強く、踏み込んで




ところが後ろにもたれすぎて、バランスを崩してしまった。
「わっ!?」
そのまま後ろに倒れ、幸耶を見上げる。
もう少し後ろに座っていたら壁に頭を打つところだったから、危なかった。
でも充分背中は痛い。

「風月、悪い! 大丈夫か?」
「いてて……うん、大丈夫」

何とか起き上がろうとしたが、何故か俺を見下ろす幸耶は中々どこうとしなかった。

何だろう。どいてくれないと起き上がれないんだけど。

不思議に思ってると、倒れた拍子にシャツが捲れ、腹と下着が見えてしまっていた。
「わ! ちょ、タンマ」
「ああ、悪い。別に見るつもりじゃなかったんだけど」
と否定しつつ、幸耶は固まっている。俺は恥ずかしいけど、彼がそこまで恥ずかしがることはないのに。
幸耶の顔は、熱を出してるみたいに真っ赤だった。

「幸耶、どした?」

シャツを下に引っ張りながら、フリーズしてる彼の頬に触れる。狭い空間に閉じ込められたみたいだ。彼が覆い被さってるせいで、視界も暗い。
エアコンが壊れたのかと思うほど、身体も熱い。室温が大変なことになってんじゃないか、と本気で焦った。

「具合悪い?」
「いや。むしろいい」

何だそりゃ。
どうツッコんでいいのか分からず、ぽかんとする。
すると幸耶は床に肘をつき、さらに上から俺を覆った。
近い。下手したら息が当たりそう。

逃げられない状況になって初めて、俺達は今とんでもない体勢をしてるのだと気付いた。
もしここで誰かが部屋に入ってきたら。見えるのは、男が男を押し倒している図。

それって中々まずいよな。頭の中でぐるぐる考えていると、不意に頬を撫でられた。

「時々、さ。視線も身体も固まって動けなくなることってない?」
「ん? あ、あぁ……視線はあるかも」
「今、まさにその状況」

幸耶はまばたきもせず、低い声で零した。

「お前のこと見てたら……頭ん中真っ白になって、動けなくなった」
「幸耶……?」
「ごめん。多分、おかしくなってるんだ」

彼は頭を押さえ、苦しそうに顔を歪める。何故かその表情を見た時、俺まで苦しくなった。

「どこにいても、お前のことばっか考えてる。やばいよな」
「それって……」

俺じゃん。

驚きのあまり二の句が継げずにいる。心臓を握られてるような緊迫感の中、固唾を呑んだ。

もう友達という言葉で割り切るには、難しい段階に思える。
幸耶もそれに気付いてるはずだ。だけど、彼は決してそれ以上言葉にしようとしなかった。

「風月。頼みがある」
「な、何?」
「もう少しだけ……このままでいさせて」

彼は俺を潰さないように床に膝をつき、自身の体重を支えた。

ちょっと身じろぎしただけでぶつかってしまうような体勢だ。幸耶も大変だと思うけど、俺も硬直しないといけない。

でも、断ることはできなかった。

「いいよ……」

だって、以前俺も同じことを彼に求めたから。
独りになるのが怖い夜に、彼に縋りついた。彼は俺を抱き締め、朝まで一緒にいてくれた。
あのときの恩返しを今できると思ったら、……宙に向かって手を伸ばしていた。

その手は空を切り、最終的に幸耶の背中に着地した。

「大丈夫」

ぽんぽんと、子どもをあやすように背中を叩く。
幸耶が求めてるものとは違うかもしれないけど、今俺ができるのはこれが限界だった。

独りじゃないと伝えること。彼が望む限り、これからもずっと一緒にいること。……何度も繰り返し、耳元で囁いた。

「幸耶。俺は、お前の味方だよ」

頭の中では警鐘が鳴っている。
やめた方がいい。部屋の熱気が上がって朦朧としてるから、変なことばかり口走ってしまう。
なんて、それも変な話だ。
俺は色んな要因を環境のせいにしようとしてる。
本当は、ずっと前から言いたかったことなのに。

