「ここはどこだ?」
視界が光で真っ白になったかと思ったら、今度は視界が真っ黒で埋め尽くされていた。
いや、正確には僕の懐のポケットだけが明るく輝いている。古城の中で回収した石材による光だ。
そのぼんやりとした光によると、ここが室内であることはわかった。ただ光量が足りないためにここがどんなことを目的とした部屋なのかはわからない。
周囲にミナリスの姿はなく、イグーナの姿もなかった。
ひとまず、自分が窮地を脱したことだけは理解できたが、ミナリスの姿が見えないことだけが気がかりだった。
「うむ、久方ぶりに転移陣を起動したが、ちゃんと機能したようだな」
少し頼りない光量で部屋の様子を確かめようとすると、突如として老齢の男の声が響いた。
「――ッ! 誰だ!」
「そう警戒せずともいい。私は君に害を為す者ではない」
腰に佩いている剣に手をかけて警戒を露わにすると、声の主は好々爺のような笑い声を上げながら言った。
「とはいっても姿が見えぬままでは安心できぬか。今、部屋を明るくしよう」
続いてそんな声が響くと、急に部屋が明るくなった。
真っ暗な空間に慣れていたせいで目が追いつかなかったが、何度か目を瞬かせると順応することができた。
室内は古城とはかけ離れた光景だった。壁は滑らかな金属光沢を放っており、見慣れぬ文字が走査線のように流れている。周囲には大型の機材がところせましと並んでおり、地面には太いケーブルが張り巡らされていた。
そんな研究施設のような部屋の中央には一人の美少女がいた。
黒い髪のツインテールにくりっとした黒い瞳。肌は陶磁器のように真っ白でありながらきめ細やか。身長は百五十センチ程度であり、年齢は十代前半から半ばといったところか。
そんな美少女がシックなメイド服を身に纏って立っている。
「どうかね? これで落ち着いて話しができるだろうか? はじめまして私の名はオルグレン=メカリアだ。君をここに呼び出したのは――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……なにかね?」
「どうしてその見た目でそんな声なんです?」
中学生くらいの年齢の子がメイド服を着ているだけならまだいい。実際に似合っているし、そういった可愛らしい服を着るのが趣味なのかなと流すことができる。
しかし、その声は見た目の可愛らしさを粉々に打ち砕く、煙草の香りが漂いそうなダンディボイスだった。
なんで? どうしてその見た目で老成した男性の声が響いてくるんだ?
それが気になってここがどこだとか、どうして僕を呼んだのだとかまともな会話どころじゃない。
「どうだ? 美しいだろう? 可愛らしいだろう? これは私が長年の探求の果てに工学魔法で生み出したゴーレムだ!」
あまりにも正反対な声をしている理由を尋ねると、オルグレンはよくぞ聞いてくれたとばかりに興奮した声を上げた。
「ゴーレム? 君が?」
ゴーレムとは、石、土、金属、木材など素材を問わず、魔法や術式によって命を与えられた無機物の生命体のことだ。
ゴーレムは仮初の命を与えられた無機物の生命体でしかないので人間のように喋ることはできない。
しかし、目の前にいるオルグレンと名乗る美少女は流暢に言葉を紡ぎ、僕の会話に応じていた。
この子がゴーレムだなんて信じられない。
「ああ、そうだ。近くで見てみるといい。この身体は紛れもなくゴーレムだ」
「では、遠慮なく……」
気になった僕はオルグレンへと近づいて、至近距離から身体を眺めさせてもらうことにした。
間近で見上げてみると、その姿は息を呑むほどに精緻だった。
白磁のように滑らかな肌、宝石のように澄んだ瞳、柔らかく揺れる髪。
遠目にはまるで人間の少女のようにしか見えない。
だが、目を凝らせば確かな違いがあった。
肩口に走る僅かな継ぎ目、肘を覆う関節部の煌めき、これらは人間の肌ではない何かしらの金属のような素材だ。まるで完璧な彫像に細い刃を入れたような不自然な線が走っている。
さらに近くで観察してみると、瞬きをする回数が異様に少ない上に呼吸の気配も無かった。
「……本当だ。確かにあなたは人間じゃない」
「言ったであろう? ゴーレムだと」
