②
約束の水曜日。
「ここ? 何、介護施設?」
井上さんは施設を見上げて驚いている。和田君が先導してくれて、自転車でお祖母ちゃんの施設に到着した。
「ここにさ、俺のジイさんと影山のバアちゃんがいるんだ。俺は毎週水曜日、修は週三日くらい通ってる」
「え?」
井上さんは僕と和田君を交互に見た。
「今日は影山のおバアちゃんに会ってもらいたいって、影山が言ってる」
急に話を振られて、焦ってしまう。
「あの、そ、そう。そう。えっと、こっち」
僕は井上さんをお祖母ちゃんの部屋に案内した。
「あら、今日は女の子の友達? 修の? 嬉しいわ」
お祖母ちゃんはニコニコと井上さんを受け入れてくれた。三人で椅子に座る。お祖母ちゃんは今日も穏やかだ。
「最近ね、学生さんが実習で来るのよ。ちょうどあなたたちの年に見えて、毎日明るいのよ」
お祖母ちゃんは実習の学生と折り紙をしたことや、一緒にやる体操が変わったことを話してくれた。僕はおしゃべりが苦手でお祖母ちゃんの横にいるだけだけど、お祖母ちゃんはコミュニケーション能力が高い。
三十分ほどいて帰るとき、井上さんが声を上げた。
「あ、そのカーディガン」
あの時のカーディガンは僕のもとに戻ってきていて、お祖母ちゃんに届けてある。
「これ? 室内でも欠かせないのよ、羽織物。私は足が悪いのよ。それで施設にいるの。足が悪いと身体が冷えるのよ。どんなに室内が温かくても、ダメね。起きている時には夏でも掛物が手放せないの。このカーディガンやひざ掛けは、時々修が洗って届けてくれるのよ。本当に優しい子なの。これからも仲良くしてくださいね」
ふふふ、とお祖母ちゃんが微笑んだ。井上さんは下を向いて震えている。
「あの、お祖母ちゃん、また来るから」
「お邪魔しました」
三人で廊下に出た。井上さんは泣いている。
今日は和田君のお祖父さんのとこに立ち寄るのはやめた。泣いている井上さんを連れていけない。
自転車置き場は冬の風が冷たい。外の花壇では話せないから、一階の館内ベンチに三人で座った。和田君が温かいお茶を三つ買って渡してくれる。その気持ちが嬉しい。
「ありがとう」
お礼を言い受け取った。井上さんは手渡されたお茶を見つめている。
「あたし、影山君にとんでもなく失礼な勘違いしていたのね。あの服、おばあさんのだったのね。どうしよう。本当に悪い事したのね。和田君と仲良かったのも、こういう繋がりがあったのね。あたし、あたしは……」
井上さんが嗚咽をこぼして泣く。僕は、こういう時どうしていいか分からない。オロオロして和田君を見た。和田君は、怖い顔で井上さんを、まっすぐ見ている。
「井上さん、悪いけど俺は、井上さんが泣こうが全然許す気になれない。俺は大切な影山が怪我した時、こいつ死ぬんじゃないかって不安で涙がこぼれた。身体が震える怖さだったよ。勘違いでした、で済む問題じゃない。だけど、影山は、許す、許さないじゃなく、井上さんの状況をどうにかしたいって考えているんだよ」
和田君の言葉に僕の心が温かくなる。僕の気持ちを分かってくれている。井上さんは、下を向いたまま話し出した。
「あたし、本当に嫌な奴なの。こんなことが起こるまで、周りは皆あたしについてくるし、ムカつく奴には、ムカつくって言ってやればいいんだって思ってきたわ。影山くんのことも見下してたのよ。それなのにガッチャンや男子にチヤホヤされて、気に障っただけなの。仰向けに落ちてく影山君を見たら、本当に怖くなって。一緒にいた子たちは、全部あたしのせいだって言うし。クラスにも居辛くなったけど、これはあたしが受ける罰だと思って、毎日過ごしていたわ」
井上さんはハンカチで涙を拭った。僕と和田君は井上さんの言葉を待った。
「この孤独な時間で、自分がどれだけ嫌な存在か、プライドや見栄ばかりの人間か向き合うことはできたの。今日、影山君のおばあちゃんに会えて良かった。すごく優しいのね。影山君もおばあちゃんに優しいわ。優しさがいっぱいの影山君を、キモイとか影キャラとしか見ていなかったあたしは、最低だったわ」
吐き出すような言葉を、静かに聞いた。和田君を見ると、井上さんに向ける顔が柔らかくなっている。和田君は僕のために怒ってくれる。僕のために今日も一緒に来てくれた。僕だって、ちゃんと言葉で伝えたい。僕に出来ることをすべきだ。僕は深呼吸をして、井上さんに声を掛けた。
「あの、僕は友達がいなかったから、僕に優しいのはお祖母ちゃんだけなんだ。お祖母ちゃん、本当は家に居たかったけど、車いすは無理だってココに入ってる。でも、家に帰りたいとか言わないんだ。会ったときには、いつもニッコリしてくれるよ。えっと、お祖母ちゃんのカーディガン、僕が洗うと外の風の匂いがするって喜ぶんだ。家の懐かしい匂いがするって。僕がお祖母ちゃんにできる唯一の事なんだ」
