強く、踏み込んで




立ち上がろうとした彼を引き留め、帷を一瞥する。

「作ってもらってる身で申し訳ないんですけど、……幸耶君のご飯、本当に美味しいんです。でも以前、お兄さんに作ったことがないって言ってて」

小声で言うと、陽介さんはハッとした様子で頷いた。
「確かに、幸耶の作ったご飯を食べたことはないや。俺も帰りが遅くて、生活リズムが被らないから」
「そうでしたか……」
それは仕方ない。立場も環境も違うんだ。陽介さんは今自分の為だけでなく、帷の為にも働いている。
兄弟で支え合って生きてる。そう思ったら、改めて家族の強さが身に沁みた。

「幸耶君、お兄さんにも自分が作ったご飯を食べてほしいんじゃないかと思います。だから、その……良ければ一緒に」
「……」

二人が自分の家で食べられたらそれでいいのだが。陽介さんは帷の想いを知らなそうだったから、つい余計なお節介をしてしまった。
本気で迷惑がられたら、すぐ謝ってお帰ししよう。密かに誓ってどきどきしてると、陽介さんは再びソファに深く座った。

「ごめんね。それじゃお言葉に甘えて、ここで食べてもいいかな」
「はい! ありがとうございます!」

────良かった。
無理に引き止めたことは申し訳ない。でも二人がゆっくり食卓を囲むことができると思うと、嬉しくてたまらなかった。

「幸耶君、ほんとすごいんですよ。スーパーに行ったらどの野菜が良いかすぐ見分けられるし」
「へぇ。それは知らなかった……」

ご飯を作ってる帷には悪いが、陽介さんと他愛もない話をした。お母さんの話は出なかったけど、小さい頃の帷の話も聞けた。
昔は引っ込み思案で、授業中に手を挙げられないタイプだったらしい。今は何でもそつなくこなし、クールに対応するから意外だった。
成長する過程でどんどん優等生になっていったらしいけど……大学生になってからは、自然と兄弟間の会話は減っていったと言う。
それはやはり、お母さんのことが原因だろう。

お母さんがいなくなった悲しみと、たった一人の兄。
その兄すらも失ったらどうなるのか。……そんなことを考えてしまい、俺なら一旦閉じ籠もってしまいそうだ。

帷は強いな。
色々悩んでるだろうに、普段はそんな様子全く見せない。それどころか俺の心配をして、世話を焼いてくれる。

自分のことなんてそっちのけで、本気で怒ってくれるし、本気で悩んでくれる。

そんな奴を前に、好きになるな、と言う方が無理だ。

こんなにも尊い存在……今までの人生で出会ったことはないから。

「迎君は、幸耶とは違う大学なんだよね?」
「あ、はい」

俺と帷が知り合うキッカケについても話した。今は目の前の教習所に二人で行ってることを伝えると、陽介さんはどこかホッとした様子で手を組んだ。
「そうか。夏バテしてたのかもしれないな。助けてくれてありがとね」
命の恩人だと言われ、そこは全力で否定した。初めて会った日帷は意識がしっかりしてたし、座り込んでいたのもメンタルの方だと明言してたから。
……本当はそれも伝えた方がいいんだろうけど。帷の為に、今は胸の中に仕舞っておこう。
「でも残念だな。同じ大学だった嬉しかったんだけど」
「ええ、そうですか?」
「うん。だって幸耶の奴、ここ最近すごく楽しそうに見えるんだ。絶対迎くんのおかげだと思う」
彼はカップを手に取り、目を眇めた。

