昼食を摂り終えた僕は、ミナリスと共に自室に戻って考え込んでいた。
つい先ほど、父であるアルバンから魔法適性の儀式についての説明を受けた。
五年後、僕は魔法適性の儀式を受けることになる。
僕だって男だ。魔法というファンタジックな力を授かることができるのはとても嬉しい。
とても嬉しいのだが、問題はそこで授かった魔法適性にとって僕の人生が百八十度変わる可能性があることだった。
貴族として相応しい魔法を授からなかったらどうなるか。それがわからない。
「ねえ、ミナリス」
「なんでしょう、ノエル様?」
「貴族が属性魔法を授からなかった場合ってどうなるのかな?」
「嫡男の場合は廃嫡になります」
つまり、正当な後継者であったとしても不適格とされるほどに重い烙印なのか。
「嫡男じゃない場合は?」
「多くの場合は冷遇されながらも領地で働くことになるかと……」
「そうなんだ」
だとしたら、ひとまずは命を取られる心配はないのかもしれない。
「……ですが、アルバン様はエルディア家が魔法の名門であることを誇りに思っていますので、かなり重い処罰を下されるかもしれません。よくて追放や幽閉、最悪の場合は……」
ホッとしていると、ミナリスが目を伏せながらそんな怖いことを言ってきた。
最後に言葉を区切られると、余計に怖くなるからやめてほしい。
妄執的なまでに優秀な魔法使いを排出することに拘っているアルバンだ。
ミナリスの言うような最悪のケースだって十分にあり得る。
「よし、決めた。ミナリス、僕は勉強するよ」
「え? 勉強ですか?」
まさか、幼子がそんなことを言い出すと思っていなかったのかミナリスが目を丸くした。
「今の内に色々とできることを増やしておこうと思ってね」
五年後に迎える魔法適性の儀にビクビクと怯えながら過ごしていても意味はない。
どれだけの努力を積み重ねようが、どのような魔法を授かるかはわからないんだ。
だったら最悪のケースを想定して今から動いていた方がいい。
たとえ貴族として相応しくない魔法を授かることになっても、それ以外の能力があれば公爵家に居続けることができるかもしれないね。
異世界での生存戦力を打ち立てた僕は、善は急げとばかりに勉強を始めることにした。
自室には勉強用の小さな卓と、ちょっとした教卓やボードが運び込まれることになった。
そして、教壇に立つのはいくつもの本や書類を抱えたミナリスである。
「勉強はミナリスが教えてくれるの?」
「はい。しばらくの間は、私がお勉強のお手伝いをいたします。もし、不服であれば、旦那様に申し上げて専門の講師をお呼びすることもできますが、いかがされますか?」
「いや、ミナリスがいい」
「ありがとうございます」
チェンジなんてとんでもない。メイドの家庭教師なんて最高だと思います。
「まずは文字を覚えることから始めましょう」
ミナリスが象形文字のようなものが書かれた紙を取り出した。アルファベットの一覧表みたいだ。
五十文字近くある。これらがこの世界の共通語であり、基本的な文字らしい。
この世界には人間以外にも、獣人、森妖精、鉱人といった多くの種族が存在するらしいが言語はすべて共通語で統一されているようだ。
つまり、これさえ覚えておけば世界中の人と会話ができる。前世のように他の言語をいくつも覚える必要はないらしい。たった一つの言語を覚えるだけでいいなんて素晴らしい。
ミナリスが文字を一つずつ指さしながら発声してくれる。
「……あ、い、う、え、お……」
僕も真似して発声していくと、ミナリスが驚いた顔で振り向いた。
「ノエル様、もうこれらの文字が読めるのですか?」
「うん、これくらいなら簡単だよ」
この世界の文字は前世で親しんだアルファベットや漢字に比べれば単純だ。形のルールさえわかれば、すぐに体系立てて覚えることができる。
それに身体が若いと覚えが早い。初めて目にする文字なのに脳がすごい勢いで記憶していく。まるで乾いたスポンジが水を吸収していくかのようだ。
