気が付いたら僕は屋敷と思われる一室にいた。
室内を見渡してみると大きな天蓋付きのベッドがあり、彫金の施された机や、重厚そうな本がいくつも収容されている本棚が設置されていた。天井にはシャンデリアがぶら下がっているが、よく見てみると先端に灯っているのは炎ではなく魔力を源にした淡い光だった。
そして、なによりも驚くのがこれだけ大きな家具を設置しておきながら室内にはスペースが余りまくっていることだ。僕くらいの子供だったら余裕で走り回れるくらいのスペースがある。
さすがはエルディア公爵家だ。
当然のように出てきた言葉に僕は疑問符を浮かべる。
「あれ? どうして僕はここがエルディア家の屋敷だと理解しているんだろう?」
知らないはずの場所なのに知っている。妙な感覚だった。
ふわふわとした心地の中、室内をボーッと見渡していると涼やかな声が響いた。
「あ、あの、ノエル様、いかがされました?」
振り向くと、そこには艶やかな黒い髪を肩の辺りで切りそろえ、頭頂部からは長い兎耳を生やした少女がいた。黒を基調したメイド服にエプロンを付けている。
彼女はミナリス。兎人族という獣人であり、僕のたった一人の専属メイドだ。
年齢は十歳とかなり若い。
「あ、ごめん。ミナリス、なんでもないよ」
「え?」
「え?」
「いえ、なんでもございません! 余計なお声がけをいたしましたことをお許しくださいませ!」
ミナリスの態度がかなり硬い。
ただなんでもないと返事しただけで、どうしてこんなにも恐縮しているのだろう。
そう思って記憶を掘り返してみると、以前の僕はミナリスのことを名前で呼ばずに兎さんなどと適当な呼び方をしていたようだ。
まだ物事の分別がついていないとはいえ、専属メイドに対してその呼び方は酷い。
大人としての僕の意思が宿ったせいで罪悪感がむくむくと湧いてくる。
「ごめん、ミナリス」
「え? なにがでしょう?」
「今まで君のことを名前で呼ばず、失礼な呼び方をしてしまっていた。許してほしい」
ぺこりと頭を下げて謝罪すると、ミナリスが驚きの声を上げる。
「えええええ!? ノエル様、頭をお上げください!」
「上げない! ミナリスに許してもらうまでは!」
「許します! そこまで気にしていないので頭をお上げください!」
僕としてはもっと謝りたかったのだが、これ以上やるとミナリスの顔色が大変なことになりそうなのでやめておいた。
「許してくれてありがとう」
「そもそもわざわざメイドの名前を覚えていることの方が珍しいですよ?」
「え? なんで? ミナリスは僕の身の回りのお世話をしてくれる専属メイドでしょう? 名前を覚えるのは当然だし、名前で呼ぶのは当たり前だよね?」
「おそれながら貴族の方が使用人の名前を覚えることはありませんし、名前で呼ぶことはありません」
ミナリスによると、エルディア公爵家にいるほとんどの人が使用人の名前なんて覚えておらず、「おい」「そこの茶色の」などと失礼極まりない言葉で呼びつけるらしい。
……マジか。エルディア公爵家、それでいいのか。父さんや兄さんたちもそんな感じだなんてドン引きだよ。絶対に屋敷の使用人から嫌われる奴じゃん。
幸いにして僕ことノエルは三歳という幼い年齢もあり、そういった身分の差を理解しての物言いではなかったらしい。単に名前を覚えておらず、わかりやすい記号としてそう呼んでいた。
接していたのはほぼミナリスだけなので、他の使用人たちにそこまでの失礼はかましていないようだ。かなり安心した。
それにしても、僕の今の状況は一体どういうことなのだろう?
