天空城は最上層、上層、中層、下層からなる四つの層に分けられている。
最上層には王の間が存在し、玉座に据えられた制御盤から天空城のすべてを操ることができる。
王の間以外には、王が快適に暮らすためのすべてが揃えられている。
広々とした寝室、書斎、陽光を取り込む温室庭園、身体を癒すための大浴場、豪奢な食卓、訪れる客を迎えるための迎賓室や舞踏の間も用意されており、まるで空に浮かぶ白亜の城そのものだ。
次に王が住まう最上層のすぐ下である上層には限られた側近が暮らすための階層だ。
こちらは最上層には劣るが、王に次ぐ立場の者たちが快適に暮らせるための施設が充実していた。
その下に広がる中層は主に生産区画となっており、天空城の生活を支えるための数多くの生産施設が密集している。
人工農園、水耕栽培室、果樹園、畜産小屋、養魚池、養殖槽、きのこ培養室、鍛冶場、織物工房、染色小屋、革工房、木工工房、製塩施設、醸造所、食料保管庫……etc。
さらには天空城の稼働を支える使用人、兵士、技術者、鍛冶師、錬金術師などといった者たちが快適に暮らせるための家屋や宿舎が並んでいる。
そして、最後に下層であるが、ここは天空城を動かす力と支える仕組みが詰め込まれた層である。
ここには動力室をはじめとした城全体に魔力を行き渡らせるための施設があり、魔力石材によって吸収した魔力を力へと変換し、反重力結界を作動させるための機構が半分を占めている。
残りの半分は動力装置以外にも上の階で出た水やゴミを処理するための施設、地上から物資を受け渡すための貨物用ドック、さらには危険な実験を行うための研究施設が集まっている。
「――以上が大まかな天空城の構造だよ」
「なるほど。想像以上に色々な施設があるのですね」
そんな天空城の概要をミナリスに説明しながら中層を歩いていると、石造りの廊下は突如として終わりを見せた。
「着いた! ここが人工農園だよ!」
高い天井には魔導パネルが敷き詰められており、太陽光を模した穏やかな光が降り注いでいた。
足下には外より運び込まれた土が視界一面に広がっており、ゴーレムたちが鍬を手にしてせっせと土を耕し、肥料を混ぜ込んでいる。
畑の周囲には水路が流れており、穏やかな田園風景のような景色が広がっていた。
「……天空城の内部に本当にこのような農園が……」
「今は稼働したばかりで土作りからだけど、それが終わったらすぐに作物の種を植え始めるはずさ」
今は畑の畝が少しできているだけの状態だが、作業をしているのは人間よりも遥かに高い膂力を誇り、疲れを知らないゴーレムだ。一日とかからずに一面は畝となり、作物の種付けまでたどり着けるだろう。
「……となると、食材を収穫するのに二週間から一か月ほどですか」
ミナリスが懸念しているのは食料の生産サイクルだろう。
たとえ天空城内で作物を育てることができたとしても、収穫できるまで人間は食料を口にしないまま活動できるわけじゃない。
しかし、人工農園においてそのような心配はほとんど無用だ。
「そんなに時間はかからないよ。早い作物なら三日で収穫できるから」
「たったの三日ですか!?」
「ここで植えられる作物は、工学魔法で品種改良されているからね。地上にある作物とは成長速度がまるで違うんだ。その気になれば、今すぐにだって収穫ができるよ」
「……今すぐにですか?」
古代よりもたらされた工学魔法の技術を耳にして、ミナリスは信じられないといった表情を浮かべる。
無理もない。種を植えてすぐに作物を収穫できるなんて地上では考えられないし、科学の発達していた前世でも考えられなかったことだ。
しかし、古代の技術と工学魔法を組み合わせれば、それは可能となる。
「うん、ちょっと土に負担はかけちゃうけど、その証拠を今から見せてあげるよ」
僕は離れたところにある人工農園を管理するための端末を操作する。
この端末は人工農園内の温度管理、日光調整、水循環などといった作物の栽培のためのあらゆる調整を行うことができる。
そこから種の保存庫にアクセスをすると、端末からカプセルがポンッと出てきた。
その中には品種改良された作物の種が収まっていた。
カプセルを手にしながら手身近な畝に近寄ると、僕は片膝を突きながら工学魔法を発動。
魔力波動によって土粒と肥料を振動させ、均一に拡散。微細な空気層を作り、酸素を十分に行き渡らせる。発酵を促進させ、堆肥の有機物を瞬時に分解。土壌から発生した不要なガスを抽出すると、即座に肥料は土に馴染んだ。
「畝の土が一瞬にして柔らかく!?」
「工学魔法で土と肥料を結合させたんだ」
ミナリスが畝の土を触りながら驚きの声を上げる中、僕はカプセルの蓋を開けていくつかの種を畝に落とした。
その上に土を被せてやると、僕は水路から汲み上げた水をかけた。
仕上げとして工学魔法を発動し、作物の成長因子に変化を加える。
「これですぐに作物が育つはずだよ」
ミナリスが怪訝な表情を浮かべる中、目の前にある土が僅かに震え、ぴょこんと緑の双葉が顔を出した。
「え? もう芽が?」
ミナリスが驚きで目を丸くする中、芽は急激に成長していく。
まるで時を早送りするかのように茎が広がり、葉が茂り、黄色い花が咲いた。
丸みを帯びた緑の実が次々と膨らんでいき、数十秒後には真っ赤に染まってくれた。
「うん、成功だね! 綺麗なトマトだ!」
「こんな瞬時に作物を育てられるなんて……」
満足気げに頷く僕とは対象的にミナリスは唖然とした表情を浮かべていた。
オルグレンから引き継いだ知識がなかったら僕も同じような表情を浮かべていたに違いない。
僕は大きく実ったトマトをもぎ取ると、そのまま口に運んだ。
果肉に歯を突き立てた瞬間に広がる果汁。
「うわっ! 美味しい!」
思えば、魔の森に辿りついてから色々とあり過ぎて何も口にしていなかった。
空腹だったこともあり、僕は貪るようにしてトマトを口にする。
前世でも様々な品種のトマトを口にしたことはあったけど、これほど甘さのあるトマトは初めて食べた。かなりの絶品だ。
もはや、これはフルーツといっていいじゃないか?