僕の言葉を聞きながら、井上さんはまた泣いた。井上さんが席を立ち、僕の前に向き合って深く頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい。あたしは、自分勝手な言い分で、影山君を大変な目に会わせたわ。影山君の傷、一生残るって親から聞いているの。あたし、一生かけて償います。本当に、ごめんなさい」
床に涙が落ちていく。
「あの、そのことだけど、僕たちの中では、事故でいいにしようよ。あとは、親の話に任せようよ」
井上さんが頭を上げる。
「僕は男だし、傷とか気にならないよ。落ちたのが僕で良かったよ。井上さんじゃ、傷が残ったら、可哀そう」
笑いかけると、井上さんはまた泣いた。「ありがとう」って言われた。
しばらく三人で静かにお茶を飲んだ。「冷めちゃったけど、すごくおいしいお茶ね。今までで一番おいしい」って井上さんが言った。頷きながら、僕もその特別おいしく感じるアイスを知っているよ、と心で思った。和田君の魔法なんだって教えたかったけど、内緒にした。
「影山君って、優しくてまっすぐな性格で素敵ね」
久しぶりに井上さんの笑顔を見た。嬉しくて、照れくさくて、僕もつられて笑顔になる。井上さんと正面から目が合う。お互いに顔をしっかり見たのは、初めてかもしれない。井上さんの頬が赤くなる。
すると、僕の顔の前を大きな手が遮った。
「井上さん。だめだよ。コレは俺の」
「え? そういうこと? じゃ、ガッチャンはライバルね」
「振り向いてもらえるように、本気で頑張るから。外見じゃないのね。人そのものに惹かれるって初めて。影山君に釣り合うように、頑張らなきゃ」
からかわれているのだろうけど、僕はこういう冗談に慣れていない! 心臓がバクバクするし、なぜか和田君の目は怖いし、汗が止まらない。
井上さんを駅まで送った。途中、ちょいちょい和田君と井上さんが張り合うから、ハラハラした。僕は、大きな仕事をやりきった爽やかな気持だった。和田君がいてくれて、良かった。駅からの帰り道、そっと和田君の手に触れてみた。すぐに包み込んでくれる温かい手に冬の寒さが和らぐようだった。
約束の水曜日。
「ここ? 何、介護施設?」
井上さんは施設を見上げて驚いている。和田君が先導してくれて、自転車でお祖母ちゃんの施設に到着した。
「ここにさ、俺のジイさんと影山のバアちゃんがいるんだ。俺は毎週水曜日、修は週三日くらい通ってる」
「え?」
井上さんは僕と和田君を交互に見た。
「今日は影山のおバアちゃんに会ってもらいたいって、影山が言ってる」
急に話を振られて、焦ってしまう。
「あの、そ、そう。そう。えっと、こっち」
僕は井上さんをお祖母ちゃんの部屋に案内した。
「あら、今日は女の子の友達? 修の? 嬉しいわ」
お祖母ちゃんはニコニコと井上さんを受け入れてくれた。三人で椅子に座る。お祖母ちゃんは今日も穏やかだ。
「最近ね、学生さんが実習で来るのよ。ちょうどあなたたちの年に見えて、毎日明るいのよ」
お祖母ちゃんは実習の学生と折り紙をしたことや、一緒にやる体操が変わったことを話してくれた。僕はおしゃべりが苦手でお祖母ちゃんの横にいるだけだけど、お祖母ちゃんはコミュニケーション能力が高い。
三十分ほどいて帰るとき、井上さんが声を上げた。
「あ、そのカーディガン」
あの時のカーディガンは僕のもとに戻ってきていて、お祖母ちゃんに届けてある。
「これ? 室内でも欠かせないのよ、羽織物。私は足が悪いのよ。それで施設にいるの。足が悪いと身体が冷えるのよ。どんなに室内が温かくても、ダメね。起きている時には夏でも掛物が手放せないの。このカーディガンやひざ掛けは、時々修が洗って届けてくれるのよ。本当に優しい子なの。これからも仲良くしてくださいね」
ふふふ、とお祖母ちゃんが微笑んだ。井上さんは下を向いて震えている。
「あの、お祖母ちゃん、また来るから」
「お邪魔しました」
三人で廊下に出た。井上さんは泣いている。
今日は和田君のお祖父さんのとこに立ち寄るのはやめた。泣いている井上さんを連れていけない。
自転車置き場は冬の風が冷たい。外の花壇では話せないから、一階の館内ベンチに三人で座った。和田君が温かいお茶を三つ買って渡してくれる。その気持ちが嬉しい。
「ありがとう」
お礼を言い受け取った。井上さんは手渡されたお茶を見つめている。
