「ノエル様、魔法適性の儀はどうでしたか?」
教会の外に出ると、待機していたミナリスが出迎えてくれた。
周囲を見渡すと、馬車は僕とミナリスが乗ってきた一台しかない。
どうやらアルバンと兄たちは、僕たちを置いてさっさと引き上げてしまったらしい。
「属性魔法を授かることはできましたか?」
「……残念ながら属性魔法の適性は僕にはなかったよ」
ミナリスがハラハラとした顔で尋ねてき、僕はゆっくりと首を横に振った。
「では、どのような魔法の適性が?」
「工学魔法さ」
「ですが、物作りの才があるノエル様であれば、今までにない使い方ができるはずです! ポンプ式の井戸やリヤカーのように、きっとたくさんの領民を喜ばせることができます!」
返事を聞いてミナリスは少しだけ固まったが、すぐに明るい表情を浮かべて僕を励ましてくれた。
「そう主張したんだけど、父上や兄上たちには認めてもらえなかったよ」
「そんな! ノエル様がどれだけエルディア家に貢献したと思っているのですか。その恩恵に預かっておきながら物作りを否定するなんて酷過ぎます!」
儀式の間でのアルバンや兄たちのやり取りをかいつまんで説明すると、ミナリスは憤懣を露わにしてくれた。
僕の代わりにミナリスが怒ってくれて嬉しかった。
そんな思いをしているのが僕だけじゃないと思うだけで胸の中のモヤモヤが軽くなった。
「これからノエル様はどうなるのでしょう?」
「領地の開拓を任されることになったよ」
「領地の開拓に抜擢されるなんてすごいじゃないですか! 魔法適性については認められなかったアルバン様ですが、ノエル様の優秀さについては評価してくれたというわけですかね。開拓するのはどの辺りになるのでしょう?」
「魔の森だよ。ぶっちゃけて言えば、体のいい厄介払いだね」
赴任先を述べると、喜びに満ちていたミナリスの表情が見事に固まった。
公爵家に仕えて長い彼女のことだ。
魔の森がどういった場所なのかは僕以上にわかっているだろう。
そして、アルバンとオスラたちがどのような思惑を以って、僕にその開拓を任せたかもわかってしまったはずだ。
「私は付いていきます」
僕が苦笑いしていると、ミナリスが決意のこもった表情で言った。
「え? でも、僕に属性魔法の適性はないよ?」
「馬車の中で言ったじゃありませんか。私はノエル様がどのような適性魔法を授かることになったとしてもお仕えし続けると」
ミナリスがにっこりと笑いながら僕の手を包んでくれる。
あの時の言葉は僕を勇気づけるためのものではなく、ミナリスの本気の気持ちだったようだ。
嬉しくて涙が出そうになる。
「過酷な土地での開拓作業だ。普通に生活できるかも怪しいレベルだし、魔物に襲われて死んでしまうかもしれない」
「任せてください。魔の森の魔物だろうと薙ぎ倒してみせます」
「いや、ミナリスに魔物と戦わせるのは……」
「ノエル様、こう見えて私は戦闘が得意なんですよ?」
ミナリスが豊かな胸を張りながら誇るように言う。
「いくら力持ちだからといって、それと魔物と戦うことは別物だよ」
如何に百キロの荷物を軽々と持ち上げることのできるミナリスといえど、それとこれとは話が別だ。
行き過ぎた忠誠心を発揮しようとするミナリスを僕は窘める。
「ノエル様、よく考えてください。どうして獣人である私が公爵家にお仕えすることができているのかを……」
「それはミナリスが可愛いからじゃないの?」
光を受ける度に艶やかに輝く黒い髪は目を奪われるほどに美しい。
頭の上から伸びる兎耳はふわふわとしており、ちょっとした仕草や声に反応してピクリと動いたりしたりと動物的で可愛らしいと言えるだろう。
顔つきは少しあどけなさが残っているものの怜悧な大人っぽさが見えている。
