Ⅴ 許すこと
①
和田君に助けられて学校生活を送るうちに、いつも一緒に居るようになった。骨折は完治した。
穏やかな時間が流れている様で、教室の雰囲気は変わってしまった。
井上さんは休むことなく学校に来ているけれど、教室に独りで居る。誰も声をかけない。
僕はこの空気が苦しい。小学校時代にクラスで孤立した経験が蘇る。この苦しさを和田君に知ってもらいたい。
「和田君、相談しても、いいかな」
二人きりの帰り道で話を切り出した。井上さんの事を快く思っていない和田君に理解してもらえるだろうか。不安が心を占める。
「何?」
「井上さんの、こと」
途端に和田君が嫌そうな空気をまとう。
「いいよ。何?」
良いよ、と言いながら表情が険しくなっている。僕は深呼吸して勇気を出した。
「うん。あの、井上さんをお祖母ちゃんとこに連れていきたい、と思うんだ。えっと、一緒に手伝ってほしいなって」
「はぁ!? なんで?」
「あの、僕が階段から落ちた時、井上さんが女物の服をもっているオカマだって言ってた。色々誤解があったんだよ。井上さん、今教室が辛いと思うんだ。僕とのトラブルの一場面で井上さんの居場所がなくなって、いいのかな。ひとつ悪いことがあったら、その罰のように、いじめても、無視してもいいのかな」
和田君がじっと僕を見つめている。心臓が怖いって鳴っている。緊張、する。
「じゃ、影山の頭の傷や、腕の骨折はなかったことに出来るのかよ。俺は、お前が倒れていた時の事を忘れられない。井上は非難されるような事をしたんだよ」
和田君の強い感情がぶつけられる。手が、震える。とても和田君が見られなくて目線を外す。
「そうじゃないんだ。それは、きっと僕と井上さんが向き合う問題かなって思う。別に僕は井上さんを皆に罰してほしいって思ってないよ。もちろん、和田君にも」
和田君は僕から視線を外して耳だけ傾けている。いつもは僕の方を向いてくれるのに。そんな仕草に心がズキッと痛む。それでもここで止めるわけには行かない。下を向いたまま続けた。
「僕、小さいころから服の汚れが気になる潔癖症があって。友達に匂いが気になるって言ってしまったんだ。意地悪じゃなくて、気になって仕方なかったんだ。だけど、その子から意地悪されたって言われて。僕が悪いことしたって言われて、教室で無視されたり、邪魔者扱いされた。それから学校は怖いんだ。だから、井上さんの気持ち、分かるんだ」
和田君は静止している。僕は失敗したのだろうか。僕の気持ちは届かなかったのか。不安で怖くなる。
しばらくして和田君がゆっくり話し始めた。
「そっか。そんなお前だから、ジイさんが話したのかもな。お前、すごいよ。すごい奴だ」
頭をポンポンと撫でられる。優しいその手に涙がジワリと滲む。緊張が安堵に変わる。
「俺さ、ジイさんと一緒に住んでる頃、ウザくて邪険にしてたんだよ。そのうちボケちゃって。施設でさ、家族を忘れてるジイさん見て、何とも言えない気持ちになった。俺は一緒に暮らしていた頃に、もっと優しくするべきじゃなかったか、とかモヤモヤ考えるようになったんだ。その時にできること、後悔しないでおきたいよな。井上の事も、後悔したくはないよな」
和田君の優しさが染みこんでくる。嬉しくて大きな体に抱き着いた。すぐに和田君が包み込んでくれる。頼りになる大きな存在だ。和田君の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、心が満たされる。
「和田君……」
何と声を掛けて良いのか分からなくて名前だけ呼んでみた。すると抱き締める力が強まる。
「影山といると、正しい気持ちを持つことができるよ。ありがとう」
優しい言葉が心に届く。嬉しくて涙が滲んだ。
骨折の影響はなく、自転車通学が出来るようになった。季節はすっかり冬だ。来週の水曜日から介護施設に寄ろう、と和田君と約束した。
そろそろ井上さんを誘う計画を実行する。
昼休み。
「井上さん、来週水曜日、放課後予定ある?」
