一歳上、同級生。

十月の朝は、風だけ先に秋になってる。
制服の袖口から入り込む空気が、九月より少しだけ冷たい。

――冷たいのに、教室は暑い。

「文化祭ってさ、準備の時期がいちばん地獄じゃない?」
平野が机に突っ伏して言った。

「地獄って言うな。まだ始まってもない」
岩崎が笑いながら、髪を指でくるっと巻く。

「でも分かる。段ボールとガムテの匂いがすると、だいたい終わる」

「終わらないで」
 平野が泣く真似をする。

「俺、今しかない空気を浴びたいんだよ。文化祭で!」

「浴びるな」
 左隣の梶山が、さらっと止めた。

「止めるの早いって」
岩崎が即ツッコむ。

「保護者〜」

「保護者じゃねえ」

「じゃあ何」

梶山は一拍だけ置いて、面倒くさそうに言った。

「……止める役」

平野が腹を抱えて笑った。

「役って何だよ! 便利すぎ! 梶山、俺の口にチャック付けられるじゃん!」

「付けない」

「付けてるって。さっきからずっと」

「お前が勝手に開けてるだけ」

岩崎が肩を揺らして笑う。

「梶山、言い方が優しいのに容赦ない」

「褒めてないだろ、それ」

「褒めてる。たぶん」

また笑いが起きた。

俺は笑いそうになって、机の端を指で押さえた。
笑うと、何かが増える気がして、怖い。

でも最近、その“増える”が全部怖いわけじゃなくなってる。
それがいちばん怖い。

ホームルームのチャイム。
担任の井上が教壇に立った。

「連絡。文化祭、来月頭。クラス企画、今週中に決める」

短い。
黒板に、項目だけ書く。

・企画内容
・担当(会計/広報/制作/当日運営)
・提出物(企画書/掲示物案)
・印刷室使用予定(要申請)

