵の前ではいつもこんな感じかもしれない。
 ひなせの大ファンだと言った小学六年生だった宵と、はじめて対面したあの日から。
「おまえ行ったことないだろ。連れてってやるよ。俺の行きつけ」
 そう告げると、宵はガードレールから背中を離した。
「先輩」
 うれしそうに俺を呼びながら、隣に並ぶ。「なんだよ」と苦笑した俺に、宵は繰り返した。
「先輩」
 だから、マジでなに。その甘えた呼び方。俺、おまえの母ちゃんでも兄貴でもなんでもないんだけど。
 呆れる気持ちがあることも事実なのに、どっかでちょっとうれしがってんだから、マジで笑える。
 いや、でもさ。誰だって、自分にだけ懐く見た目の良い犬がいたら、ちょっと気分良くなるだろ。
 なんていうか、その犬に認められた自分が特別、みたいな感じで。まぁ、実際、特別なのは犬のほうなんだけど。

「おばちゃーん、来たよー」
 がらりと馴染みのラーメン屋のドアを引くと、カウンターの奥からおばちゃんが愛想良くほほえんだ。
「あら、いらっしゃい、洸平くん。ちょっとぶり」
「うーん、最近、バイト忙しくてさ。あ、こっち後輩」
 ぎこちなくぺこりと頭を下げた宵を促して、正面のカウンター席に座る。お客さんは俺らのほかに二組いるだけ。
 ラッキーだったなとほくほくした気分のまま、俺は宵にメニューを手渡した。
「宵、おまえなににする? なんでもいいよ」
「先輩と同じので」
「んー。じゃあ、おばちゃん味噌ふたつー」
 あいかわらず欲ねぇなぁ、こいつ。
 ほんの少しだけ懐かしいことを思い出しつつ、おばちゃんに注文する。宵からメニュー表を回収して、代わりにグラスに水を注いだ。
 はい、と渡すと、宵が小さく首を傾げる。
「よく来るんですか、ここ」
「ああ、まぁ。友達の店っつったけど、けっこう昔から家族とも」
 よく来るかな、と俺は答えた。あと、腹空いてるなら餃子もうまいよ、食う? いいです、なんてやりとりをしているあいだに、あっというまに味噌ラーメンが出てきて、俺と宵はカウンター越しに受け取った。
 いただきます、と手を合わせ、箸をつける。冷えていた身体に食べ慣れたうまいラーメンは染みる。
 黙々と食べていると、「ねぇ」とおばちゃんが話しかけてきた。
「ちょっと気になったんだけど、宵って、もしかして、宵先生? ほら、あのイケメン高校生作家の」
「あー……」
 やべ、と焦ったものの、バレてしまったものはしかたがない。俺はへらりとほほえんだ。無言のイエスに、おばちゃんが勢い込む。
「うちの町の有名人じゃない。ごめんね、読んだことはないんだけど。あ、でも、うちの娘は好きみたいで。なんだっけ? 本棚にあったんだけどな。ヘブンリー……、えーと」
「ヘブンリーブルー」
 気難しい顔でラーメンを食べ続ける宵に代わって、答える。宵のデビュー作だ。
「西洋朝顔のことらしいよ」
「ああ、西洋朝顔。かわいいわよね。あたし好きなのよ」
「なんか人気らしいね、家庭菜園とかでも」
 まぁ、小学生の宵が気に入ったのは、幻覚剤として使われていたという歴史のほうだったみたいたけど。
 あるよな、そういうのに正しく興味を持つ年頃って。あと、なんかヘブンリーブルーって字面がかっこいいじゃん。西洋朝顔じゃ様にならない。そういうセンス。
 俺がはじめてつけたタイトルなんて、Webで流行りの超長文だったよ。
 あーあ、とすっかり癖になったそれを内心で呟いて、俺に任せて雑談から身を引いた宵に問いかける。
「うまい?」
 こくんと宵の頭が動く。その反応に、俺は満足して目を細めた。
「だよな」
「こういうとこ、あんまり家族とかと来ないんで」
「……だよな」
 ほんのちょっと。なんとも言えない気まずさを覚えたものの、俺はへらりと笑うことを選んだ。
 まぁ、たしかに、宵のおばちゃんもおじちゃんもこういうとこ来なさそうだよなぁ、と思いながら。
 俺が勝手に決めんなよっていう話であることはわかってるんだけど、その上で宵の家庭事情を説明すると、「めちゃくちゃドライ」の一言に尽きる。
 育児放棄とかではないんだけど、各々自立、みたいな。
 まぁ、僕が学校に行かなくてもなにも言わないんで、そういう意味では楽ですけど、と大人ぶった口調で評していた小学生の宵は、それから二年後。俺の受賞を喜んでくれたのは日生さんだけです、と言った。
 会話が終わり、黙々と箸を動かしていると、おばちゃんが再び戻ってきた。
「ねぇ、よかったらあとでサイン書いてもらえない?」
「いや……」
「書けばいいじゃーん。おばちゃんサイン代に煮卵かなんかトッピングちょうだいよ」
「…………先輩がそう言うなら」
「もちろん。って、あら、ごめんなさい。なにに書いてもらおうかな。今度サイン色紙買ってくるから、次来たときに書いてちょうだい。はい、これは先におまけね」
 いや、サイン色紙ないのに提案したの、と笑いながら、俺はおばちゃんから煮卵がふたつ入った小皿を受け取った。ひとつを宵のラーメン鉢に落とし、もうひとつを自分のところへ。
