向かうべきは、ここよりも遥か下の階層にある動力室。
そこにある魔力炉の最終調整を行うことで天空城は空を飛ぶはずだ。
そのため僕はなんとしても下に降りなければいけないのだが、天空城の内部はかなり広大なのでまともに移動しては一時間以上かかってしまう。
しかし、それはまともに移動すればの話だ。
天空城には階層内を行き来できるように昇降機が設置されている。
昇降機を利用すれば、速やかに動力室まで移動できるだろう。
そのために僕は階層内にある昇降機を目指す。
「……できれば、ミナリスと合流したいんだけどな」
はぐれてしまったミナリスと合流できれば、嬉しいのだけどさすがにそれは難しいか。
オルグレンが見せてくれたモニターからミナリスがおおよその位置はわかっているけど、イグーナの群れを突破しながら探し出すのは難しい。
微かな独り言を呟いた瞬間、背後から乾いた音がした。
まさか、イグーナか!?
慌てて振り返ると、黒い影がとんでもない速度で迫ってくる。
僕は咄嗟に手をかざして工学魔法での迎撃を選択するが、明滅した魔法陣の光によって迫りくる黒い影がイグーナではないことに気付いた。
「わっ!?」
「ノエル様! ご無事でなによりです! 身体のどこにお怪我はありませんか!?」
慌てて魔法を中断すると、ミナリスが覆い被さるようにして抱き着いてきた。
それからペタペタと僕の身体を触って全身に怪我がないか確かめてくる。
「大丈夫! この通り怪我はないよ!」
「そうですか。本当によかったです」
僕の身体に怪我がないことがわかると、ミナリスは安堵の表情を浮かべた。
ミナリスがこんなに焦燥している姿を見たのは初めてかもしれない。
僕のことをかなり心配し、探してくれていたようだ。
「それにしてもよく僕を見つけられたね?」
管理室を出てから、ほとんど時間が経過していない。この短時間でどうやって僕を補足し、ここまでやってきたのか気になった。
「闇魔法で潜伏しながらずっと音を聴くことだけに集中しておりましたから」
「そ、そうなんだ」
つまり、本気になれば、ミナリスはそれだけ広範囲の音を聴き分けることができるのか。相変わらず凄まじい聴覚だ。
「ところでノエル様は今まで一体どこにいらっしゃったのでしょうか?」
「ごめん。詳しい話は後でお願いできる? 今は急いで向かわなくちゃいけないところがあるんだ」
ミナリスに管理室での出来事を説明したいところであるが、残念ながら今は悠長に説明している暇がなかった。オルグレンのために一刻も早く天空城を飛ばさなければいけない。
「わかりました」
「え? いいの?」
「事情は後で聞かせてくださるのでしょう? でしたら問題ありません」
大きな心配をかけたにも関わらず、ミナリスは不満を漏らすことなく頷いてくれた。
素直に従ってくれるのは僕のことを信頼してくれているからだろう。ありがたい。
「この先に城内を移動できる昇降機があるから、そこに向かいたい」
「そのようなものが……わかりました。場所はお分かりですか?」
「うん、僕の頭の中に入っている。案内は任せて」
今度は僕が先導する形で前を走る。
どうしてそのようなものがあるとわかるのか、どうしてその道筋がわかるのかミナリスは聞いてくることはない。黙々と僕の後ろをついてきてくれる。
「……ノエル様、この先にイグーナの群れがいます」
「数はどれくらいかな?」
「二十体ほどですね。押し通るには少し厳しい数です」
ミナリスがやんわりと迂回を提案してくるが、僕は首を横に振った。
「ここを迂回すると昇降機までの道のりが遠くなる。できれば、押し通りたい」
「時間をかければ蹴散らすことはできますが、他の群れが寄ってくる可能性が高いですよ?」
「大丈夫。僕の工学魔法があれば、すぐに殲滅できるよ」
「わかりました」
策があることを告げると、ミナリスは少し怪訝な顔をしながらもこくりと頷いてくれた。
程なくしてミナリスの索敵通り、僕たちはイグーナの群れに接敵した。
以前の僕であれば、尻尾を巻いて逃げるしかない数であるが、今の僕は違う。
天才工学魔法使いであるオルグレンから受け継いだ知識と魔力がある。
僕は懐に入れていた鉄を空中に放り投げると、そのまま工学魔法を発動させた。
石畳の隙間から削り屑が吸い上げられ、鉄塊の表面から剥がれ落ちた鉄粉が集まり始める。
「グラインダー・ストーム」
次の瞬間、鉄粉と石粉は嵐のように渦を巻き、空気を切り裂く音を響かせる。
鋭利な粒子が混じり合い、黒い竜巻となってイグーナたちを包み込んだ。
ギギギギギギギギッ!