「はい。案、出せ」

終わりじゃない。
珍しく“投げてくる”タイプの短さだ。

教室がざわつく。
前の方で誰かが言った。

「定番の喫茶でよくない?」
「お化け屋敷!」
「映えスポット!」
「鉄道クラスなんだから、駅っぽくしようぜ!」

案が飛び交う。
みんなの声が、秋の冷たさを押し返すみたいに熱い。

俺はその熱の端っこで、呼吸を薄くした。
薄くしておけば、目立たない。
目立たなければ、余計なものが増えない。

――増えない方が、いい。
ずっとそう思ってきたのに。

井上が黒板の横で腕を組んで言った。

「総合の課題、覚えてるな。あれ、活かしていい。むしろ活かせ」

その一言で、空気が変わった。
ざわざわの方向が、俺たち四人に寄る。

「え、総合⑤班のやつ?」
誰かが言って、平野が勢いよく顔を上げた。

「え、俺たち有名人? ついに?」

「有名人って言うな」
梶山が止める。

「言いたい!」

「言うな」

「ひどっ!」

岩崎が肘をついて、軽く笑ったまま教室の方を向く。
軽いのに、目がちゃんと全員を拾ってる。

「うち、購買の売上改善やってたじゃん。データもあるし、企画書もある」
「それ文化祭にしたら、準備が早い」

梶山が短く足す。

「購買って、あのパンのとこ?」

「そうそう。並ぶやつ」

「え、でも文化祭でパン売れるの?」

「売れないなら“展示”でもいいじゃん」

「でも地味じゃない?」

「地味じゃないようにするのが、うちらの仕事でしょ」

岩崎が、さらっと言い切る。
その“うちら”に、俺も含まれてる気がして、胸が一回跳ねた。

平野が勢いで手を挙げた。

「俺、当日呼び込みやる! 購買をテーマにするなら、声の力が必要!」

「声の力って言うな」
梶山が止める。

「声の力だろ!」

「うるさいだけ」

「うるさくない!」

「うるさい」

「ひどっ!」

教室が笑う。
笑いの中に、俺がいる。

岩崎が黒板に近い席の男子に声をかけた。

「喫茶案の人。喫茶って“何を売る”予定?」

「え、飲み物と…クッキー?」

「材料費と衛生管理、誰がやる?」

「……」

「当日運営、クラス全員巻き込める?」

「……巻き込める、と思う」

岩崎の言葉は柔らかいのに、刺さるところだけ刺す。
相手を潰さない。
でも逃げ道だけ塞ぐ。

梶山が黒板の「担当」を指でトンと叩いた。

「購買プロデュースなら、役割が多い。全員入れる」
「運営、装飾、呼び込み、会計補助、投票回収、案内、展示説明」

「展示説明って何?」

「購買の“改善案”を見せる」

「え、ちょっと面白そう」

クラスの前の方で、別の男子が言った。

「駅っぽくするの、好きなんだけど。購買って、駅みたいにできる?」

平野が即答する。

「できる! 並ぶの、ホームだし!」

「ホームって言うな」
梶山が止める。

「駅じゃない」

「でもさ、動線作るの梶山得意じゃん」

「得意」

「自分で言うの腹立つ」

「うるさい」

笑いがまた起きる。
教室の熱が、ひとつの方向にまとまっていく。

井上が言った。

「じゃあ、決める。案、二つに絞れ」

黒板に残ったのは、最終的に二案。

「喫茶」
「購買プロデュース(展示+投票+当日企画)」

「拍手で決める」

井上はそう言って、まず喫茶を指した。
ぱらぱら。

次に購買を指した瞬間、拍手が増えた。
平野が煽って、岩崎が笑って、梶山が「うるさい」で締める。

「……購買。決定」
井上が淡々と結論を置く。

「担当、今決めろ。以上」

以上。
やっぱり話が早い。

でも、今日はその早さが助かった。
迷う間に、怖くなる前に、決まったから。



放課後。
人が減った教室は急に広い。
広いのに、空気だけ妙に近い。

井上は教壇の上でプリントを配った。
企画書テンプレ。提出期限。印刷室申請書。

「購買プロデュースは“班”で動け。クラスは大枠。細部は班で作って持ってこい」
「班は……総合課題の班を基準にする。揉めないため。以上」

平野が小声で言った。
「はい決まり。俺ら四人、逃げ道なし」

岩崎が笑う。
