転生貴族、天空城を手に入れる~地上に居場所のない人たちを助けていたら、いつの間にか空飛ぶ最強国家になっていました~

「他にワイバーンはやってこないみたいだね」
「おそらく、先ほどの個体ははぐれなのでしょう」
ワイバーンは本来群れで行動する魔物だ。
他の仲間からの襲撃があるかもしれないと警戒していたが、小一時間が経過しても何もなかったのだ。その可能性はないと判断していいだろう。
僕たちは警戒態勢を解くことにした。
一息つくと、王の間に敷き詰められている大理石を茜色が染めていることに気付いた。
「もう夕方なんだ……」
紅の光に誘われるようにバルコニーへ出ると、視界いっぱいに広がったのは雲海を染め上げる壮大な景色だった。
空は深く燃えるような朱に染まり、雲は金色の波となって煌めいている。
地上では見ることのできない光景だ。
人間というのは、本当に美しい景色を見ると言葉は出なくなるんだな。
僕とミナリスはバルコニーに並んで、限られた時間しか拝むことのできない夕陽を堪能する。
「本当に今日は色々あったね」
「そうですね」
改めて振り返ってみると、とんでもない一日だ。
体のいい厄介払いとして魔の森に放り込まれることになったけど、今じゃこんな遥か空の上に城を構えている。
人生、何があるかわからないものだ。
やがて陽が落ちていくと空気がひんやりとし始めた。
空の高いところにいるからだろう。陽が落ちると一気に気温が落ちてくる。
「……ノエル様、そろそろ戻りましょうか」
僕が小さく身を震わせたことに気付いたのだろう。
ミナリスがこちらを見ながら案じるように言った。
「うん、そうだね」
僕は素直に頷き、バルコニーから王の間へと戻るのだった。



天空城が空に浮かんで一週間が経過した。
最上層にある寝室にて目を覚ました僕は、天蓋付きベッドからむくりと上体を起こす。
リモコンを操作し分厚いカーテンを開けると、大きな窓から朝日が差し込んできた。
眩しい光に目を眇める。
天空城の中は設備が充実し過ぎているせいか、日光を浴びていないと朝なのか夜なのかわからなくなってしまう。その対策として僕は毎朝しっかりと日の光を浴びるようにしていた。
ようやく目が太陽の光に慣れてくると、僕はベッドの上で軽く身体をほぐす。
ストレッチをかけて全身の筋肉を柔らかくすると、僕はベッドから這い出して身支度を整える。
僕が寝間着から私服に着替え終わると同時に扉がノックされた。
「ノエル様、おはようございます」
「おはよう、ミナリス」
見計らったかのようなタイミングなのは、廊下で耳を澄ませていたからだろう。
ミナリスは兎人族だけあって聴覚がかなりいいからね。
「朝食の準備が整っております」
「わかった」
「はい」
寝室を一緒に出ると、僕とミナリスは廊下を進んで食堂へと向かうことにした。
ふかふかな絨毯の敷かれた長い廊下を進んでいくと、厚みのある木材の扉が見えてきた。
王が食事をするための王食堂である。
ミナリスが扉を開けてくれたので中に入ると、クラシックな内装をした食堂が僕を出迎えてくれた。
部屋の中央には長大なテーブルがあり、その上には等間隔で金の燭台が設置されている。
天井には大きなシャンデリアがぶら下がっており、暖かな光が室内を照らしていた。
二人で使うにはあまりにも豪勢過ぎる食堂であるが、生憎と最上層にあるもう一つの食堂は客人をもてなすための大食堂となっており、これよりも遥かに大規模なものになってしまう。
これでも王がゆっくりと寛げるように落ち着いた内装に仕上げているというのだから驚きだ。
僕が席に座ると、ミナリスが奥に繋がっている厨房へと消えていく。
程なくすると、ミナリスがワゴンを押しながら戻ってきた。
「お待たせいたしました」
「――ッ!?」
テーブルの上に配膳された料理の数々を目にして僕は目を剥いた。
ニンジンサラダ、ニンジンソテー、スティックニンジン……。
……朝食のほぼすべてが橙色だった。橙色じゃない部分はプレートの中央に広がっている一枚のステーキとニンジンサラダに含まれている葉野菜くらいだ。
「……ニンジンメニューがたくさんだね」
「今日は人工農園で二回目の収穫が行われたので」
料理を見下ろしながらポツリと呟くと、ミナリスがにっこりと笑みを浮かべて嬉しそうに言った。
大好物であるニンジンの収穫ができて嬉しいのはわかるけど、ここまでニンジン尽くしにする必要があるのだろうか? そんな疑問を抱いてしまったが、ここまで無邪気な笑みを浮かべられたら文句を言えるはずもなかった。一応は栄養バランスを考えたメニューになっているし、なにより作ってもらっている身だからね。