明確な目的とやる気さえあれば、すぐに文字を覚えられるに違いない。
そうやってミナリスに家庭教師として付いてもらって文字の勉強を続けると、三か月ほどで文字の筆記ができるようになった。
「まさか、たった三か月でここまでくるなんて……ノエル様は天才です」
僕が書いた文章を見て、ミナリスが息を呑む。
三歳の子供が僅か三か月で文字を覚え、文章まで形にするなど常識では考えられないだろうな。
だが前世の記憶を持つ僕にとっては自然なことだった。
「まだ難しい単語とかはわからないし、文章の作成に手間取ってしまうけど……」
「いえ、ノエル様のご年齢でこれだけの文章を書くことができれば十分ですよ。頻出しない単語についてはゆっくりと経験を積みながら覚えていけばいいのです」
「わかったよ。ありがとう」
ミナリスからお墨付きを貰えることができた。素直に嬉しい。
「文字の勉強には区切りがつきました。ノエル様、今日から算術に移りましょう」
ミナリスは文字に関する書類や書物を片付けると、新しい教材を取り出した。
「おっ、算術だね。文字には苦戦したけど、そっちは多分得意だよ」
既にミナリスとの雑談でこちらの世界の計算式が前世と変わらないものであることは確認しているからね。
「本当ですか? では、こちらに五つの石があります。こちらから二つの石を取ると残りはいくつでしょうか?」
「三つだね」
即答するとミナリスが固まった。
「……で、では、残っている三つの石に一つの石を足して、そこから二つの石を取ると?」
「二つだね」
再度、即答するとミナリスはまたしても固まってしまった。
「ふ、ふふふ、さすがはノエル様です! しかし、私とて学ばないわけではありません! ノエル様であれば、簡単な足し引きくらいはこなすと思って、さらに難易度の高い問題もご用意しました!」
ミナリスは肩を震わせると、そのように高笑いをして目の前に書類を叩きつけてきた。
どんな難解な問題がきたのだろうかと身構えると、そこに書かれていたのは掛け算と割り算だった。
残念ながら一桁、二桁程度の掛け算、割り算であれば、小学生でも解くことができる。
僕はペンを手にとり、スラスラと問題の答えを記入し、ミナリスに提出した。
僕が問題用紙を提出すると、ミナリスはプルプルと震えながら目を見開いた。
それから絞り出すようにして言った。
「……すべて正解です」
●
それから僕はミナリス指導の元で勉強を重ね、言語、算術、歴史などを深く学んでいく。
言語と算術については前世の記憶のお陰ですくすくと上達することができたが、一番苦労したのは歴史だった。
なにせこの世界の王や英雄の名も戦の経緯も僕にとってはすべて未知のものだ。
前世の記憶では補えない。聞き慣れない人名や地名が次々と出てきて、物語の糸が途中で途切れるように混乱することも多々あった。理解するのに時間がかかり、記憶も定着しにくい。
この身体に転生して初めて学ぶという行為に苦労を覚えた瞬間だった。
ちなみに苦戦する僕とは対照的にミナリスはとても活き活きとしていた。
これこそが私の求めていた家庭教師と生徒の関係と言わんばかりだ。
言語も算術もあまりにも僕がすんなりと習得してしまったからだろうな。
幾度も聞き直し、同じ話を繰り返し復唱し、木板に書き写しては思い出す。
言語や算術に比べれば鈍重でもどかしいほど遅かった。
けれども、時間をかける内に点と点が繋がって線になった。
人物と出来事が繋がり、王国の流れや戦の因果が少しずつわかるようになった。
結局、僕は歴史だけは普通の子供のように苦労した。
だけど、その分、学び終えた時の手応えは重く確かなもので悪くない気持ちだった。
そうやって一年ほど勉学に打ち込んでいると、ある日ミナリスが唐突に問いかけてきた。
「ノエル様はどうして勉学に励まれるのでしょう?」