巨大な研磨機を物体に押し付けているかのような轟音が響き渡った。
鱗が次々と削ぎ落され、黒い竜巻の中に血飛沫が舞い上がる。
イグーナたちが身をよじりながら絶叫を上げるが、それすらも金切り音にかき消された。
「ノエル様、今のは……?」
僕が魔法をかき消すと、ミナリスが呆然とした表情をしていた。
彼女の視線の先には、無数の裂傷に包まれたイグーナたちが横たわっていた。
全身を研磨されたイグーナたちの馴れの果てである。
「ただの工学魔法だよ。鉱石なんかを研磨し、加工するための魔法さ」
「工学魔法にこのような使い方が……」
工学魔法は派手な攻撃魔法の使えない生産系魔法に分類されているが、まったく相手を攻撃できないわけではない。
工学魔法も使い方次第でいくらでも戦闘用に応用することができる。
グラインダー・ストームはオルグレンのそんな考えと、僕の前世の知識を組み合わせにより出来上がった転用魔法である。
その効力は想像以上で使った本人である僕でさえもドン引きする威力だった。
工学魔法ってとんでもないな。
「ミナリス、残りの魔物をお願いできる?」
「は、はい!」
さて、グラインダー・ストームのお陰で十五体ものイグーナを倒すことができた。
残ったイグーナは五体。これくらいならば、ミナリスが一瞬で倒せる。
僕がもう一度さっきの魔法を叩き込んでもいいんだけど、天空城を飛ばすために少しでも魔力は温存したいからね。
「ノエル様、片付きました」
「イグーナが寄ってくる前に先に進もう」
そんなことを考えている内にミナリスは残りの五体のイグーナを駆逐してくれたので、僕たちは速やかに移動を再開した。
それからは大規模な群れと遭遇することはなく、ぽつぽつと現れるイグーナをミナリスが一人で片付けながら進んでいくと、僕たちは昇降機の前にたどり着いた。
「これが昇降機でしょうか?」
目の前には高い円筒のようなものがそびえ立っている。紛れもなく昇降機あのだが、休止状態に入っているのでただのカプセルにしか見えない。
「うん、そうだよ。これを動かせば下層にある動力室にたどり着けるはずさ」
「下層? 外に出るために上に昇るのではないのですか?」
古城を脱出するには階層を上がって外に出ないといけないのに、それとは真反対の下に向かうといえばミナリスも疑問を覚えるのは当然だ。
「……ねえ、ミナリス。実は、この古城が大昔に空を飛ぶために作られた天空城だって言われたら信じる?」
「信じます」
「ええ! 信じられるの?」
あまりの即答具合に僕の方が戸惑ってしまう。
「ノエル様が白とおっしゃれば、鴉であろうと白になります」
「…………」
「というのは冗談です。この古城は現代とは異なる素材で作成されている上に、現代の魔法技術では再現できないものが多くありましたので、何かしらの目的をもって作られたものではないかと推測していましたから」
「そ、そうなんだ」
僕を捜索している途中にミナリスもフロアにある不可思議な施設の数々を目撃したのだろう。なにかしらの違和感は抱いていたようだ。
よかった。ミナリスが僕の狂信者じゃなくて。
「ただ、空を飛ぶための城だと言われると、現実味がないとは思いますが……」
「まあ、それについては後でわかることさ。とにかく、今は昇降機を使って下層へと降りよう」
昇降機に近づくと、魔力認証をするためのタッチパネルがあった。
そこに手をかざして魔力を流してみる。
【認証プロセス開始】
魔力スキャン中……完了
残存魔力パターン:一致率九十九・八七%
アクセス権限:承認
【昇降機システム】
セーフティ解除
昇降盤ロック解除
稼働準備完了
タッチパネルにシステムメッセージが流れる。
魔力による照合が完了すると、昇降機を覆っていた扉が開かれ、昇降盤が露わになった。
幅は直径十メートルで高さは八メートルほど。床は磨かれた金属と魔晶石で出来ており、円環状に刻まれた幾何学模様が青く発光している。
中央には操作盤が設置され、天井からは太い鎖のような魔力伝導管が垂れ下がり、昇降盤の縁と繋がっていた。
ミナリスと共に昇降盤の上に乗ると、操作盤を使って動力室のある下層を選択。
すると、扉がゆっくりと閉まり、昇降機はスムーズに下降を始めた。
「……これは下に降りているのでしょうか?」
ミナリスが耳をピクピクと動かしながら周囲をしきりに確認する。
「うん、確かに降りているよ」
「このような乗り物があるとは……」
エレベーターに乗ったことがない彼女からすれば、こんな風に箱に乗って上下に移動するのは新鮮なのだろう。戸惑っているミナリスの反応が可愛らしかった。
しばらくして、昇降機がチーンッと音を立てた。どうやら下層に着いたらしい。
「お待ちください、ノエル様。扉を開けた先に魔物がいる可能性があります」
扉を開けようとすると、ミナリスが静止する。
しかし、その心配は不要だ。
「大丈夫。ここは魔力認証を受けた者しか入れないフロアだから」
下層フロアには、天空城のエネルギー生成を司る動力室がある。
誰でも気軽に出入りできるような仕掛けにはなっていないので上層のように大量のイグーナが住み着いているなんてことはあり得ないのだ。