「ありがとう。ミナリスも座って一緒に食べよう」
「はい」
ミナリスは対面側に移動すると、僕とまったく同じ料理を並べて席についた。
「「いただきます」」
二人して手を合わせると、僕たちは食事をすることにした。
ちなみにこの世界では「いただきます」といった食前の風習はない。
天空城で生活を繰り返している内に自然と前世の風習が出てくるようになってしまい、ミナリスがそこに込められた意味を僕から聞いて真似をするようになっただけだ。
それから毎回律儀にやっているので彼女にとっても納得できる風習であり、気に入っているのだろう。
さて、まずはお皿の上に鎮座している大きなニンジンソテーからいただこう。
そっとナイフを押し当てだけど、あっさりと身を切ることができた。
一口サイズになったソテーを口に運ぶ。
外側には香ばしい皮膜があり、噛みしめると驚くほど濃密な甘みが広がった。
砂糖など使っていないはずなのに、まるで蜜漬けにしたかのような濃厚な味わいだ。
ほんのりと効かせた塩が甘みを引き立てている上に、味全体を引き締めている。
「美味しい。また腕を上げたね。絶妙な火加減だよ」
「ありがとうございます」
ミナリスの大好物だけあってニンジンのソテーは何度も食卓に上がってきているが、その度にクオリティが上がっている。
中心部分は軽くシャキッと、外側は柔らかくジューシーに。茹で過ぎず、炒め過ぎない絶妙なアルデンテだと言えるだろう。
ニンジンソテーを食べると、口直しのためにニンジンサラダを口に運ぶ。
細く刻まれたニンジンがシャキシャキと小気味良い音を立て、爽やかな甘みが舌に広がった。
オリーブオイルのまろやかなコクとレモンのほのかな酸味が甘さを引き締めてくれ、爽やかな軽さを演出してくれている。柔らかな葉野菜との相性も抜群だな。
数々のニンジン料理に舌鼓を打ちつつ、喉を潤すためにオレンジジュースをあおった。
「んんっ!?」
「ノエル様、どうかされましたか?」
「……いや、これってオレンジジュースじゃないんだね」
「はい。そちらはキャロットジュースになります」
オレンジジュースだと思っていたばかりにまったく味が違ったので驚いた。
というか、どれだけニンジンが好きなんだ。
よく見たら焼き立てのパンの中にもニンジンが練り込まれている。
おかしいな? 兎人族というのは、ここまでニンジンが好きな種族なのだろうか? 
ミナリス以外に兎人族を見たことがないのでわからない。
疑問を抱きながらも朝食のラインナップの中で唯一ニンジンが使われていないといっていいステーキを食べる。
「うーん、やっぱりこれは肉だけど肉じゃないなぁ」
「そうですね。お肉の雰囲気はかなりありますけど、これはお肉ではありませんね」
そう。これはただの肉ではなく、天空城にある生産施設にて作り出された培養肉なのだ。
天空城の中層には様々な畜産系の生産施設があるが、肝心の家畜となる動物が収容されていない。
無理もない。天空城は五百年以上前に建造されたものだし、僕たちも何の前準備もなく空へ飛ばすことになった。そんなわけで今の天空城では肉や魚の類を入手する手段がないのだが、避難都市としての側面を持っている天空城ではあらゆる事態の想定がされている。
収容していた家畜が病などで死に絶えてしまった場合や、地上が災害に見舞われて野生動物の確保などが難しくなった場合に備えて、生産施設内で培養肉を生み出せるようになっているのだ。
元となる肉芽に工学魔法を発動し、魔力による刺激を与えることで細胞を成長させて作り出すといった仕組みなのだが、その過程はお世辞にも美しい光景とは言えない。
「……味や香りは確かに肉だけど、なんかこれじゃない感がすごいんだよね」
「申し訳ありません。調理の際に工夫を加えてはいるのですが……」
「いやいや! ミナリスの調理の腕に不満はないよ。むしろ、よくやってくれていると思っている。いつも美味しい料理をありがとう」
慌てて僕が誤解を解いてみせると、ミナリスは曇っていた表情を晴れやかなものにした。
彼女は限られた状況の中で最善の結果を出してくれている。これに文句を言うような主がどこにいるというのだ。
「きっと問題があるとしたら培養肉の元となっている肉芽自身だね」
「ノエル様、前々から気になっているのですがこの肉芽となっているのは一体どのような……?」
ミナリスがおずおずと尋ねてくる。
当然、オルグレンの知識を引き継いでいる僕は、肉芽となっているものが何をベースにしているかを知っている。
「それは知らない方がいいかも」
「……そのお言葉は逆に不安になってしまうのですが!?」