「な、ラッキー」
 微妙に不満そうな顔の宵に笑いかけると、しかたないというふうに表情がゆるむ。そのやりとりを目撃したらしいおばちゃんが、しみじみとした口調で呟いた。
「それにしても、後輩って言ってたけど、洸平くんと本当に仲が良いのね」
「ああ、えっと……」
「日生先輩は、俺の師匠みたいなものです」
「師匠? あら、やだ。洸平くんも小説なんて書いてたの? そういえば、昔はよくここでも本読んでたっけ」
「ちょっと、宵~。やめてよ、おばちゃん。こいつのこれ、マジお世辞だから」
「お世辞なんかじゃ」
「はい、はい。俺の煮卵もやるから黙ってて」
 宵の器に追加で煮卵を落とすと、さすがに宵は黙り込んだ。言うなの暗を察したらしく、もそもそと煮卵を食べている。
 あーあ。本当、マジこういうとこ。俺はまた言えるわけのない文句を呑み込んだ。ちょっと伸びてきた麺をすする。
 ――ひなせさんは、僕のヒーローなんです。
 目を合わせることもできず、照れたようにはにかんだ顔。
 馬鹿じゃねぇの、あのときかわいいなんて思わなかったら。絆されなかったら、たぶん、俺、こんなに苦しくなかったぞ。
 でも、と。俺はちらりと宵の横顔を盗み見た。
 そうしたら、こいつは作家になってねぇんだよな。いや、まぁ、いずれなったんだろうけど。べつに、俺がいなくても。
 俺が作家・宵を育てたなんて、厚顔無恥なことを言う気はない。良くも悪くも、俺にはその程度の分別があった。
「宵」
 呼びかけると、宵が俺のほうを向いた。ばちりと目が合う。
「おまえの書く話、好きだよ、俺」
 めちゃくちゃ腹も立つけど、それでも。
「だからさ。今度、また連れてきてやるから、サイン書いてやってよ。おまけ貰っちゃったし。由衣ちゃん――あ、さっきの話の娘さんね、が、おまえの本好きなのはガチだと思うし」
 な、と宥めるように告げれば、幼いころの面影を残した瞳がふにゃりとゆるむ。学校の女子が見たら「きゃー」って叫びそうな感じだった。
「俺ね」
「うん」
「やっぱり日生さんの話が大好きなんです」
 だから、と宵が言う。
「日生さんも早く書いてくださいよ。文化祭の部誌、去年短編載せてましたよね。俺、あの話も」
「あー、マジごめん」
 延々と続きそうだった話を遮り、俺は笑った。へらりと。誠意もなにもないそれで。
「休憩中なんだわ、俺」
 たぶん、この二年――とくに、宵が俺の高校に入学してからの半年で何度告げたかわからない、薄っぺらい理由。
 でも、俺がこの常套句を口にすると、宵はそれ以上はせっつかない。
 まぁ、黙っても雄弁な宵の目は「じゃあ、なんで、文芸部に籍を置いてるんですか」と俺を責めてるんだけど。
 いや、マジ、それ。チビだったおまえが俺と一緒に部活したいって言ったからだよ。その名残り。搾りかす。青春の残骸。
 こんなふうになるなんて、思ってなかったからさ。
 あーあ、と内心でぼやいて、俺はレンゲで汁をすくった。

 さて、ここで、ひとつ昔話をしようと思う。
 中学生だった俺の、かわいい黒歴史だ。ひなせという名前でほとんど毎日Web小説を投稿していたころの、たぶん、そこそこよくある話。
 あのころの俺は、自分は小説を書くことがうまいと思っていた。というか、信じていた。少なくとも、同年代の中では圧倒的なんじゃね? と、そう。
 宵に教え始めたときもそう思っていた。でも、それって、よくよく考えたら、あたりまえの差だったんだよな。
 小さいころから本ばっかり読んでいて、文字が書けるようになったころには自然と小説――まぁ、小説とは呼べないできのものだったけど――を書き始めていた。それでWeb小説の売れ筋も知っていた。凡人がこつこつ積み重ねた、六年ほどのアドバンテージ。
 そんなもの、天才を前にしたら爆速で吹き飛ばされるんだってことを、このときの俺は知らなかったってわけ。
 受賞したと息せき切って報告に来た宵の頭を「すごいじゃん」と撫でたのは(ちなみにだけど、そのころは宵のほうがずっと小さかった。子どものころの一学年の差ってデカい)、宵を褒めたかったからじゃない。俺のプライドを守りたかったからだ。
 先輩面をしていたくせに、あっというまに後輩に追い抜かれた。そのことを悔しく思っているなんて、絶対に知られたくなかった。
 だから、俺はずっと宵にそういう顔しか見せていない。
 だから、宵がこういうことを言うのは、なにも悪くないとわかっている。苛々するのも、鬱屈するのも、マジでぜんぶ俺の問題。
 でも、だから、――宵がもっと嫌なやつだったらよかったのにな、と思うことはある。
 たとえば、なんの努力もしてない、天性の化け物だった、とか。受賞した途端に、俺を下に見るようになった、とか。
 そんな宵は宵じゃないけど、そんな宵だったら、たぶん、俺、もっと楽だったんだろうな。