「それは理解しました。ですが、どうしてゴーレムが喋れるんです?」
「む? 発声器官を取り付ければ、ゴーレムには喋らせることができるであろう?」
「……発声器官?」
ゴーレムとしてあり得ない機能をオルグレンは当然の技術のように語ってみせた。
よくわからないが彼の常識の中ではゴーレムとは喋るものらしい。
「この時代の者たちはゴーレムを喋らせることすらできぬのか? 今、一体何年なのだ?」
「太陽暦五百二十五年です」
「……聞いたことのない暦だ。私が生きていたのは魔歴二十五年だ」
「それって今よりも五百年以上前の時代じゃないですか!?」
公爵家の文献で読んだことがある。
今よりも遥か昔の時代は地中を流れる魔力の循環を元に一年を数えていたらしい。
しかし、魔力の循環は様々な環境の変化や災害などで乱れてしまうために周期が安定せず、今の太陽が一巡する周期へと変更されたはずだ。
「そうか。私は五百年もここで待っていたのか……しかし、腑に落ちぬな」
「なにがでしょう?」
「これだけの歳月が経過しているというのに、なぜこれほどまでに魔法技術が劣っているのだ? 我々の文明が滅びたとはいえ、あまりにも生産系魔法のレベルが低い」
「……もしかすると、それは今の王侯貴族の風潮のせいかもしれません」
「風潮?」
小首を傾げるオルグレンに僕は今の王侯貴族が求めている魔法適性について話した。
「……なんと愚かな。民を統べる者が生産系魔法を軽視するなど……私が生きていた時代は、領主こそ生産系魔法の適性を求められていたものだ」
昔は領地を統べる者が生産魔法で街を作り、工学魔法の使い手たちがライフラインを整備し、領民たちが安全に住めるように整えていたようだ。
それは今の貴族象とは正反対であり、僕が理想する貴族象でもあった。
僕もその頃に生まれていたらこんなことにはなっていなかったかもしれない。
「しかし、それを差し置いたとしてもあなたを作ったというオルグレン=メカリアという人物は天才ですね」
「うむ、それは間違いない。ただ訂正するとすれば、オルグレンはこの私だ」
「はい? あなたはオルグレンさんによって造られたゴーレムなのですよね?」
「確かにそうだが、私の肉体が朽ち果てる前に人格だけをゴーレムに転写した。だから、私がオルグレン=メカリアであると言える」
ゴーレムに自らの人格を転写する? そんなことが可能なのか?
いや、少なくとも僕の目の前には現代の魔法技術では再現できないと思わせるほどに精緻な造りをしたゴーレムがいる。喋ることすら可能にするような技術を持っているのであれば、それぐらいのことも出来てしまうのかもしれない。
「詳しい理屈は理解できませんが、あなた自身がオルグレン=メカリアだということは理解しました」
「おお、そうか! 私は理解が早い者は大好きだ!」
目が冴えるような美少女から大好きと言われたが、まったく嬉しくない。
だってその可憐な唇から紡がれる言葉は見事なまでのダンディボイスなのだから。
「でも、どうして意思を宿す肉体が黒髪の美少女メイドなんです?」
「君は人生で一度くらいは思ったことはないか? 生まれ変わったら美少女になってみたいと?」
僕がそんな質問をすると、オルグレンが真面目な表情を浮かべながら言ってきた。
「あります」
「そうであろう! そうであろう! 男ならば、誰だって美少女に生まれ変わって色々な人にチヤホヤされてみたいと思うものだ! いやぁ、私の後継者となってくれる者が話のわかる奴でよかった。私の時代には数多の工学魔法使いの者たちがいたが、誰もこの願望を理解してくれる者がいなくてなぁ。私は特に黒髪黒目のメイドさんに目が無くてだなぁ。この楚々として姿こそ王道の可愛さと清楚さ――」
即答すると、オルグレンが鼻息を荒くさせながら女性への変身願望について熱く語ってきた。
いや、実際には呼吸をしないゴーレムなので、なにかしらの機関を操作して鼻息のようなものを漏らしているのだろう。芸が細かい。
「あ、あの、自分から聞いておいてなんですけど、そろそろ本題に入ってもらっていいですか?」
放っておくと、一日中変身願望について語ってきそうなので、この辺りで切り上げてもらう。