「急にどうしたの?」
「普通、ノエル様ほどの年齢の子供であれば、部屋に閉じこもって勉学に励まれるよりも外で遊び回ることを好まれるかと思います」
今の僕は四歳。本来であれば、遊びたい盛りの年齢のはずだ。
中庭で兄弟と共に木剣を振るい、使用人と追いかけっこをし、積み木で城を作っているのが普通だろう。
それなのに僕はそれらの一切をせず、妄執的なまでに勉学に打ち込んでいる。
ミナリスが疑問に思うのも当然だろう。
「……それはミナリスも同じじゃない?」
「私ですか?」
「ミナリスってまだ十一歳だよね? それなのに公爵家の使用人として働いている。これって相当な努力がないと無理だよね?」
「……私の場合はそうしなければ、まともに生きていけない状況でしたので……」
「僕も同じだよ」
「ノエル様もですか?」
「このまま順当にいけば、エルディア当主を継ぐのは長男であるオスラ兄さんか次男であるブラント兄さんだ。三男であるテイラー兄さんにはもしもの場合があるかもしれないけど、四男である僕が当主になる芽は薄いからね」
「………」
僕の現実的な考えにミナリスは真剣な顔つきで耳を傾けていた。
長い兎耳がピクピクと動いていて可愛いらしいが、今は真面目な場面なので見惚れている場合じゃない。
「当主になれなかった者は、兄弟仲がよければ代官などの要職について領内を支えるものだけど、
それは兄弟仲が良好だった場合だけさ」
十一歳を迎えて既に風属性の魔法を授かっているオスラ、十歳を迎えて火属性の魔法を授かっているブラントは互いをライバル視しており、どちからが当主の座に収まるかを争い合っている。
三男であるテイラーは昨年水属性の魔法を授かってしまったせいで、当主争いからは一歩引いた立ち位置にいる。
しかし、自分の方が二人よりも優秀だと思っている節があり、自分こそが当主に相応しいといった愚痴を漏らすことが多かった。
そして、四男である僕だが一番年が離れているだけあり、たとえ有用な属性魔法を授かったとしても当主になることはないと言われていた。
しかし、ミナリスをはじめとする一部の使用人が、僕に勉学の才だあるとはやし立ててしまったせいか少しだけ警戒され始めている。
僕からすると、六歳も年下の幼い弟なんかに警戒するなよと思うが、この世界では当主になれるのとなれないのとでは人生設計に大きな影響が出るからね。それだけ必死なのだろう。
こんな互いを警戒するような関係性で将来的に職を斡旋してもらえるなんて考えない方がいい。
「――それになにより、貴族として相応しい魔法を授からなかった場合、僕の将来はどうなるかわからないからね」
光や火のように華やかな適性ならまだしも、工学、生産、農耕といった貴族として不相応とされる魔法であれば家での居場所を失う可能性がある。
公爵家の四男だからといって安心はできない。
いつ追い出されてしまっても一人で生きていけるだけの強さがいる。
そのための最善の行動が今は勉学というだけだ。
もう少し知識が増え、身体が大きくなってきたら次はお金を稼いでみたいと思っている。
「……ノエル様、まだ四歳にして、そこまで先を見据えていらっしゃるなんて……」
ミナリスはぱちりと目を瞬いた後、感心したように息を漏らした。
「そんな大層なことじゃないよ。万が一に備えているだけさ」
前世で当たり前のようにしてきた最悪の想定をしているだけに過ぎない。
聡明さと呼ばれるには程遠いだろう。
そんな風に謙遜するもミナリスはなおも敬意を宿した瞳で見つめてくる。
その視線の対し、僕は小さく肩を竦めるしかできなかった。
「……ノエル様はエルディア家の当主になる芽が薄いとおっしゃいましたが、私にはノエル様が当主――いえ、それ以上の立派な何かになるのではないかと思っています」
「さすがにそれは買い被り過ぎだよ」
なおも敬意を宿した瞳で見つめてくるミナリスに対し、僕は小さく肩をすくめるのだった。