なんて呑気な感想を抱いていると、不意に物欲しそうな視線を感じた。
視線の主はミナリスだった。
そうだ。僕が何も食べていないように彼女も何も口にしていなかった。
「ミナリスも食べてみて。美味しいよ?」
「で、では、いただきます」
もう一つのトマトをミナリスへ差し出すと、彼女は両手で抱えるようにして口にした。
「――ッ!? な、なんですか、このトマトは!?」
「うん? 工学魔法で品種改良したトマトだけど?」
「地上でもトマトは口にしたことがありますが、それとは比べ物にならないほどの甘さです!」
「ああ、改良しているのは成長速度だけじゃないんだ。他にも病害虫耐性、環境耐性、魔力耐性に加え、栄養価の増加、味覚強化、保存性の強化なども行っているんだ」
「道理で地上のトマトとは一線を画すような味のはずです。甘さだけでなく、酸味のバランスも素晴らしいです」
あらゆる面で品種改良を加えていることを告げると、ミナリスが納得したように頷いた。
「そういえば、先ほど瞬時に育てるとなると土に負担がかかるとおっしゃっていましたが……」
「まあ、本来なら作物はゆっくりと時間をかけて育てるものだからね。瞬時に成長させて、収穫までもっていくとなると、地面から多大な栄養を吸い上げることになるんだ」
この方法は工学魔法が使えるが故のズルのようなものだ。
たった一回で土から栄養が枯渇するようなことはないが、同じ場所で何度も繰り返し行えば土は死んでしまうことになるだろう。
「なるほど。緊急時以外の作成は避けるべきであり、使用した後は土を休ませる必要があるのですね」
「そういうことになるね」
瞬時の作物生成はできるだけ避けるべきだと明言すると、ミナリスの長頂部にある長い耳がしゅんと垂れた。
あれ? なんかかなり残念そうにしている? もっとトマトを食べたかったのかな?
いや、でも目の前の苗にはいくつものトマトが成っているので、足りなければお代わりをすればいいだけだ。
「……もしかして、今すぐに何か食べたいものがあった?」
おずおずと尋ねると、ミナリスの萎れていた耳がピーンと立ち上がった。
あ、なんか当たりっぽい。
「確かに土に負担はかかるけど、一回や二回で栄養が死滅するわけじゃないからね? 何か食べたいものがあったら食べさせてあげるよ?」
「で、では……もし、品種改良されている作物の中にニンジンがあれば食べてみたいです」
ミナリスが頬を赤くし、絞り出すようにして言った。
ミナリスは兎人族ということもあり、ニンジンが大好きだった。
地上よりも美味しい作物があると言われれば、大好物を食べてみたいと思うのは当然だろう。
「えーっと、待ってね。ニンジンの種はあるかな……あ、あった!」
端末を操作してみると、種の保存庫にしっかりとニンジンがあった。
すぐにボタンを押して、ニンジンの種が入っているカプセルを取り出す。
蓋を開けて種を取り出すと、別の畝へと移動する。
先程と同じように工学魔法を作用させ土と肥料を瞬時に結合させると、ぱらぱらとニンジンの種を植えて土で覆った。そこに水路から汲んだ水をかけ、仕上げとして工学魔法で成長因子に強化を加える。
すると、埋めたばかりの地面がぽこりと膨らんだ芽を出した。
芽はトマトと同じようにみるみるうち茎を伸ばし、葉を広げ――数十秒後には土の中で根がふっくらと膨らんでいた。
成長したものを手で引っこ抜いてみると、橙色の実が艶やかに輝いていた。
「とても素晴らしい色艶ですね! 離れていてもニンジンの甘い香りが伝わってきます!」
ミナリスが目を輝かせながら言う。
土から引っこ抜いたばかりなので僕にはそこまで香りは感じられないが、嗅覚が敏感な彼女からすれば、そのような甘い香りが漂っているらしい。
「洗って食べてみようか」
「はい!」
水路の水を使ってニンジンを綺麗に洗うと、僕とミナリスはその場でニンジンを齧った。
パリッとした小気味のいい音が鳴ると共に、濃厚な甘みが口の中に広がった。
「わっ、ニンジンも甘い!」
通常のものよりも糖度が高い上に柔らかい。
熱を通していないにも関わらず、そのまま容易に齧ることができた。
「見事な食感ですね。固過ぎず、柔らか過ぎることもなくニンジンとして食感を維持しています。それなのに繊維は細かく、噛んだ瞬間に内側から濃厚な甘みが広がります。これほどジューシーなニンジンは食べたことがありません」
僕が凡庸な感想を漏らす中、ミナリスは詳細な食レポを披露してくれた。
生真面目な表情を浮かべているが、頭上から伸びている長い耳はこれ以上なくぴこぴこと動いていたので、かなり気に入ってくれたのはわかった。
二口、三口と齧り付く度に頬を緩めるミナリスを見て、僕も自然と頬が緩んだ。
大切な人が幸せそうにしている姿を見ると、こちらまで嬉しくなってくるものだ。
「気に入ってくれたならニンジンを多めに栽培しちゃってもいいよ」
「よろしいのですか!?」
「うん、ミナリスの大好物だしね」
天空城の中に人工農園はこんなにも広い。大好物があるなら多めに育てればいい。
中層にある人工農園はここ以外にもあるし、地上にだって農場は作ることができるからね。
ここは僕たちの農園なんだ。好きに作物を育てればいい。
「ありがとうございます、ノエル様! では、ここにある畑の半分ほどをニンジン畑にしたいと思います!」
「いや、さすがにそれは多くない?」
端末を操作し、次々と種の入ったカプセルを出そうとするミナリスを僕は慌てて止めた。
なにごとにも限度はある。
●
人工農園を後にした僕とミナリスは、水生成施設の確認に向かうために中層を移動していた。
「うん、中層もすっかりと歩きやすくなったね」
天空城を起動して掌握する前は、上層と中層はイグーナの巣窟になっていた。そのため少し歩けばイグーナと遭遇していたのだが、天空城の清掃機能によってイグーナたちは城外へと排除された。お陰で中層を歩いていてもイグーナに襲われることはない。排水の影響で未だに天井、壁、地面などは湿っているが、僕としては命の危険がないだけで嬉しいものだ。