最悪のケースを想定してかミナリスの顔色が真っ青になってしまう。
あ、ヤバい。言葉を濁してしまったせいか変な誤解を与えてしまったかもしれない。
「大丈夫! 決して人間の肉だったりとかはしないから! ただちょっと大昔に存在していた見た目のよろしくない魔物の肉がベースというだけで……」
「ああ、なんとなく想像がつきました。今後の心の平穏のために私はこのまま知らないままでいようかと思います」
「うん、本当にそれがいいよ」
制御盤に登録されている魔物図鑑を開くと画像で閲覧することができるが、目にすれば確実に食欲が失せるのでやめておいた方がいい。
「どこかのタイミングで家畜を仕入れた方がいいね」
僕の方で培養肉を改良することができないか試してみるが、こちらに関してはオルグレンの知識の中にもあまり有効な手立てはない。彼としても肉芽のベースとしてあの魔物を使うことは不本意だったのだが、他に安定して生産できる肉の素体が見つからなかったそうだ。
こちらは引き継いだ僕自身が研究し、改良に当たるべきことだろう。
ただ色々と模索をしながらになるので時間がかかってしまう。それまでずっと培養肉に頼るのは、心身的によろしくないので何とか家畜を手に入れたいところだ。
「もっとも簡単なのは魔の森に棲息している食肉可能な動物、あるいは魔物を捕獲することでしょうか? 次点では天空城を動かして集落や村で買い付ける」
「安全で確実なのは後者だけど、まだ天空城をそこまで移動させたことがないしなぁ。ひとまず、魔の森に畜産できそうな生き物が探してからでも遅くはないかも」
「そうですね」
まあ、魔の森に畜産できるような穏やかな動物や魔物がいるかは怪しいところであるが、実際に探ってから判断してもいいだろう。
そんなわけでニンジン尽くしの朝食を平らげた僕は、早速と王の間へと移動して行動に移すことにした。
「よし、魔の森の様子を確認だ!」
外縁部のカメラを使用し、地上に広がっている魔の森の様子を眺めてみることにした。
魔の森の木々は大きく枝葉が生い茂っているために地上の光景はほとんど見えない。
しかし、カメラの解像度を上げると、生い茂っている枝葉の間をすり抜けるようにして地上を確認することができた。
こんな高度から地上の様子を詳細に確認できるなんて外界カメラの性能はすごいなぁ。
ただ魔の森の範囲があまりにも広いために一人では確認しきることが難しい。僕一人では何かそれらしい存在を見つけたとしても見逃してしまう確率が高い。
「ミナリスも一緒に探してくれるかい?」
「わかりました」
そんなわけで僕はミナリスと一緒に制御盤を眺めることにした。
彼女が見やすいように制御盤をさらに展開し、いくつもの画面に映像が映し出される。
「……ケマイエス、ヤンガルンガ、ケイブホーン……今のところ視認できている生き物は家畜に適さない狂暴な魔物ばかりだね」
「まあ、ここは魔の森ですから」
「それでも草食動物とかいないかな?」 
「できれば、交配のために雄と雌で一匹ずつは欲しいところですね」
「こ、交配……」
生々しい単語が出てきて僕は動揺してしまうが、ミナリスは特に気にせずに制御盤を見つめていた。
うん、畜産業のことについて話しているんだ。そういった単語が出てしまうのは仕方がない。
変に気にしないことにしよう。
心を落ち着かせるために制御盤を見ることに没頭していると、不意に森の中を人影らしき者が通る姿が見えた。
「うん?」
「ノエル様、どうされました?」
「今、一瞬人影のようなものが見えたような気がしたんだよね」
「人影ですか?」
ミナリスが怪訝な声を上げる。
無理もない。ここは狂暴な魔物が棲息している魔の森だ。この付近には一切の人が住んでいない上に、その危険性から冒険者すら近寄ることはない。そんな森に人影がいるというのは考えられないことだった。
制御盤を操作し、人影が見えた地点へと外界カメラを集中させる。
すると、いくつかのカメラが木々の合間をすり抜けるようにして進んでいく複数の人影を捉えた。
「いた! やっぱり人だ!」
「正確には獣人族ですね」
カメラを拡大してみると、森の中を歩いているのは獣人だった。
先頭を歩いている男の頭頂部には獣人の証である三角形の耳が生えており、腰からはふさふさした長い尻尾が生えていた。隣を歩いている金糸のような長い髪を首の裏で束ねている女性にも同じく三角形の耳とふさふさの尻尾が生えている。
他にも耳の形状や尻尾の形が違った獣人が三人ほどおり、その遥か後方には獣人の集落と思われるような大規模な集団がいた。こちらの数は百人ほどといったところかな?