ミナリスが納得したところで僕は扉を開けた。その瞬間に魔物に襲われるなんてことはなかった。
「ほら、安全でしょう?」
「そのようですね」
扉の先には石造りの廊下が続いているだけだった。
昇降機を待機させると、僕とミナリスは下層を進んでいく。
ちなみにこの薄っすらと発光する石材は、魔力石材というらしい。
空中に存在する微量な魔力を吸収し、光へと転換する性質を持っている。
その利便性から魔力石材はかなり稀少性が高く、大昔では王族、貴族などが独占していたようだ。
無限の光源として使える上に、火災リスクの一切ない資源となると、当時のお偉いさんたちから人気になるのも無理はない。ただ独占されるのはいただけないし、採掘できなくなるほどに枯渇させてしまうのは明らかにやり過ぎだと思うけどね。
魔力石材に関する知識を引っ張り出していると、不意に視界が開けたことに気付いた。
「……ノエル様、ここは?」
「天空城の動力室さ」
逆ピラミッド型の空間にある壁一面には巨大な魔力回路が走っとり、脈打つ光が心臓の鼓動のように蠢いている。魔力回路が収束する中央には台座が据えられており、その上には巨大な魔石が鎮座していた。
「なんて大きな魔石なのでしょう。これだけの質の魔力を内包した魔石となると、Aランクーーいえ、それよりももっと上の……」
「大昔に討伐したレッドドラゴンの魔石らしいよ」
「あの、討伐ランクSを超えるレッドドラゴンですか!?」
「これだけ巨大な建造物を空に飛ばすとなると、それほどの質の魔石が必要なんだ」
問題はこれほどの魔石を用意したとしても十年や二十年も飛び続けられるわけじゃないことだ。天空城にある施設を稼働させれば、魔力消費量は何倍にも膨れ上がり、あっという間に魔力は空になってしまう。その前に魔力を注入するか、新しい良質な魔石に取り換えなくてはいけないのだが、少なくとも五年以上は先なので今は考えなくていいだろう。
それよりも今は天空城を空へ飛ばすことが先決だ。
動力室の中央に据えられている台座の下には、不自然な空白部分があった。
「さて、最後の仕上げを始めよう」
天空城は空気中にある魔力を吸収し、石材や結晶に蓄えることで浮力と推進力を生み出す仕組みを持っている。
城全体を構成する魔力石材が空気中から常に魔力を吸収し、光と力に変換する。
力は重力を打ち消す反発力として働く。
その力は地面を押すのではなく、重力そのものを相殺するバリアを発生させる。
たとえるなら磁石のS極とS極を近づけることで浮くような現象だ。
次に推進の仕組みだが、浮かぶだけでは漂うことしかできない。
魔力を方向性のある力に変えてやらなければいけない。
そのために必要なのが最後のピースであり魔力炉だ。
それをここに作成し、連結さえすれば、城全体の魔力は循環し、天空城は無事に浮上するはずだ。
魔力炉を作るのに必要な素材と設計図は既にある。
僕は息を深く吸い込んで魔力炉の作成に取り掛かった。
炉の外殻は外から魔力の干渉を受けにくく、堅牢さと耐熱性に優れた星鋼を使用する。
工学魔法で表面を均し、回路を刻むための溝を螺旋状に彫り込んだ。
次に取り出したのは竜骨素材。
レッドドラゴンの骨を加工した素材で軽くて強靭な上に魔力を流すとしなりが生まれる。
そのしなりを魔力の流れを導く導管として最適なのだ。
通常ならば鍛冶師が魔力をかけて何日も打ち延ばすところだが、工学魔法ならば魔力さえあれば思い通りの曲線に仕上げることができる。加工の難しい竜骨素材もちょちょいのちょいだ。
星鋼の線を盤面に沿わせ、吸い込んだ魔力が渦を巻くように循環する経路を作り上げた。
「んん? ここの魔力回路の命令文は日本語にしたら短縮できそうだ?」
命令式を描いている途中でこの世界の言語ではなく、日本語で書いてみても効果が発揮された。しかも、漢字を使った方が魔法式を短縮でき、魔力が節約できる上に効果も跳ね上がることがわかった。これは大発見かもしれない。
この城にあるすべての装置の魔法式をすべて書き換えれば、効率が大幅にアップするとわかったが、さすがに今からやっている時間はない。
オルグレンの望みを優先し、僕は黙々と魔法式を刻み続けた。
そうやっていくつもの素材を加工し、合成させていくと、やがて光に包まれた小さな結晶が出来た。
これが魔力石材によって変換された力、魔石から供給される魔力を繋ぎ、同調させ、天空城を動かすための最後の歯車だ。
「……完成だ」
僕は出来上がった結晶を両手で持つと、魔力炉の中央へとそっと設置した。
その瞬間、魔力炉が激しい光を放たれた。
動力室の壁全体を走っていた魔力回路が一斉に光を帯び、まるで長い眠りから覚めた巨人が息を吹き返したかのように建造物そのものが脈動する。
「天空城、起動」
次の瞬間、城全体が揺さぶられるような大きな振動に襲われた。
大地を突き放すような轟音が鳴り響き、城そのものが僅かに浮き上がった。
思わずバランスを崩しそうになったが傍にいたミナリスが身体を支えてくれた。
「ノエル様! 一体、この揺れは!?」
「天空城が空を飛ぶんだ」
「……まさか、本当に?」