「ええ、天空城の清掃機能のお陰で廊下も綺麗になりました」
「たしかに」
逃げ回っている時は気にしている暇がなかったのだが、イグーナの巣窟になっていたせいか上層や中層は至る所に糞尿などがあった。しかし、それは物理的な流水によって綺麗さっぱりと流されている。
「ですが、まだ微かに異臭じゃある上に、長年の汚れは落ち切っていないようですね。城内の生産施設の確認が終われば、城内をくまなく掃除したいところです」
ただの人間である僕にはほとんど異臭を感じないけど、鋭敏な嗅覚を持つミナリスからすれば気になる箇所は多いようだ。まあ、あくまで大雑把に水で流しただけで、きちんと洗剤などを塗布して汚れを落としたわけじゃないからね。いずれは本腰を入れて、城内を清掃する必要があるだろう。
廊下を見ながらそのようなことを話し合っていると、やがてだだっ広い居住区へと差し掛かった。
一切の人気のない石畳で構築された大通りを僕とミナリスはアルク。
並び立つ家々は石材を精緻に積み上げて造られている。
どの建物も無駄のない直線と角で構成されており、装飾という装飾はほとんどなく、窓枠や扉も簡素な鉄や石で加工されていた。
「中層は居住区とお聞きしましたが、随分と機能的な造りをしていますね?」
ミナリスが立ち並んでいる家屋を眺めながら呟く。
建物はすべて石材で統一されており、整然と綺麗に並んでいる。
ここまで綺麗な街並みは初めから緻密に計算して建てないと目にすることができない光景だ。
「ここは天空城で働く人のための街なんだ」
あくまでここは天空城の運営に関わる人たちが暮らす場所だからね。
生活感というよりも機能性を重視している。外にある寂れた城下町とは明確に役割が違うのだ。
とはいえ、決して閉塞感のあるエリアではない。
建物と建物の間取りは広く取られているし、住居だけでなく大型の倉庫や集会所のような建物も設置されている。大通りには等間隔で魔力灯が等間隔で設置されており、その先には広場だってある。
天井はとても高く、太陽光を再現するためのソーンパネルがはめ込まれているため、稼働させれば地上と何ら変わらない明るさでの生活ができる。
そのような機能があることを語ると、ミナリスは驚いたように目を丸くしていた。
「なるほど。城内にもかかわらず、地上となんら変わらない生活がおくれるのですね」
「うん、そういうこと。今は誰も住んでいないから寂しい空間に思えるかもしれないけど、人が住むようになればきっと温かみのある街になるはずだよ」
とはいっても、この先僕らが天空城に誰かを迎え入れるかはわからない。
だけど、天空城を現実的に運営していくとなると、人の手が必要なことは明らかだ。
ゴーレムは単純作業をこなすことに向いているが、自分で考えて行動することはできないからね。
オルグレンのような人の意識を転写したゴーレムは特別なのだ。さすがに今の僕でも一朝一夕で造り上げることはできない。それも含めて今後の課題だと言えるだろう。
●
「次は水生成施設だよ」
居住区を抜けると、白や薄いグレーの塗装された建物がいくつも整然と並んでいた。
建物の屋上には銀色の通気ダクトや換気塔があり、壁の至る所には配管が走っている。
どこか近代の浄水施設を想起させるような見た目だった。
「……かなり大きいですね」
「水生成施設の他に浄水装置、貯水槽、送水ポンプ、送水管、配水池、導水路といった水に関係するあらゆる施設が集まっている場所だから」
天空城の生命線となる水に関連する施設を扱うために重要度はかなり高い。
そのため広大な敷地をぐるりと囲うように金網のフェンスが張られており、入り口には管理用のゲートが設置されている。さらにゲートの前には人の背丈を優に超える二体のゴーレムが警備を行っていた。
「ひとまず、中を見てみよう」
「はい」
ミナリスがこくりと頷いたのを確認し、僕は管理用のゲートに向かって一歩前に足を踏み出す。
すると、ゴーレムがこちらを向き、僕に向かって青白い光を当ててきた。
「ノエル様!」
「心配ないよ。ゴーレムは仕事をしているだけだから」
咄嗟にミナリスが駆け寄ろうとするが、僕は制止させた。
「……身分認証――確認完了。天空城の王、ノエル=エルディアの入場を許可します」
「ありがとう」
無事に照合が終わると、二体のゴーレムは管理用ゲートを開けてくれた。
ゴーレムに礼を言いながらゲートをくぐる。
続いて後ろに控えていたミナリスが前に進もうとすると、先ほどと同じようにゴーレムが彼女の身体をスキャンするように青白い光を当てた。
「――識別不能。入場権限なし。ここより先は立ち入り禁止です」
ゴーレムたちは彼女の行く手を遮るようにして腕を伸ばした。
「私はノエル様の専属メイドです!」
「規定により、登録のない者は入場できません。これ以上、進むのであれば排除します」
ミナリスが耳をピンッと立てながら不服を露わにするが、二体のゴーレムは冷たい声音で返した。
ミナリスが半身になって拳を構えると、ゴーレムたちも電磁棒のようなものを構えて臨戦態勢に入る。まさに一触即発の雰囲気だ。
いやいや、天空城内で同士討ちなんてシャレにならない。
「待って! ミナリスは僕の大切な従者であり護衛だ。この場で識別登録をして施設への入場を認めてほしい」
「……天空城の王より識別登録の申請を確認――個体名、ミナリスを王直轄従者として登録しました。入場を許可します」
この場での登録をお願いすると、ゴーレムはレンズを明滅させながら即時登録を済ませてくれた。
行く手を遮るように伸ばされていた腕が下ろされ、電磁棒が引っ込む。
「ごめん、ミナリス。一部の施設には識別登録が必要なのを失念していたよ」
「……王直轄従者、悪くない響きですね」
「ミナリス?」
「いえ、お気になさらないでください。むしろ、警備が厳重なようで安心しました。よからぬ者が入り込んで、毒物でも流し込まれれば一大事ですから」