「揉めないため、って先生が言うと強いよね」

梶山はプリントの端を揃えただけで、何も言わなかった。

俺も黙って紙を受け取った。
“理由”があると、断りづらい。。

「じゃ、総合⑤班は中核な」
井上が俺たちの方を見て言う。

「お前らが軸。ほかは当日運営と装飾で回す。以上」

以上で終わる。
終わったのに、平野が勝手に仕切り始めた。

「はい! 総合⑤班、集合! 俺たち、文化祭の主役!」

「主役って言うな」
梶山が止める。

「言いたい!」

「言うな」

「ひどっ!」

岩崎が指を折る。

「まず、当日の形を決める。購買そのまま再現は無理だから、展示と投票を軸にする」
「人気パン総選挙。投票で人を回す」

「それ、俺叫ぶやつ」
平野が張り切る。

「『一票入れてくださーい!』って」

「声量、印刷物が逃げる」
岩崎が笑う。

「逃げねえし!」

「逃げる」

「逃げない!」

「はい、落ち着け」
梶山が軽く切った。

梶山はノートを開いて、淡々と書き始めた。

「動線」
「入口、投票、展示、写真スポット、出口」

「写真スポット?」
平野が聞く。

「クラス全員が入れる場所作る。そこで当日運営」
梶山が言う。

「並びたくなる仕掛けが必要」

“並びたくなる”。
その言葉が、少しだけ嬉しかった。
俺のデータが、ただの数字じゃなく“人の動き”に変わっていく感じがする。

岩崎が俺を見る。
逃げ道を塞がない目線。

「祝嶺、データ係。アンケ結果、展示用にまとめて。グラフ、見やすいやつ」

「……」

「“無理”って言ってもいいよ?」
軽い声。なのに真ん中を突く。

俺は“無理”って言うのが怖い。
無理って言うと、理由を聞かれる。
理由は言えない。

「……できる」
小さく言った。

平野が即座に騒ぐ。

「祝嶺が“できる”言った!」
「事件!」

「事件って言うな」
梶山が言って――そのまま平野を見た。

平野が一拍で口を閉じる。
「……はい」

岩崎が笑った。
「素直」

岩崎が笑って、梶山が小さく息を吐いた。
その息が、なぜか嬉しい。

梶山が俺の方を見ないまま言う。

「文章、祝嶺」
「展示の説明、短く。読みやすく」

「……うん」

“うん”が出た。
出たことに自分で驚いて、ペンを揃えた。
揃えると、心が息をする。

そのとき、井上のプリントの太字が目に入った。

『印刷室使用時は学生証を提示。備品貸出も同様。』

学生証。
文字が目に入った瞬間、胃がきゅっと縮む。
指先が冷える。

「学生証、忘れたら終わりじゃん」
平野が何も知らずに笑った。

「俺、絶対忘れる自信ある」

「自信持つな」
岩崎が笑う。

「大塚さんに無表情で追い返されるよ」

「追い返されるのやだ!」

「やだって言うな」
梶山が止める。

「忘れなきゃいい」

忘れなきゃいい。
簡単みたいに言う。

――俺は、忘れたくないんじゃない。
“見せたくない”。

笑えないのがバレないように、俺は机の中を整え直した。
整えると、心が息をする。

……息をしたい。
印刷室は、息ができない場所だ。



そこから一週間。
文化祭の準備は、毎日少しずつ教室に積もっていく。

段ボール。模造紙。カラーペン。ガムテ。
机の上が制作室みたいになる。

「平野、それ“寄ってって!”の文字、でかすぎ」
岩崎が笑う。

「でかいのが正義!」

「正義って言うな」
梶山が止める。

「言いたい!」

「言うな」

「ひどっ!」

俺はアンケートをまとめて、グラフを作って、短い文章に削る。
削るのが、意外と楽しい。
言い切ると、迷いが減る。

岩崎が俺のスマホ画面を覗き込んだ。
距離が近い。

「祝嶺、ここ“売り切れが多い”より、“午後に消える”の方が刺さる」

「……午後に消える」

「うん。可愛い」

「可愛くない」
俺が言う前に、梶山が言った。

「好きとか言うな」
軽いトーン。冗談みたい。
でも止める速度が早い。

「え、嫉妬?」
岩崎が笑って、平野が「うおー!」と騒ぐ。

「ちげえ」
梶山が短く返す。

俺は笑いそうになって、喉の奥で止めた。