つい先ほど、父であるアルバンから魔法適性の儀式についての説明を受けた。
五年後、僕は魔法適性の儀式を受けることになる。
僕だって男だ。魔法というファンタジックな力を授かることができるのはとても嬉しい。
とても嬉しいのだが、問題はそこで授かった魔法適性にとって僕の人生が百八十度変わる可能性があることだった。
貴族として相応しい魔法を授からなかったらどうなるか。それがわからない。
「ねえ、ミナリス」
「なんでしょう、ノエル様?」
「貴族が属性魔法を授からなかった場合ってどうなるのかな?」
「嫡男の場合は廃嫡になります」
つまり、正当な後継者であったとしても不適格とされるほどに重い烙印なのか。
「嫡男じゃない場合は?」
「多くの場合は冷遇されながらも領地で働くことになるかと……」
「そうなんだ」
だとしたら、ひとまずは命を取られる心配はないのかもしれない。
「……ですが、アルバン様はエルディア家が魔法の名門であることを誇りに思っていますので、かなり重い処罰を下されるかもしれません。よくて追放や幽閉、最悪の場合は……」
ホッとしていると、ミナリスが目を伏せながらそんな怖いことを言ってきた。
最後に言葉を区切られると、余計に怖くなるからやめてほしい。
妄執的なまでに優秀な魔法使いを排出することに拘っているアルバンだ。
ミナリスの言うような最悪のケースだって十分にあり得る。
「よし、決めた。ミナリス、僕は勉強するよ」
「え? 勉強ですか?」
まさか、幼子がそんなことを言い出すと思っていなかったのかミナリスが目を丸くした。
「今の内に色々とできることを増やしておこうと思ってね」
五年後に迎える魔法適性の儀にビクビクと怯えながら過ごしていても意味はない。
どれだけの努力を積み重ねようが、どのような魔法を授かるかはわからないんだ。
だったら最悪のケースを想定して今から動いていた方がいい。
たとえ貴族として相応しくない魔法を授かることになっても、それ以外の能力があれば公爵家に居続けることができるかもしれないね。
異世界での生存戦力を打ち立てた僕は、善は急げとばかりに勉強を始めることにした。
自室には勉強用の小さな卓と、ちょっとした教卓やボードが運び込まれることになった。
そして、教壇に立つのはいくつもの本や書類を抱えたミナリスである。
「勉強はミナリスが教えてくれるの?」
「はい。しばらくの間は、私がお勉強のお手伝いをいたします。もし、不服であれば、旦那様に申し上げて専門の講師をお呼びすることもできますが、いかがされますか?」
「いや、ミナリスがいい」
「ありがとうございます」
チェンジなんてとんでもない。メイドの家庭教師なんて最高だと思います。
「まずは文字を覚えることから始めましょう」
ミナリスが象形文字のようなものが書かれた紙を取り出した。アルファベットの一覧表みたいだ。
五十文字近くある。これらがこの世界の共通語であり、基本的な文字らしい。
この世界には人間以外にも、獣人、森妖精、鉱人といった多くの種族が存在するらしいが言語はすべて共通語で統一されているようだ。
つまり、これさえ覚えておけば世界中の人と会話ができる。前世のように他の言語をいくつも覚える必要はないらしい。たった一つの言語を覚えるだけでいいなんて素晴らしい。
ミナリスが文字を一つずつ指さしながら発声してくれる。
「……あ、い、う、え、お……」
僕も真似して発声していくと、ミナリスが驚いた顔で振り向いた。
「ノエル様、もうこれらの文字が読めるのですか?」
「うん、これくらいなら簡単だよ」
この世界の文字は前世で親しんだアルファベットや漢字に比べれば単純だ。形のルールさえわかれば、すぐに体系立てて覚えることができる。
それに身体が若いと覚えが早い。初めて目にする文字なのに脳がすごい勢いで記憶していく。まるで乾いたスポンジが水を吸収していくかのようだ。