今、こうして天空城は地面から浮かび上がりつつあるのだが、ミナリスは未だに半信半疑らしい。
まあ、ここは天空城の下層部だ。こんなところにいては実感が湧かないだろう。
「ノエル様、どちらに行かれるので?」
「最上層に向かうよ」
せっかく天空城を飛ばしたというのに、いつまでも薄暗い地下にいるなんて勿体ない。
どうせなら眺めのいいところから確かめないとね。
僕とミナリスは速やかに動力室を出ると、昇降機を使って城の最上層へと上がった。
●
「着いた! ここが天空城の最上層さ!」
昇降機の扉が開くと、長大な廊下が真っ直ぐに伸びていた。
床には赤い絨毯が敷かれており、踏みしめる度に厚みのある生地の感触が靴底に伝わってくる。
壁は白の大理石を基調としており、等間隔に飾られた魔力照明が廊下全体を落ち着いた明るさで照らしていた。壁には精巧な絵画が設置されており、壺などと調度品の類が設置されている。
「これまでとは明らかに雰囲気が違いますね」
「この辺りにある部屋は主に客室だからね」
高級ホテルの廊下のような内装をしているのは、ここが天空城にやってきた賓客を迎えるエリアだからだ。シングル、ツイン、トリプル、スイートといったあらゆるニーズに合わせた部屋が並んでいる。奥にはダイニングホールがあり、厨房、食料庫などが直結している。
「……ここにも魔物はいないようですね?」
「最上層には天空城を操作する制御盤があるからね。動力室並に厳重だよ」
動力室と同様に管理者、あるいは管理者の認可を受けたものでないと入ることのできない仕組みになっている。上層や中層のように魔物の巣窟になることはない。
長大な廊下を潜り抜けると、僕たちの前に重厚な二枚扉が現れた。
この先は天空城の謁見の間だ。
ミナリスが扉を押し開けてくれると、その先には圧倒的な空間が広がっていた。
天井はとても高く、床は磨き抜かれた白大理石で出来ている。
中央には長い赤い絨毯が敷かれ、その先には玉座が鎮座していた。
玉座の周囲には天空城を操作するための制御盤が設置されている。
管理者はそれを操作することで天空城を自在に動かすことができるのだ。
玉座に座って制御盤をいじってみたい衝動に駆られるが、今はそれよりも天空城が実際に空を飛んでいるのかこの目で確かめたい。
「ノエル様、どこに向かわれるのです?」
「バルコニーさ! 天空城が空を飛んでいるかこの目でしっかりと見たいんだ!」
僕は制御盤のある玉座を通り過ぎると、その奥にあるバルコニーへと続く扉を押し開けた。
扉を開けた瞬間、外気が一気に流れ込んできて僕の前髪を激しく揺らした。
バルコニーに足を踏み入れると、眼前には広大な空が広がっていた。
「すごい! なんて綺麗な景色なんだ!」
眼下にはどこまでも続く雲の海。白銀の波が陽光を浴びて煌めき、その切れ目から遥か下にある魔の森の光景が小さく覗いている。
「すごいです……ッ! こんな景色、初めて見ました!」
僕が壮大な景色に圧倒される中、隣にいるミナリスは長い兎耳をピンと立たせながら感嘆の声を漏らした。
いつもはクールな彼女が興奮し、子供のように瞳を輝かせているのが可愛らしい。
僕は欄干に手をかけると、胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。
「……やっと、飛ばせた」
天空城は今もゆっくりと上昇し続けており、眼下には雲の絨毯が広がっている。
空気は澄み渡り、視界の果てまで青の世界が続いていた。
この光景こそ、天空城の設計者――工学魔法使いの天才オルグレン=メカリアが生涯をかけて追い求めた光景なのだろう。
彼は生涯をかけ、この城を完成させようとしたが、あと一歩のところで夢半ばに倒れた。
その胸中を思えば思うほどに僕の心にもこみ上げてくるものはある。
完成に至らず倒れた悔しさ。それでも最後まで諦めず、天空城を未来へ託した願い。
そして、その願いを受け継いだ自分が、こうして空の上に立っている。
本当はすべてを託してくれた彼と一緒にこの光景を眺めたいが、今から急いで管理室に向かったとしてもおそらくそこに彼の意識は既にない。
……なあ、オルグレン。君は天空城が完成し、どこからかこの光景を見ることができただろうか?もし、そうであれば僕は嬉しいな。
そこにある魔力炉の最終調整を行うことで天空城は空を飛ぶはずだ。
そのため僕はなんとしても下に降りなければいけないのだが、天空城の内部はかなり広大なのでまともに移動しては一時間以上かかってしまう。
しかし、それはまともに移動すればの話だ。
天空城には階層内を行き来できるように昇降機が設置されている。
昇降機を利用すれば、速やかに動力室まで移動できるだろう。
そのために僕は階層内にある昇降機を目指す。
「……できれば、ミナリスと合流したいんだけどな」
はぐれてしまったミナリスと合流できれば、嬉しいのだけどさすがにそれは難しいか。
オルグレンが見せてくれたモニターからミナリスがおおよその位置はわかっているけど、イグーナの群れを突破しながら探し出すのは難しい。
微かな独り言を呟いた瞬間、背後から乾いた音がした。
まさか、イグーナか!?