身体つきもすらりとしながら女性らしい丸みがきちんとある。
「――ッ!? ち、違います!」
端的に伝えると、ミナリスがボンッと顔を赤くした。
「ゴメン。可愛いだけというのは失礼だね。ミナリスは可愛いい上に頭もいい努力家だからだ」
ミナリスが可愛いだけじゃなく、非常に聡明であることを忘れてはいけない。
なにせ僕の教育役を務められるほどだ。その頭の良さは評価しなければ。
「そ、そういう意味じゃありません!」
「え? 違うの?」
これだけ素晴らしい要素がいくつもあるっていうのに他に理由があるの? それこそ想像がつかないんだけど。
「おそれながらノエル様は、兎人族についてあまりご存知ではありませんね?」
「うん、そうだね。ミナリス以外に獣人の人と話したことがないから……」
公爵家の図書室にも獣人に関する本はなかったし、ミナリス以外に獣人の使用人はいなかったからね。
「兎人族は獣人の中でも優れた聴覚と俊敏性を持っていると同時に、闇魔法に対する高い適性を持っているのです」
「……闇魔法」
闇に身を隠したり、敵の視覚や感覚を鈍らせたり、影を操ったりすることができることから諜報や暗殺に向いている魔法とされており、世間一般からは忌避されている。
属性魔法の中で唯一貴族として不適格とされている不吉な魔法だ。
そこまで言われれば、亜人差別が横行している公爵家でもミナリスが何故雇われているのかを理解してしまった。
「……はい。お察しの通り、私は公爵家でメイドとして働きながら諜報や暗殺といった仕事も担っていました。こんな血に塗れた私でもノエル様は必要とされますか? 汚らわしいとは思いませんか?」
淡々と事実を告白しているように見えるが、よく見るとミナリスの身体は震えている。
大きいはずの彼女の身体がこの時ばかりは小さく見えた。
「汚らわしいなんて思わないよ」
「――ッ!」
僕から手を握ると、ミナリスはビクリと身体を震わせた。
「ミナリスの仕事にビックリしなかったといえば嘘になるけど、それはミナリスが生きるために必要だったんだよね?」
「……はい」
「ミナリスがそういった仕事をしていたからって蔑んだりなんかしない。ミナリスはミナリスだ」
ミナリスが快楽殺人者であったのなら困ったものであるが、彼女の場合はそうじゃないってことはわかっているからね。どんな過去があろうとも僕にとって大切な人ということに変わりはない。
「ノエル様、ありがとうございます」
そのように肯定すると、ミナリスは大きな瞳から涙をこぼしながら礼を言った。
僕は慌ててポケットの中からハンカチを取り出し、ミナリスに渡してあげた。
女性の涙を拭うことができたのであれば、このハンカチも本望であろう。
まあ、このハンカチもミナリスが用意してくれたものなんだけどね。
「……公爵家に残りたい気持ちはないんだよね?」
「ありません!」
念のために尋ねると、ミナリスはきっぱりと答えた。
そこに公爵家に対する未練の気持ちは一切ないようだ。
「ノエル様に忠誠を誓った時から私の一生はノエル様に捧げると決めていますので! どうか私を連れていってください!」
ここまでの覚悟を持っている人を突き放すことはできない。
「……わかった。ならミナリス、僕と一緒に魔の森に付いてきてくれ」
改めて僕が手を差し伸べると、ミナリスはにっこりと笑いながら手を重ねてくれるのであった。
●
馬車で屋敷に戻るなり、アルバンは僕に一刻も早く魔の森へ出立するように言ってきた。
出立のための猶予は与えられず、すぐさまに出ていけと言われた。
事実上の即刻退去である。
エルディア公爵家の子息でありながら不名誉な工学魔法を授かってしまったことが、よっぽど気に食わないらしい。