僕はつい先ほどまで製鉄所で設備修理を行っていたはずだ。
だけど、その時に閃光が走って、僕の身体をとんでもない衝撃が襲ったことまでは鮮明に覚えている。
おそらく僕は死んだ。死因は感電死。
ちゃんと作業に入る前にブレーカーが落ちているは施設の人から確認した。
それなのに感電したってことは補助電源が実は入っていたってことじゃないか。
相手方のとんでもないミスのせいで死んだってこと? なにそれ悲しい。
そして、気が付いたらこの幼い身体になっていたというわけである。
こういうのを憑依っていうんだっけ? でも、これまでのノエルという人格はまったく残っていない。完全に日本で過ごしてきた記憶を持っている僕に塗り潰されている。
これはもう言ってしまえば生まれ変わりのようなものだろう。
試しに鏡を覗き込んでみると、そこには煤に塗れた疲れ切った顔をしたおっさん――ではなく、雪のように真っ白に輝く銀髪に宝石めいた碧眼を持つ美少年がいた。
「……うわ、僕めっちゃ美形じゃん」
頬をつねるとぷにっと柔らかい。夢ではない。
オイルと鉄粉に塗れていた前世の僕からすれば、信じられないほどに清潔で麗しい見た目だ。
三歳児でこの美しさなのであれば、大人になればどれほどのものになるのだろうか。
こんな見た目であれば、生まれ変わりも悪くない。
一体、どうして生まれ変わりが起きたのかはわからないが、とにかく僕はエルディア公爵家の四男であるノエル=エルディアとして生まれ変わった。それだけは確かだ。
であれば、新しい人生を生き抜くために活動を開始しなければいけない。
まずは公爵家のことや、この世界についてのことを調べよう。
――ぐうううう。
そのような方針を固めたところで僕の胃袋から盛大に音が鳴った。恥ずかしい。
「そろそろ昼食の時間ですね。ノエル様、ダイニングルームに参りましょう」
なんとも格好がつかないが、腹が減っては戦はできぬというし、まずはお腹を満たしてから色々と行動に移そう。
●
ミナリスに連れられてダイニングルームにやってくると、部屋の中央には長大な食卓が設置されていた。磨き上げられたマホガニーが美しい光沢を放っている。
卓の最奥――暖炉を背にする上座にはエルディア公爵家の当主であり、父でもあるアルバンが静かに腰掛けている。その両脇には正妻であるヴィオラ、長男であるオスラが並んでおり、それらに続く形で次男のブラント、三男のテイラーといった兄たちが座っていた。
四男である僕はもちろん下座だ。
ミナリスが椅子を引き、台座まで置いてくれた。
僕は悠々と台座に足をかけて、椅子にちょこんと腰かける。
さらにはミナリスが後ろから僕の椅子の位置を調整してくれた。至れり尽くせりである。
ダイニングテーブルの上には、既にたくさんの料理が並んでいる。
メニューはヨーロッパ系の朝食といったイメージだろうか? ご飯や味噌汁といった和食の類は見当たらなかったのが残念だ。
それでも公爵家の朝食はとても種類が充実しており美味しそうである。
しかし、残念かな。僕は三歳児なので食べさせてもらえる料理は決まっているようだ。
他の料理も食べてみたいけど我慢しよう。
父であるアルバンが食事に手をつけると、皆が一斉に食事に手をつけ始める。
いただきますといった食前の挨拶はまるでなく、ぬるっと食事が始まってしまった。
変な感じだ。
異世界なんだから食前の祈りやそういった別の口上があると思っていたけど、そういうのは特にないみたいだ。ちょっと寂しい食事風景だな。
「……いただきます」
日本での習慣が抜けない僕は小さな声で呟いた。
だって、何も言わないままに食べるのはどうにも気持ちが悪いから。
僕がこっそりと手を合わせて食前の挨拶をしていると、ミナリスが小さなステーキをナイフで切りわけてくれていた。
いや、三歳児にステーキ食わせるんかい。
ちゃんとヒレ肉とか柔らかい部位にしてくれているよね?
