③
和田君は迷わずに僕のお祖母ちゃんの部屋に到着した。知っている事に驚いた。
「ココだろ?」
振り返る和田君を見上げて僕はコクリと頷く。
「こんにちは~」
ノックしてから和田君がスライドドアを開けた。和田君が僕より先に入る。孫の僕より先に入るんだ、と少し笑った。
「あら、こんにちは。新しい方かしら?」
お祖母ちゃんは和田君を施設の人だと思っている。高校の制服なのに和田君が大きいから大人に見えたのかもしれない。
「お祖母ちゃん、僕のクラスの、人」
何て紹介していいのか分からなかった。それでも、こんな言い方をするのは如何なものかと自分で思った。僕が下を向くと、和田君がフハっと笑った。
「同じクラスの和田学です。僕の曽祖父も入所しているので今日は影山君と一緒に来ました」
「まぁ、修のお友達? まあ! 嬉しい」
お祖母ちゃんはニコニコと上機嫌に椅子を勧めている。『ごめんね、友達じゃないんだ』僕はその言葉を飲み込んだ。
「身体が大きいのね。何か運動でもしているの?」
「はい。テニスをしています」
和田君はハキハキ聞き取りやすく答えている。親切な対応だ。お祖母ちゃんは嬉しそう。
僕はいつも傍にいるだけだけど、お祖母ちゃん、本当は色々話したかったのかもしれない。そう思うと自分が惨めになってくる。
和田君は、自信があって完璧だ。お祖母ちゃんは和田君が孫のほうが良かっただろう。
会話する二人を見ていたはずが、いつの間にか僕は靴を眺めていた。足首を少し動かして、靴を見つめた。
「影山、ごめん。俺ばかり話して」
ふと僕に話が振られた。びっくりして目線を上げると、二人が僕を見ていた。
「あ、ううん。大丈夫」
慌てて、お祖母ちゃんに笑いかけたが、うまく笑えたかわからない。
「修、ごめんなさいね。せっかく来てくれたのに。ああ、そうそう。またカーディガンお願いできるかしら?」
洗濯物だ。これには嬉しくなる。洗濯は僕がお祖母ちゃんにしてあげられる唯一のこと。
「どれ?」
「この、赤いのをお願い。ロビーに出るときに使っているの。そろそろ修が来たら頼もうかと思ったのよ」
「次か、次の次までに持ってくるね」
赤いカーディガンをバッグにしまう。僕はこの温かい優しいお祖母ちゃんに、少しでも外の風の匂いや自宅の匂いを届けたい。
下着や日常のパジャマなんかは請け負うことが出来ない。でも、この上着やひざ掛けは僕でも洗える。
お祖母ちゃんは背骨の骨折をしてから下半身が不自由になった。そのせいで身体が冷えると言って、夏でも掛物が欠かせない。
僕が洗ったものを使ってもらうと、僕がお祖母ちゃんを温めているように思う。
お祖母ちゃんが幸せそうに笑う姿が本当に嬉しい。お願いされると、途端に心がほんわか温まる。さっきまでの沈んだ気持ちは消えていた。
そんな僕とお祖母ちゃんのやりとりを和田君は静かに見ていた。
「お前って、スゲーな」
自転車置き場に戻りながら和田君が口を開いた。何が? なんで? と思ったが、言葉に出来ず和田君を見つめた。
「俺、塾のついでにジイさんの様子見て来いって親から言われて、仕方なくジイさんとこ来てたんだ。なんで俺? とかムカついて、始めの頃は顔見たら帰ってた」
和田君が足を止めた。つられて僕も立ち止まる。
「一年の終わりかな。ここで影山見かけて。お前、学校にいるときより、ずいぶん良い顔しているから気になって。ジイさんとこに来て影山見かけると、気になって少し長くここに居るようになった。そうすると、おんなじ寝顔なのに、毎回表情が違って見えんだよ。今日はいい夢見てんのかな、とか。あぁ、ジイさん、生きてるんだなって実感したというか」
和田君がゆっくり歩き始めた。
和田君の言葉は、外見のイメージとだいぶ違う。前をまっすぐに向く横顔を見つめながら進んだ。
自転車置き場についたのに、和田君は花壇のレンガに腰かけてしまう。帰らないのだろうか。どうすれば良いのか分からず、僕は立ったままでいた。すると、手でポンポンと『となりに座れ』と合図をされる。
「塾に、遅れるよ?」
「大丈夫。今日は休みにしてある。金曜日にしたんだよ」
これは隣に座るしかないだろう。逃げられない雰囲気があり、僕は和田君から少し間を開けて座った。それを見て和田君がハハっと笑った。