「そうだね」
誰でも入れるような施設だと思わぬ事故が起きるかもしれないしね。
もし、仮に外から人を迎え入れることになっても、水生産施設に入れる者は最小限にするつもりだ。
敷地内に入ると、僕たちは水生成施設の中に足を踏み入れた。
施設の内部は整然とした機械群と魔法陣が一体となった精密な空間だった。
高い天井には配水管と魔力伝導菅が幾重にも張り巡らされている。
空気は少しだけヒンヤリとしていて、僅かに湿り気を帯びていた。
低いポンプの唸りの音や、水の流れる音が絶えずして聞こえてくる。
中央には塔のようにそびえ立つ円筒形の水生成装置が鎮座しており、水魔石に生成された水が下部に取り付けられた巨大な貯水タンクへと注がれていた。
「これが水生成装置さ」
「ここも動力室にある魔石によって稼働しているのでしょうか?」
「ここは主に水魔石なんかを動力源にしているね。動力室にある魔石でも水を生成することはできるけど、水系統の魔力資源を使った方が効率いいから」
城内に存在する生産施設は動力室にある魔石を源に可能することは可能だが、一部の生産施設に関しては別の魔力資源を媒介していたりもする。
「だから動力室に何か異常があっても重要施設が完全に機能を停止するわけじゃないよ。それに水を生成する手段だって一つじゃないしね」
水の生成方法は他にもある。
浄水装置は貯め込んだ雨水を濾過、浄化処理を施し、綺麗な水へと変換してくれる。
大気凝縮装置は周囲の空気から微細な水分を集め、魔力冷却によって凝縮し、水滴化してくれる。
雲海吸収塔などは雲海から取り込んだ水分を純水へと変換することができる。
水循環装置は生活、農園、工房などから排出された水を集め、魔法技術と濾過技術によって再生水へと変換してくれる。
このように天空城ではあらゆる事態を想定し、様々な方法での水資源を獲得できるようになっている。
「これだけの施設があれば安心ですね」
そのことを伝えると、ミナリスは安心したように笑みを浮かべた。
きっとこれだけリスクを分散しているのは、災害に見舞われて地上から一切の水補給ができないという想定で造ったからなのだろう。
「あとは懸念があるとすれば、生産した食料や水をどう保存するかでしょうか? どちらも潤沢にあるのは喜ばしいのですが、私とノエル様ですべてを消費することは難しいでしょうし……」
「その点については問題ないよ。天空城には時の流れを停止させる食料保管庫があるから」
「そのような便利なものがあるのですか!?」
「うん、少し戻ることになるけど、そこも見てみようか」
食料保管庫に対してミナリスが強い興味を示したので、僕たちは水生産施設を後にして来た道を引き返す。
「ここが食料保管庫さ」
「ぱっと見た限りでは、一般的なお城の中にある宝物庫といった感じですね」
人工農園と水生産施設に間くらいの奥まった独立した区画に食料保管庫はあった。
重厚な鉄製の二枚扉の前には、水生産施設と同様に二体のゴーレムが立っている。
まさしくミナリスの言う通り、お城にある宝物庫のような見た目だ。
先にミナリスの識別登録を済ませると、今回は引っ掛かることもなく僕たちは中に入ることができた。
食料保管庫は二重扉構造になっており、二枚の扉をくぐった先にある。
内部に一歩足を踏み入れると、空気の流れがピタリと止み、音が吸い込まれるような静寂に包まれた。まるで教会の聖堂のような静けさが支配したような空間だった。
「……ここが食料保管庫ですか? それにしても物資が一切ないようですが……」
「ああ、保管しているものは、光の渦の先にあるんだ」
真正面には時空魔法による魔法陣が煌めいており、眩い光の渦のようなものが発生していた。
「どのようにして物資を取り出すのでしょう?」
「白い渦の中に手を入れて、引っ張り出したいもののイメージをすればいいんだ」
僕は無造作に白い渦の中に腕を突っ込むと、取り出したいもののイメージをしながら物資を取り出した。
「本当に中から物資が! ……ところで、ノエル様。この銀色の円筒形のものはなんでしょう?」
「五百年前の保存食だよ」
「五百年前!?」
食品を金属缶に詰めて密封した上で加熱殺菌した保存食。
前世でもあったいわゆる缶詰というやつだ。
「お、魚だ」
アルミニウムの蓋を開けると、中には魚の水煮が入っていた。
鯖の水煮だろうか? いや、それにしては身が大きい。五百年前に棲息していた魚なのかもしれない。
僕はアルミニウムの蓋を工学魔法でフォークへと変形させた。
「どんな味なのか気になる。食べてみよう」
「お待ちください、ノエル様! 毒見でしたら私がいたします!」
魚にフォークを突き刺して口に運ぼうとしたところでミナリスに止められた。
「え? 別に毒見なんて必要ないけど……?」
「五百年前の食料ですよ!? ノエル様にもしものことがあってはいけません! 私が先に食べて、問題ないかを確かめます!」
そう言って僕が抱えていた缶詰とフォークを取り上げてしまうミナリス。
いや、時の流れが止まっている保管庫の中で厳重に収容されていたんだ。中の食べ物が腐っているわけがない。しかし、そんな仕組みを初めて聞かされたミナリスからすれば、すぐに事実を呑み込むのは難しいのだろう。
「わかったよ。じゃあ、ミナリスが先に食べていいよ」
仕方なく僕はミナリスの好きにさせてあげることにした。
もし、何かあったとしても医療施設を稼働させれば、食当たりくらいすぐに治せるからね。
「で、では、いただきます」
おそるおそるといった様子で謎の魚の水煮を持ち上げる。
フォークの先端に突き刺された魚を見る目は、完全に得体の知れないものを見る目であった。
別にそこまで無理しなくていいんだけど。
僕がジーッと傍で見つめていると、彼女は決死の表情を浮かべ謎の魚の水煮を口に運んだ。
「――うッ!?」
「どうしたの、ミナリス!?」
まさか、なにかしらの不調で正しく保存されていなかったのか?
