2千万分の1のきみ

「えっ琉星、おまえ、宝くじ当たったの?」

 ひときわ大きな声がクラス中に響いて、俺は机に伏せていた顔を上げた。
 何しろ眠い。
 一人暮らしはどこまでも自由な反面、己を律する力が問われるのだ。
 叱る人間がいないのをいいことに、遅くまでスマホゲームに熱中していた昨日の自分を呪いながら、騒ぎの中心を眺めやる。

「いくら? いくら当たったんだよ」
「言うわけないだろ」
「そこを何とかさあ、俺とおまえの仲だろ」
「誰に話しても、おまえには絶対話さないわ」
「えー、話してくれなかったら余計気になるじゃん。今夜、絶対眠れないじゃん。な、高額当選?」
「大した額じゃねえよ。この話、終わりな」
「おまえが始めたくせに!」
 
 宝くじがいくら当たったかをしつこく聞いているのが当麻蓮、邪険にいなしているのが梶浦琉星だ。二人とも長身で顔がよく、とても目立つ。
 特に梶浦はモデル顔負けに手足が長くて、頭が小さい。染めていない黒髪の下から覗く目元は涼しげで、どちらかというと無表情系だが、ふっと笑うと急に優しそうになるところがいいのだと、女子が唾を飛ばさんばかりの勢いで語っているのを聞いたことがある。
 
「梶浦くん、宝くじ当たったの? すごいじゃん」
「ってか宝くじって高校生が買えるの?」
「あ、私、買ったことあるよ。田舎に行った時、おばあちゃんと一緒に買った。年末ジャンボ」

 二人の周りに人が集まってくる。
 見るともなしに見ていると、梶浦と目が合った。ぱちん。大きな音がした気がする。
 と思ったら、すごい勢いで逸らされた。
 あ、お金に汚い奴だ、って思われたかな。
 ――まあいいか。
 梶浦とは特に接点がないし。
 小中とも学区が違うし、高二になって初めて同じクラスになった。
 向こうはバスケ部、俺は帰宅部。
 席だって、窓際の俺からはずいぶん離れた廊下側だ。
 何より、タイプが違う。
 クラスの陽キャ(というには、梶浦は落ち着いてるけど。一人で本を読んでる時だってある)なあいつと、陰キャ(というより、空気みたいな俺。でも話す奴はそこそこいる)の俺。
 同じクラスなのに、住んでいる世界が違うみたいだ。
 だから、梶浦に良く思われなくたって、別にダメージはない。
 気に食わない相手に、いじめをするような人間じゃなさそうだし。
 それより、今日の夕飯はどうしようかな。
 駅前の激安スーパーに寄って帰るか。
 スマホアプリでチラシを検索し出した俺は、それきり梶浦たちの話に興味をなくした。
 
 しかし放課後。
 誰もいない教室で、なぜか俺は、梶浦と二人きりだ。
 何なら、見つめ合っている。
 だって梶浦が言ったのだ。

「高田、バイトしない?」

 って。
 いま働いている弁当屋は、個人経営のお店で、どうも経営が苦しいらしい。いつ首を切られてしまうか分からないから、新しいバイト先の紹介話なら大歓迎だ。
 一も二もなく頷くと、放課後を指定されたから、こんな時間まで残ってたって訳。
 それにしても梶浦、俺の名前知ってたんだ。
 それ以前に、俺のこと認識してたんだ。
 
「名前くらい知ってるし、ちゃんと認識してる。高田青」

 あれ、俺、口に出してた?

「思いっきり出してた。あと、顔にも出てる」
「え」
 
 まじか。
 反射的に自分の頬を両手で覆う。
 すると梶浦が右斜め上に目をそむけた。
 男のこのポーズはきもいよな、ごめん。
 俺はゆっくり手をおろす。
 梶浦は軽く咳払いをして、俺の前の席の椅子を引き出して跨った。

「高田も座って」
「ああ、うん。――で、バイトって言った?」

 俺は土日の二日間、それぞれ五時間ずつ働いている。
 うちは公立だから、申請さえすればバイトは可能だ。特に俺の家庭環境は複雑で、母親の籍に入っているものの、あの人は男の家を渡り歩いていて、ほぼ不在だから、実質、俺は一人暮らし状態。家はあるけれど、生活費は自分の稼ぎが頼りだ。
 どこか割のいいバイト先を紹介してくれるんだろうか。

