強く、踏み込んで




長くて短い夜が明けた。
瞼を擦って起きると、隣に幸耶の姿はなかった。

どこ行ったんだ?

ベッドの上でぼうっとしてると、タイミングよく部屋のドアが開いた。
「起きたか。おはよう」
「はよ……」
幸耶は今起こそうと思ったんだ、とカーテンを開けた。今日も晴天らしく、部屋は一気に明るくなった。

「顔洗ってきな。朝ごはん作ったから食べよう」
「わ。ありがと」

アラームが鳴った記憶もないのに、さすがだ。俺は朝が苦手だから、早起きが苦じゃない幸耶が羨ましい。
急いで一階に降り、顔を洗う。ダイニングへ向かうと、良い香りがしてきた。誘われるように部屋に入り、ひょこっと顔を覗かせる。

「お邪魔しまーす……」

キッチンを見ると、幸耶が手招きしてきた。一応軽く頭を下げて、部屋の中に入る。
大きなテーブルの上には幸耶が作ってくれた朝ごはん。眠気は吹っ飛び、すぐ彼の隣に移動した。
「うわ〜……! 朝から豪華だな。ホテルの朝食みたい」
「そんな褒められるとやる気上がるな」
幸耶は味噌汁をよそい、席を促した。
炊きたてのご飯があるだけでも嬉しいのに、鯵の開きや卵焼き、白和え等の小鉢もある。
父は自分と同じで料理が苦手だったから、家でこんな豪勢な朝食が出たことはない。ひたすら感動して手を合わせた。

「ほら、冷めるから食べよう」
「ありがとう。頂きます!」

温かいほうじ茶があるのも嬉しい。ご飯を食べた後、鯵の身をほぐして口に入れた。
「うま〜……泣く」
「泣くな」
幸耶は苦笑してるけど、冗談抜きで涙が出そうだった。
「朝からこんなの食べられたら、ぶっちゃけ毎日頑張ろうって思える」
「はは、そりゃ良かった。おかわりしたかったら言えよ」
「ありがとう。幸せ」
もう、どれほどの幸せをもらったか覚えてない。
会う度に更新されるし、かけがえのないものになる。ご飯を食べながら、密かに息をついた。

また、こんな風に彼と朝を過ごしたいな。

どんどん欲深くなって困る。今のままでも充分過ぎるのに。

「ご馳走様でした!」
「はい。お粗末様」

俺は洗い物をして、幸耶はその間に洗濯をしていた。
聞くと家事はほとんど幸耶が引き受けているらしい。だから家事力が上がって仕方ないと笑っていた。

「じゃ、俺そろそろ帰るよ。あ、お祭りで買ったやつは食べて」

昨日食べきれなかった屋台飯があったので、それはテーブルに置いておいた。
「サンキュー。兄貴に渡そうかと思ったけど、まだ帰ってこないだろうし俺が食べる」
「オーケー。今度はちゃんと手土産持ってくる。陽介さんにもよろしく伝えてくれ」
「あぁ。気をつけてな」
幸耶は駅まで送ってくれた。大丈夫だと言ったけど、コンビニに寄りたいから、と言って。

「それじゃ、風月……またな」
「うん!」

太陽が眩しい。
幸耶の笑顔と相まって、とけそうだった。

「あつ……」

今日は用事もないし、帰ったらまた寝ようかな。
まだまだ、幸耶の家て寝泊まりした余韻に浸りたい。
修学旅行から帰った日の夜、興奮冷めやらぬ中学生みたいだ。

( ガキみたい…… )

未だにウキウキしてることが恥ずかしかったけど、楽しかったんだから仕方ない。
さっさと家に帰って、掃除して。ちょっと寝たら、また試験勉強するか。

いつか、幸耶と一緒にドライブに行けるように。







猛暑は相変わらず。
だが時間は確実に進んでいる。幸耶はあっという間に必要な教習を終え、残すは俺と同じ卒検のみとなった。
聞いたところによると他の自動車学校は、卒検の後にまた筆記試験があるらしい。本免が筆記試験なのに、ダブルで合格しないといけないのか……と戦慄した。