明確な目的とやる気さえあれば、すぐに文字を覚えられるに違いない。
そうやってミナリスに家庭教師として付いてもらって文字の勉強を続けると、三か月ほどで文字の筆記ができるようになった。
「まさか、たった三か月でここまでくるなんて……ノエル様は天才です」
僕が書いた文章を見て、ミナリスが息を呑む。
三歳の子供が僅か三か月で文字を覚え、文章まで形にするなど常識では考えられないだろうな。
だが前世の記憶を持つ僕にとっては自然なことだった。
「まだ難しい単語とかはわからないし、文章の作成に手間取ってしまうけど……」
「いえ、ノエル様のご年齢でこれだけの文章を書くことができれば十分ですよ。頻出しない単語についてはゆっくりと経験を積みながら覚えていけばいいのです」
「わかったよ。ありがとう」
ミナリスからお墨付きを貰えることができた。素直に嬉しい。
「文字の勉強には区切りがつきました。ノエル様、今日から算術に移りましょう」
ミナリスは文字に関する書類や書物を片付けると、新しい教材を取り出した。
「おっ、算術だね。文字には苦戦したけど、そっちは多分得意だよ」
既にミナリスとの雑談でこちらの世界の計算式が前世と変わらないものであることは確認しているからね。
「本当ですか? では、こちらに五つの石があります。こちらから二つの石を取ると残りはいくつでしょうか?」
「三つだね」
即答するとミナリスが固まった。
「……で、では、残っている三つの石に一つの石を足して、そこから二つの石を取ると?」
「二つだね」
再度、即答するとミナリスはまたしても固まってしまった。
「ふ、ふふふ、さすがはノエル様です! しかし、私とて学ばないわけではありません! ノエル様であれば、簡単な足し引きくらいはこなすと思って、さらに難易度の高い問題もご用意しました!」
ミナリスは肩を震わせると、そのように高笑いをして目の前に書類を叩きつけてきた。
どんな難解な問題がきたのだろうかと身構えると、そこに書かれていたのは掛け算と割り算だった。
残念ながら一桁、二桁程度の掛け算、割り算であれば、小学生でも解くことができる。
僕はペンを手にとり、スラスラと問題の答えを記入し、ミナリスに提出した。
僕が問題用紙を提出すると、ミナリスはプルプルと震えながら目を見開いた。
それから絞り出すようにして言った。
「……すべて正解です」
●
それから僕はミナリス指導の元で勉強を重ね、言語、算術、歴史などを深く学んでいく。
言語と算術については前世の記憶のお陰ですくすくと上達することができたが、一番苦労したのは歴史だった。
なにせこの世界の王や英雄の名も戦の経緯も僕にとってはすべて未知のものだ。
前世の記憶では補えない。聞き慣れない人名や地名が次々と出てきて、物語の糸が途中で途切れるように混乱することも多々あった。理解するのに時間がかかり、記憶も定着しにくい。
この身体に転生して初めて学ぶという行為に苦労を覚えた瞬間だった。
ちなみに苦戦する僕とは対照的にミナリスはとても活き活きとしていた。
これこそが私の求めていた家庭教師と生徒の関係と言わんばかりだ。
言語も算術もあまりにも僕がすんなりと習得してしまったからだろうな。
幾度も聞き直し、同じ話を繰り返し復唱し、木板に書き写しては思い出す。
言語や算術に比べれば鈍重でもどかしいほど遅かった。
けれども、時間をかける内に点と点が繋がって線になった。
人物と出来事が繋がり、王国の流れや戦の因果が少しずつわかるようになった。
結局、僕は歴史だけは普通の子供のように苦労した。
だけど、その分、学び終えた時の手応えは重く確かなもので悪くない気持ちだった。
そうやって一年ほど勉学に打ち込んでいると、ある日ミナリスが唐突に問いかけてきた。
「ノエル様はどうして勉学に励まれるのでしょう?」
「急にどうしたの?」