「ノエル様、あーんです」
不安に思いながら見つめていると、ミナリスが切り分けたステーキを僕の口元に差し出してきた。
「いや、ミナリス。さすがに一人で食べられるよ」
「え? そうですか?」
やんわりと断って、僕は傍にある食器を手にする。
さすがに公衆の面前であーんは恥ずかしい。
ミナリスが丁寧に小さく切り分けてくれたステーキを頬張る。
うん、美味しい。幼い僕でも噛みやすいように脂身の少ない部位だし、食べやすいようにきちんと筋切りをしてくれている。公爵家の料理人は優秀だ。
「すごいです! ノエル様、いつの間におひとりで食事ができるようになったのですか!?」
黙々と食事をしていると、ミナリスが急に褒めてくる。
「ええ? 僕、もう三歳だよ? さすがに一人でできるよ」
一般的に三歳児にもなると、手掴みでの食べ方から食器を使った食べ方に移行する時期のはずだ。
そんなシンプルな返事をすると、オスラたちが気まずそうな顔をした。
あれ? 僕、なにかいけないことでも言っちゃっただろうか?
「ミナリス?」
「ええっと、ご兄弟の皆さまが一人でお食事をできるようになったのは五歳を過ぎて頃でしたので……」
振り返ると、ミナリスがこそっと耳打ちをしてくれた。
え、遅くない?
多分、メイドたちが食事の世話をしてくれるのに甘えていたんだろうな。気持ちはわかる。
僕も前世の記憶がなければ、綺麗なメイドたちに存分にあーんさせてもらっていたに違いない。
ちょっとだけ兄さんたちが羨ましかった。
「ノエルはもう一人で食事ができるのか。偉いな」
「ありがとうございます、父上」
幼児特有の舌足らずな声でありながら、なんとかそれらしい言葉を述べることができた。
僕の返事にミナリスだけでなく、兄さんたちも目を見張る。
あれ? そんなにおかしい返事だったか? 突っ込まれないように無難に短くしたんだけど……。
困惑する僕をよそにアルバンは愉快そうに口元を綻ばせた。
「……ほう、見ない間に随分と言葉遣いがよくなったな? 三歳にしては実に立派だ」
しまった。今の僕は三歳児だ。
それが急に大人のような言い回しをすれば、皆が驚くのも無理はない。
「兄上たちの言葉遣いを真似してみました。変でしたでしょうか?」
「なるほど。真似か。だがそれでもいい。その学ぶ姿勢を大切にするんだ」
「はい」
「八歳になれば、お前も魔法適性の儀を受けることになる。それまでに自分にできるすべてをやっておけ」
「……魔法適性?」
アルバンの台詞を聞いて、僕は小首を傾げる。
その言葉は以前のノエルの記憶の中にない言葉だったからだ。
「そういえば、ノエルにはまだ説明していなかったか……」
怪訝な表情を浮かべる僕を見て、アルバンは魔法適性の儀について教えてくれた。
「八歳になると、この国では自身の魔法適性を見極めるための儀式を教会で行うことになっている」
魔法が当たり前の技術としてあるこの世界では、どんな魔法の適性を持って生まれたかがかなり重要なようだ。そんなに重要な力なのにどうして八歳にならないと受けられないのかというと、幼少期の頃は身体ができていないために魔力の運用に身体が耐えられないそうだ。そのため肉体が徐々にできてくる八歳頃から儀式を行うと王国が法律で定めた。
「ちなみに魔法適性で貴族に求められるのは属性魔法だ」
火、雷、風などの属性は戦場で武勲を立てやすいために特に人気らしい。
水、土などは最初の三つの属性に比べれば攻撃性には劣るが、攻撃にも転用できる上に領地や領民を守る防壁などを張れるため次点で人気のようだ。
他には稀少とされる光属性などは浄化、治癒などの魔法により兵や民たちを救えるため、民心の掌握や統治に有利だ。場合によっては教会と深い結びつきを得られるためにメリットは多い。