止めたのに、梶山の口元が少しだけ上がった。

それが、ずるい。

俺のデータは形になっていった。
「並ぶのが嫌」が多い。
「売り切れが多い」。
「新商品が分かりにくい」。

その結果を、文化祭の企画に落とし込む。

「だから、投票形式にする」
岩崎が言う。

「人気パン総選挙で、人を流す。並ぶのもイベント化」

「イベント化って便利な言葉」
平野が言う。

「全部イベントにすればいい」

「釣り銭が死ぬ」
梶山が即答。

「死ぬって言うな」

「死ぬ」

「死ぬ」

「うるさい」

梶山がノートに動線を書いて、机の上に置いた。

「入口ここ。投票ここ。展示ここ。写真ここ。出口ここ」

「……分かりやすい」
俺が言うと、梶山が小さく頷いた。

「祝嶺の文章も、分かりやすい」

反射で「別に」が出そうになって、飲み込む。

「……ありがと」
言い直した。

梶山が一瞬、目を細めた。
それだけで胸が跳ねる。

人を好きになる瞬間って、こういうのが積み重なる。
派手じゃないのに、逃げられない。



準備が進むほど、印刷物が増える。

ポスター。POP。投票用紙。展示パネル。値札。案内。
紙が増える。
紙が増えるほど、印刷室が近づく。

「印刷室、いつ行く?」
平野が気軽に言った。

その一言で、心臓が跳ねる。
跳ねるのが恥ずかしくて、俺はわざとシャーペンを持ち替えた。

「明日。放課後」
梶山が淡々と言う。

「申請、通した」

「梶山、仕事早」
岩崎が拍手する。

「さすが段取り男」

「段取り男って言うな」

「言いたい〜」
平野が笑う。

平野が俺を見る。

「祝嶺も来るよな? 展示の文章、祝嶺のやつだし」

軽い。軽いのに刺さる。

「……行く」
俺は言ってしまった。

言ってしまった自分が怖い。
でも、行かない理由を作る方がもっと怖い。

岩崎が微笑む。

「じゃ、四人で印刷室デビューだ」

「デビューって言うな」

「デビューだよ。大塚さんに認められたら大人」

「認められたくない」

「認められたいだろ」
平野が笑う。

「祝嶺、意外と褒められたいタイプ」

俺は「違う」と言いかけて、止めた。
違わない気がしたから。

梶山が、俺にだけ聞こえる声で言った。

「無理なら、俺が行く」
いつもの許可。救い。

でも今回は、救われたくない。
救われると、もっと好きになる。

「……大丈夫」
俺は言った。
大丈夫じゃないのに。

梶山は頷いた。

「じゃあ、俺が隣」

さらっと。
当たり前みたいに。
胸の奥が、変に熱くなった。



翌日、放課後。
印刷室へ向かう廊下は、いつもより長く感じた。

「緊張する〜」
平野がわざとらしく肩をすくめる。

「俺、大塚さんに怒られたら泣く」

「泣くな」
岩崎が笑う。

「泣いたら大塚さん、無表情のままティッシュ出してくれそう」

「それ、逆に怖い」

「怖くない」

「怖い」

「大塚さん、呼ぶぞ」
梶山が真顔で言った。

俺は会話に混ざれない。
混ざれないのが目立たないように、歩幅だけ合わせる。

梶山が小声で言った。

「呼吸、浅い」

「……してない」

「してる」

「……」

「深く」

命令みたいなのに、優しい。
俺は言われた通り、息を吸った。

扉を開けると、紙の匂いと機械の音。
そして、無表情。

「……用件」
大塚がカウンターの向こうで言った。

「文化祭の印刷です。申請済み」
梶山が言う。声が落ち着いてる。

「申請書」
大塚が手を出す。

梶山が紙を出す。
大塚が目を落として、すぐ言う。

「学生証」

短い。逃げ道がない。

平野が元気よく学生証を出した。

「はい! 俺、平野!」

「名前、言わなくていい」
大塚が無表情で返す。

岩崎も出す。

「はい。岩崎」

「……」

大塚が確認して、机の端に並べる。

次。
俺。

ポケットの中の学生証ケースが、急に重い。
指先が冷える。

――出さなきゃいけない。
でも出したら、そこに書いてある数字が見える。
俺の味方じゃない数字。

俺の手が、ポケットの中で止まった。