「いいバ先知ってるの?」
 
 俺は机から身を乗り出した。乗り出した分、梶浦がおおげさに身を引く。
 あ、ごめん。
 俺は椅子に座り直した。
 梶浦は俺と目を合わせないまま答えた。
 
「あるよ、いいバイト」
「どんなの?」
「一回につき二千円。それとは別に、一時間ごとに二千円。すぐに終わる内容なら、二千円と、一時間分の二千円で四千円だし、三時間かかったら、二千円と六千円で八千円。割のいいバイトだと思う」

 俺はおもわず半眼になった。

「それ、違法なやつ?」

 梶浦は反対に目をみひらいて、次にぶんぶんと左右に首を振った。
 慌ててる。
 面白い顔をしてもイケメンだな、こいつ。

「合法合法、闇系とか美人局とか怪しいのじゃない。第一、依頼主、俺だし」
「え、梶浦が払うの? そんなお金どこに――」

 あるの、と尋ねかけて、今朝の会話を思い出した。
 ――宝くじが当たったんだ。

「……宝くじ?」
「うん」

 梶浦が神妙そうに頷いた。

「……本当に高額当選したの?」
 
 答えてくれるか分からないながらも問いかければ、

「まあまあ当たった」

 と返してくれる。
 当麻には意地でも言わなかったのにな、と、俺はちょっと得意な気分になった。人が秘密を話してくれるのは、シンプルに嬉しい。俺が『信頼に足る人間』って認めてもらえた気がするから。
 でも、せっかくの当選金を何のために使うんだろう。
 
「バイトの内容って何?」
「聞いたら引き受けてもらえないかもしれないから、まだ言えない」
 
 待て待て待て。
 俺は机に突っ伏した。

「内容も聞かずに引き受けるなんて無理だよ。危ないバイトじゃない保証なんて、どこにもないじゃん。クラスメイトだけど、俺、梶浦のこと良く知らないし」
 
 頬杖をついて、上目遣いに梶浦を見上げる。
 すると梶浦は左胸を抑えた。

「……良く、知ら、ない」

 喜んでいるようにも、怒っているようにも見える表情で、俺を見下ろす。

「うん。変なこと頼んでくるような人間だとは思わないけど、あまりにも上手い話だからさ、ちょっと怖いよ」
「じゃあ、少しだけ内容を伝えるから。いったん考えてみてほしい」
「分かった。考える」

 実際、いい話ではある。
 一回で四千円も稼げるバイトなんて無い。
 でも、俺は危ない橋を渡る気はないんだ。貧乏だって、そこは譲れない。
 心の中で拳を握った俺は、

 「手、出して。高田」

 という梶浦の言葉を受けて、反射的に右手を差し出した。
 手?
 いぶかしむ間もなく、梶浦が俺の手を握る。少し汗ばんでいて、心なしか震えている気がする。
 なんだろう。握手とか?
 俺は握手をする時のように、繋いだ右手をぎゅっと握り、上下に振った。
 こうか?

「……これで四千円」
「え!?」

 梶浦の恐ろしい発言に、声がひっくり返った。思わず手を振り払ってしまう。
 呆然とする俺をよそに、梶浦は立ち上がり、尻ポケットの財布からお札を取り出した。

「いやいやいや、おかしい!」
「おかしくない。それじゃ高田、契約成立だから。明日からよろしくな」

 俺の机の上に四千円を置いて、梶浦は逃げるように教室を出ていった。
 あとに残された俺は、四人の北里柴三郎先生を眺めて途方に暮れる。
 結局、バイトの内容はよく分からないままだ。

「……握手すればいいのか?」

 自分の右手を見下ろしてみる。
 四千円の価値があるようには見えない。ただの男の手だ。
 俺はお札を掴んで席を立ち、梶浦の机の中へ全額突っ込んだ。

 

 ※ ※ ※



 翌日登校すると、机の中に封筒が入っていた。
 嫌な予感がして、梶浦の方を見る。
 俺の視線に気づいたのか、梶浦がこちらを振り返る。そして、小さく頷いた。唇だけが動く。
 ――よ、ろ、し、く。
 