教室で和田君が井上さんに話しかけた。本当は僕が誘うべきなのだけど、僕は人に声をかけることが出来ない。だから和田君の後ろに隠れている。それだけなのに心臓が口から飛び出しそうになっている。
クラスの何人かが僕たちに注目している。その視線にも震えが走る。傍に立っているので精一杯だ。
「……ない、けど。何?」
井上さんは下を向いたままだ。
(ごめんなさい、注目を浴びて)
僕は心の中で謝った。
「空いてるなら、俺と影山に付き合ってほしいんだ」
和田君はストレートに声を掛ける。すごい。僕がやったら、キモイ変態扱いだ。
「わかりました」
小さい声だ。井上さんは、きっとすごく動揺している。
「大丈夫。嫌な事じゃないから。自転車通学? それなら助かるけど」
和田君の言葉に僕もコクコクと頷きで同意した。
「自転車よ。学校から離れるの?」
「うん。俺と影山がいつも行くところに招待するよ。あんまり期待はしないで」
和田君はこうやって人を誘うのか。そんな風に思うと胸がチクっとする。頼ったのは僕なのにモヤッとする。
「招待って、何よ。まぁ、水曜なら遅くなっても大丈夫」
井上さんが少し微笑んだ。後ろの僕をちらっと見て来た。予想外のことに驚いて、うっかり目線を外してしまった。途端に申し訳なさが湧き上がる。ごめんなさい、これも心で謝った。
井上さんの側から離れて和田君と廊下に移動した。
「ありがとう。でもさ、ああやって、女子を誘うのか。和田君はモテるわけだ」
何故か嫌味のようになってしまう。
「おい、影山に言われて誘ったんだろうが」
「分かっているけど、う~モヤモヤする……」
髪の毛を自分でグシャグシャにした。
「お、これは、嫉妬ですか」
和田君がニヤッと笑う。途端に恥ずかしくなった。嫉妬、嫉妬って、これが? そんな疑問が脳に浮かぶ。口を開けて、何か言いたいけど、言えなくて。顔が真っ赤になっていくのが、自分で分かった。
「かぁわいい」
揶揄われるように囁かれて心臓がバクバクする。変な汗が滲む。下を向いて自分の机に直行した。後ろで和田君が笑いをこらえているのが分かる。僕はどこかに隠れてしまいたかった。
①
和田君に助けられて学校生活を送るうちに、いつも一緒に居るようになった。骨折は完治した。
穏やかな時間が流れている様で、教室の雰囲気は変わってしまった。
井上さんは休むことなく学校に来ているけれど、教室に独りで居る。誰も声をかけない。
僕はこの空気が苦しい。小学校時代にクラスで孤立した経験が蘇る。この苦しさを和田君に知ってもらいたい。
「和田君、相談しても、いいかな」
二人きりの帰り道で話を切り出した。井上さんの事を快く思っていない和田君に理解してもらえるだろうか。不安が心を占める。
「何?」
「井上さんの、こと」
途端に和田君が嫌そうな空気をまとう。
「いいよ。何?」
良いよ、と言いながら表情が険しくなっている。僕は深呼吸して勇気を出した。
「うん。あの、井上さんをお祖母ちゃんとこに連れていきたい、と思うんだ。えっと、一緒に手伝ってほしいなって」
「はぁ!? なんで?」
「あの、僕が階段から落ちた時、井上さんが女物の服をもっているオカマだって言ってた。色々誤解があったんだよ。井上さん、今教室が辛いと思うんだ。僕とのトラブルの一場面で井上さんの居場所がなくなって、いいのかな。ひとつ悪いことがあったら、その罰のように、いじめても、無視してもいいのかな」
和田君がじっと僕を見つめている。心臓が怖いって鳴っている。緊張、する。
「じゃ、影山の頭の傷や、腕の骨折はなかったことに出来るのかよ。俺は、お前が倒れていた時の事を忘れられない。井上は非難されるような事をしたんだよ」
和田君の強い感情がぶつけられる。手が、震える。とても和田君が見られなくて目線を外す。
「そうじゃないんだ。それは、きっと僕と井上さんが向き合う問題かなって思う。別に僕は井上さんを皆に罰してほしいって思ってないよ。もちろん、和田君にも」
和田君は僕から視線を外して耳だけ傾けている。いつもは僕の方を向いてくれるのに。そんな仕草に心がズキッと痛む。それでもここで止めるわけには行かない。下を向いたまま続けた。