これ以上の屋敷での滞在は許されず、僕とミナリスは速やかに出立の準備を進めることにした。
馬車二台の中に商品開発で儲けたお金、食料、衣服、日用品、開拓道具、資材などを二人で詰め込んでいく。
屋敷にはミナリス以外にも僕に優しく接してくれる使用人は何人もいたが、荷造りを手伝ってくれる者はいなかった。
公爵家の将来有望な四男ならまだしも今となっては貴族として不適格な魔法を授かった落ちこぼれだからね。僕に優しくすればアルバンや兄たちに目をつけられることになるだろうし無理もない。
とはいえ、こうまで露骨に態度が変わるとなると傷つくものだ。
ミナリスの驚異的な働きぶりによって一時間もしない内に荷造りを終えることができた。
僕がやったことといえば、工学魔法の素材として使えそうな素材の選定をしたことくらいだな。本当に頼りになる専属メイドがいてくれて心底良かった。
「ノエル様、行きましょうか」
「うん、そうだね」
御者席に乗り込むと、僕はミナリスの言葉に頷いた。
当然、見送りは誰もいない。
工学魔法を授かった僕はエルディア公爵家からいない者として扱われているようだ。
だけど、別にそれでもいい。僕にはミナリスがいるのだから。
ミナリスが鞭を振るうと、馬がいななき声を上げてゆっくりと前に進み出した。
すると、景色がゆっくりと流れ、石畳の上を馬車が滑らかに進み始める。
屋敷の敷地を出ると、馬車は街道へと出た。
背後に広がる公爵家の屋敷は、もはや自分にとって帰るべき場所ではない。
不思議と寂しさは湧いてこなかった。
アルバンは魔法の研究に没頭しておりほとんど屋敷にいなかったし、正妻であるヴィオラは僕と血が繋がっていないせいで無関心だった。
兄たちとは年が離れており次期当主の座を狙ってといると勘違いされていたせいか警戒されており、ロクに交流することもできなかったからね。寂しさを感じないのは当然なのかもしれない。
見上げると清々しいまでの青い空が広がっていた。
旅をするにはもってこいの天気だ。
「ノエル様、ホッとされていますね」
「そんな風に見える?」
「はい。まるで肩の荷は下りたように見えます」
「結果は良くなかったけど魔法適性の儀という重圧から解放されたからだろうね」
屋敷で過ごしている間は重圧がすごかったけど、終わってしまった今となってはそんな心配は必要ない。
「これからの生活にノエル様は不安はないのですか?」
「不安がないといえば嘘になるけど、今はそれよりも楽しみな気持ちの方が強いかな」
「楽しみですか?」
「うん、今までは公爵家に気を遣っていたけど、これからは工学魔法で自分の好きなものを自由に作り出せるからね!」
貴族として安泰な道を進むなら属性魔法が望ましかったが、僕は物作りが好きだったこともあり生産系の魔法が欲しかったからね。
そう考えると、新天地での開拓も悪くない。なにせ物が作り放題だ。
笑顔でそんな本心を語ると、ミナリスは目を丸くし、柔らかい笑みを浮かべた。
「ノエル様であれば、きっと魔の森だろうと開拓することができますよ」
石畳に揺られて規則正しい音が響く中、僕とミナリスは他愛のない雑談を続けるのであった。
●
屋敷を出発してから三時間。僕は御者席の上で苦い顔をしていた。
「……お尻が痛い」
城塞都市であるエルドに向かう道はしっかりと整備されているが、その真反対への辺境へと向かう道はあまり整備されていない。屋敷の周辺から離れると、早々に土道に差し掛かかってしまい突き上がるような振動に苦しめられていた。
ふと隣を見ると、ミナリスは涼しい顔をしながら手綱を握っていた。
強い振動が来る度にうめき声を上げている僕とは大違いである。
すごい。馬車に乗り慣れていると、こういった振動にも慣れるのだろうか?