「本当だ! 僕らが見落としていただけでずっと前からここに住んでいたのかな?」
「いえ、その可能性は低いかと。私とノエル様がやってくるよりも間から魔の森に住んでいたのであれば、森の中を探索していた頃に何かしらの接触があってもおかしくないはずです。仮にその時は警戒しており、接触をしてこなかったとしても天空城が空に打ち上がったのに姿を見せないというのは不自然ですから」
「確かに」
天空城が空を飛んだ時に地上にもたらされた衝撃は途轍もなく、城の跡地には直径数キロほどのクレーターができている。これだけの騒ぎがあって一切姿を見せないというのは不自然だ。よって、彼らは僕らが天空城で生活をするようになってから魔の森にやってきたと考えるのが自然だろう。
「だとすると、どうしてこんなところにやってきたんだろう?」
「彼らの様子を見る限り、やってきたというよりも流れ着いたのかもしれません」
どこか痛ましそうな視線を向けるミナリス。
獣人たちの様子を確認してみると、身体がかなり痩せ細っているようだった。
頬は痩せこけ、表情には憔悴が浮かんでいる。まるで遭難者のようだ。
「……どういたしますか?」
ミナリスが問いかけてくる。
魔の森で家畜になりそうな生き物を探していたら獣人を見つけるなんて完全に予想外だ。
天空城を手に入れる前ならば、問答無用で協力関係を結んで魔の森で共に生きていくという手段を結ぶことを考えていたが、今は色々と状況が異なっている。
「助けよう」
「よろしいのですか?」
「あのままじゃ獣人たちは間違いなく死ぬことになるからね」
魔の森を探索してみてわかったことだが、この森には食料となるものがほとんど自生していない。唯一食料になりそうなのは魔物くらいのものであるが、おそろしいほどの力量を秘めている上に数も多い。呑気に狩りなどをしていれば、あっという間に他の魔物によって袋叩きにされることだろう。そうなることがわかっていて僕に放置することはできない。
「たとえ、獣人であってもですか?」
「獣人だろうと人間だろうと関係ないよ。困っている人がそこにいて、自分に助けられる力があるなら僕は手を差し伸べたい」
「かしこまりました。では、私が先行して獣人たちに接触しようと思います」
「先行して接触? そんなことしなくても天空城を降下させて、引き上げてあげることもできるけど……」
「それがもっとも手っ取り早い方法ではありますが、ノエル様の身の安全を考えますとオススメしません。あの獣人たちが邪な想いを抱いていないという保証もありませんから」
獣人たちをまとめて引き上げる方法を提案するが、ミナリスがゆっくりと首を横に振った。
確かに僕たちは飢えている獣人たちを一方的に視認しただけで、まだ言葉を交わしたわけではない。
彼らが善人であるが、悪人であるかも判断がつかない。
「もちろん、天空城には数々のゴーレムや配備されており、数々の防衛装置があるのは重々承知しておりますが、万が一ということもありますので」
「……わかった。ならゴーレムと一緒にミナリスが接触して問題なさそうだったら、少人数だけを天空城に連れてきてあげて」
獣人たちと接触してみて、話が通じそうであれば少人数だけを天空城に招いてあげればいい。
そうすれば、もしものことがあったとしても大概のことはどうにかなるはずだ。
「それならば問題ないかと思われます」
「じゃあ、よろしく頼んだよ」
僕がそう頼むと、ミナリスは慇懃に一礼して王の間を出ていくのであった。