「そうであったな。悪いが今の私にも稼働限界というものがある。名残惜しいが早めに本題に移るべきだろう」
「本題に入る前に聞いておきたいのですが……」
「ああ、君が気になっているのは同行して兎人族のメイドの安否であろう? 彼女であれば無事だ」
オルグレンが機材を操作すると、壁に大きなモニターのようなものが表示されて、そこには古城の中を歩き回るミナリスの姿があった。
「元より彼女は身体能力が高く、優秀な闇属性魔法の使い手だ。足手纏いである君がいなければ、イグーナの群れを撒くぐらい造作もない」
「あ、そうでしたか……」
それが事実なのかもしれないが、真っ直ぐに言われると心に刺さる言葉である。
まあ、ミナリスが無事なのであればよかった。
僕は変なゴーレムと一緒にいて無事だと伝えてあげたいけど、そこまでできる感じではないので諦めよう。
「さて、改めて自己紹介をしよう。私はオルグレン=メカリア。今より遥か昔の時代を生きていた天才工学魔使いである。君の名は?」
「ノエル=エルディア。工学魔法使いです。ここにやってきた経緯はエルディア公爵家から――」
「ああ、そういうものには興味がないから話さなくていい」
一応、彼の棲み処ともいえる場所に足を踏み入れた理由を説明しようとしたが、オルグレンはそういったことに興味がないようだ。
興味のあることのないことがきっぱりとしている。なんだかクリエイターっぽいな。
「……それで僕をここに呼んだ理由を聞いても?」
「私のすべてを継いでもらうためだ」
尋ねると、オルグレンは端的に言った。
「すべて……というのは?」
「私の知っている工学魔法についての知識、技術……そして、天空城だ」
オルグレンが扱っていた工学魔法を引き継いでほしいというのはわかる。
しかし、最後の天空城については理解できなかった。
もしかして、あれか? 某有名スタジオが手掛けた作品に登場するラ●ュタなのか?
「……天空城というのは、もしかして空を飛ぶ城のことですか?」
「うむ、その通りだ!」
おずおずと尋ねると、オルグレンはしっかりと頷いた。
どうやら僕が思い描いていた空に浮かぶ城で合っていたらしい。
「そんなものが一体どこに……?」
オルグレンの卓越した工学魔法があれば、天空城を作り出すことができたとしてもおかしくはない。
ただそんなものがどこにあるのかが不明だった。
「天空城ならば既にあるじゃないか。ここだ」
「まさか、この古城が天空城の一部だっていうんですか!?」
「その通りだ! 本体のほとんどは地中に埋まっているが、こここそが私の造り上げた天空城の中である!」
今僕たちがいる古城は、天空城における氷山の一角ということになるようだ。
「ですが、そんなすごいものをどうして僕に?」
仮に今いる場所が天空城の中だとして、そんな凄いものをオルグレンが僕に譲る理由がわからなかった。
「私は生涯をかけた最高傑作として天空城の完成に挑んだ。だが、あと一歩、あと一歩で完成を迎える前に肉体が限界を迎えた。未完成の天空城は私の未練そのものなのだ。だから、君にはこの天空城を完成させ、空へと飛ばして欲しい。私に天空城が空へ浮かぶ姿を見せてほしい」
ゴーレムであるはずのオルグレンの瞳に強い感情の炎が宿る。
その情念の炎は、マッドサイエンティストが抱く狂気のようなものを感じさせた。
「僕が天空城を完成させて空へ飛ばすなんて無理ですよ」
僕には目の前にあるゴーレムだってどのやって作成するかわからないし、周りにある機材だって何を目的として作られたものかもわからない。
天空城などというオーバーテクノロジーなものを完成させ、空に飛ばすなんてできるわけがなかった。
「大丈夫だ。君には私が生涯をかけ積み上げた工学魔法のすべてを託そう」
「託すというのは?」
「ゴーレムに人格を写す魔法を応用する。膨大な情報量のせいで最初は頭痛や眩暈が起こるだろうが、人体に致命的な影響はない」
インストールのようなものだろうか? どうやら一瞬にして僕に知識を植え付ける魔法があるらしい。
なるほど。天空城を設計したオルグレンの知識、工学魔法の技術を受け継ぐことができれば、僕でも天空城を完成させ、空に飛ばすことはできるかもしれない。