料理をしていると手の平の皮が厚くなって、ちょっとそっとの火じゃ熱くならないみたいな。
「ミナリスはお尻が痛くないの?」
「……ノエル様、とても痛いです」
尋ねると、ミナリスが涼しげな表情を歪ませて泣き言を吐いた。
どうやらやせ我慢をしていただけでかなり痛かったらしい。
ミナリスでさえ痛いというのであれば、僕の身体が特別に軟弱というわけではない。
つまり、馬車自体の問題というわけだな。
「ミナリス、馬車を少し停めてくれる?」
「かしこまりました」
指示を出すと、ミナリスはが手綱を操作してゆっくりと馬車を停止させてくれた。
僕は御者席から降りると、車輪の軸や車体の接合部を確認してみる。
「……やっぱり、ダンパーがないや」
すべての車輪を確認してみたがダンパーらしき装置は取り付けられていなかった。
道理で地面からの衝撃がもろに車体へと伝わるわけだ。これじゃ、お尻が痛くなるのも当然だ。
「うん、ダンパーが必要だ」
ここから魔の森にたどり着くのに二週間はかかるとミナリスは言っていた。
今は公爵領の中でも比較的道が綺麗な場所を通っているが、ここからさらに辺境になると道はさらに悪化し、お尻へのダメージは途轍もないものになる。そんなの耐えられない。
「ノエル様、なにをなさっているのですか!?」
突如、馬車の下へと潜り込んだ僕を見て、ミナリスが驚きの声を上げた。
「ちょっと工学魔法で馬車を改良しようと思ってね。ダンパーを取り付けようと思うんだ」
「ダンパー……ですか?」
ミナリスが小首を傾げた。
彼女がまったく知らない様子から、やはりこの世界の馬車にダンパーというものはないようだ。
「馬車の揺れを抑える装置さ」
「揺れを抑える? どうやってでしょう?」
ミナリスから素朴な疑問をぶつけられ、僕は傍に置いてあった水筒を手にした。
「たとえば、この水筒に水が入っているでしょう? 一気にひっくり返すとドバッと出る。でも、口を狭くすると、ちょろちょろっとしか出ないよね?」
「はい、少しずつしか出ません」
「それと同じで馬車が揺れる力を一旦受け止めて、ゆっくり逃がすのがダンパーだよ。ただバネみたいに押し返すだけだと、跳ね返って逆に大きく揺れてしまうからね。だから、その反発を油の流れでゆっくりにしてやるんだ」
「つまり、油が通る穴をわざと狭くして、力が一気に逃げないようにするんですね?」
「そういうこと!」
僕が説明しているのはオイルダンパーの原理だ。
油は水よりも重くて粘りがあるから、流れるのに時間がかかるからね。
その抵抗が馬車の揺れを小さなものに変えてくれるんだ。
オイルダンパーの仕組みを説明すると、僕は早速と作成に取り掛かることにした。
「……よし、作るか」
工学魔法とは、素材を組み合わせ、魔力で物質を加工、創造するものだ。
馬車の脇に積んであった鉄を浮かび上がらせると、魔力を込めながら空中で形を変えた。
「鉄がぐにゃぐにゃと形を変えて、あっという間に筒になりました!」
「すごい。これが工学魔法の力なんだ……ッ!」
今まではアイディアがあっても一人でも何もできなかった。
しかし、工学魔法は魔力と素材さえあれば、自分一人で意のままに素材を加工することができる。
それは僕にとってこれ以上ないほどに素晴らしい魔法だった。
細長い筒、シリンダー。その中を往復する棒、ピストンなども同じ要領で加工していく。
「……むむむ、意外と難しいな」
「そうおっしゃる割には随分とスムーズに加工されているように見えますが……」
そうなのだろうか? 工学魔法を使える人を見たことがないので基準がわからなかった。
何度か作り直しながらも僕はシリンダー、ピストン部分を完成させた。
「次は油だ」
壺の中に入っている植物の樹液と、獣脂を取り出して、手のひらに広げる。
そこに魔力を流し込み、透明で粘り気のある液体へと精製することができた。
本当に素材と魔力さえあれば、なんでもできるんだな。
液体の精製なんて精製装置を用意し、何時間も稼働させた上でようやく出来上がるものだ。
それをこんな一瞬で作り上げてしまうなんて工学魔法は本当にすごい。
油の粘度を一定にし、流れを細めるために絞り穴を作る。
シリンダーの内壁に細い管が刻まれる。ピストンが押し込まれた時、油は僅かな隙間を通ってじわじわと移動し、力をゆっくり逃がすようにと……。
「よし、完成だ!」