とは言え、嫌だなんて言っちゃいけない。知識をつけることは自分の為。そして、自分以外の全ての人の為なんだ。

「幸耶。信号の黄色点滅ってどういう意味だっけ?」
「周りに注意しながら進め……。歩行者がいたら止まらなきゃいけないけど、一時停止の義務はない」
「赤信号の点滅は?」
「一時停止が義務」
「ほ〜」
「ほーじゃない。お前、それは運転中に必要な知識だからな?」

教習所の自習室で、幸耶は青ざめながら俺の袖を引いた。
もちろん必要なのはわかってるけど、覚えるのに苦労する。家の周りにはあまり変わった信号機がない為、いざぶち当たったときは混乱しそうだと思った。

ラウンドアバウトとか、左から入るのは分かるけどいきなり目の前に出てきたらビビるって。

それに全然運転してないし、卒検は冗談抜きでやばいかもしれない。

「幸耶は運転好き?」
「うーん。普通」
「普通? 嫌いではない?」
「そうだな。教習はしっかり地獄だったけど」

彼は後ろに仰け反り、天井をあおいだ。
「幸耶は何でも器用にこなすから意外だな。教官に怒られたことある?」
「当たり前だろ。世紀末並みのショートカット右折した時はやばかった」
「分かるけど、危険だな……」
人ごとじゃないから想像すると背筋が凍る。初心者の何が怖いって、技術云々よりも経験不足による判断ミスだ。
怖いと思うぐらいがちょうどいいと聞くし、俺達は必要以上に神経質だから、今のままで良いと思う。技術は抜きにして。

すると、幸耶は深いため息をついた。

「はぁ。あと、実はバック駐車自信ないんだ」
「そうなの? コース内だし、目印教えてもらえよ。あれ覚えれば完璧だ! 外で応用はできないけど」
「今さら教えてもらうのは難しいかな……」

自販機でアイスを買い、教習所を出る。横断歩道を渡り、アパートの前まで二人で歩いた。

「俺はお前と違ってオートマなのに、不甲斐ないよ」
「大丈夫だって! できるって言い聞かせな」

生真面目な彼に苦笑する。
そのままいつものように部屋へ戻ろうとしたが、はっとして駐車場の前で足を止めた。

「ごめんな。俺が免許先にとってたら練習させてやれたんだけど」
「え?」

きょとんとしてる幸耶に手招きし、アパートの駐車場に入る。他の車から離れた一番奥にある、白のスポーティセダン。その手前に行き、鞄の中からキーを取り出した。

「たまにはエンジンかけないといけないんだけど……法的にぎりアウトらしくて、ずうっと置き物と化してる」
「風月、それって……」
「親父の車。乗れないし、これも手放そうかと思ったんだけど、なあなあでまだ置いてるんだ。親戚で貰ってくれそうな人がいるから、声掛けてはいるんだけど」
「そうなのか……」

洗車もしてないんだろうけど、綺麗だ。
一周してから離れようとした幸耶は、慌てて運転席を覗いた。

「6速ギアかよ。お父さんアクティブだな」
「そうそう。事故の時は社用車で、この愛車は無事だったんだ。守れて良かったって喜んでると思う」

車以外趣味がない人だったから間違いない。
キーを仕舞い、ぐっと背伸びした。

「風月……せっかくマニュアル取るなら、この車乗り続けなよ」
「えぇ……俺には無理だよ」
「あはは。まぁ、気が変わるかもしれないし」

アパートの階段を上り、部屋に向かう。今日ものんびり幸耶と夜ご飯を食べる予定だ。
……なんだけど、またちょっと嬉しくなった。

「付き合ってくれてありがと、幸耶」
「全然。見せてくれてありがとな」

彼と共有することが増えるたびに、胸の中が温かくなる。

濃紺の空を尻目に、部屋のドアを開けた。

「腹減ったなー。幸耶、俺も夜ご飯手伝う!」
「お。じゃあ宜しく」

毎日のささいな幸せ。それは道のように広がり、俺達の行き先を教えてくれている。