「仮に天空城を完成させ、空に飛ばせたとして、オルグレンさんは僕に何を望むの?」
「……それ以上の何かを望むことはない」
「本当に?」
「ああ、私が見たいのは自身の最高傑作が空へと浮かぶ姿だけだからな。天空城で世界征服をするもよし、野望を抱かずに天空城にひきこもってもいい。どう使うかは君の自由だ」
そのように答えるオルグレンの表情は実に穏やかなものだった。
本当に天空城を完成させ、空に飛ばしてもらうこと以外は何も求めないようだ。
であれば、僕にとって損は何もない。
元より僕が追放された場所は、誰も領民が住んでおらず、強力な魔物が跋扈する魔の森である。
このような場所にロクに支援もないままにたった二人だけを赴任させるなんて、死ねと言われているようなものだ。ここにやってきたたった半日で何度も死にかけた。ミナリスがいなければ、とっくに僕は魔物の餌になっていただろう。
こんな危険地帯にずっといるのは現実的ではない。
オルグレンから譲り受けた天空城を完成させ、空に飛ばし、そこで生活するのが僕らの現実的な生きる手段だ。
何も迷う理由はない。
「わかりました。オルグレンさん、あなたのすべてを引き継がせてください」
「――では、私のすべてを託そう」
覚悟を決めると、オルグレンは額に魔法陣を浮かべて近づき、僕の額へと合わせた。
その瞬間、目を焼くほどの激しい光が僕の身体を包んだ。
僕の頭の中に大量の情報と魔力が流れ込んでくる。
どうやら引き継がれるものには知識だけでなく、彼の魔力も含まれているようだ。
体内にある魔力器官が活性化し、全身の血管に膨大な魔力が行き渡るのを感じた。
しばらくすると、オルグレンの額に浮かんでいた魔法陣は消えており、僕の身体を包んでいた光も消失していた。
「すごい。これがオルグレンの持っている工学魔法の知識、そして魔力……」
受け継いだ知識も凄いが、彼から譲り受けた魔力もかなり膨大だった。
元々魔力は多い方だったけど、オルグレンの魔力を受け継いだことにより十倍くらい増えた気がする。
「痛っ!」
内包された魔力量に感嘆していると、不意に頭がズキッと痛んだ。
オルグレンが言っていた膨大な情報量を流し込んだ影響だろう。
しばらく鋭い痛みは続いたが、そのままじっと痛みに堪えていると次第に収まっていった。
まだ少し痛みは残っているが、時間が経過すれば無くなるだろう。
「オルグレンさん、無事にあなたのすべてを受け継ぐことができ――って、大丈夫ですか!?」
少し痛みが落ち着いたので振り返ると、オルグレンが糸の切れた操り人形のように倒れていた。
僕は慌ててオルグレンに駆け寄って、その身体を抱きかかえる。
「オルグレン!」
「心配するな。身体が稼働限界を迎えただけだ。さすがに私が作ったゴーレムも五百年以上の年月には勝てなかったようだ」
「待っていてください! すぐに工学魔法で修繕します!」
「む、無駄だ。わ、私の知識を引き継いだので、あれば、わかるであろう?」
オルグレンから発せられる声には酷いノイズが混ざっていた。
彼の言う通りだった。
僕に知識と魔力を引き継がせるための魔法は、彼の意思を宿している頭脳に大きな負荷をかけてしまうようだ。そのせいか意思を司る重要な基盤が焼き切れてしまっている。
外装は無事であっても頭脳が壊れてしまえば修復は不可能だ。
仮に外装を修理したとしても、そこにオルグレンの意思はない。
ただの黒髪、黒目の可愛らしい人間の姿をしたゴーレムが残るだけだ。
「ノエルよ、私のことを想うのであれば、一刻も早く天空城を完成させて、空へと飛ばしてくれ。それが私の願いだ」
「……わかりました」
真摯な願いを聞き届けた僕は、壁を背中にそっとオルグレンを座らせた。
「いってきます」
「あ、ああ、頼んだぞ……」
オルグレンは短く返事を返すと、それっきり動くことはなかった。
恐らく省エネルギーモードに移行することで少しでも意思の延命を図っているのだろう。
僕にできることは一刻も早く天空城を完成させて空へ飛ばすことだ。
それがオルグレンの最大の願いであり、与えてくれたものに対する恩返しなるのだから。
僕は管理室を出ると、廊下を駆け出した。