慌てて振り返ると、黒い影がとんでもない速度で迫ってくる。
僕は咄嗟に手をかざして工学魔法での迎撃を選択するが、明滅した魔法陣の光によって迫りくる黒い影がイグーナではないことに気付いた。
「わっ!?」
「ノエル様! ご無事でなによりです! 身体のどこにお怪我はありませんか!?」
慌てて魔法を中断すると、ミナリスが覆い被さるようにして抱き着いてきた。
それからペタペタと僕の身体を触って全身に怪我がないか確かめてくる。
「大丈夫! この通り怪我はないよ!」
「そうですか。本当によかったです」
僕の身体に怪我がないことがわかると、ミナリスは安堵の表情を浮かべた。
ミナリスがこんなに焦燥している姿を見たのは初めてかもしれない。
僕のことをかなり心配し、探してくれていたようだ。
「それにしてもよく僕を見つけられたね?」
管理室を出てから、ほとんど時間が経過していない。この短時間でどうやって僕を補足し、ここまでやってきたのか気になった。
「闇魔法で潜伏しながらずっと音を聴くことだけに集中しておりましたから」
「そ、そうなんだ」
つまり、本気になれば、ミナリスはそれだけ広範囲の音を聴き分けることができるのか。相変わらず凄まじい聴覚だ。
「ところでノエル様は今まで一体どこにいらっしゃったのでしょうか?」
「ごめん。詳しい話は後でお願いできる? 今は急いで向かわなくちゃいけないところがあるんだ」
ミナリスに管理室での出来事を説明したいところであるが、残念ながら今は悠長に説明している暇がなかった。オルグレンのために一刻も早く天空城を飛ばさなければいけない。
「わかりました」
「え? いいの?」
「事情は後で聞かせてくださるのでしょう? でしたら問題ありません」
大きな心配をかけたにも関わらず、ミナリスは不満を漏らすことなく頷いてくれた。
素直に従ってくれるのは僕のことを信頼してくれているからだろう。ありがたい。
「この先に城内を移動できる昇降機があるから、そこに向かいたい」
「そのようなものが……わかりました。場所はお分かりですか?」
「うん、僕の頭の中に入っている。案内は任せて」
今度は僕が先導する形で前を走る。
どうしてそのようなものがあるとわかるのか、どうしてその道筋がわかるのかミナリスは聞いてくることはない。黙々と僕の後ろをついてきてくれる。
「……ノエル様、この先にイグーナの群れがいます」
「数はどれくらいかな?」
「二十体ほどですね。押し通るには少し厳しい数です」
ミナリスがやんわりと迂回を提案してくるが、僕は首を横に振った。
「ここを迂回すると昇降機までの道のりが遠くなる。できれば、押し通りたい」
「時間をかければ蹴散らすことはできますが、他の群れが寄ってくる可能性が高いですよ?」
「大丈夫。僕の工学魔法があれば、すぐに殲滅できるよ」
「わかりました」
策があることを告げると、ミナリスは少し怪訝な顔をしながらもこくりと頷いてくれた。
程なくしてミナリスの索敵通り、僕たちはイグーナの群れに接敵した。
以前の僕であれば、尻尾を巻いて逃げるしかない数であるが、今の僕は違う。
天才工学魔法使いであるオルグレンから受け継いだ知識と魔力がある。
僕は懐に入れていた鉄を空中に放り投げると、そのまま工学魔法を発動させた。
石畳の隙間から削り屑が吸い上げられ、鉄塊の表面から剥がれ落ちた鉄粉が集まり始める。
「グラインダー・ストーム」
次の瞬間、鉄粉と石粉は嵐のように渦を巻き、空気を切り裂く音を響かせる。
鋭利な粒子が混じり合い、黒い竜巻となってイグーナたちを包み込んだ。
ギギギギギギギギッ!