そのとき、梶山が言った。

「俺がまとめて出します」

さらっと。
最初からそう決めてたみたいに。

大塚が梶山を見る。

「本人確認」

「班の印刷物です。俺が管理します」
嘘じゃない範囲で、道を作る。

大塚は一拍だけ止まって、梶山の学生証を受け取った。
そして無表情で言う。

「機材触るの、指示通り。勝手に設定変えるな」

「はい」
梶山が即答。

俺は、やっと息ができた。

平野が小声で囁く。

「梶山、かっけえ……」

「平野、黙れ」
岩崎が笑いながら止める。

「今、雰囲気いいんだから」

「雰囲気って何!」

「雰囲気」

「祝嶺、顔白いけど大丈夫?」
岩崎が俺を見る。軽いトーン。目は真剣。

「……大丈夫」
言えた。
言えるくらいには、大丈夫だった。

印刷機が動き始めて、紙が吐き出される。
ポスターが一枚ずつ出てくるたび、平野がテンションを上げる。

「うわ、すげ! 岩崎のデザイン、神!」

「神って言うな」
岩崎が笑う。

「でも嬉しい」

「祝嶺のグラフも、めっちゃ見やすい!」
平野が叫ぶ。

「これ、購買の人見たら泣くぞ!」

「泣かない」
梶山が淡々と返す。

「でも刺さる」

刺さる。
その言葉が、俺の胸にも刺さる。

俺は出てくる紙を受け取って、角を揃える。
揃うと落ち着く。
落ち着くと、怖さが少し薄れる。

梶山が隣で言った。

「揃えるの、好きだな」

「……癖」

「いい癖」

それだけで、心臓が一回跳ねる。
優しいのに、軽い。
軽いのに、重い。

岩崎がわざと大きめの声で言う。

「はいはい、総合⑤班、良い感じ。尊い」

「尊いとか言うな」
梶山が即座に止める。

「声、落とせ」

「止めるの早いって」
岩崎が笑う。

平野が「声、落とせ出た!」と笑って、印刷室が一瞬だけ明るくなる。
大塚が無表情で言った。

「静かに。ここ、作業室」

「すみません!」
平野が即座に直立する。逆に面白い。

俺は笑いそうになって、喉の奥で止めた。
止めたのに、梶山の肩がほんの少し揺れた。

笑ってる。
その小ささが、妙に刺さって、胸がきゅっと縮む。

息の仕方を忘れる。
逃げる前に、もう捕まってる。



印刷が終わって、紙の束を抱えて教室へ戻る。
夕方の廊下は窓の光が斜めで、床に影が長い。

「やばい。文化祭、成功しそう」
平野が言う。

「俺、当日叫び倒す」

「叫び倒すな。声枯れる」
梶山が即ツッコミ。

「枯れたら枯れたでエモい」

「エモいって言うな」
岩崎が笑う。

教室に戻って、机の上にポスターを並べて確認する。
岩崎の色が映える。
俺のグラフが読みやすい。
梶山の動線が分かりやすい。
平野の呼び込み文言が、うるさい。

「これ、“絶対来て!”って書くのださくない?」
岩崎が指を指す。

「ださい?」
平野が目を丸くする。

「じゃあ、“来なきゃ損!”」

「損って言うな」

「じゃあ何!」

「“寄ってって!”」

「可愛い」

「可愛いとか言うな」
梶山がさらっと被せる。

「止めるの早いって」
岩崎が笑う。

「でも“寄ってって!”いいじゃん。祝嶺、どう思う?」

俺に振られる。
一瞬、逃げたい。
でも、逃げると余計に目立つ。

「……“寄ってって!”でいい」
言えた。

「祝嶺、意見言えた!」
平野が騒ぐ。

「成長!」

梶山が平野の額を指で軽く押した。
「言い方」

「え、なんで! 成長だろ!?」

岩崎が笑って助け舟を出す。
「“成長”じゃなくて、“助かった”でいいじゃん」

「助かった!」
平野が即座に言い直して、逆に満足そうに頷く。

梶山が、俺にだけ小声で言った。
「今の、よかった」

胸の奥がまた跳ねた。
跳ねたのが音にならないのが、いちばん助かる。



解散の流れになって、クラスメイトが当日運営の担当表を回している。
梶山がその場で、淡々と割り振る。

「装飾、四人。投票回収、二人。呼び込み、六人。会計補助、二人」

「おい、俺、呼び込みに入ってる!」
平野が笑う。

「適材適所!」

「適材適所って言うな」

「言いたい!」

