その初恋、勘違いです。

 教室の入り口に目を向けると、結斗が俺に手を振っている。
 原因はあいつか。

「転校生、狂犬のこときょーくんて言った?」
「どういう関係なんだろう」

 クラスメイトたちがまた違う意味でざわざわし始めた。
 これはまずい。
 俺は弁当を持って急いで教室を出ようとする。

 けれど焦っていて、一番前の席の机に足がぶつかった。

 ガンッと音を立てるのと同時に、身体をビクッとさせる大人しそうな女子。

「悪い」
「だ、大丈夫です」

 席の主である女子は俯いたまま呟く。
 だいぶ怖がっている。
 わざとじゃないんだけど、悪いことしたな。

 そのまま教室を出て、廊下を進んでいく。
 案の定、結斗はついてきている。

「ねえ、きょーくんどこ行くの?」
「屋上」
「屋上? なんで?」
「いつも屋上で弁当食べてるから」

 階段を最上階まで登り、鈍い音を立てるドアをゆっくり開ける。
 閑散としたその場所は、俺の居場所にうってつけだ。

「もっと青春っぽい屋上かと思ってた」
「どんな屋上だよ」
「もっと人がいっぱいいて、ベンチとか置いてあって、キャッチボールしてたり」
「残念だったな。コンクリートと柵しかない」

 いつものように適当に腰を下ろして、弁当を開ける。
 結斗も隣に座ってパンの袋を開けた。

「きょーくんいつも一人で食べてるの?」
「そうだけど」
「友達いないの?」
「悪いかよ」

 躊躇なくずけずけと聞いてくるな。
 まあ、幼稚園の頃はそれなりに一緒に遊ぶ友達はいたからまさか俺がぼっちになっているなんて思ってなかったんだろう。

「さっき、狂犬て呼ばれてたけどなんで?」

 聞こえてたのか。
 俺だって好きで呼ばれているわけじゃない。
 というか、狂犬なんて呼ばれるいわれもない。

「入学する何日か前から目に傷入って眼帯つけてて、入学式の日は朝にノラ猫に頬を引っかかれてでかい絆創膏貼って。それで学校行ってたらしばらくして狂犬て呼ばれるようになった」

 目に傷がついて、猫に頬を引っかかれて。
 ちょっとした怪我が重なった。
 ただ、そんなことがあっただけ。

 誰かと喧嘩をしたわけでも、怪我をさせたわけでもない。
 けど周りには俺が凶暴に見えてしまったんだろう。

「それは災難だったね。でもきょーくん愛想ないから。目つきも悪いし、背が高くて威圧感あるし、そのツンツンした髪もなんか威嚇してるみたいだし」
「悪口じゃねーか」

 たしかに愛想はよくないけど、別に威嚇なんてしてないし、怖がらせようとも思っていない。
 普通にクラスになじみたかった。

 もう、諦めたけど。

「傷はもう大丈夫なの?」
「半年も前のことだからな」

 引っかかれた頬をなぞってみるけれど、もう跡形もなく治っている。
 治っているし、あれから特に怪我もしていないけど、俺はずっと周りから恐れられている。

「中学の時は友達いなかったの?」
「普通に話はしてたけど、特別仲がいいやつはいなかったな」

 元々コミュニケーション能力が高いわけじゃない。
 結斗の言う通り、見た目で寄ってこないやつも少なからずいたし。

「きょーくんは、コミュ障だもんね」
「俺ってやっぱりそうなのか?」
「自分から話しかけるとかできないでしょ? 相手から話しかけてくれるの待ってるよね。で、誰も話しかけてこなかったらずっと一人でいる」

 図星だ。
 人が嫌いなわけじゃない。
 自分からいくのか無理なんだ。

 小さい頃は誰も見た目とか空気とか気にしないからこんな俺でも遊びに誘ってくれる友達はいた。
 でも、小学生、中学生になるにつれてだんだん話しかけてくれるやつはいなくなって、高校生になった今、友達は一人もいない。

「きょーくん優しいのにね。ノラ猫だって助けようとしてたんでしょ?」
「なんでわかるんだよ」

 入学式の日、学校へ向かっていると用水路の蓋の溝に足がはまって動けないでいる猫を見つけた。
 ドジだな、なんて言いながら引っ張って出してやったら、引っかかれて逃げていった。

「昔からそうだったじゃん。幼稚園で飼ってたウサギも調子が悪くなった時、ずっと抱いて温めてあげてたし」
「よく覚えてるな」
「そういうきょーくんが好きだったんだよ」

 伏し目がちに好きだったという結斗に、なぜだか見惚れていた。

 そういえば、幼稚園の頃もこういう大人っぽい表情をすることがあった。
 いつもは明るいお調子者みたいなやつなのに、突然大人びた顔をするからドキッとしていた。

 そのウサギは結局死んでしまって、園庭にお墓を作ってあげた。
 他の友達も悲しんでいたけど、幼稚園児というものは切り替えが早いのかその後みんなすぐに笑いながら遊んでいた。
 でも俺は遊ぶ気にはなれなくて、お墓の前でずっと泣いていた。
 泣きすぎて、遊ぼうと誘われても遊べなくて、みんなに引かれていた。
 そんな時、ユイちゃんが俺の隣にしゃがんで言ったんだ。

『そんなに泣いてもらえて、ウサギさんは幸せものだね』
『きょーくん、いっぱい泣いて涙が枯れてしまったら、今度はユイと一緒に笑って、ウサギさんに楽しい時間をありがとうって言おう。そしたら、ウサギさんもきっと嬉しいよ』

 ユイちゃんは涙を必死に堪えた顔でそう言った。
 ただ泣くしかできなかった俺に、悲しみを乗り越える言葉をくれた。

 そんなユイちゃんが、俺も好きだった。

「あの時、結斗がいてくれてよかった」
「なに急に。照れるんだけど」

 初恋のユイちゃんが本当は男で、あの頃のことは全部間違いなんじゃないかと思ってしまったけどそうじゃない。
 男とか女とか関係なく、あの頃の思い出は大切だったんだ。

 今の俺にとって、唯一の友達。

「結斗、これからよろしくな」
「うん。いつ結婚する?」
「いやしないから! そういう冗談やめろよな」
「まあ、まずは恋人からだよね」

 全然話聞いてないし。
 本当、調子狂うな。
 
「てかさ、きょーくんて言うのやめろよ。もう高校生なんだから」
「仕方ないなぁ。じゃあ、響介って呼ぶね」
「そうしてくれ」

 ユイちゃんに対する恋心なんてものはどこかに飛んでいったけど、結斗といる時間は悪くない。
 友達と話していて、こんなに素で楽しいと思えたのも久しぶりだ。
 
 それから昼休みいっぱいを屋上で過ごし、予鈴が鳴って教室へ戻った。

 教室ではいつも通り話しかけてくる人はいないけど、いつもとは違う視線を向けられている。
 女子たちが声をかけようかどうしようか、迷っているのがわかりやすく伝わってくる。
 だがあいにく、どうしたのかと自分から声をかけるようなコミュニケーション能力は持ち合わせていない。
 入学してから半年、クラスでの扱いがそうさせている。

 どうせ結斗との関係が気になっているんだろう。
 まあクラスは違うし、結斗が学校に馴染んでくればそのうちこんな視線を向けられることもなくなる。
 
 放っておこう。
 俺は視線に気付かないふりを決め込んで、その後の授業を受けた。