巨大な研磨機を物体に押し付けているかのような轟音が響き渡った。
鱗が次々と削ぎ落され、黒い竜巻の中に血飛沫が舞い上がる。
イグーナたちが身をよじりながら絶叫を上げるが、それすらも金切り音にかき消された。
「ノエル様、今のは……?」
僕が魔法をかき消すと、ミナリスが呆然とした表情をしていた。
彼女の視線の先には、無数の裂傷に包まれたイグーナたちが横たわっていた。
全身を研磨されたイグーナたちの馴れの果てである。
「ただの工学魔法だよ。鉱石なんかを研磨し、加工するための魔法さ」
「工学魔法にこのような使い方が……」
工学魔法は派手な攻撃魔法の使えない生産系魔法に分類されているが、まったく相手を攻撃できないわけではない。
工学魔法も使い方次第でいくらでも戦闘用に応用することができる。
グラインダー・ストームはオルグレンのそんな考えと、僕の前世の知識を組み合わせにより出来上がった転用魔法である。
その効力は想像以上で使った本人である僕でさえもドン引きする威力だった。
工学魔法ってとんでもないな。
「ミナリス、残りの魔物をお願いできる?」
「は、はい!」
さて、グラインダー・ストームのお陰で十五体ものイグーナを倒すことができた。
残ったイグーナは五体。これくらいならば、ミナリスが一瞬で倒せる。
僕がもう一度さっきの魔法を叩き込んでもいいんだけど、天空城を飛ばすために少しでも魔力は温存したいからね。
「ノエル様、片付きました」
「イグーナが寄ってくる前に先に進もう」
そんなことを考えている内にミナリスは残りの五体のイグーナを駆逐してくれたので、僕たちは速やかに移動を再開した。
それからは大規模な群れと遭遇することはなく、ぽつぽつと現れるイグーナをミナリスが一人で片付けながら進んでいくと、僕たちは昇降機の前にたどり着いた。
「これが昇降機でしょうか?」
目の前には高い円筒のようなものがそびえ立っている。紛れもなく昇降機あのだが、休止状態に入っているのでただのカプセルにしか見えない。
「うん、そうだよ。これを動かせば下層にある動力室にたどり着けるはずさ」
「下層? 外に出るために上に昇るのではないのですか?」
古城を脱出するには階層を上がって外に出ないといけないのに、それとは真反対の下に向かうといえばミナリスも疑問を覚えるのは当然だ。
「……ねえ、ミナリス。実は、この古城が大昔に空を飛ぶために作られた天空城だって言われたら信じる?」
「信じます」
「ええ! 信じられるの?」
あまりの即答具合に僕の方が戸惑ってしまう。
「ノエル様が白とおっしゃれば、鴉であろうと白になります」
「…………」
「というのは冗談です。この古城は現代とは異なる素材で作成されている上に、現代の魔法技術では再現できないものが多くありましたので、何かしらの目的をもって作られたものではないかと推測していましたから」
「そ、そうなんだ」
僕を捜索している途中にミナリスもフロアにある不可思議な施設の数々を目撃したのだろう。なにかしらの違和感は抱いていたようだ。
よかった。ミナリスが僕の狂信者じゃなくて。
「ただ、空を飛ぶための城だと言われると、現実味がないとは思いますが……」
「まあ、それについては後でわかることさ。とにかく、今は昇降機を使って下層へと降りよう」
昇降機に近づくと、魔力認証をするためのタッチパネルがあった。
そこに手をかざして魔力を流してみる。
【認証プロセス開始】
魔力スキャン中……完了
残存魔力パターン:一致率九十九・八七%
アクセス権限:承認
【昇降機システム】
セーフティ解除
昇降盤ロック解除
稼働準備完了
タッチパネルにシステムメッセージが流れる。
魔力による照合が完了すると、昇降機を覆っていた扉が開かれ、昇降盤が露わになった。
幅は直径十メートルで高さは八メートルほど。床は磨かれた金属と魔晶石で出来ており、円環状に刻まれた幾何学模様が青く発光している。
中央には操作盤が設置され、天井からは太い鎖のような魔力伝導管が垂れ下がり、昇降盤の縁と繋がっていた。
ミナリスと共に昇降盤の上に乗ると、操作盤を使って動力室のある下層を選択。
すると、扉がゆっくりと閉まり、昇降機はスムーズに下降を始めた。
「……これは下に降りているのでしょうか?」
ミナリスが耳をピクピクと動かしながら周囲をしきりに確認する。
「うん、確かに降りているよ」
「このような乗り物があるとは……」
エレベーターに乗ったことがない彼女からすれば、こんな風に箱に乗って上下に移動するのは新鮮なのだろう。戸惑っているミナリスの反応が可愛らしかった。
しばらくして、昇降機がチーンッと音を立てた。どうやら下層に着いたらしい。
「お待ちください、ノエル様。扉を開けた先に魔物がいる可能性があります」
扉を開けようとすると、ミナリスが静止する。
しかし、その心配は不要だ。