視界が光で真っ白になったかと思ったら、今度は視界が真っ黒で埋め尽くされていた。
いや、正確には僕の懐のポケットだけが明るく輝いている。古城の中で回収した石材による光だ。
そのぼんやりとした光によると、ここが室内であることはわかった。ただ光量が足りないためにここがどんなことを目的とした部屋なのかはわからない。
周囲にミナリスの姿はなく、イグーナの姿もなかった。
ひとまず、自分が窮地を脱したことだけは理解できたが、ミナリスの姿が見えないことだけが気がかりだった。
「うむ、久方ぶりに転移陣を起動したが、ちゃんと機能したようだな」
少し頼りない光量で部屋の様子を確かめようとすると、突如として老齢の男の声が響いた。
「――ッ! 誰だ!」
「そう警戒せずともいい。私は君に害を為す者ではない」
腰に佩いている剣に手をかけて警戒を露わにすると、声の主は好々爺のような笑い声を上げながら言った。
「とはいっても姿が見えぬままでは安心できぬか。今、部屋を明るくしよう」
続いてそんな声が響くと、急に部屋が明るくなった。
真っ暗な空間に慣れていたせいで目が追いつかなかったが、何度か目を瞬かせると順応することができた。
室内は古城とはかけ離れた光景だった。壁は滑らかな金属光沢を放っており、見慣れぬ文字が走査線のように流れている。周囲には大型の機材がところせましと並んでおり、地面には太いケーブルが張り巡らされていた。
そんな研究施設のような部屋の中央には一人の美少女がいた。
黒い髪のツインテールにくりっとした黒い瞳。肌は陶磁器のように真っ白でありながらきめ細やか。身長は百五十センチ程度であり、年齢は十代前半から半ばといったところか。
そんな美少女がシックなメイド服を身に纏って立っている。
「どうかね? これで落ち着いて話しができるだろうか? はじめまして私の名はオルグレン=メカリアだ。君をここに呼び出したのは――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……なにかね?」
「どうしてその見た目でそんな声なんです?」
中学生くらいの年齢の子がメイド服を着ているだけならまだいい。実際に似合っているし、そういった可愛らしい服を着るのが趣味なのかなと流すことができる。
しかし、その声は見た目の可愛らしさを粉々に打ち砕く、煙草の香りが漂いそうなダンディボイスだった。
なんで? どうしてその見た目で老成した男性の声が響いてくるんだ?
それが気になってここがどこだとか、どうして僕を呼んだのだとかまともな会話どころじゃない。
「どうだ? 美しいだろう? 可愛らしいだろう? これは私が長年の探求の果てに工学魔法で生み出したゴーレムだ!」
あまりにも正反対な声をしている理由を尋ねると、オルグレンはよくぞ聞いてくれたとばかりに興奮した声を上げた。
「ゴーレム? 君が?」
ゴーレムとは、石、土、金属、木材など素材を問わず、魔法や術式によって命を与えられた無機物の生命体のことだ。
ゴーレムは仮初の命を与えられた無機物の生命体でしかないので人間のように喋ることはできない。
しかし、目の前にいるオルグレンと名乗る美少女は流暢に言葉を紡ぎ、僕の会話に応じていた。
この子がゴーレムだなんて信じられない。
「ああ、そうだ。近くで見てみるといい。この身体は紛れもなくゴーレムだ」
「では、遠慮なく……」
気になった僕はオルグレンへと近づいて、至近距離から身体を眺めさせてもらうことにした。
間近で見上げてみると、その姿は息を呑むほどに精緻だった。
白磁のように滑らかな肌、宝石のように澄んだ瞳、柔らかく揺れる髪。
遠目にはまるで人間の少女のようにしか見えない。
だが、目を凝らせば確かな違いがあった。
肩口に走る僅かな継ぎ目、肘を覆う関節部の煌めき、これらは人間の肌ではない何かしらの金属のような素材だ。まるで完璧な彫像に細い刃を入れたような不自然な線が走っている。
さらに近くで観察してみると、瞬きをする回数が異様に少ない上に呼吸の気配も無かった。
「……本当だ。確かにあなたは人間じゃない」
「言ったであろう? ゴーレムだと」