そうやって工学魔法を駆使すると、あっという間に馬車にオイルダンパーが取り付けられた。
魔力の光に縁取られたオイルダンパーは、軸受けと車体の間にぴたりと収まっていた。
「ミナリス、馬車を走らせてみよう!」
「わかりました」
御者席に乗り込むと、ミナリスが手綱を操作して馬を歩かせた。
車輪が回り、土道を馬車が進んでいく。
最初はゆっくりと進んでいき、徐々に馬の歩みが速くなった。
土道には至る所に凹凸があり、石ころに車輪が乗り上げてしまったが、それでも先ほどのような突き上げはこなかった。柔らかく沈んでふわりと持ち上がる程度である。
オイルダンパーがきっちりと仕事をしている証拠だ。
「……すごいです! ノエル様! 地面からの衝撃をほとんど感じません!」
「うん、これならお尻が痛くならないね!」
地面からの衝撃が格段に和らいだことを実感すると、僕とミナリスは優雅な旅を再開させるのであった。
教会の外に出ると、待機していたミナリスが出迎えてくれた。
周囲を見渡すと、馬車は僕とミナリスが乗ってきた一台しかない。
どうやらアルバンと兄たちは、僕たちを置いてさっさと引き上げてしまったらしい。
「属性魔法を授かることはできましたか?」
「……残念ながら属性魔法の適性は僕にはなかったよ」
ミナリスがハラハラとした顔で尋ねてき、僕はゆっくりと首を横に振った。
「では、どのような魔法の適性が?」
「工学魔法さ」
「ですが、物作りの才があるノエル様であれば、今までにない使い方ができるはずです! ポンプ式の井戸やリヤカーのように、きっとたくさんの領民を喜ばせることができます!」
返事を聞いてミナリスは少しだけ固まったが、すぐに明るい表情を浮かべて僕を励ましてくれた。
「そう主張したんだけど、父上や兄上たちには認めてもらえなかったよ」
「そんな! ノエル様がどれだけエルディア家に貢献したと思っているのですか。その恩恵に預かっておきながら物作りを否定するなんて酷過ぎます!」
儀式の間でのアルバンや兄たちのやり取りをかいつまんで説明すると、ミナリスは憤懣を露わにしてくれた。
僕の代わりにミナリスが怒ってくれて嬉しかった。
そんな思いをしているのが僕だけじゃないと思うだけで胸の中のモヤモヤが軽くなった。
「これからノエル様はどうなるのでしょう?」
「領地の開拓を任されることになったよ」
「領地の開拓に抜擢されるなんてすごいじゃないですか! 魔法適性については認められなかったアルバン様ですが、ノエル様の優秀さについては評価してくれたというわけですかね。開拓するのはどの辺りになるのでしょう?」
「魔の森だよ。ぶっちゃけて言えば、体のいい厄介払いだね」
赴任先を述べると、喜びに満ちていたミナリスの表情が見事に固まった。
公爵家に仕えて長い彼女のことだ。
魔の森がどういった場所なのかは僕以上にわかっているだろう。
そして、アルバンとオスラたちがどのような思惑を以って、僕にその開拓を任せたかもわかってしまったはずだ。
「私は付いていきます」
僕が苦笑いしていると、ミナリスが決意のこもった表情で言った。
「え? でも、僕に属性魔法の適性はないよ?」
「馬車の中で言ったじゃありませんか。私はノエル様がどのような適性魔法を授かることになったとしてもお仕えし続けると」
ミナリスがにっこりと笑いながら僕の手を包んでくれる。
あの時の言葉は僕を勇気づけるためのものではなく、ミナリスの本気の気持ちだったようだ。
嬉しくて涙が出そうになる。
「過酷な土地での開拓作業だ。普通に生活できるかも怪しいレベルだし、魔物に襲われて死んでしまうかもしれない」
「任せてください。魔の森の魔物だろうと薙ぎ倒してみせます」
「いや、ミナリスに魔物と戦わせるのは……」
「ノエル様、こう見えて私は戦闘が得意なんですよ?」
ミナリスが豊かな胸を張りながら誇るように言う。
「いくら力持ちだからといって、それと魔物と戦うことは別物だよ」
如何に百キロの荷物を軽々と持ち上げることのできるミナリスといえど、それとこれとは話が別だ。
行き過ぎた忠誠心を発揮しようとするミナリスを僕は窘める。
「ノエル様、よく考えてください。どうして獣人である私が公爵家にお仕えすることができているのかを……」
「それはミナリスが可愛いからじゃないの?」
