強く、踏み込んで




助手席から見える景色はいつも広くて、緩やかに流れていた。

シーサイドを走るときも、高原のドライブルートを走るときも、窓は広かった。けどいざ運転してみたら、思ったよりフロントから見える景色は小さかった。

父はどうだったんだろう。
ドライブも好きだけど、小さかった俺と同じぐらい遊び心を持ったひとだった。運転中の景色はそこまで見ていなかったかもしれない。飽きるまで俺にずーっと話しかけてたし、子どもながらによく疲れないな、と思っていた。

傍にいるのが当たり前だと思い込んでたから、バチが当たったのかな。

喉に何かがつっかえ、上手く息を吐き出せなくなる。

「次の信号、左ね」
「はい」

試験中、道は比較的空いていた。他の車も距離を空けてくれてるから走りやすく、有り難かった。
( でもいつもこうとは限らない…… )
何が起きるのがわからないから、一瞬も気が抜けない。

父だって嫌というほど分かってたはず。でも俺を乗せてるときは、そういう注意点やアドバイスを言ったことは一度もない。
ただただ楽しそうに走っていた。
彼のそんな姿が好きで……俺もいずれ免許をとって、気持ちのいい場所に連れていこうと思ってた。

砕けた夢を拾い集めるのは難しく、一度は逃げた。……そうすることで、思い出と自分を守ろうとしたんだ。

けど逃げれば逃げるほど何故か苦しかった。


「……はい、お疲れ様。それじゃあ午後は中で、十四時から宜しくね」


無事に路上を終え、胸を撫で下ろす。

終わったああぁぁ……。

大きなミスはしてないはずだ。ひやひやしながら近くのコンビニへ行き、昼ご飯を買った。

幸耶は大丈夫かな。

俺が心配することもないけど、……強いて言うなら、メンタルの方が心配だ。

俺と同じで、お母さんのことを思い出すかもしれない。
その度に塞がりかけた傷が開いて、胸を押さえて……。

でも、「大丈夫」だと笑うんだろう。

幸耶が負った傷はもちろん、幸耶の強さも何度も目にした。

彼は俺が思ってるよりずっと強い。躓いて転んだって、太陽さえ出ていれば上を向うとする。
あの、明るくて大きな向日葵のように。

「……そろそろか」

時間を確認して、また足早に教習所へ向かった。

俺も弱いから何度も倒れそうになるけど、今は起き上がる理由と、力を貰っている。
幸耶がいたからできたことだ。だから結果がどうであろうと、何度でも彼にありがとうを言いたい。

誰かと繋がる幸せを教えてもらった。

今なら恥ずかしがらずに、父にも胸を張って言える。

大好きだ。

その短い言葉を打ち明けるのに随分と時間がかかってしまったけど、きっと今も見守ってくれてると思う。



午後の試験も終え、指定された場所へ向かう。そこには一緒に試験を終えた生徒もいて、互いに怖いなー、と顔を見合わせた。
いや、本当に怖い。駄目ならまた受ければいいんだけど、俺は登校拒否したせいで残りの日数が少ないから。

廊下にいるのに、酸素が薄い気がしてならない。
バインダーを持った試験官がお待たせ、とやってきた時はかなり姿勢が良くなった。

「結果をお伝えしますね。迎さん」
「は、はい!」
「おめでとうございます。合格」

ご……。

聞き間違いじゃないよな?
隣にいた青年に視線をスライドすると、小声でおめでとう、と言われた。

「わ……ありがとうございます……」

やった。

嬉しい。嬉し過ぎて、逆に放心状態になった。
その場にいた他の二人も合格で、彼らは大はしゃぎしていた。
俺は安心感の方が強くて、むしろ地蔵のように固まってしまった。

「本免の試験も頑張ってくださいね」
「は、はい!」

そうだ。これで終わりじゃなくて、本番は免許センターの試験だ。
試験官のひとにお辞儀し、他の生徒ともハイタッチして別れた。屋上で記念撮影もしてもらい、写真を大事に鞄に仕舞う。

空が霞がかった、夏の夕暮れ。吹き抜ける風は生温かくて、肌にじんわりと纏わりついた。

もう二度と来られないと思った場所。そこに今立っていて、……卒業できた。

「幸耶のおかげだよ。……父さん」

スマホを取り出し、恥ずかしいけど口に出した。画面に映るのは、笑顔で愛車の前に佇む父の姿。
次の休みにドライブに行こうと言って、彼は帰ってこなかった。

だから俺から会いに行った。これからも……何度でも、また夏の日に会いに行こう。

屋内へ戻り、駆け足で二階の広間へ向かう。
思ったより時間がかかってしまったが、彼はまだいるだろうか。

息が上がる。鼓動が速まる。
なにかに突き動かされるように、必死に彼の姿を捜した。
いない……。
窓口の前を通ったとき、いつもの受付の女性に声を掛けられた。
「あ。迎さん、聞いたわよ、合格したんだって? おめでとう〜」
「あ、ありがとうございます! ……あの、帷幸耶って分かります? どっかで見ませんでした?」
「あぁ、あの子ね。さっきまでそこにいたんだけど……」
彼女は帰っちゃったのかしら、と首を傾げた。
幸耶なら帰る前に一言教えてくれそうな気はするけど、スマホには何も連絡は来ていない。
「そっか……大丈夫です。今までありがとうございました」
「ん。頑張ったね」
彼女は笑って手を振った。
「いえいえ……!」
頑張ってねも嬉しかったけど、頑張ったね、も嬉しい。
目の前のことに必死で全然気づいてなかったけど、自分を見てくれてるひとはたくさんいたんだ。

俺ももっと……人の頑張りに気付けるようにならなきゃ。

広間を抜け、自動車学校を出る。外はすっかり薄暗く、風もやや冷たく変わっていた。迷ったものの、目の前の自宅に向かって歩き出す。

やっぱり幸耶に会えなかった。

急用ができたかもしれないから、結果だけ報告しようか。本当は自分より彼の結果を聴きたいところだけど……。

電話……は出られない状況だったら申し訳ないし、とりあえずメッセージを。

「あ」

メッセージアプリを開いた瞬間、見覚えのある後ろ姿を見つけて動きが止まる。
声を上げたせいで、向こうもこちらに気付き、振り返った。

「風月。良かった、今電話しようと思ったんだ」
「あっ……お、俺も」

何故か無性に顔が熱くなった。示し合わせたようなタイミングで見つけてしまったからかもしれない。

周りに車がいないことを確認し、横断歩道を渡った。
幸耶は俺を見ると、ふむ、と顎に手を添えてじろじろ見てきた。
「な、何?」
「当てる。合否結果」
「うえっ」
彼は落ち着き払った様子で掛けていた眼鏡を外した。

「待て待て、それじゃ俺も。一緒に言おうぜ」

慌てて静止の手を挙げ、彼に理由を説明する。
「お前、仮免のときに落ちたって嘘ついたろ。あれはマジで駄目だ。あれのせいで、俺の寿命だいぶ縮んだんだから」
「あぁ、そうか。ごめんな」
幸耶は思い出したように手を叩き、くっくと笑った。あまり悪いとは思ってなさそうだな……。
つい頬を膨らますと、彼は瞼を擦りながら呟いた。

「俺としては、お前が可愛かったことしか思い出せない」
「あーっ! それはもういい! ほら、卒検の結果を言おう!!」

このままだと羞恥心に殺される。
一歩後ろにひいて、彼と正面から向き合った。