「それは理解しました。ですが、どうしてゴーレムが喋れるんです?」
「む? 発声器官を取り付ければ、ゴーレムには喋らせることができるであろう?」
「……発声器官?」
ゴーレムとしてあり得ない機能をオルグレンは当然の技術のように語ってみせた。
よくわからないが彼の常識の中ではゴーレムとは喋るものらしい。
「この時代の者たちはゴーレムを喋らせることすらできぬのか? 今、一体何年なのだ?」
「太陽暦五百二十五年です」
「……聞いたことのない暦だ。私が生きていたのは魔歴二十五年だ」
「それって今よりも五百年以上前の時代じゃないですか!?」
公爵家の文献で読んだことがある。
今よりも遥か昔の時代は地中を流れる魔力の循環を元に一年を数えていたらしい。
しかし、魔力の循環は様々な環境の変化や災害などで乱れてしまうために周期が安定せず、今の太陽が一巡する周期へと変更されたはずだ。
「そうか。私は五百年もここで待っていたのか……しかし、腑に落ちぬな」
「なにがでしょう?」
「これだけの歳月が経過しているというのに、なぜこれほどまでに魔法技術が劣っているのだ? 我々の文明が滅びたとはいえ、あまりにも生産系魔法のレベルが低い」
「……もしかすると、それは今の王侯貴族の風潮のせいかもしれません」
「風潮?」
小首を傾げるオルグレンに僕は今の王侯貴族が求めている魔法適性について話した。
「……なんと愚かな。民を統べる者が生産系魔法を軽視するなど……私が生きていた時代は、領主こそ生産系魔法の適性を求められていたものだ」
昔は領地を統べる者が生産魔法で街を作り、工学魔法の使い手たちがライフラインを整備し、領民たちが安全に住めるように整えていたようだ。
それは今の貴族象とは正反対であり、僕が理想する貴族象でもあった。
僕もその頃に生まれていたらこんなことにはなっていなかったかもしれない。
「しかし、それを差し置いたとしてもあなたを作ったというオルグレン=メカリアという人物は天才ですね」
「うむ、それは間違いない。ただ訂正するとすれば、オルグレンはこの私だ」
「はい? あなたはオルグレンさんによって造られたゴーレムなのですよね?」
「確かにそうだが、私の肉体が朽ち果てる前に人格だけをゴーレムに転写した。だから、私がオルグレン=メカリアであると言える」
ゴーレムに自らの人格を転写する? そんなことが可能なのか?
いや、少なくとも僕の目の前には現代の魔法技術では再現できないと思わせるほどに精緻な造りをしたゴーレムがいる。喋ることすら可能にするような技術を持っているのであれば、それぐらいのことも出来てしまうのかもしれない。
「詳しい理屈は理解できませんが、あなた自身がオルグレン=メカリアだということは理解しました」
「おお、そうか! 私は理解が早い者は大好きだ!」
目が冴えるような美少女から大好きと言われたが、まったく嬉しくない。
だってその可憐な唇から紡がれる言葉は見事なまでのダンディボイスなのだから。
「でも、どうして意思を宿す肉体が黒髪の美少女メイドなんです?」
「君は人生で一度くらいは思ったことはないか? 生まれ変わったら美少女になってみたいと?」
僕がそんな質問をすると、オルグレンが真面目な表情を浮かべながら言ってきた。
「あります」
「そうであろう! そうであろう! 男ならば、誰だって美少女に生まれ変わって色々な人にチヤホヤされてみたいと思うものだ! いやぁ、私の後継者となってくれる者が話のわかる奴でよかった。私の時代には数多の工学魔法使いの者たちがいたが、誰もこの願望を理解してくれる者がいなくてなぁ。私は特に黒髪黒目のメイドさんに目が無くてだなぁ。この楚々として姿こそ王道の可愛さと清楚さ――」
即答すると、オルグレンが鼻息を荒くさせながら女性への変身願望について熱く語ってきた。
いや、実際には呼吸をしないゴーレムなので、なにかしらの機関を操作して鼻息のようなものを漏らしているのだろう。芸が細かい。
「あ、あの、自分から聞いておいてなんですけど、そろそろ本題に入ってもらっていいですか?」
放っておくと、一日中変身願望について語ってきそうなので、この辺りで切り上げてもらう。