「普通、ノエル様ほどの年齢の子供であれば、部屋に閉じこもって勉学に励まれるよりも外で遊び回ることを好まれるかと思います」
今の僕は四歳。本来であれば、遊びたい盛りの年齢のはずだ。
中庭で兄弟と共に木剣を振るい、使用人と追いかけっこをし、積み木で城を作っているのが普通だろう。
それなのに僕はそれらの一切をせず、妄執的なまでに勉学に打ち込んでいる。
ミナリスが疑問に思うのも当然だろう。
「……それはミナリスも同じじゃない?」
「私ですか?」
「ミナリスってまだ十一歳だよね? それなのに公爵家の使用人として働いている。これって相当な努力がないと無理だよね?」
「……私の場合はそうしなければ、まともに生きていけない状況でしたので……」
「僕も同じだよ」
「ノエル様もですか?」
「このまま順当にいけば、エルディア当主を継ぐのは長男であるオスラ兄さんか次男であるブラント兄さんだ。三男であるテイラー兄さんにはもしもの場合があるかもしれないけど、四男である僕が当主になる芽は薄いからね」
「………」
僕の現実的な考えにミナリスは真剣な顔つきで耳を傾けていた。
長い兎耳がピクピクと動いていて可愛いらしいが、今は真面目な場面なので見惚れている場合じゃない。
「当主になれなかった者は、兄弟仲がよければ代官などの要職について領内を支えるものだけど、
それは兄弟仲が良好だった場合だけさ」
十一歳を迎えて既に風属性の魔法を授かっているオスラ、十歳を迎えて火属性の魔法を授かっているブラントは互いをライバル視しており、どちからが当主の座に収まるかを争い合っている。
三男であるテイラーは昨年水属性の魔法を授かってしまったせいで、当主争いからは一歩引いた立ち位置にいる。
しかし、自分の方が二人よりも優秀だと思っている節があり、自分こそが当主に相応しいといった愚痴を漏らすことが多かった。
そして、四男である僕だが一番年が離れているだけあり、たとえ有用な属性魔法を授かったとしても当主になることはないと言われていた。
しかし、ミナリスをはじめとする一部の使用人が、僕に勉学の才だあるとはやし立ててしまったせいか少しだけ警戒され始めている。
僕からすると、六歳も年下の幼い弟なんかに警戒するなよと思うが、この世界では当主になれるのとなれないのとでは人生設計に大きな影響が出るからね。それだけ必死なのだろう。
こんな互いを警戒するような関係性で将来的に職を斡旋してもらえるなんて考えない方がいい。
「――それになにより、貴族として相応しい魔法を授からなかった場合、僕の将来はどうなるかわからないからね」
光や火のように華やかな適性ならまだしも、工学、生産、農耕といった貴族として不相応とされる魔法であれば家での居場所を失う可能性がある。
公爵家の四男だからといって安心はできない。
いつ追い出されてしまっても一人で生きていけるだけの強さがいる。
そのための最善の行動が今は勉学というだけだ。
もう少し知識が増え、身体が大きくなってきたら次はお金を稼いでみたいと思っている。
「……ノエル様、まだ四歳にして、そこまで先を見据えていらっしゃるなんて……」
ミナリスはぱちりと目を瞬いた後、感心したように息を漏らした。
「そんな大層なことじゃないよ。万が一に備えているだけさ」
前世で当たり前のようにしてきた最悪の想定をしているだけに過ぎない。
聡明さと呼ばれるには程遠いだろう。
そんな風に謙遜するもミナリスはなおも敬意を宿した瞳で見つめてくる。
その視線の対し、僕は小さく肩を竦めるしかできなかった。
「……ノエル様はエルディア家の当主になる芽が薄いとおっしゃいましたが、私にはノエル様が当主――いえ、それ以上の立派な何かになるのではないかと思っています」
「さすがにそれは買い被り過ぎだよ」
なおも敬意を宿した瞳で見つめてくるミナリスに対し、僕は小さく肩をすくめるのだった。