「何が!?」
 
 思わず叫んでしまってから、俺は口を覆った。
 幸い、朝の教室内は騒がしくて、俺の声に反応したのは近くの席の数人だけだった。
 あいまいな愛想笑いで誤魔化して、窓際を向き、封筒の中身を確認する。やっぱり、まるまる四千円入ってる。
 俺は頭を抱えた。
 横目で梶浦の様子を窺うと、いつも通り人に囲まれている彼は、当麻の言葉にちょっと笑みを浮かべたところだった。
 でも、あんまり楽しそうには見えない。口の端をわずかに上げただけの笑顔。
 人気者も大変なんだなあ。
 俺はどうやって梶浦に話しかけようか思案する。
 あの中に突っ込んでいくのはごめんだ。
 梶浦だって、皆の前で話したい内容じゃないだろう。
 ただ、あの人気ぶりじゃ、一人になる瞬間が見つかりそうにない。昨日みたいに向こうから話しかけられるか、本人が自主的に一人になってくれない限り。
 そこで、ふと思いついた。
 この封筒でのやり取りを応用すればいいのか。
 そうと決まれば、早いほうがいい。ノートを取り出し、下の方をちょっと破りとって、切れ端にメッセージを書き込む。
 そして六限の体育前の教室移動の時に、梶浦の机へ近づいた。
 人のまばらな教室内で、周りを気にしつつ、机の中にメモを放り込む。
 あとは梶浦がメモを見てくれるかどうかだ。
 じりじりしながら体育を終え(気もそぞろだったせいでサッカーのパスミスをして、当麻にどやされました。ほぼほぼおまえの親友のせいだからな!)、放課後は図書室で少し時間をつぶしたあと、教室に戻れば、そこには梶浦がいた。俺の机の前に佇んでいる。
 こちらに気づくと、昨日みたいに嬉しいような悲しいような、どちらとも取れる複雑きわまりない顔をする。
 何度か口を開閉してから、梶浦は深々と頭を下げた。

「当麻が悪かった。沈めておいたから」
「え、どこに?」

 俺はぎょっとして後ずさる。
 梶浦は不思議そうに首をかしげた。
 
「どこ?」
「うん。何湾? あ、川とか池?」
「いや、グラウンド」
「ああ、グラウンドか、なんだ」

 よかった、山でもなくて。
 胸を撫でおろすと、梶浦がさらに突っ込んでくる。
 
「湾って何? 東京湾とか?」
「そう」
「そんなとこ沈めないだろ。ヤクザじゃないんだから。――高田、なにげに過激で面白いよな」

 思わずといったように梶原から小さな笑いが漏れる。
 控えめだけど、朝とは違う、たぶん本物の笑顔だ。
 過激も面白いも不本意だれど、その笑顔に反論の台詞を失ってしまった俺の前で、梶浦は胸ポケットから文庫本を取り出した。本をめくり、ページの間に挟まれたノートの切れ端メモを開く。俺が書いた手紙だ。
 
『放課後にもう一回話がしたい 高田青』

 走り書きのたった一言。
 それを、まるでとても大切なものみたいに扱われて、俺は再び言葉を失う。

「……梶浦」

 なんとか名前を絞り出せば、

「手紙、嬉しかった」
「手紙って、それはただの」
「高田、弁当屋でバイトしてるんだろ。俺、その弁当が食いたい」

 やわらかい表情を向けられて、俺はうっかり、ぼうっとなってしまった。
 だって綺麗な顔してるんだもの!
 同性だろうとなんだろうと、綺麗なものには人を魅了する力があるんだね。女子たちが騒ぐ気持ちが、ちょっと分かった気がする。
 
「次のバイトの日、いつ?」
「……土曜日」
「シフトは?」
「朝十時から」
「じゃ、十一時くらいに行くわ。よろしくな」

 自分の言いたいことを言うだけ言って、梶浦は教室を出ていってしまった。うん、デジャブ。
 今回は、「土曜日な」と手を挙げる挨拶つきだったけど。
 二日続きで取り残された俺は、勝手に赤くなっていく頬をさすった。
 何だこれ。

「おかしい」

 熱を冷ますように頬を撫でながら、俺は梶浦の言葉を反芻する。
 土曜日に弁当を買いにくるってことだよな。
 
「……俺、ごはん詰めてるだけなんだけど」

 おかずを作るのは、もっぱら店主のおばちゃんとパートさんだ。
 いいのかな。
 
 お金を返せなかったことに気づいたのは、もう少し経ってからだった。