「言うな」

「ひどっ!」

クラスが巻き込まれていく。
四人だけの企画じゃない。
クラスの企画になっていく。

――なのに、俺の中の怖さは消えない。

梶山が残って、掲示位置の確認のためにメジャーを出した。
メジャーが伸びる音。カチッと止まる音。

「祝嶺、残る?」
梶山が軽く聞いた。軽いのに意味が重い。

放課後の教室に二人。
それはもう、俺の中で“二人の時間”になってしまってる。

「……少しだけ」
俺は言った。

平野がニヤニヤする。

「はいはい。邪魔しませんよー」

「邪魔って言うな」
岩崎が笑う。

「でも祝嶺、ちゃんと帰れよ」

「……うん」

頷くと、岩崎が俺の机の端を指で叩いた。

「その“うん”、増えてる」

「……数えるな」

岩崎が笑って、平野の背中を押した。
「はいはい、撤収」

梶山がポスターを壁に当てて、位置を測る。

「ここ、目線」

「……うん」

「うん、で終わるなよ」

「……」

「冗談」

冗談みたいに言うのに、目線はまっすぐで逃げ道がない。
俺は目を逸らして、手元の紙を揃えた。

梶山が、ふっと言った。

「今日、助かった」

「……何が」

「印刷室。来てくれて」

来てくれて。
その言葉が胸を温かくする。
温かいのが怖い。

「……行くって言ったの、俺だし」
自分で言って、胸が痛い。こんな言い方、普段しない。

梶山が目を少しだけ細めた。

「そういうとこ」

「……何」

「好き」

反則。
俺は返せなくて、喉の奥が熱くなった。

梶山は追い詰めない。
追い詰めないのに、逃がさない。
その距離がいちばんずるい。

そして、梶山が言った。

「学生証」
短い二文字。

俺の指が止まる。

「今日、俺のだけで通ったけど」
「次、備品借りるときは全員分いるって大塚さん言ってた」

次。
全員分。
いる。

喉が乾く。
秋のはずの空気が、急に熱く感じる。

「……そう」
それだけがやっと出た。

梶山が声を落とす。

「無理なら、俺が言う」

また許可。救い。
でも、その救いは“今だけ”だ。

印刷室が近づくほど、逃げ道は減る。
文化祭が近づくほど、紙は増える。
紙が増えるほど、学生証が必要になる。
秘密の匂いが濃くなる。

俺はカバンの持ち手を握って言った。

「……大丈夫」
大丈夫じゃないのに。

梶山は一拍だけ止まって、頷いた。

「明日も、いつも通りでいい」

当たり前みたいに。
その当たり前が嬉しくて、嬉しいのが怖い。



家に帰って、学生証を机の端に置く。
裏返す。見ない。見せない。

でも今日は、裏返しても落ち着かない。
“次”が机の上にいる。

スマホが震える。
クラスの文化祭グループができていた。
通知が、止まらない。

平野:『購買プロデュース、優勝確定!!!!』
誰か:『装飾担当、段ボール足りる?』
誰か:『呼び込みのセリフ案出して』
岩崎:『ポスター修正した。確認して』
梶山:『明日、備品申請も行く。忘れ物するな』

最後の一文だけが、俺の胸に落ちた。

忘れ物するな。
――忘れたくないわけじゃない。
見せたくない。

俺は入力欄を見て、指が止まる。
返したら残る。
残るのが怖い。

それでも、短く打った。

『わかってる』

送信。既読。
すぐ返る。

『わかってる、で終わるなよ』

胸が跳ねて、悔しいのに、笑ってしまいそうになる。
笑ったら明日の怖さが薄れる気がして、笑えない。

文化祭は、たぶん成功する。
クラスの空気は、ちゃんと明るい。
俺たち四人の形も、できてる。

この二人を、ずっと見守っていたい――って、言われるような日々に、少しずつ近づいてる。

なのに。
印刷室が近づくほど、俺の秘密も近づいてくる。

裏返した学生証の角が、机の上で小さく光っていた。

――次は、それを表に出す。

そう思っただけで、喉の奥が痛くなる。

でも、梶山の「明日も隣」が、耳に残ったままだった。

隣が続くなら。
続いてほしいなら。

俺は、明日も“同級生”の顔をして、学生証を握る。
紙の匂いのする方へ。

印刷室までの距離が、昨日より短い。