「影山、おバアさんの服、どうしてんの?」
「洗濯、しているよ。上掛けだけ。全部は、ちょっと出来ないから」
「自分で洗濯すんの?」
「……うん。洗濯、好きなんだ。僕、ちょっとおかしいんだ。変なんだよ」
恥ずかしくて下を向いた。きっとキモイって言われるだろう。
「いや、変じゃないだろ。もしかして家で洗濯担当とか? 家事やってんの?」
予想外にするりと流される。覚悟していた反応と違って身体の力が抜ける。僕は和田君を見つめた。
「そういうワケじゃないよ。僕の、自分の分とお祖母ちゃんの洗濯、だけ」
「へ~。こだわり、なのかな。それで影山はいい匂いなんだ」
明るく笑いかけてくる。いい匂い、その言葉で顔が熱を持つ。汗が出そうだ。
「いい匂いって、言えてすごいね」
素直にそう思った。
「え? それくらい言うだろ?」
笑っている和田君には、僕の苦労は理解不能だろう。
「おバアさん、喜ぶといいな」
「うん」
この言葉は、ちょっと嬉しかった。顔が緩む。
「やっぱり、影山は綺麗な顔してるよ。そういう顔は学校で、しないよな」
僕をまっすぐ見つめる視線に、ドキリとする。そっと前髪をよけられて、びっくりして動けなくなってしまう。前回もこうされた。ハッキリ見える和田君の瞳に心臓が暴れ出す。
(心臓、お願いだから身体中を走り回らないで。僕の息が上がっちゃう!)
そんなおかしな問いかけをしていないと緊張で悲鳴を上げそうだった。
大きな手が、そのまま僕の頬をなぞり、すっと離れた。ドキドキしすぎて耳鳴りがする。和田君の目線を強く感じる。前髪のフィルターがないから、視線が外せない。
急に、ふわりと和田君が微笑んだ。
僕の息が一瞬止まりそうになった。それほどに印象的な笑みだった。
「帰ろうか」
和田君が立ち上がり手を差し出してきた。僕は何も考えられず、手を預けた。グイっと引っ張られて立ち上がる。
「はは。軽っ」
和田君は頬を染めてご機嫌に笑う。
「じゃあな。また水曜日に!」
自転車に乗り、去っていく和田君をぼんやり見送った。今日も晴れた空に、茶色の髪が輝いている。
僕から花壇の土の匂いがする。嫌じゃない。
和田君は迷わずに僕のお祖母ちゃんの部屋に到着した。知っている事に驚いた。
「ココだろ?」
振り返る和田君を見上げて僕はコクリと頷く。
「こんにちは~」
ノックしてから和田君がスライドドアを開けた。和田君が僕より先に入る。孫の僕より先に入るんだ、と少し笑った。
「あら、こんにちは。新しい方かしら?」
お祖母ちゃんは和田君を施設の人だと思っている。高校の制服なのに和田君が大きいから大人に見えたのかもしれない。
「お祖母ちゃん、僕のクラスの、人」
何て紹介していいのか分からなかった。それでも、こんな言い方をするのは如何なものかと自分で思った。僕が下を向くと、和田君がフハっと笑った。
「同じクラスの和田学です。僕の曽祖父も入所しているので今日は影山君と一緒に来ました」
「まぁ、修のお友達? まあ! 嬉しい」
お祖母ちゃんはニコニコと上機嫌に椅子を勧めている。『ごめんね、友達じゃないんだ』僕はその言葉を飲み込んだ。
「身体が大きいのね。何か運動でもしているの?」
「はい。テニスをしています」
和田君はハキハキ聞き取りやすく答えている。親切な対応だ。お祖母ちゃんは嬉しそう。
僕はいつも傍にいるだけだけど、お祖母ちゃん、本当は色々話したかったのかもしれない。そう思うと自分が惨めになってくる。
和田君は、自信があって完璧だ。お祖母ちゃんは和田君が孫のほうが良かっただろう。
会話する二人を見ていたはずが、いつの間にか僕は靴を眺めていた。足首を少し動かして、靴を見つめた。
「影山、ごめん。俺ばかり話して」
ふと僕に話が振られた。びっくりして目線を上げると、二人が僕を見ていた。
「あ、ううん。大丈夫」
慌てて、お祖母ちゃんに笑いかけたが、うまく笑えたかわからない。
「修、ごめんなさいね。せっかく来てくれたのに。ああ、そうそう。またカーディガンお願いできるかしら?」
洗濯物だ。これには嬉しくなる。洗濯は僕がお祖母ちゃんにしてあげられる唯一のこと。
「どれ?」
「この、赤いのをお願い。ロビーに出るときに使っているの。そろそろ修が来たら頼もうかと思ったのよ」
「次か、次の次までに持ってくるね」