「そうであったな。悪いが今の私にも稼働限界というものがある。名残惜しいが早めに本題に移るべきだろう」
「本題に入る前に聞いておきたいのですが……」
「ああ、君が気になっているのは同行して兎人族のメイドの安否であろう? 彼女であれば無事だ」
オルグレンが機材を操作すると、壁に大きなモニターのようなものが表示されて、そこには古城の中を歩き回るミナリスの姿があった。
「元より彼女は身体能力が高く、優秀な闇属性魔法の使い手だ。足手纏いである君がいなければ、イグーナの群れを撒くぐらい造作もない」
「あ、そうでしたか……」
それが事実なのかもしれないが、真っ直ぐに言われると心に刺さる言葉である。
まあ、ミナリスが無事なのであればよかった。
僕は変なゴーレムと一緒にいて無事だと伝えてあげたいけど、そこまでできる感じではないので諦めよう。
「さて、改めて自己紹介をしよう。私はオルグレン=メカリア。今より遥か昔の時代を生きていた天才工学魔使いである。君の名は?」
「ノエル=エルディア。工学魔法使いです。ここにやってきた経緯はエルディア公爵家から――」
「ああ、そういうものには興味がないから話さなくていい」
一応、彼の棲み処ともいえる場所に足を踏み入れた理由を説明しようとしたが、オルグレンはそういったことに興味がないようだ。
興味のあることのないことがきっぱりとしている。なんだかクリエイターっぽいな。
「……それで僕をここに呼んだ理由を聞いても?」
「私のすべてを継いでもらうためだ」
尋ねると、オルグレンは端的に言った。
「すべて……というのは?」
「私の知っている工学魔法についての知識、技術……そして、天空城だ」
オルグレンが扱っていた工学魔法を引き継いでほしいというのはわかる。
しかし、最後の天空城については理解できなかった。
もしかして、あれか? 某有名スタジオが手掛けた作品に登場するラ●ュタなのか?
「……天空城というのは、もしかして空を飛ぶ城のことですか?」
「うむ、その通りだ!」
おずおずと尋ねると、オルグレンはしっかりと頷いた。
どうやら僕が思い描いていた空に浮かぶ城で合っていたらしい。
「そんなものが一体どこに……?」
オルグレンの卓越した工学魔法があれば、天空城を作り出すことができたとしてもおかしくはない。
ただそんなものがどこにあるのかが不明だった。
「天空城ならば既にあるじゃないか。ここだ」
「まさか、この古城が天空城の一部だっていうんですか!?」
「その通りだ! 本体のほとんどは地中に埋まっているが、こここそが私の造り上げた天空城の中である!」
今僕たちがいる古城は、天空城における氷山の一角ということになるようだ。
「ですが、そんなすごいものをどうして僕に?」
仮に今いる場所が天空城の中だとして、そんな凄いものをオルグレンが僕に譲る理由がわからなかった。
「私は生涯をかけた最高傑作として天空城の完成に挑んだ。だが、あと一歩、あと一歩で完成を迎える前に肉体が限界を迎えた。未完成の天空城は私の未練そのものなのだ。だから、君にはこの天空城を完成させ、空へと飛ばして欲しい。私に天空城が空へ浮かぶ姿を見せてほしい」
ゴーレムであるはずのオルグレンの瞳に強い感情の炎が宿る。
その情念の炎は、マッドサイエンティストが抱く狂気のようなものを感じさせた。
「僕が天空城を完成させて空へ飛ばすなんて無理ですよ」
僕には目の前にあるゴーレムだってどのやって作成するかわからないし、周りにある機材だって何を目的として作られたものかもわからない。
天空城などというオーバーテクノロジーなものを完成させ、空に飛ばすなんてできるわけがなかった。
「大丈夫だ。君には私が生涯をかけ積み上げた工学魔法のすべてを託そう」
「託すというのは?」
「ゴーレムに人格を写す魔法を応用する。膨大な情報量のせいで最初は頭痛や眩暈が起こるだろうが、人体に致命的な影響はない」
インストールのようなものだろうか? どうやら一瞬にして僕に知識を植え付ける魔法があるらしい。
なるほど。天空城を設計したオルグレンの知識、工学魔法の技術を受け継ぐことができれば、僕でも天空城を完成させ、空に飛ばすことはできるかもしれない。