「うん、そう。教習所に通い続けてるのがその証拠だ」
「…………」

また、胸の奥が痛んだ。
詳しく訊きたかったけど、それは陽介さんの心の傷も広げる可能性がある。開きかけた口を閉じ、視線を膝元に落とした。

幸耶のお母さんは交通事故で亡くなった。
原因は何であれ、車が発端だ。母親が命を落とすことになったのに、免許をとる勉強をしに行くのは本当に辛かったはずだ。

それでも車に乗ることを決めた。

だから俺も────……。

「何の話してたんだ?」

ぼうっとしてると、大皿を持った帷が真隣にいた。すぐ現実に戻り、慌てて向き合う。
「あ、あ〜……車の勉強難しいって話!」
「ふうん……?」
帷は少し訝しげにこちらを見ていたが、まぁいいや、と言ってお皿をテーブルに置いた。

「今日はこっちで食べてもいいか?」
「もちろん!」

キッチン前に置いてるテーブルは激狭なので、三人で食べるなら居間のローテーブルの方が良い。帷が作ってくれたご飯を並べ、三人で団欒を過ごした。
「いただきます。……おぉ、美味い」
帷が作ったのはチキン南蛮だった。陽介さんはひと口食べた後、ご飯も含んで顔を綻ばせた。
「幸耶。お前、ほんとに料理上手いな」
「別に……」
笑顔で食べる陽介さんと対照的に、帷の反応は薄い。
でも俺は分かってた。多分、照れてるだけだ。その証拠に帷は陽介さんの様子をちらちらと窺っている。

もっと嬉しそうな顔をしたら陽介さんも喜ぶだろうに。
でも、このぐらいの距離感がちょうど良いんだろうか。

俺も兄弟がいたら、もう少し分かったかもしれないんだけど。

「いや、ほんとに上手いよ。迎君は優しいから気を遣ってる可能性もあると思ったけど、安心した」
「あのなぁ……」
「ま、まぁまぁ! ほんとに美味くて、俺は感謝してるよ!」

隣でムッしてる帷を宥め、笑顔で肩を押す。すると陽介さんは可笑しそうに口元を押さえた。
「幸耶、迎君の胃袋掴むことができて良かったな。いっそそのままお嫁に来てもらいな」
「次そういう冗談言ったら叩き出す」
「叩き出すって、ここは迎君の家だろ?」
陽介さんも中々メンタルが強い。というか、どこまでいっても弟なのだろう。帷の扱い方を分かっていて、まるで臆さない。

結局二人とも大人だから、口論にはならない。だから見てて楽しかった。

食事を終え、片付けしようとする陽介さんを止める為にまた少し頑張って。何とかアパートの下まで送り出すことができた。

「迎君、今日は本当にありがとう。幸耶のこと、これからも宜しくね」
「はい! 是非また来てください」

元気よく答えると、彼は笑って頷いた。

「幸耶、今日も迎君の家に泊まるんだろ? ちゃんと行儀よくして、迷惑かけないようにな」
「分かってるよ」

しおらしくしている帷はとても新鮮だ。二人のやりとりを見ながら、微笑ましい気持ちになる。
陽介さんは最後に一礼して帰っていった。

二人きりになり、しんとした外で隣り合う。
いつも二人だけなのに、何か緊張するな。
何を言おうか考えていると、大きなため息が聞こえた。

「悪い、迎。最近家に帰らなかったら、何か急に兄貴が騒ぎ出してさ……」

もう大学生なんだから良いだろって言ったんだけど、と彼は項垂れた。

「優しいお兄さんじゃん。何歳になっても帷が可愛くて、心配なんだよ」
「やめろ。ぞっとする」

帷は青い顔で自身の腕をさすっているけど、実際普通だと思う。
いや、普通と思っちゃいけないか。陽介さんがすごく温かいひとなんだ。

「弟を奪った女の顔をひと目見てやる! とかだったらどうしようと思ったよ。ま、俺みたいなグータラ学生の家に入り浸ってるのも心配だろうけど」
「馬鹿。ちゃんと学校行ってんだから、グータラではないだろ」
「そうかな? 家の中散らかってるし」

でも、いっとき程ではない。帷が来るようになってから、本以外は片付けるようになったから……そこは不幸中の幸いだ。

「……お前は頑張ってるよ」