「あたし、影山君にとんでもなく失礼な勘違いしていたのね。あの服、おばあさんのだったのね。どうしよう。本当に悪い事したのね。和田君と仲良かったのも、こういう繋がりがあったのね。あたし、あたしは……」
井上さんが嗚咽をこぼして泣く。僕は、こういう時どうしていいか分からない。オロオロして和田君を見た。和田君は、怖い顔で井上さんを、まっすぐ見ている。
「井上さん、悪いけど俺は、井上さんが泣こうが全然許す気になれない。俺は大切な影山が怪我した時、こいつ死ぬんじゃないかって不安で涙がこぼれた。身体が震える怖さだったよ。勘違いでした、で済む問題じゃない。だけど、影山は、許す、許さないじゃなく、井上さんの状況をどうにかしたいって考えているんだよ」
和田君の言葉に僕の心が温かくなる。僕の気持ちを分かってくれている。井上さんは、下を向いたまま話し出した。
「あたし、本当に嫌な奴なの。こんなことが起こるまで、周りは皆あたしについてくるし、ムカつく奴には、ムカつくって言ってやればいいんだって思ってきたわ。影山くんのことも見下してたのよ。それなのにガッチャンや男子にチヤホヤされて、気に障っただけなの。仰向けに落ちてく影山君を見たら、本当に怖くなって。一緒にいた子たちは、全部あたしのせいだって言うし。クラスにも居辛くなったけど、これはあたしが受ける罰だと思って、毎日過ごしていたわ」
井上さんはハンカチで涙を拭った。僕と和田君は井上さんの言葉を待った。
「この孤独な時間で、自分がどれだけ嫌な存在か、プライドや見栄ばかりの人間か向き合うことはできたの。今日、影山君のおばあちゃんに会えて良かった。すごく優しいのね。影山君もおばあちゃんに優しいわ。優しさがいっぱいの影山君を、キモイとか影キャラとしか見ていなかったあたしは、最低だったわ」
吐き出すような言葉を、静かに聞いた。和田君を見ると、井上さんに向ける顔が柔らかくなっている。和田君は僕のために怒ってくれる。僕のために今日も一緒に来てくれた。僕だって、ちゃんと言葉で伝えたい。僕に出来ることをすべきだ。僕は深呼吸をして、井上さんに声を掛けた。
「あの、僕は友達がいなかったから、僕に優しいのはお祖母ちゃんだけなんだ。お祖母ちゃん、本当は家に居たかったけど、車いすは無理だってココに入ってる。でも、家に帰りたいとか言わないんだ。会ったときには、いつもニッコリしてくれるよ。えっと、お祖母ちゃんのカーディガン、僕が洗うと外の風の匂いがするって喜ぶんだ。家の懐かしい匂いがするって。僕がお祖母ちゃんにできる唯一の事なんだ」
僕の言葉を聞きながら、井上さんはまた泣いた。井上さんが席を立ち、僕の前に向き合って深く頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい。あたしは、自分勝手な言い分で、影山君を大変な目に会わせたわ。影山君の傷、一生残るって親から聞いているの。あたし、一生かけて償います。本当に、ごめんなさい」
床に涙が落ちていく。
「あの、そのことだけど、僕たちの中では、事故でいいにしようよ。あとは、親の話に任せようよ」
井上さんが頭を上げる。
「僕は男だし、傷とか気にならないよ。落ちたのが僕で良かったよ。井上さんじゃ、傷が残ったら、可哀そう」
笑いかけると、井上さんはまた泣いた。「ありがとう」って言われた。
しばらく三人で静かにお茶を飲んだ。「冷めちゃったけど、すごくおいしいお茶ね。今までで一番おいしい」って井上さんが言った。頷きながら、僕もその特別おいしく感じるアイスを知っているよ、と心で思った。和田君の魔法なんだって教えたかったけど、内緒にした。
「影山君って、優しくてまっすぐな性格で素敵ね」
久しぶりに井上さんの笑顔を見た。嬉しくて、照れくさくて、僕もつられて笑顔になる。井上さんと正面から目が合う。お互いに顔をしっかり見たのは、初めてかもしれない。井上さんの頬が赤くなる。
すると、僕の顔の前を大きな手が遮った。
「井上さん。だめだよ。コレは俺の」
「え? そういうこと? じゃ、ガッチャンはライバルね」
「振り向いてもらえるように、本気で頑張るから。外見じゃないのね。人そのものに惹かれるって初めて。影山君に釣り合うように、頑張らなきゃ」
からかわれているのだろうけど、僕はこういう冗談に慣れていない! 心臓がバクバクするし、なぜか和田君の目は怖いし、汗が止まらない。
井上さんを駅まで送った。途中、ちょいちょい和田君と井上さんが張り合うから、ハラハラした。僕は、大きな仕事をやりきった爽やかな気持だった。和田君がいてくれて、良かった。駅からの帰り道、そっと和田君の手に触れてみた。すぐに包み込んでくれる温かい手に冬の寒さが和らぐようだった。