光を受ける度に艶やかに輝く黒い髪は目を奪われるほどに美しい。
頭の上から伸びる兎耳はふわふわとしており、ちょっとした仕草や声に反応してピクリと動いたりしたりと動物的で可愛らしいと言えるだろう。
顔つきは少しあどけなさが残っているものの怜悧な大人っぽさが見えている。
身体つきもすらりとしながら女性らしい丸みがきちんとある。
「――ッ!? ち、違います!」
端的に伝えると、ミナリスがボンッと顔を赤くした。
「ゴメン。可愛いだけというのは失礼だね。ミナリスは可愛いい上に頭もいい努力家だからだ」
ミナリスが可愛いだけじゃなく、非常に聡明であることを忘れてはいけない。
なにせ僕の教育役を務められるほどだ。その頭の良さは評価しなければ。
「そ、そういう意味じゃありません!」
「え? 違うの?」
これだけ素晴らしい要素がいくつもあるっていうのに他に理由があるの? それこそ想像がつかないんだけど。
「おそれながらノエル様は、兎人族についてあまりご存知ではありませんね?」
「うん、そうだね。ミナリス以外に獣人の人と話したことがないから……」
公爵家の図書室にも獣人に関する本はなかったし、ミナリス以外に獣人の使用人はいなかったからね。
「兎人族は獣人の中でも優れた聴覚と俊敏性を持っていると同時に、闇魔法に対する高い適性を持っているのです」
「……闇魔法」
闇に身を隠したり、敵の視覚や感覚を鈍らせたり、影を操ったりすることができることから諜報や暗殺に向いている魔法とされており、世間一般からは忌避されている。
属性魔法の中で唯一貴族として不適格とされている不吉な魔法だ。
そこまで言われれば、亜人差別が横行している公爵家でもミナリスが何故雇われているのかを理解してしまった。
「……はい。お察しの通り、私は公爵家でメイドとして働きながら諜報や暗殺といった仕事も担っていました。こんな血に塗れた私でもノエル様は必要とされますか? 汚らわしいとは思いませんか?」
淡々と事実を告白しているように見えるが、よく見るとミナリスの身体は震えている。
大きいはずの彼女の身体がこの時ばかりは小さく見えた。
「汚らわしいなんて思わないよ」
「――ッ!」
僕から手を握ると、ミナリスはビクリと身体を震わせた。
「ミナリスの仕事にビックリしなかったといえば嘘になるけど、それはミナリスが生きるために必要だったんだよね?」
「……はい」
「ミナリスがそういった仕事をしていたからって蔑んだりなんかしない。ミナリスはミナリスだ」
ミナリスが快楽殺人者であったのなら困ったものであるが、彼女の場合はそうじゃないってことはわかっているからね。どんな過去があろうとも僕にとって大切な人ということに変わりはない。
「ノエル様、ありがとうございます」
そのように肯定すると、ミナリスは大きな瞳から涙をこぼしながら礼を言った。
僕は慌ててポケットの中からハンカチを取り出し、ミナリスに渡してあげた。
女性の涙を拭うことができたのであれば、このハンカチも本望であろう。
まあ、このハンカチもミナリスが用意してくれたものなんだけどね。
「……公爵家に残りたい気持ちはないんだよね?」
「ありません!」
念のために尋ねると、ミナリスはきっぱりと答えた。
そこに公爵家に対する未練の気持ちは一切ないようだ。
「ノエル様に忠誠を誓った時から私の一生はノエル様に捧げると決めていますので! どうか私を連れていってください!」
ここまでの覚悟を持っている人を突き放すことはできない。
「……わかった。ならミナリス、僕と一緒に魔の森に付いてきてくれ」
改めて僕が手を差し伸べると、ミナリスはにっこりと笑いながら手を重ねてくれるのであった。
●
馬車で屋敷に戻るなり、アルバンは僕に一刻も早く魔の森へ出立するように言ってきた。
出立のための猶予は与えられず、すぐさまに出ていけと言われた。
事実上の即刻退去である。
エルディア公爵家の子息でありながら不名誉な工学魔法を授かってしまったことが、よっぽど気に食わないらしい。
これ以上の屋敷での滞在は許されず、僕とミナリスは速やかに出立の準備を進めることにした。
馬車二台の中に商品開発で儲けたお金、食料、衣服、日用品、開拓道具、資材などを二人で詰め込んでいく。
屋敷にはミナリス以外にも僕に優しく接してくれる使用人は何人もいたが、荷造りを手伝ってくれる者はいなかった。