「……美味しいですっ! こんなにも臭みがなく、身の柔らかい魚を食べたのは初めてです!」
なんだ。ただ美味しかっただけか。ややこしい反応をしないで欲しい。
「これで保存食に問題ないことはわかったよね? だから、僕も食べるよ?」
「いえ、私が何事もなく一日――いえ、三日ほど過ごして問題なければにいたしましょう」
「ええ、僕も缶詰を食べてみたいんだけど……」
僕のそんな淡い要望は却下されてしまい、この日は缶詰を食べることができなかった。
最上層には王の間が存在し、玉座に据えられた制御盤から天空城のすべてを操ることができる。
王の間以外には、王が快適に暮らすためのすべてが揃えられている。
広々とした寝室、書斎、陽光を取り込む温室庭園、身体を癒すための大浴場、豪奢な食卓、訪れる客を迎えるための迎賓室や舞踏の間も用意されており、まるで空に浮かぶ白亜の城そのものだ。
次に王が住まう最上層のすぐ下である上層には限られた側近が暮らすための階層だ。
こちらは最上層には劣るが、王に次ぐ立場の者たちが快適に暮らせるための施設が充実していた。
その下に広がる中層は主に生産区画となっており、天空城の生活を支えるための数多くの生産施設が密集している。
人工農園、水耕栽培室、果樹園、畜産小屋、養魚池、養殖槽、きのこ培養室、鍛冶場、織物工房、染色小屋、革工房、木工工房、製塩施設、醸造所、食料保管庫……etc。
さらには天空城の稼働を支える使用人、兵士、技術者、鍛冶師、錬金術師などといった者たちが快適に暮らせるための家屋や宿舎が並んでいる。
そして、最後に下層であるが、ここは天空城を動かす力と支える仕組みが詰め込まれた層である。
ここには動力室をはじめとした城全体に魔力を行き渡らせるための施設があり、魔力石材によって吸収した魔力を力へと変換し、反重力結界を作動させるための機構が半分を占めている。
残りの半分は動力装置以外にも上の階で出た水やゴミを処理するための施設、地上から物資を受け渡すための貨物用ドック、さらには危険な実験を行うための研究施設が集まっている。
「――以上が大まかな天空城の構造だよ」
「なるほど。想像以上に色々な施設があるのですね」
そんな天空城の概要をミナリスに説明しながら中層を歩いていると、石造りの廊下は突如として終わりを見せた。
「着いた! ここが人工農園だよ!」
高い天井には魔導パネルが敷き詰められており、太陽光を模した穏やかな光が降り注いでいた。
足下には外より運び込まれた土が視界一面に広がっており、ゴーレムたちが鍬を手にしてせっせと土を耕し、肥料を混ぜ込んでいる。
畑の周囲には水路が流れており、穏やかな田園風景のような景色が広がっていた。
「……天空城の内部に本当にこのような農園が……」
「今は稼働したばかりで土作りからだけど、それが終わったらすぐに作物の種を植え始めるはずさ」
今は畑の畝が少しできているだけの状態だが、作業をしているのは人間よりも遥かに高い膂力を誇り、疲れを知らないゴーレムだ。一日とかからずに一面は畝となり、作物の種付けまでたどり着けるだろう。
「……となると、食材を収穫するのに二週間から一か月ほどですか」
ミナリスが懸念しているのは食料の生産サイクルだろう。
たとえ天空城内で作物を育てることができたとしても、収穫できるまで人間は食料を口にしないまま活動できるわけじゃない。
しかし、人工農園においてそのような心配はほとんど無用だ。
「そんなに時間はかからないよ。早い作物なら三日で収穫できるから」
「たったの三日ですか!?」
「ここで植えられる作物は、工学魔法で品種改良されているからね。地上にある作物とは成長速度がまるで違うんだ。その気になれば、今すぐにだって収穫ができるよ」
「……今すぐにですか?」
古代よりもたらされた工学魔法の技術を耳にして、ミナリスは信じられないといった表情を浮かべる。
無理もない。種を植えてすぐに作物を収穫できるなんて地上では考えられないし、科学の発達していた前世でも考えられなかったことだ。
しかし、古代の技術と工学魔法を組み合わせれば、それは可能となる。
「うん、ちょっと土に負担はかけちゃうけど、その証拠を今から見せてあげるよ」
僕は離れたところにある人工農園を管理するための端末を操作する。
この端末は人工農園内の温度管理、日光調整、水循環などといった作物の栽培のためのあらゆる調整を行うことができる。
そこから種の保存庫にアクセスをすると、端末からカプセルがポンッと出てきた。
その中には品種改良された作物の種が収まっていた。
カプセルを手にしながら手身近な畝に近寄ると、僕は片膝を突きながら工学魔法を発動。
魔力波動によって土粒と肥料を振動させ、均一に拡散。微細な空気層を作り、酸素を十分に行き渡らせる。発酵を促進させ、堆肥の有機物を瞬時に分解。土壌から発生した不要なガスを抽出すると、即座に肥料は土に馴染んだ。
「畝の土が一瞬にして柔らかく!?」
「工学魔法で土と肥料を結合させたんだ」
ミナリスが畝の土を触りながら驚きの声を上げる中、僕はカプセルの蓋を開けていくつかの種を畝に落とした。
その上に土を被せてやると、僕は水路から汲み上げた水をかけた。
仕上げとして工学魔法を発動し、作物の成長因子に変化を加える。
「これですぐに作物が育つはずだよ」
ミナリスが怪訝な表情を浮かべる中、目の前にある土が僅かに震え、ぴょこんと緑の双葉が顔を出した。
「え? もう芽が?」
ミナリスが驚きで目を丸くする中、芽は急激に成長していく。
まるで時を早送りするかのように茎が広がり、葉が茂り、黄色い花が咲いた。
丸みを帯びた緑の実が次々と膨らんでいき、数十秒後には真っ赤に染まってくれた。
「うん、成功だね! 綺麗なトマトだ!」
「こんな瞬時に作物を育てられるなんて……」
満足気げに頷く僕とは対象的にミナリスは唖然とした表情を浮かべていた。
オルグレンから引き継いだ知識がなかったら僕も同じような表情を浮かべていたに違いない。
僕は大きく実ったトマトをもぎ取ると、そのまま口に運んだ。
果肉に歯を突き立てた瞬間に広がる果汁。
「うわっ! 美味しい!」
思えば、魔の森に辿りついてから色々とあり過ぎて何も口にしていなかった。
空腹だったこともあり、僕は貪るようにしてトマトを口にする。
前世でも様々な品種のトマトを口にしたことはあったけど、これほど甘さのあるトマトは初めて食べた。かなりの絶品だ。
もはや、これはフルーツといっていいじゃないか?