「僕、小さいころから服の汚れが気になる潔癖症があって。友達に匂いが気になるって言ってしまったんだ。意地悪じゃなくて、気になって仕方なかったんだ。だけど、その子から意地悪されたって言われて。僕が悪いことしたって言われて、教室で無視されたり、邪魔者扱いされた。それから学校は怖いんだ。だから、井上さんの気持ち、分かるんだ」
和田君は静止している。僕は失敗したのだろうか。僕の気持ちは届かなかったのか。不安で怖くなる。
しばらくして和田君がゆっくり話し始めた。
「そっか。そんなお前だから、ジイさんが話したのかもな。お前、すごいよ。すごい奴だ」
頭をポンポンと撫でられる。優しいその手に涙がジワリと滲む。緊張が安堵に変わる。
「俺さ、ジイさんと一緒に住んでる頃、ウザくて邪険にしてたんだよ。そのうちボケちゃって。施設でさ、家族を忘れてるジイさん見て、何とも言えない気持ちになった。俺は一緒に暮らしていた頃に、もっと優しくするべきじゃなかったか、とかモヤモヤ考えるようになったんだ。その時にできること、後悔しないでおきたいよな。井上の事も、後悔したくはないよな」
和田君の優しさが染みこんでくる。嬉しくて大きな体に抱き着いた。すぐに和田君が包み込んでくれる。頼りになる大きな存在だ。和田君の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、心が満たされる。
「和田君……」
何と声を掛けて良いのか分からなくて名前だけ呼んでみた。すると抱き締める力が強まる。
「影山といると、正しい気持ちを持つことができるよ。ありがとう」
優しい言葉が心に届く。嬉しくて涙が滲んだ。
骨折の影響はなく、自転車通学が出来るようになった。季節はすっかり冬だ。来週の水曜日から介護施設に寄ろう、と和田君と約束した。
そろそろ井上さんを誘う計画を実行する。
昼休み。
「井上さん、来週水曜日、放課後予定ある?」
教室で和田君が井上さんに話しかけた。本当は僕が誘うべきなのだけど、僕は人に声をかけることが出来ない。だから和田君の後ろに隠れている。それだけなのに心臓が口から飛び出しそうになっている。
クラスの何人かが僕たちに注目している。その視線にも震えが走る。傍に立っているので精一杯だ。
「……ない、けど。何?」
井上さんは下を向いたままだ。
(ごめんなさい、注目を浴びて)
僕は心の中で謝った。
「空いてるなら、俺と影山に付き合ってほしいんだ」
和田君はストレートに声を掛ける。すごい。僕がやったら、キモイ変態扱いだ。
「わかりました」
小さい声だ。井上さんは、きっとすごく動揺している。
「大丈夫。嫌な事じゃないから。自転車通学? それなら助かるけど」
和田君の言葉に僕もコクコクと頷きで同意した。
「自転車よ。学校から離れるの?」
「うん。俺と影山がいつも行くところに招待するよ。あんまり期待はしないで」
和田君はこうやって人を誘うのか。そんな風に思うと胸がチクっとする。頼ったのは僕なのにモヤッとする。
「招待って、何よ。まぁ、水曜なら遅くなっても大丈夫」
井上さんが少し微笑んだ。後ろの僕をちらっと見て来た。予想外のことに驚いて、うっかり目線を外してしまった。途端に申し訳なさが湧き上がる。ごめんなさい、これも心で謝った。
井上さんの側から離れて和田君と廊下に移動した。
「ありがとう。でもさ、ああやって、女子を誘うのか。和田君はモテるわけだ」
何故か嫌味のようになってしまう。
「おい、影山に言われて誘ったんだろうが」
「分かっているけど、う~モヤモヤする……」
髪の毛を自分でグシャグシャにした。
「お、これは、嫉妬ですか」
和田君がニヤッと笑う。途端に恥ずかしくなった。嫉妬、嫉妬って、これが? そんな疑問が脳に浮かぶ。口を開けて、何か言いたいけど、言えなくて。顔が真っ赤になっていくのが、自分で分かった。
「かぁわいい」
揶揄われるように囁かれて心臓がバクバクする。変な汗が滲む。下を向いて自分の机に直行した。後ろで和田君が笑いをこらえているのが分かる。僕はどこかに隠れてしまいたかった。