公爵家の将来有望な四男ならまだしも今となっては貴族として不適格な魔法を授かった落ちこぼれだからね。僕に優しくすればアルバンや兄たちに目をつけられることになるだろうし無理もない。
とはいえ、こうまで露骨に態度が変わるとなると傷つくものだ。
ミナリスの驚異的な働きぶりによって一時間もしない内に荷造りを終えることができた。
僕がやったことといえば、工学魔法の素材として使えそうな素材の選定をしたことくらいだな。本当に頼りになる専属メイドがいてくれて心底良かった。
「ノエル様、行きましょうか」
「うん、そうだね」
御者席に乗り込むと、僕はミナリスの言葉に頷いた。
当然、見送りは誰もいない。
工学魔法を授かった僕はエルディア公爵家からいない者として扱われているようだ。
だけど、別にそれでもいい。僕にはミナリスがいるのだから。
ミナリスが鞭を振るうと、馬がいななき声を上げてゆっくりと前に進み出した。
すると、景色がゆっくりと流れ、石畳の上を馬車が滑らかに進み始める。
屋敷の敷地を出ると、馬車は街道へと出た。
背後に広がる公爵家の屋敷は、もはや自分にとって帰るべき場所ではない。
不思議と寂しさは湧いてこなかった。
アルバンは魔法の研究に没頭しておりほとんど屋敷にいなかったし、正妻であるヴィオラは僕と血が繋がっていないせいで無関心だった。
兄たちとは年が離れており次期当主の座を狙ってといると勘違いされていたせいか警戒されており、ロクに交流することもできなかったからね。寂しさを感じないのは当然なのかもしれない。
見上げると清々しいまでの青い空が広がっていた。
旅をするにはもってこいの天気だ。
「ノエル様、ホッとされていますね」
「そんな風に見える?」
「はい。まるで肩の荷は下りたように見えます」
「結果は良くなかったけど魔法適性の儀という重圧から解放されたからだろうね」
屋敷で過ごしている間は重圧がすごかったけど、終わってしまった今となってはそんな心配は必要ない。
「これからの生活にノエル様は不安はないのですか?」
「不安がないといえば嘘になるけど、今はそれよりも楽しみな気持ちの方が強いかな」
「楽しみですか?」
「うん、今までは公爵家に気を遣っていたけど、これからは工学魔法で自分の好きなものを自由に作り出せるからね!」
貴族として安泰な道を進むなら属性魔法が望ましかったが、僕は物作りが好きだったこともあり生産系の魔法が欲しかったからね。
そう考えると、新天地での開拓も悪くない。なにせ物が作り放題だ。
笑顔でそんな本心を語ると、ミナリスは目を丸くし、柔らかい笑みを浮かべた。
「ノエル様であれば、きっと魔の森だろうと開拓することができますよ」
石畳に揺られて規則正しい音が響く中、僕とミナリスは他愛のない雑談を続けるのであった。
●
屋敷を出発してから三時間。僕は御者席の上で苦い顔をしていた。
「……お尻が痛い」
城塞都市であるエルドに向かう道はしっかりと整備されているが、その真反対への辺境へと向かう道はあまり整備されていない。屋敷の周辺から離れると、早々に土道に差し掛かかってしまい突き上がるような振動に苦しめられていた。
ふと隣を見ると、ミナリスは涼しい顔をしながら手綱を握っていた。
強い振動が来る度にうめき声を上げている僕とは大違いである。
すごい。馬車に乗り慣れていると、こういった振動にも慣れるのだろうか?
料理をしていると手の平の皮が厚くなって、ちょっとそっとの火じゃ熱くならないみたいな。
「ミナリスはお尻が痛くないの?」
「……ノエル様、とても痛いです」
尋ねると、ミナリスが涼しげな表情を歪ませて泣き言を吐いた。
どうやらやせ我慢をしていただけでかなり痛かったらしい。
ミナリスでさえ痛いというのであれば、僕の身体が特別に軟弱というわけではない。
つまり、馬車自体の問題というわけだな。
「ミナリス、馬車を少し停めてくれる?」
「かしこまりました」
指示を出すと、ミナリスはが手綱を操作してゆっくりと馬車を停止させてくれた。
僕は御者席から降りると、車輪の軸や車体の接合部を確認してみる。
「……やっぱり、ダンパーがないや」
すべての車輪を確認してみたがダンパーらしき装置は取り付けられていなかった。
道理で地面からの衝撃がもろに車体へと伝わるわけだ。これじゃ、お尻が痛くなるのも当然だ。