なんて呑気な感想を抱いていると、不意に物欲しそうな視線を感じた。
視線の主はミナリスだった。
そうだ。僕が何も食べていないように彼女も何も口にしていなかった。
「ミナリスも食べてみて。美味しいよ?」
「で、では、いただきます」
もう一つのトマトをミナリスへ差し出すと、彼女は両手で抱えるようにして口にした。
「――ッ!? な、なんですか、このトマトは!?」
「うん? 工学魔法で品種改良したトマトだけど?」
「地上でもトマトは口にしたことがありますが、それとは比べ物にならないほどの甘さです!」
「ああ、改良しているのは成長速度だけじゃないんだ。他にも病害虫耐性、環境耐性、魔力耐性に加え、栄養価の増加、味覚強化、保存性の強化なども行っているんだ」
「道理で地上のトマトとは一線を画すような味のはずです。甘さだけでなく、酸味のバランスも素晴らしいです」
あらゆる面で品種改良を加えていることを告げると、ミナリスが納得したように頷いた。
「そういえば、先ほど瞬時に育てるとなると土に負担がかかるとおっしゃっていましたが……」
「まあ、本来なら作物はゆっくりと時間をかけて育てるものだからね。瞬時に成長させて、収穫までもっていくとなると、地面から多大な栄養を吸い上げることになるんだ」
この方法は工学魔法が使えるが故のズルのようなものだ。
たった一回で土から栄養が枯渇するようなことはないが、同じ場所で何度も繰り返し行えば土は死んでしまうことになるだろう。
「なるほど。緊急時以外の作成は避けるべきであり、使用した後は土を休ませる必要があるのですね」
「そういうことになるね」
瞬時の作物生成はできるだけ避けるべきだと明言すると、ミナリスの長頂部にある長い耳がしゅんと垂れた。
あれ? なんかかなり残念そうにしている? もっとトマトを食べたかったのかな?
いや、でも目の前の苗にはいくつものトマトが成っているので、足りなければお代わりをすればいいだけだ。
「……もしかして、今すぐに何か食べたいものがあった?」
おずおずと尋ねると、ミナリスの萎れていた耳がピーンと立ち上がった。
あ、なんか当たりっぽい。
「確かに土に負担はかかるけど、一回や二回で栄養が死滅するわけじゃないからね? 何か食べたいものがあったら食べさせてあげるよ?」
「で、では……もし、品種改良されている作物の中にニンジンがあれば食べてみたいです」
ミナリスが頬を赤くし、絞り出すようにして言った。
ミナリスは兎人族ということもあり、ニンジンが大好きだった。
地上よりも美味しい作物があると言われれば、大好物を食べてみたいと思うのは当然だろう。
「えーっと、待ってね。ニンジンの種はあるかな……あ、あった!」
端末を操作してみると、種の保存庫にしっかりとニンジンがあった。
すぐにボタンを押して、ニンジンの種が入っているカプセルを取り出す。
蓋を開けて種を取り出すと、別の畝へと移動する。
先程と同じように工学魔法を作用させ土と肥料を瞬時に結合させると、ぱらぱらとニンジンの種を植えて土で覆った。そこに水路から汲んだ水をかけ、仕上げとして工学魔法で成長因子に強化を加える。
すると、埋めたばかりの地面がぽこりと膨らんだ芽を出した。
芽はトマトと同じようにみるみるうち茎を伸ばし、葉を広げ――数十秒後には土の中で根がふっくらと膨らんでいた。
成長したものを手で引っこ抜いてみると、橙色の実が艶やかに輝いていた。
「とても素晴らしい色艶ですね! 離れていてもニンジンの甘い香りが伝わってきます!」
ミナリスが目を輝かせながら言う。
土から引っこ抜いたばかりなので僕にはそこまで香りは感じられないが、嗅覚が敏感な彼女からすれば、そのような甘い香りが漂っているらしい。
「洗って食べてみようか」
「はい!」
水路の水を使ってニンジンを綺麗に洗うと、僕とミナリスはその場でニンジンを齧った。
パリッとした小気味のいい音が鳴ると共に、濃厚な甘みが口の中に広がった。
「わっ、ニンジンも甘い!」
通常のものよりも糖度が高い上に柔らかい。
熱を通していないにも関わらず、そのまま容易に齧ることができた。
「見事な食感ですね。固過ぎず、柔らか過ぎることもなくニンジンとして食感を維持しています。それなのに繊維は細かく、噛んだ瞬間に内側から濃厚な甘みが広がります。これほどジューシーなニンジンは食べたことがありません」
僕が凡庸な感想を漏らす中、ミナリスは詳細な食レポを披露してくれた。
生真面目な表情を浮かべているが、頭上から伸びている長い耳はこれ以上なくぴこぴこと動いていたので、かなり気に入ってくれたのはわかった。
二口、三口と齧り付く度に頬を緩めるミナリスを見て、僕も自然と頬が緩んだ。
大切な人が幸せそうにしている姿を見ると、こちらまで嬉しくなってくるものだ。
「気に入ってくれたならニンジンを多めに栽培しちゃってもいいよ」
「よろしいのですか!?」
「うん、ミナリスの大好物だしね」
天空城の中に人工農園はこんなにも広い。大好物があるなら多めに育てればいい。
中層にある人工農園はここ以外にもあるし、地上にだって農場は作ることができるからね。
ここは僕たちの農園なんだ。好きに作物を育てればいい。
「ありがとうございます、ノエル様! では、ここにある畑の半分ほどをニンジン畑にしたいと思います!」
「いや、さすがにそれは多くない?」
端末を操作し、次々と種の入ったカプセルを出そうとするミナリスを僕は慌てて止めた。
なにごとにも限度はある。
●
人工農園を後にした僕とミナリスは、水生成施設の確認に向かうために中層を移動していた。
「うん、中層もすっかりと歩きやすくなったね」
天空城を起動して掌握する前は、上層と中層はイグーナの巣窟になっていた。そのため少し歩けばイグーナと遭遇していたのだが、天空城の清掃機能によってイグーナたちは城外へと排除された。お陰で中層を歩いていてもイグーナに襲われることはない。排水の影響で未だに天井、壁、地面などは湿っているが、僕としては命の危険がないだけで嬉しいものだ。
「ええ、天空城の清掃機能のお陰で廊下も綺麗になりました」
「たしかに」