「大丈夫。ここは魔力認証を受けた者しか入れないフロアだから」
下層フロアには、天空城のエネルギー生成を司る動力室がある。
誰でも気軽に出入りできるような仕掛けにはなっていないので上層のように大量のイグーナが住み着いているなんてことはあり得ないのだ。
ミナリスが納得したところで僕は扉を開けた。その瞬間に魔物に襲われるなんてことはなかった。
「ほら、安全でしょう?」
「そのようですね」
扉の先には石造りの廊下が続いているだけだった。
昇降機を待機させると、僕とミナリスは下層を進んでいく。
ちなみにこの薄っすらと発光する石材は、魔力石材というらしい。
空中に存在する微量な魔力を吸収し、光へと転換する性質を持っている。
その利便性から魔力石材はかなり稀少性が高く、大昔では王族、貴族などが独占していたようだ。
無限の光源として使える上に、火災リスクの一切ない資源となると、当時のお偉いさんたちから人気になるのも無理はない。ただ独占されるのはいただけないし、採掘できなくなるほどに枯渇させてしまうのは明らかにやり過ぎだと思うけどね。
魔力石材に関する知識を引っ張り出していると、不意に視界が開けたことに気付いた。
「……ノエル様、ここは?」
「天空城の動力室さ」
逆ピラミッド型の空間にある壁一面には巨大な魔力回路が走っとり、脈打つ光が心臓の鼓動のように蠢いている。魔力回路が収束する中央には台座が据えられており、その上には巨大な魔石が鎮座していた。
「なんて大きな魔石なのでしょう。これだけの質の魔力を内包した魔石となると、Aランクーーいえ、それよりももっと上の……」
「大昔に討伐したレッドドラゴンの魔石らしいよ」
「あの、討伐ランクSを超えるレッドドラゴンですか!?」
「これだけ巨大な建造物を空に飛ばすとなると、それほどの質の魔石が必要なんだ」
問題はこれほどの魔石を用意したとしても十年や二十年も飛び続けられるわけじゃないことだ。天空城にある施設を稼働させれば、魔力消費量は何倍にも膨れ上がり、あっという間に魔力は空になってしまう。その前に魔力を注入するか、新しい良質な魔石に取り換えなくてはいけないのだが、少なくとも五年以上は先なので今は考えなくていいだろう。
それよりも今は天空城を空へ飛ばすことが先決だ。
動力室の中央に据えられている台座の下には、不自然な空白部分があった。
「さて、最後の仕上げを始めよう」
天空城は空気中にある魔力を吸収し、石材や結晶に蓄えることで浮力と推進力を生み出す仕組みを持っている。
城全体を構成する魔力石材が空気中から常に魔力を吸収し、光と力に変換する。
力は重力を打ち消す反発力として働く。
その力は地面を押すのではなく、重力そのものを相殺するバリアを発生させる。
たとえるなら磁石のS極とS極を近づけることで浮くような現象だ。
次に推進の仕組みだが、浮かぶだけでは漂うことしかできない。
魔力を方向性のある力に変えてやらなければいけない。
そのために必要なのが最後のピースであり魔力炉だ。
それをここに作成し、連結さえすれば、城全体の魔力は循環し、天空城は無事に浮上するはずだ。
魔力炉を作るのに必要な素材と設計図は既にある。
僕は息を深く吸い込んで魔力炉の作成に取り掛かった。
炉の外殻は外から魔力の干渉を受けにくく、堅牢さと耐熱性に優れた星鋼を使用する。
工学魔法で表面を均し、回路を刻むための溝を螺旋状に彫り込んだ。
次に取り出したのは竜骨素材。
レッドドラゴンの骨を加工した素材で軽くて強靭な上に魔力を流すとしなりが生まれる。
そのしなりを魔力の流れを導く導管として最適なのだ。
通常ならば鍛冶師が魔力をかけて何日も打ち延ばすところだが、工学魔法ならば魔力さえあれば思い通りの曲線に仕上げることができる。加工の難しい竜骨素材もちょちょいのちょいだ。
星鋼の線を盤面に沿わせ、吸い込んだ魔力が渦を巻くように循環する経路を作り上げた。
「んん? ここの魔力回路の命令文は日本語にしたら短縮できそうだ?」
命令式を描いている途中でこの世界の言語ではなく、日本語で書いてみても効果が発揮された。しかも、漢字を使った方が魔法式を短縮でき、魔力が節約できる上に効果も跳ね上がることがわかった。これは大発見かもしれない。
この城にあるすべての装置の魔法式をすべて書き換えれば、効率が大幅にアップするとわかったが、さすがに今からやっている時間はない。
オルグレンの望みを優先し、僕は黙々と魔法式を刻み続けた。
そうやっていくつもの素材を加工し、合成させていくと、やがて光に包まれた小さな結晶が出来た。
これが魔力石材によって変換された力、魔石から供給される魔力を繋ぎ、同調させ、天空城を動かすための最後の歯車だ。
「……完成だ」
僕は出来上がった結晶を両手で持つと、魔力炉の中央へとそっと設置した。