「うん、ダンパーが必要だ」
ここから魔の森にたどり着くのに二週間はかかるとミナリスは言っていた。
今は公爵領の中でも比較的道が綺麗な場所を通っているが、ここからさらに辺境になると道はさらに悪化し、お尻へのダメージは途轍もないものになる。そんなの耐えられない。
「ノエル様、なにをなさっているのですか!?」
突如、馬車の下へと潜り込んだ僕を見て、ミナリスが驚きの声を上げた。
「ちょっと工学魔法で馬車を改良しようと思ってね。ダンパーを取り付けようと思うんだ」
「ダンパー……ですか?」
ミナリスが小首を傾げた。
彼女がまったく知らない様子から、やはりこの世界の馬車にダンパーというものはないようだ。
「馬車の揺れを抑える装置さ」
「揺れを抑える? どうやってでしょう?」
ミナリスから素朴な疑問をぶつけられ、僕は傍に置いてあった水筒を手にした。
「たとえば、この水筒に水が入っているでしょう? 一気にひっくり返すとドバッと出る。でも、口を狭くすると、ちょろちょろっとしか出ないよね?」
「はい、少しずつしか出ません」
「それと同じで馬車が揺れる力を一旦受け止めて、ゆっくり逃がすのがダンパーだよ。ただバネみたいに押し返すだけだと、跳ね返って逆に大きく揺れてしまうからね。だから、その反発を油の流れでゆっくりにしてやるんだ」
「つまり、油が通る穴をわざと狭くして、力が一気に逃げないようにするんですね?」
「そういうこと!」
僕が説明しているのはオイルダンパーの原理だ。
油は水よりも重くて粘りがあるから、流れるのに時間がかかるからね。
その抵抗が馬車の揺れを小さなものに変えてくれるんだ。
オイルダンパーの仕組みを説明すると、僕は早速と作成に取り掛かることにした。
「……よし、作るか」
工学魔法とは、素材を組み合わせ、魔力で物質を加工、創造するものだ。
馬車の脇に積んであった鉄を浮かび上がらせると、魔力を込めながら空中で形を変えた。
「鉄がぐにゃぐにゃと形を変えて、あっという間に筒になりました!」
「すごい。これが工学魔法の力なんだ……ッ!」
今まではアイディアがあっても一人でも何もできなかった。
しかし、工学魔法は魔力と素材さえあれば、自分一人で意のままに素材を加工することができる。
それは僕にとってこれ以上ないほどに素晴らしい魔法だった。
細長い筒、シリンダー。その中を往復する棒、ピストンなども同じ要領で加工していく。
「……むむむ、意外と難しいな」
「そうおっしゃる割には随分とスムーズに加工されているように見えますが……」
そうなのだろうか? 工学魔法を使える人を見たことがないので基準がわからなかった。
何度か作り直しながらも僕はシリンダー、ピストン部分を完成させた。
「次は油だ」
壺の中に入っている植物の樹液と、獣脂を取り出して、手のひらに広げる。
そこに魔力を流し込み、透明で粘り気のある液体へと精製することができた。
本当に素材と魔力さえあれば、なんでもできるんだな。
液体の精製なんて精製装置を用意し、何時間も稼働させた上でようやく出来上がるものだ。
それをこんな一瞬で作り上げてしまうなんて工学魔法は本当にすごい。
油の粘度を一定にし、流れを細めるために絞り穴を作る。
シリンダーの内壁に細い管が刻まれる。ピストンが押し込まれた時、油は僅かな隙間を通ってじわじわと移動し、力をゆっくり逃がすようにと……。
「よし、完成だ!」
そうやって工学魔法を駆使すると、あっという間に馬車にオイルダンパーが取り付けられた。
魔力の光に縁取られたオイルダンパーは、軸受けと車体の間にぴたりと収まっていた。
「ミナリス、馬車を走らせてみよう!」
「わかりました」
御者席に乗り込むと、ミナリスが手綱を操作して馬を歩かせた。
車輪が回り、土道を馬車が進んでいく。
最初はゆっくりと進んでいき、徐々に馬の歩みが速くなった。
土道には至る所に凹凸があり、石ころに車輪が乗り上げてしまったが、それでも先ほどのような突き上げはこなかった。柔らかく沈んでふわりと持ち上がる程度である。
オイルダンパーがきっちりと仕事をしている証拠だ。
「……すごいです! ノエル様! 地面からの衝撃をほとんど感じません!」
「うん、これならお尻が痛くならないね!」
地面からの衝撃が格段に和らいだことを実感すると、僕とミナリスは優雅な旅を再開させるのであった。