逃げ回っている時は気にしている暇がなかったのだが、イグーナの巣窟になっていたせいか上層や中層は至る所に糞尿などがあった。しかし、それは物理的な流水によって綺麗さっぱりと流されている。
「ですが、まだ微かに異臭じゃある上に、長年の汚れは落ち切っていないようですね。城内の生産施設の確認が終われば、城内をくまなく掃除したいところです」
ただの人間である僕にはほとんど異臭を感じないけど、鋭敏な嗅覚を持つミナリスからすれば気になる箇所は多いようだ。まあ、あくまで大雑把に水で流しただけで、きちんと洗剤などを塗布して汚れを落としたわけじゃないからね。いずれは本腰を入れて、城内を清掃する必要があるだろう。
廊下を見ながらそのようなことを話し合っていると、やがてだだっ広い居住区へと差し掛かった。
一切の人気のない石畳で構築された大通りを僕とミナリスはアルク。
並び立つ家々は石材を精緻に積み上げて造られている。
どの建物も無駄のない直線と角で構成されており、装飾という装飾はほとんどなく、窓枠や扉も簡素な鉄や石で加工されていた。
「中層は居住区とお聞きしましたが、随分と機能的な造りをしていますね?」
ミナリスが立ち並んでいる家屋を眺めながら呟く。
建物はすべて石材で統一されており、整然と綺麗に並んでいる。
ここまで綺麗な街並みは初めから緻密に計算して建てないと目にすることができない光景だ。
「ここは天空城で働く人のための街なんだ」
あくまでここは天空城の運営に関わる人たちが暮らす場所だからね。
生活感というよりも機能性を重視している。外にある寂れた城下町とは明確に役割が違うのだ。
とはいえ、決して閉塞感のあるエリアではない。
建物と建物の間取りは広く取られているし、住居だけでなく大型の倉庫や集会所のような建物も設置されている。大通りには等間隔で魔力灯が等間隔で設置されており、その先には広場だってある。
天井はとても高く、太陽光を再現するためのソーンパネルがはめ込まれているため、稼働させれば地上と何ら変わらない明るさでの生活ができる。
そのような機能があることを語ると、ミナリスは驚いたように目を丸くしていた。
「なるほど。城内にもかかわらず、地上となんら変わらない生活がおくれるのですね」
「うん、そういうこと。今は誰も住んでいないから寂しい空間に思えるかもしれないけど、人が住むようになればきっと温かみのある街になるはずだよ」
とはいっても、この先僕らが天空城に誰かを迎え入れるかはわからない。
だけど、天空城を現実的に運営していくとなると、人の手が必要なことは明らかだ。
ゴーレムは単純作業をこなすことに向いているが、自分で考えて行動することはできないからね。
オルグレンのような人の意識を転写したゴーレムは特別なのだ。さすがに今の僕でも一朝一夕で造り上げることはできない。それも含めて今後の課題だと言えるだろう。
●
「次は水生成施設だよ」
居住区を抜けると、白や薄いグレーの塗装された建物がいくつも整然と並んでいた。
建物の屋上には銀色の通気ダクトや換気塔があり、壁の至る所には配管が走っている。
どこか近代の浄水施設を想起させるような見た目だった。
「……かなり大きいですね」
「水生成施設の他に浄水装置、貯水槽、送水ポンプ、送水管、配水池、導水路といった水に関係するあらゆる施設が集まっている場所だから」
天空城の生命線となる水に関連する施設を扱うために重要度はかなり高い。
そのため広大な敷地をぐるりと囲うように金網のフェンスが張られており、入り口には管理用のゲートが設置されている。さらにゲートの前には人の背丈を優に超える二体のゴーレムが警備を行っていた。
「ひとまず、中を見てみよう」
「はい」
ミナリスがこくりと頷いたのを確認し、僕は管理用のゲートに向かって一歩前に足を踏み出す。
すると、ゴーレムがこちらを向き、僕に向かって青白い光を当ててきた。
「ノエル様!」
「心配ないよ。ゴーレムは仕事をしているだけだから」
咄嗟にミナリスが駆け寄ろうとするが、僕は制止させた。
「……身分認証――確認完了。天空城の王、ノエル=エルディアの入場を許可します」
「ありがとう」
無事に照合が終わると、二体のゴーレムは管理用ゲートを開けてくれた。
ゴーレムに礼を言いながらゲートをくぐる。
続いて後ろに控えていたミナリスが前に進もうとすると、先ほどと同じようにゴーレムが彼女の身体をスキャンするように青白い光を当てた。
「――識別不能。入場権限なし。ここより先は立ち入り禁止です」
ゴーレムたちは彼女の行く手を遮るようにして腕を伸ばした。
「私はノエル様の専属メイドです!」
「規定により、登録のない者は入場できません。これ以上、進むのであれば排除します」
ミナリスが耳をピンッと立てながら不服を露わにするが、二体のゴーレムは冷たい声音で返した。
ミナリスが半身になって拳を構えると、ゴーレムたちも電磁棒のようなものを構えて臨戦態勢に入る。まさに一触即発の雰囲気だ。
いやいや、天空城内で同士討ちなんてシャレにならない。
「待って! ミナリスは僕の大切な従者であり護衛だ。この場で識別登録をして施設への入場を認めてほしい」
「……天空城の王より識別登録の申請を確認――個体名、ミナリスを王直轄従者として登録しました。入場を許可します」
この場での登録をお願いすると、ゴーレムはレンズを明滅させながら即時登録を済ませてくれた。
行く手を遮るように伸ばされていた腕が下ろされ、電磁棒が引っ込む。
「ごめん、ミナリス。一部の施設には識別登録が必要なのを失念していたよ」
「……王直轄従者、悪くない響きですね」
「ミナリス?」
「いえ、お気になさらないでください。むしろ、警備が厳重なようで安心しました。よからぬ者が入り込んで、毒物でも流し込まれれば一大事ですから」
「そうだね」
誰でも入れるような施設だと思わぬ事故が起きるかもしれないしね。
もし、仮に外から人を迎え入れることになっても、水生産施設に入れる者は最小限にするつもりだ。
敷地内に入ると、僕たちは水生成施設の中に足を踏み入れた。
施設の内部は整然とした機械群と魔法陣が一体となった精密な空間だった。