「一方で貴族にとって相応しくないとされる魔法適性がある」
「……それはなんでしょう?」
「闇魔法だな」
アルバンはそう告げた瞬間、後ろに控えているミナリスがビクリと肩を震わせた。
彼女の挙動が少し気になったが、大事な話の途中なので確かめることはできない。
闇魔法のどこがいけないのかまでアルバンは教えてくれなかったが、おそらく暗殺や諜報といった後ろ暗いことに主に使われる魔法なのだろうな。なんとなく想像がついた。
「他にも相応しくないとされる魔法適性はあるのでしょうか?」
「工学魔法、農耕魔法といった生産系や農業系の魔法だな」
「…………」
「どうした、ノエル?」
唖然としていると、アルバンがこちらを見据えながら尋ねてくる。
「僕からすると、工学魔法や生産魔法、農耕魔法も有用に思えるのですが……」
どれもこれも庶民の生活を支える実用的な力じゃないか。
これらの魔法が貴族にとって歓迎されないという理由がわからない。
「馬鹿言え。物を作るのも、農業を営むのも平民共の仕事だ。わざわざ貴族である俺たちがやってやる必要はねえだろ」
「そうだね。貴族の魔力は強大ではあるけど有限だ。貴重なリソースをそこに割くべきじゃない」
「貴族である俺たちに求められるのは領地を守るための攻撃魔法だ! なにせ俺たちは魔法使いとして有名なエルディア公爵家なんだからな!」
疑問を口にすると、ブラント、オスラ、テイラーといった兄たちがバカにしたように言ってきた。
なるほど。この世界の一般的な貴族の価値観では、そういう風になっているのか。
前世では工業系の会社に務めていたので色々と言ってやりたいことはあるが、僕がそんな意見をぶつけたところで考えが翻るわけもない。腹は立つけど、仕方なくこの場は呑み込むことにした。
「エルディア公爵家は先祖代々優秀な魔法使いを排出し、戦場で武功を立て続けることで今の地位へと昇り詰めた。当主である私の役目は、次代の優秀な魔法使いを生み出すことだ。ノエル、くれぐれも俺を失望させるような魔法適性は授かってくれるなよ?」
アルバンが凄みを利かせた視線を向けてくる。得体の知れない圧力が僕の身体を包み込んだ。
とはいっても、魔法適性の儀式って運ゲーなんだよね?
生まれ持っての資質だからどうしようもないじゃん。
そんな風に言い返してやりたいけど、さすがに言えるような雰囲気じゃない。
「は、はい」
僕が素直に返事をすると、アルバンは満足そうに頷いて食事を再開した。
室内を見渡してみると大きな天蓋付きのベッドがあり、彫金の施された机や、重厚そうな本がいくつも収容されている本棚が設置されていた。天井にはシャンデリアがぶら下がっているが、よく見てみると先端に灯っているのは炎ではなく魔力を源にした淡い光だった。
そして、なによりも驚くのがこれだけ大きな家具を設置しておきながら室内にはスペースが余りまくっていることだ。僕くらいの子供だったら余裕で走り回れるくらいのスペースがある。
さすがはエルディア公爵家だ。
当然のように出てきた言葉に僕は疑問符を浮かべる。
「あれ? どうして僕はここがエルディア家の屋敷だと理解しているんだろう?」
知らないはずの場所なのに知っている。妙な感覚だった。
ふわふわとした心地の中、室内をボーッと見渡していると涼やかな声が響いた。
「あ、あの、ノエル様、いかがされました?」
振り向くと、そこには艶やかな黒い髪を肩の辺りで切りそろえ、頭頂部からは長い兎耳を生やした少女がいた。黒を基調したメイド服にエプロンを付けている。
彼女はミナリス。兎人族という獣人であり、僕のたった一人の専属メイドだ。
年齢は十歳とかなり若い。
「あ、ごめん。ミナリス、なんでもないよ」