「仮に天空城を完成させ、空に飛ばせたとして、オルグレンさんは僕に何を望むの?」
「……それ以上の何かを望むことはない」
「本当に?」
「ああ、私が見たいのは自身の最高傑作が空へと浮かぶ姿だけだからな。天空城で世界征服をするもよし、野望を抱かずに天空城にひきこもってもいい。どう使うかは君の自由だ」
そのように答えるオルグレンの表情は実に穏やかなものだった。
本当に天空城を完成させ、空に飛ばしてもらうこと以外は何も求めないようだ。
であれば、僕にとって損は何もない。
元より僕が追放された場所は、誰も領民が住んでおらず、強力な魔物が跋扈する魔の森である。
このような場所にロクに支援もないままにたった二人だけを赴任させるなんて、死ねと言われているようなものだ。ここにやってきたたった半日で何度も死にかけた。ミナリスがいなければ、とっくに僕は魔物の餌になっていただろう。
こんな危険地帯にずっといるのは現実的ではない。
オルグレンから譲り受けた天空城を完成させ、空に飛ばし、そこで生活するのが僕らの現実的な生きる手段だ。
何も迷う理由はない。
「わかりました。オルグレンさん、あなたのすべてを引き継がせてください」
「――では、私のすべてを託そう」
覚悟を決めると、オルグレンは額に魔法陣を浮かべて近づき、僕の額へと合わせた。
その瞬間、目を焼くほどの激しい光が僕の身体を包んだ。
僕の頭の中に大量の情報と魔力が流れ込んでくる。
どうやら引き継がれるものには知識だけでなく、彼の魔力も含まれているようだ。
体内にある魔力器官が活性化し、全身の血管に膨大な魔力が行き渡るのを感じた。
しばらくすると、オルグレンの額に浮かんでいた魔法陣は消えており、僕の身体を包んでいた光も消失していた。
「すごい。これがオルグレンの持っている工学魔法の知識、そして魔力……」
受け継いだ知識も凄いが、彼から譲り受けた魔力もかなり膨大だった。
元々魔力は多い方だったけど、オルグレンの魔力を受け継いだことにより十倍くらい増えた気がする。
「痛っ!」
内包された魔力量に感嘆していると、不意に頭がズキッと痛んだ。
オルグレンが言っていた膨大な情報量を流し込んだ影響だろう。
しばらく鋭い痛みは続いたが、そのままじっと痛みに堪えていると次第に収まっていった。
まだ少し痛みは残っているが、時間が経過すれば無くなるだろう。
「オルグレンさん、無事にあなたのすべてを受け継ぐことができ――って、大丈夫ですか!?」
少し痛みが落ち着いたので振り返ると、オルグレンが糸の切れた操り人形のように倒れていた。
僕は慌ててオルグレンに駆け寄って、その身体を抱きかかえる。
「オルグレン!」
「心配するな。身体が稼働限界を迎えただけだ。さすがに私が作ったゴーレムも五百年以上の年月には勝てなかったようだ」
「待っていてください! すぐに工学魔法で修繕します!」
「む、無駄だ。わ、私の知識を引き継いだので、あれば、わかるであろう?」
オルグレンから発せられる声には酷いノイズが混ざっていた。
彼の言う通りだった。
僕に知識と魔力を引き継がせるための魔法は、彼の意思を宿している頭脳に大きな負荷をかけてしまうようだ。そのせいか意思を司る重要な基盤が焼き切れてしまっている。
外装は無事であっても頭脳が壊れてしまえば修復は不可能だ。
仮に外装を修理したとしても、そこにオルグレンの意思はない。
ただの黒髪、黒目の可愛らしい人間の姿をしたゴーレムが残るだけだ。
「ノエルよ、私のことを想うのであれば、一刻も早く天空城を完成させて、空へと飛ばしてくれ。それが私の願いだ」
「……わかりました」
真摯な願いを聞き届けた僕は、壁を背中にそっとオルグレンを座らせた。
「いってきます」
「あ、ああ、頼んだぞ……」
オルグレンは短く返事を返すと、それっきり動くことはなかった。
恐らく省エネルギーモードに移行することで少しでも意思の延命を図っているのだろう。
僕にできることは一刻も早く天空城を完成させて空へ飛ばすことだ。
それがオルグレンの最大の願いであり、与えてくれたものに対する恩返しなるのだから。
僕は管理室を出ると、廊下を駆け出した。