赤いカーディガンをバッグにしまう。僕はこの温かい優しいお祖母ちゃんに、少しでも外の風の匂いや自宅の匂いを届けたい。
下着や日常のパジャマなんかは請け負うことが出来ない。でも、この上着やひざ掛けは僕でも洗える。
お祖母ちゃんは背骨の骨折をしてから下半身が不自由になった。そのせいで身体が冷えると言って、夏でも掛物が欠かせない。
僕が洗ったものを使ってもらうと、僕がお祖母ちゃんを温めているように思う。
お祖母ちゃんが幸せそうに笑う姿が本当に嬉しい。お願いされると、途端に心がほんわか温まる。さっきまでの沈んだ気持ちは消えていた。
そんな僕とお祖母ちゃんのやりとりを和田君は静かに見ていた。
「お前って、スゲーな」
自転車置き場に戻りながら和田君が口を開いた。何が? なんで? と思ったが、言葉に出来ず和田君を見つめた。
「俺、塾のついでにジイさんの様子見て来いって親から言われて、仕方なくジイさんとこ来てたんだ。なんで俺? とかムカついて、始めの頃は顔見たら帰ってた」
和田君が足を止めた。つられて僕も立ち止まる。
「一年の終わりかな。ここで影山見かけて。お前、学校にいるときより、ずいぶん良い顔しているから気になって。ジイさんとこに来て影山見かけると、気になって少し長くここに居るようになった。そうすると、おんなじ寝顔なのに、毎回表情が違って見えんだよ。今日はいい夢見てんのかな、とか。あぁ、ジイさん、生きてるんだなって実感したというか」
和田君がゆっくり歩き始めた。
和田君の言葉は、外見のイメージとだいぶ違う。前をまっすぐに向く横顔を見つめながら進んだ。
自転車置き場についたのに、和田君は花壇のレンガに腰かけてしまう。帰らないのだろうか。どうすれば良いのか分からず、僕は立ったままでいた。すると、手でポンポンと『となりに座れ』と合図をされる。
「塾に、遅れるよ?」
「大丈夫。今日は休みにしてある。金曜日にしたんだよ」
これは隣に座るしかないだろう。逃げられない雰囲気があり、僕は和田君から少し間を開けて座った。それを見て和田君がハハっと笑った。
「影山、おバアさんの服、どうしてんの?」
「洗濯、しているよ。上掛けだけ。全部は、ちょっと出来ないから」
「自分で洗濯すんの?」
「……うん。洗濯、好きなんだ。僕、ちょっとおかしいんだ。変なんだよ」
恥ずかしくて下を向いた。きっとキモイって言われるだろう。
「いや、変じゃないだろ。もしかして家で洗濯担当とか? 家事やってんの?」
予想外にするりと流される。覚悟していた反応と違って身体の力が抜ける。僕は和田君を見つめた。
「そういうワケじゃないよ。僕の、自分の分とお祖母ちゃんの洗濯、だけ」
「へ~。こだわり、なのかな。それで影山はいい匂いなんだ」
明るく笑いかけてくる。いい匂い、その言葉で顔が熱を持つ。汗が出そうだ。
「いい匂いって、言えてすごいね」
素直にそう思った。
「え? それくらい言うだろ?」
笑っている和田君には、僕の苦労は理解不能だろう。
「おバアさん、喜ぶといいな」
「うん」
この言葉は、ちょっと嬉しかった。顔が緩む。
「やっぱり、影山は綺麗な顔してるよ。そういう顔は学校で、しないよな」
僕をまっすぐ見つめる視線に、ドキリとする。そっと前髪をよけられて、びっくりして動けなくなってしまう。前回もこうされた。ハッキリ見える和田君の瞳に心臓が暴れ出す。
(心臓、お願いだから身体中を走り回らないで。僕の息が上がっちゃう!)
そんなおかしな問いかけをしていないと緊張で悲鳴を上げそうだった。
大きな手が、そのまま僕の頬をなぞり、すっと離れた。ドキドキしすぎて耳鳴りがする。和田君の目線を強く感じる。前髪のフィルターがないから、視線が外せない。
急に、ふわりと和田君が微笑んだ。
僕の息が一瞬止まりそうになった。それほどに印象的な笑みだった。
「帰ろうか」
和田君が立ち上がり手を差し出してきた。僕は何も考えられず、手を預けた。グイっと引っ張られて立ち上がる。
「はは。軽っ」
和田君は頬を染めてご機嫌に笑う。
「じゃあな。また水曜日に!」
自転車に乗り、去っていく和田君をぼんやり見送った。今日も晴れた空に、茶色の髪が輝いている。
僕から花壇の土の匂いがする。嫌じゃない。