「え?」
「え?」
「いえ、なんでもございません! 余計なお声がけをいたしましたことをお許しくださいませ!」
ミナリスの態度がかなり硬い。
ただなんでもないと返事しただけで、どうしてこんなにも恐縮しているのだろう。
そう思って記憶を掘り返してみると、以前の僕はミナリスのことを名前で呼ばずに兎さんなどと適当な呼び方をしていたようだ。
まだ物事の分別がついていないとはいえ、専属メイドに対してその呼び方は酷い。
大人としての僕の意思が宿ったせいで罪悪感がむくむくと湧いてくる。
「ごめん、ミナリス」
「え? なにがでしょう?」
「今まで君のことを名前で呼ばず、失礼な呼び方をしてしまっていた。許してほしい」
ぺこりと頭を下げて謝罪すると、ミナリスが驚きの声を上げる。
「えええええ!? ノエル様、頭をお上げください!」
「上げない! ミナリスに許してもらうまでは!」
「許します! そこまで気にしていないので頭をお上げください!」
僕としてはもっと謝りたかったのだが、これ以上やるとミナリスの顔色が大変なことになりそうなのでやめておいた。
「許してくれてありがとう」
「そもそもわざわざメイドの名前を覚えていることの方が珍しいですよ?」
「え? なんで? ミナリスは僕の身の回りのお世話をしてくれる専属メイドでしょう? 名前を覚えるのは当然だし、名前で呼ぶのは当たり前だよね?」
「おそれながら貴族の方が使用人の名前を覚えることはありませんし、名前で呼ぶことはありません」
ミナリスによると、エルディア公爵家にいるほとんどの人が使用人の名前なんて覚えておらず、「おい」「そこの茶色の」などと失礼極まりない言葉で呼びつけるらしい。
……マジか。エルディア公爵家、それでいいのか。父さんや兄さんたちもそんな感じだなんてドン引きだよ。絶対に屋敷の使用人から嫌われる奴じゃん。
幸いにして僕ことノエルは三歳という幼い年齢もあり、そういった身分の差を理解しての物言いではなかったらしい。単に名前を覚えておらず、わかりやすい記号としてそう呼んでいた。
接していたのはほぼミナリスだけなので、他の使用人たちにそこまでの失礼はかましていないようだ。かなり安心した。
それにしても、僕の今の状況は一体どういうことなのだろう?
僕はつい先ほどまで製鉄所で設備修理を行っていたはずだ。
だけど、その時に閃光が走って、僕の身体をとんでもない衝撃が襲ったことまでは鮮明に覚えている。
おそらく僕は死んだ。死因は感電死。
ちゃんと作業に入る前にブレーカーが落ちているは施設の人から確認した。
それなのに感電したってことは補助電源が実は入っていたってことじゃないか。
相手方のとんでもないミスのせいで死んだってこと? なにそれ悲しい。
そして、気が付いたらこの幼い身体になっていたというわけである。
こういうのを憑依っていうんだっけ? でも、これまでのノエルという人格はまったく残っていない。完全に日本で過ごしてきた記憶を持っている僕に塗り潰されている。
これはもう言ってしまえば生まれ変わりのようなものだろう。
試しに鏡を覗き込んでみると、そこには煤に塗れた疲れ切った顔をしたおっさん――ではなく、雪のように真っ白に輝く銀髪に宝石めいた碧眼を持つ美少年がいた。
「……うわ、僕めっちゃ美形じゃん」
頬をつねるとぷにっと柔らかい。夢ではない。
オイルと鉄粉に塗れていた前世の僕からすれば、信じられないほどに清潔で麗しい見た目だ。
三歳児でこの美しさなのであれば、大人になればどれほどのものになるのだろうか。
こんな見た目であれば、生まれ変わりも悪くない。
一体、どうして生まれ変わりが起きたのかはわからないが、とにかく僕はエルディア公爵家の四男であるノエル=エルディアとして生まれ変わった。それだけは確かだ。