高い天井には配水管と魔力伝導菅が幾重にも張り巡らされている。
空気は少しだけヒンヤリとしていて、僅かに湿り気を帯びていた。
低いポンプの唸りの音や、水の流れる音が絶えずして聞こえてくる。
中央には塔のようにそびえ立つ円筒形の水生成装置が鎮座しており、水魔石に生成された水が下部に取り付けられた巨大な貯水タンクへと注がれていた。
「これが水生成装置さ」
「ここも動力室にある魔石によって稼働しているのでしょうか?」
「ここは主に水魔石なんかを動力源にしているね。動力室にある魔石でも水を生成することはできるけど、水系統の魔力資源を使った方が効率いいから」
城内に存在する生産施設は動力室にある魔石を源に可能することは可能だが、一部の生産施設に関しては別の魔力資源を媒介していたりもする。
「だから動力室に何か異常があっても重要施設が完全に機能を停止するわけじゃないよ。それに水を生成する手段だって一つじゃないしね」
水の生成方法は他にもある。
浄水装置は貯め込んだ雨水を濾過、浄化処理を施し、綺麗な水へと変換してくれる。
大気凝縮装置は周囲の空気から微細な水分を集め、魔力冷却によって凝縮し、水滴化してくれる。
雲海吸収塔などは雲海から取り込んだ水分を純水へと変換することができる。
水循環装置は生活、農園、工房などから排出された水を集め、魔法技術と濾過技術によって再生水へと変換してくれる。
このように天空城ではあらゆる事態を想定し、様々な方法での水資源を獲得できるようになっている。
「これだけの施設があれば安心ですね」
そのことを伝えると、ミナリスは安心したように笑みを浮かべた。
きっとこれだけリスクを分散しているのは、災害に見舞われて地上から一切の水補給ができないという想定で造ったからなのだろう。
「あとは懸念があるとすれば、生産した食料や水をどう保存するかでしょうか? どちらも潤沢にあるのは喜ばしいのですが、私とノエル様ですべてを消費することは難しいでしょうし……」
「その点については問題ないよ。天空城には時の流れを停止させる食料保管庫があるから」
「そのような便利なものがあるのですか!?」
「うん、少し戻ることになるけど、そこも見てみようか」
食料保管庫に対してミナリスが強い興味を示したので、僕たちは水生産施設を後にして来た道を引き返す。
「ここが食料保管庫さ」
「ぱっと見た限りでは、一般的なお城の中にある宝物庫といった感じですね」
人工農園と水生産施設に間くらいの奥まった独立した区画に食料保管庫はあった。
重厚な鉄製の二枚扉の前には、水生産施設と同様に二体のゴーレムが立っている。
まさしくミナリスの言う通り、お城にある宝物庫のような見た目だ。
先にミナリスの識別登録を済ませると、今回は引っ掛かることもなく僕たちは中に入ることができた。
食料保管庫は二重扉構造になっており、二枚の扉をくぐった先にある。
内部に一歩足を踏み入れると、空気の流れがピタリと止み、音が吸い込まれるような静寂に包まれた。まるで教会の聖堂のような静けさが支配したような空間だった。
「……ここが食料保管庫ですか? それにしても物資が一切ないようですが……」
「ああ、保管しているものは、光の渦の先にあるんだ」
真正面には時空魔法による魔法陣が煌めいており、眩い光の渦のようなものが発生していた。
「どのようにして物資を取り出すのでしょう?」
「白い渦の中に手を入れて、引っ張り出したいもののイメージをすればいいんだ」
僕は無造作に白い渦の中に腕を突っ込むと、取り出したいもののイメージをしながら物資を取り出した。
「本当に中から物資が! ……ところで、ノエル様。この銀色の円筒形のものはなんでしょう?」
「五百年前の保存食だよ」
「五百年前!?」
食品を金属缶に詰めて密封した上で加熱殺菌した保存食。
前世でもあったいわゆる缶詰というやつだ。
「お、魚だ」
アルミニウムの蓋を開けると、中には魚の水煮が入っていた。
鯖の水煮だろうか? いや、それにしては身が大きい。五百年前に棲息していた魚なのかもしれない。
僕はアルミニウムの蓋を工学魔法でフォークへと変形させた。
「どんな味なのか気になる。食べてみよう」
「お待ちください、ノエル様! 毒見でしたら私がいたします!」
魚にフォークを突き刺して口に運ぼうとしたところでミナリスに止められた。
「え? 別に毒見なんて必要ないけど……?」
「五百年前の食料ですよ!? ノエル様にもしものことがあってはいけません! 私が先に食べて、問題ないかを確かめます!」
そう言って僕が抱えていた缶詰とフォークを取り上げてしまうミナリス。
いや、時の流れが止まっている保管庫の中で厳重に収容されていたんだ。中の食べ物が腐っているわけがない。しかし、そんな仕組みを初めて聞かされたミナリスからすれば、すぐに事実を呑み込むのは難しいのだろう。
「わかったよ。じゃあ、ミナリスが先に食べていいよ」
仕方なく僕はミナリスの好きにさせてあげることにした。
もし、何かあったとしても医療施設を稼働させれば、食当たりくらいすぐに治せるからね。
「で、では、いただきます」
おそるおそるといった様子で謎の魚の水煮を持ち上げる。
フォークの先端に突き刺された魚を見る目は、完全に得体の知れないものを見る目であった。
別にそこまで無理しなくていいんだけど。
僕がジーッと傍で見つめていると、彼女は決死の表情を浮かべ謎の魚の水煮を口に運んだ。
「――うッ!?」
「どうしたの、ミナリス!?」
まさか、なにかしらの不調で正しく保存されていなかったのか?
「……美味しいですっ! こんなにも臭みがなく、身の柔らかい魚を食べたのは初めてです!」
なんだ。ただ美味しかっただけか。ややこしい反応をしないで欲しい。
「これで保存食に問題ないことはわかったよね? だから、僕も食べるよ?」
「いえ、私が何事もなく一日――いえ、三日ほど過ごして問題なければにいたしましょう」
「ええ、僕も缶詰を食べてみたいんだけど……」
僕のそんな淡い要望は却下されてしまい、この日は缶詰を食べることができなかった。