「俺も……気が付けばいつも、お前のこと考えてるから」

絶対に隠さないといけないこと。
これからも笑い合う為に引いていないといけなかった一線。それを踏み抜いてしまった。

「風月、それって……」
「あ! 違う違う、お前のことが心配って意味!」

思わず絶壁に足をかけそうになったが、ぎりぎりで我に返った。
手を振り、全力で否定する。

「幸耶ってしっかりしてるけど、どっか危なっかしいんだよ。悩みがあっても誰にも相談しないで、ひとりで抱え込みそうだし。……だから、一番近くで支えたいんだ。よ、余計なお世話だったらやめるけど」

何とか、あくまで友人として心配なのだと告げることができた。
こんな近い距離感で話してることもおかしいけど……それはもう、互いに疲れてるってことにしよう。

実際幸耶は目の下にクマができてて、あまり眠れてないようだった。

「と、とにかくだな。お前が困ってたら俺は絶対助ける。ずっとここにいるし、どこにも行かないから。……遠慮しないで、頼ってよ」
「……っ」

逡巡したものの、彼の目を見てはっきりと言った。幸耶の目元はわずかに光って見えて、やっぱり泣いてるのかな、と思った。

でもそれを指摘したりはしない。それも、あの夜と一緒だ。

辛かったら泣いていい。泣きたくないなら、堪えればいい。俺はどっちの選択も受け止める。
幸耶が本当に望んでることを汲み取ってやりたい。

「ありがと、風月」
「どういたしまして。……って、何もしてないけど」

笑って返すと、幸耶はかぶりを振って体を起こした。
「お前といるだけで元気出るんだ。ありがとな」
「おぉ。……そりゃお互い様かな」
ようやくいつもの距離に戻り、互いに可笑しくて笑った。

あんな風に押し倒されて、まだ何も気付いてない風を装う俺も卑怯だ。
けど、これは幸耶の為でもある。
幸耶もきっと、混乱の真っ只中にいる。自分の気持ちに対処できずにいる。

俺は彼と友達でいられるように、これからも上手くやらなきゃ。

「……そろそろ寝るか。布団出すよ」
「あぁ、大丈夫。俺がやるよ」

幸耶は、普通に女の子が好きなんだと思う。
だから俺にかまわず、大学生活を楽しんでほしい。
彼の為だ。“普通”の人生を送る為……。

明かりを消して、ベッドに寝転ぶ。幸耶はいつも通り、床に布団を敷いて横になった。
以前なら、ふざけてベッドに来るよう言っていたけど……今それを彼に言うのは酷だし、意地悪にもなりそう。

つら……。

好きで好きで仕方ないのに、何でこんなに苦しいんだろう。彼の為を思えば思うほど、首を絞められていくみたいだ。

背中を叩くだけじゃなくて、本当は力いっぱい抱き締めてやりたかった。
俺もお前のことを考えるだけで頭の中が真っ白になって。……でも胸の中がいっぱいになるんだ、って。

壁の方を向き、枕に顔をうずめる。
苦しくなることを分かってるのに顔を押しつけてしまう。自虐的な自分に心底うんざりする。

やっぱり、俺なんかを好きになっちゃいけない。

「風月」

奥歯を噛み締めていると、消え入りそうな声で名前を呼ばれた。
鼻をすすり、慌てて返事する。

「な、何?」
「本当にごめんな」
「何で謝んだよ?」
「いや……怖がらせただろうから」

幸耶は息と一緒に、沈んだ声を吐き出した。

「もう、ああいうことは絶対しないよ。……おやすみ」

……!

幸耶なりに悩み、俺を安心させる為に絞り出した言葉なんだろう。
それが分かったから何も言えなかった。けど、このことで俺の心はさらに荒れ狂うことになった。
夏の嵐だ。
幸耶は次の日から、俺の家に来なくなった。