であれば、新しい人生を生き抜くために活動を開始しなければいけない。
まずは公爵家のことや、この世界についてのことを調べよう。
――ぐうううう。
そのような方針を固めたところで僕の胃袋から盛大に音が鳴った。恥ずかしい。
「そろそろ昼食の時間ですね。ノエル様、ダイニングルームに参りましょう」
なんとも格好がつかないが、腹が減っては戦はできぬというし、まずはお腹を満たしてから色々と行動に移そう。
●
ミナリスに連れられてダイニングルームにやってくると、部屋の中央には長大な食卓が設置されていた。磨き上げられたマホガニーが美しい光沢を放っている。
卓の最奥――暖炉を背にする上座にはエルディア公爵家の当主であり、父でもあるアルバンが静かに腰掛けている。その両脇には正妻であるヴィオラ、長男であるオスラが並んでおり、それらに続く形で次男のブラント、三男のテイラーといった兄たちが座っていた。
四男である僕はもちろん下座だ。
ミナリスが椅子を引き、台座まで置いてくれた。
僕は悠々と台座に足をかけて、椅子にちょこんと腰かける。
さらにはミナリスが後ろから僕の椅子の位置を調整してくれた。至れり尽くせりである。
ダイニングテーブルの上には、既にたくさんの料理が並んでいる。
メニューはヨーロッパ系の朝食といったイメージだろうか? ご飯や味噌汁といった和食の類は見当たらなかったのが残念だ。
それでも公爵家の朝食はとても種類が充実しており美味しそうである。
しかし、残念かな。僕は三歳児なので食べさせてもらえる料理は決まっているようだ。
他の料理も食べてみたいけど我慢しよう。
父であるアルバンが食事に手をつけると、皆が一斉に食事に手をつけ始める。
いただきますといった食前の挨拶はまるでなく、ぬるっと食事が始まってしまった。
変な感じだ。
異世界なんだから食前の祈りやそういった別の口上があると思っていたけど、そういうのは特にないみたいだ。ちょっと寂しい食事風景だな。
「……いただきます」
日本での習慣が抜けない僕は小さな声で呟いた。
だって、何も言わないままに食べるのはどうにも気持ちが悪いから。
僕がこっそりと手を合わせて食前の挨拶をしていると、ミナリスが小さなステーキをナイフで切りわけてくれていた。
いや、三歳児にステーキ食わせるんかい。
ちゃんとヒレ肉とか柔らかい部位にしてくれているよね?
「ノエル様、あーんです」
不安に思いながら見つめていると、ミナリスが切り分けたステーキを僕の口元に差し出してきた。
「いや、ミナリス。さすがに一人で食べられるよ」
「え? そうですか?」
やんわりと断って、僕は傍にある食器を手にする。
さすがに公衆の面前であーんは恥ずかしい。
ミナリスが丁寧に小さく切り分けてくれたステーキを頬張る。
うん、美味しい。幼い僕でも噛みやすいように脂身の少ない部位だし、食べやすいようにきちんと筋切りをしてくれている。公爵家の料理人は優秀だ。
「すごいです! ノエル様、いつの間におひとりで食事ができるようになったのですか!?」
黙々と食事をしていると、ミナリスが急に褒めてくる。
「ええ? 僕、もう三歳だよ? さすがに一人でできるよ」
一般的に三歳児にもなると、手掴みでの食べ方から食器を使った食べ方に移行する時期のはずだ。
そんなシンプルな返事をすると、オスラたちが気まずそうな顔をした。
あれ? 僕、なにかいけないことでも言っちゃっただろうか?
「ミナリス?」
「ええっと、ご兄弟の皆さまが一人でお食事をできるようになったのは五歳を過ぎて頃でしたので……」
振り返ると、ミナリスがこそっと耳打ちをしてくれた。
え、遅くない?