その瞬間、魔力炉が激しい光を放たれた。
動力室の壁全体を走っていた魔力回路が一斉に光を帯び、まるで長い眠りから覚めた巨人が息を吹き返したかのように建造物そのものが脈動する。
「天空城、起動」
次の瞬間、城全体が揺さぶられるような大きな振動に襲われた。
大地を突き放すような轟音が鳴り響き、城そのものが僅かに浮き上がった。
思わずバランスを崩しそうになったが傍にいたミナリスが身体を支えてくれた。
「ノエル様! 一体、この揺れは!?」
「天空城が空を飛ぶんだ」
「……まさか、本当に?」
今、こうして天空城は地面から浮かび上がりつつあるのだが、ミナリスは未だに半信半疑らしい。
まあ、ここは天空城の下層部だ。こんなところにいては実感が湧かないだろう。
「ノエル様、どちらに行かれるので?」
「最上層に向かうよ」
せっかく天空城を飛ばしたというのに、いつまでも薄暗い地下にいるなんて勿体ない。
どうせなら眺めのいいところから確かめないとね。
僕とミナリスは速やかに動力室を出ると、昇降機を使って城の最上層へと上がった。
●
「着いた! ここが天空城の最上層さ!」
昇降機の扉が開くと、長大な廊下が真っ直ぐに伸びていた。
床には赤い絨毯が敷かれており、踏みしめる度に厚みのある生地の感触が靴底に伝わってくる。
壁は白の大理石を基調としており、等間隔に飾られた魔力照明が廊下全体を落ち着いた明るさで照らしていた。壁には精巧な絵画が設置されており、壺などと調度品の類が設置されている。
「これまでとは明らかに雰囲気が違いますね」
「この辺りにある部屋は主に客室だからね」
高級ホテルの廊下のような内装をしているのは、ここが天空城にやってきた賓客を迎えるエリアだからだ。シングル、ツイン、トリプル、スイートといったあらゆるニーズに合わせた部屋が並んでいる。奥にはダイニングホールがあり、厨房、食料庫などが直結している。
「……ここにも魔物はいないようですね?」
「最上層には天空城を操作する制御盤があるからね。動力室並に厳重だよ」
動力室と同様に管理者、あるいは管理者の認可を受けたものでないと入ることのできない仕組みになっている。上層や中層のように魔物の巣窟になることはない。
長大な廊下を潜り抜けると、僕たちの前に重厚な二枚扉が現れた。
この先は天空城の謁見の間だ。
ミナリスが扉を押し開けてくれると、その先には圧倒的な空間が広がっていた。
天井はとても高く、床は磨き抜かれた白大理石で出来ている。
中央には長い赤い絨毯が敷かれ、その先には玉座が鎮座していた。
玉座の周囲には天空城を操作するための制御盤が設置されている。
管理者はそれを操作することで天空城を自在に動かすことができるのだ。
玉座に座って制御盤をいじってみたい衝動に駆られるが、今はそれよりも天空城が実際に空を飛んでいるのかこの目で確かめたい。
「ノエル様、どこに向かわれるのです?」
「バルコニーさ! 天空城が空を飛んでいるかこの目でしっかりと見たいんだ!」
僕は制御盤のある玉座を通り過ぎると、その奥にあるバルコニーへと続く扉を押し開けた。
扉を開けた瞬間、外気が一気に流れ込んできて僕の前髪を激しく揺らした。
バルコニーに足を踏み入れると、眼前には広大な空が広がっていた。
「すごい! なんて綺麗な景色なんだ!」
眼下にはどこまでも続く雲の海。白銀の波が陽光を浴びて煌めき、その切れ目から遥か下にある魔の森の光景が小さく覗いている。
「すごいです……ッ! こんな景色、初めて見ました!」
僕が壮大な景色に圧倒される中、隣にいるミナリスは長い兎耳をピンと立たせながら感嘆の声を漏らした。
いつもはクールな彼女が興奮し、子供のように瞳を輝かせているのが可愛らしい。
僕は欄干に手をかけると、胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。
「……やっと、飛ばせた」
天空城は今もゆっくりと上昇し続けており、眼下には雲の絨毯が広がっている。
空気は澄み渡り、視界の果てまで青の世界が続いていた。
この光景こそ、天空城の設計者――工学魔法使いの天才オルグレン=メカリアが生涯をかけて追い求めた光景なのだろう。
彼は生涯をかけ、この城を完成させようとしたが、あと一歩のところで夢半ばに倒れた。
その胸中を思えば思うほどに僕の心にもこみ上げてくるものはある。
完成に至らず倒れた悔しさ。それでも最後まで諦めず、天空城を未来へ託した願い。
そして、その願いを受け継いだ自分が、こうして空の上に立っている。
本当はすべてを託してくれた彼と一緒にこの光景を眺めたいが、今から急いで管理室に向かったとしてもおそらくそこに彼の意識は既にない。
……なあ、オルグレン。君は天空城が完成し、どこからかこの光景を見ることができただろうか?もし、そうであれば僕は嬉しいな。

