帷は腰に手を当て、俺の方を向いた。
その顔はさっきと違い、とても優しい。
こんなことで一々どきっとしてしまうんだから、俺も末期だ。
「ありがと! ……それより暑いな。部屋に戻ろうぜ」
翻り、帷と階段を上る。部屋に入り、ぱっぱと皿洗いを始めた。
「そういや、帷のこと初めて名前で呼んだわ」
「あぁ……君付けされたとき鳥肌立った」
「仕方ないだろ! 陽介さんの前で苗字で呼ぶのも変だし!」
ぷりぷりしながら言うと、帷は「ごめんごめん」と言って吹き出した。
「君はいらないけど……ちょうどいいし、これから名前で呼べよ」
「へ」
蛇口の水を止め、振り返る。見ると、帷の頬はわずかに赤らんでいた。
「苗字でもいいけどさ。……俺も、お前のこと名前で呼んでみたいっていうか」
「マジ?」
「あぁ。でも嫌ならいい」
帷にしては珍しく歯切れが悪く、目を泳がせている。
こういう時の彼は本当に分かりやすい。
もっとぐいぐい伝えて、踏み込んでいいのに。そう思ってると、諦めたように顔を上げた。
「お前の名前。綺麗だな、って……ずっと思ってたんだ」
「……!」
男友達にそんな風に言ってもらったのは、初めてだ。
頭が一瞬真っ白になって、何度かまばたきした。
「ありがと。……何か照れるな」
名前を考えたのは母親だ。そう言うと、帷はお母さんセンス良いな、と笑った。
それもすごく嬉しくて、彼の隣で腕を伸ばした。
「俺達って苗字も名前も三文字だから、あんま変わらないよな。でも、これからは名前で呼び合おう!」
思いきって宣言すると、彼は少し恥ずかしそうに頷いた。
「あぁ。それじゃ……風月。宜しくな」
「うん。幸耶」
軽くハイタッチして、台所の明かりを消す。
帷を名前で呼ぶのが嬉しくて、意識しないとニヤニヤしてしまいそうだった。
変人と思われる前に直さないと。頬を両手で叩き、食後の飲み物の準備をした。
「幸耶。今日俺が買ってきた皿どうだった?」
「あぁ、大きくて使いやすかったよ。デザインも良いよな」
幸耶は椅子に座り、頬杖をつく。
「新しい食器があると、料理すんのもちょっとテンション上がる」
「ははっ。それなら良かった」
コーヒーをグラスに淹れて、氷を入れる。色が二層になるようゆっくり炭酸水を入れた。
「ほい、コーヒーソーダ」
「おぉ〜、オシャレじゃん。お前も変わったなぁ」
レモンを添えれば、まるでカフェのドリンクのような出来栄えだ。
「いや、レシピってすごいよな。忠実に作ればそれっぽく見えるんだもん」
「はは、確かに。……お、美味い」
コーヒーは砂糖を入れて甘みをつけてるから、かなり飲みやすいと思う。幸耶はストローで軽くかき混ぜ、感動したように頷いた。
「まず、お前が自主的になにか作ろうとしてることが嬉しい」
「うんうん。もっと褒めてくれ」
幸耶と対面するように腰掛け、爽やかなソーダを吸い上げる。
この何でもないひと時が大好きだ。楽しくて、温かくて……ずっとずっと続いてほしい。
「今まで、全然なにかを作る気になれなかった。自分の為だけに作るのが億劫だったんだよな」
しかも、上手く作れる自信もない。それなら出来栄えのものを買った方が絶対良いと思っていた。
でも今は違う。「作らなきゃ」という使命感ではなく、「作りたい」と思えている。
「今は幸耶がいるから……お前の為に作りたいって思うんだ」
何にでも挑戦して、何でも共有したい。独りの時なら考えられなかったことだ。
「お前……それ無自覚で言ってるんだよな?」
「え? 何が?」
「いや……何でもない。大丈夫」
何が大丈夫なのかも分からないが、帷は口元を隠して俯いた。
やばい。変なこと言ったから、引かれたのかな。
何回もやらかしてるから耐性はできてきたけど、内心ではめちゃくちゃへこんだ。
けど、帷はグラスを持ち上げ、急に目を輝かせた。
「……なぁ。もしかしてこのグラスも今日買ったの?」
「え? あ、うん!」
すっかり忘れていたけど、幸耶は新しいグラスに気付いてくれた。
今日お店で一目惚れした、向日葵が装飾されたグラス。コーヒーのおかげで、明るい黄色がより映えている。
帷はグラスを傾け、まじまじと眺めた。
「良いな。夏っぽいし、明るい」
「気に入ってくれた?」
「もちろん」
やった!
帷とお茶する為に買ったから、そう言ってもらえてすごく嬉しかった。
「幸耶、俺さ……花で一番好きなの、向日葵なんだ」
「へぇ。でも何となく分かるかも。お前ってダイナミックなもん好きそうなイメージ」
「どういうことだよ……単に昔向日葵畑に行って、感動しただけだって」
頬を膨らまして言うと、帷は可笑しそうに肩を揺らした。
「そうか。……でも、良いじゃんか。俺は向日葵畑って行ったことないよ」
「ほんと? じゃあ機会あったら行ってみ。暑いけど、一面の向日葵に囲まれんのは中々良いよ」