多分、メイドたちが食事の世話をしてくれるのに甘えていたんだろうな。気持ちはわかる。
僕も前世の記憶がなければ、綺麗なメイドたちに存分にあーんさせてもらっていたに違いない。
ちょっとだけ兄さんたちが羨ましかった。
「ノエルはもう一人で食事ができるのか。偉いな」
「ありがとうございます、父上」
幼児特有の舌足らずな声でありながら、なんとかそれらしい言葉を述べることができた。
僕の返事にミナリスだけでなく、兄さんたちも目を見張る。
あれ? そんなにおかしい返事だったか? 突っ込まれないように無難に短くしたんだけど……。
困惑する僕をよそにアルバンは愉快そうに口元を綻ばせた。
「……ほう、見ない間に随分と言葉遣いがよくなったな? 三歳にしては実に立派だ」
しまった。今の僕は三歳児だ。
それが急に大人のような言い回しをすれば、皆が驚くのも無理はない。
「兄上たちの言葉遣いを真似してみました。変でしたでしょうか?」
「なるほど。真似か。だがそれでもいい。その学ぶ姿勢を大切にするんだ」
「はい」
「八歳になれば、お前も魔法適性の儀を受けることになる。それまでに自分にできるすべてをやっておけ」
「……魔法適性?」
アルバンの台詞を聞いて、僕は小首を傾げる。
その言葉は以前のノエルの記憶の中にない言葉だったからだ。
「そういえば、ノエルにはまだ説明していなかったか……」
怪訝な表情を浮かべる僕を見て、アルバンは魔法適性の儀について教えてくれた。
「八歳になると、この国では自身の魔法適性を見極めるための儀式を教会で行うことになっている」
魔法が当たり前の技術としてあるこの世界では、どんな魔法の適性を持って生まれたかがかなり重要なようだ。そんなに重要な力なのにどうして八歳にならないと受けられないのかというと、幼少期の頃は身体ができていないために魔力の運用に身体が耐えられないそうだ。そのため肉体が徐々にできてくる八歳頃から儀式を行うと王国が法律で定めた。
「ちなみに魔法適性で貴族に求められるのは属性魔法だ」
火、雷、風などの属性は戦場で武勲を立てやすいために特に人気らしい。
水、土などは最初の三つの属性に比べれば攻撃性には劣るが、攻撃にも転用できる上に領地や領民を守る防壁などを張れるため次点で人気のようだ。
他には稀少とされる光属性などは浄化、治癒などの魔法により兵や民たちを救えるため、民心の掌握や統治に有利だ。場合によっては教会と深い結びつきを得られるためにメリットは多い。
「一方で貴族にとって相応しくないとされる魔法適性がある」
「……それはなんでしょう?」
「闇魔法だな」
アルバンはそう告げた瞬間、後ろに控えているミナリスがビクリと肩を震わせた。
彼女の挙動が少し気になったが、大事な話の途中なので確かめることはできない。
闇魔法のどこがいけないのかまでアルバンは教えてくれなかったが、おそらく暗殺や諜報といった後ろ暗いことに主に使われる魔法なのだろうな。なんとなく想像がついた。
「他にも相応しくないとされる魔法適性はあるのでしょうか?」
「工学魔法、農耕魔法といった生産系や農業系の魔法だな」
「…………」
「どうした、ノエル?」
唖然としていると、アルバンがこちらを見据えながら尋ねてくる。
「僕からすると、工学魔法や生産魔法、農耕魔法も有用に思えるのですが……」
どれもこれも庶民の生活を支える実用的な力じゃないか。
これらの魔法が貴族にとって歓迎されないという理由がわからない。
「馬鹿言え。物を作るのも、農業を営むのも平民共の仕事だ。わざわざ貴族である俺たちがやってやる必要はねえだろ」
「そうだね。貴族の魔力は強大ではあるけど有限だ。貴重なリソースをそこに割くべきじゃない」
「貴族である俺たちに求められるのは領地を守るための攻撃魔法だ! なにせ俺たちは魔法使いとして有名なエルディア公爵家なんだからな!」
疑問を口にすると、ブラント、オスラ、テイラーといった兄たちがバカにしたように言ってきた。
なるほど。この世界の一般的な貴族の価値観では、そういう風になっているのか。
前世では工業系の会社に務めていたので色々と言ってやりたいことはあるが、僕がそんな意見をぶつけたところで考えが翻るわけもない。腹は立つけど、仕方なくこの場は呑み込むことにした。
「エルディア公爵家は先祖代々優秀な魔法使いを排出し、戦場で武功を立て続けることで今の地位へと昇り詰めた。当主である私の役目は、次代の優秀な魔法使いを生み出すことだ。ノエル、くれぐれも俺を失望させるような魔法適性は授かってくれるなよ?」
アルバンが凄みを利かせた視線を向けてくる。得体の知れない圧力が僕の身体を包み込んだ。
とはいっても、魔法適性の儀式って運ゲーなんだよね?
生まれ持っての資質だからどうしようもないじゃん。
そんな風に言い返してやりたいけど、さすがに言えるような雰囲気じゃない。
「は、はい」
僕が素直に返事をすると、アルバンは満足そうに頷いて食事を再開した。

