◇
イベントが終わった会場の空気は落ち着いていた。
照明が戻り、人の声が引いていくと、機材を動かす小さな音だけが残る。
俺はギターをケースにしまい、足元のペダルを外してバッグに収める。
ステージ周りでは、出演者とスタッフが、慣れた手つきで片づけを続けていた。
出口のほうから、サークルの仲間が帰り支度をしながら「先に店向かってるねー」と声をかけてくる。
俺が手を上げてそれに応じていると、隣で相模が「じゃ、俺らも行くか」とケースのストラップを肩に掛けながら言った。
その一声で、戸塚も葉山も金沢も、ゆるく合流してくる。
「それにしても、皆勤くん、やっぱ鶴見のことガン見だったな」
ライブハウスの狭い階段を登りながら、戸塚が揶揄い半分で振り返る。
「なんてぇか、目がハート?」
「うっそ、私見えなかったよ、どこにいたぁ?」
俺の後ろに続く葉山と金沢が会話に割り込んできた。
荷物の少ない葉山はそのままの流れで、金沢のシンセケースをひょいと持ち上げてやっている。
「まあ、同じ男をも虜にしてしまうんだよね、俺の魅力は」
こういうときに謙遜や否定はしない。あの後味の気まずい空気が苦手だし、軽口を投げられるのも日常茶飯事なので、大抵こんなふうに冗談で受け流している。
「今日、鶴見の招待枠で入れたんだろ?」
「まぁね」
「なんだ、鶴見けっこう皆勤くんのことウェルカムなんだ?」
「そりゃ、貴重なファンですからねぇ」
取り留めのない軽口を交わしながら階段を登りきる。
「つか、それ以外にも満更でもなかったり?」
「ばぁか」
戸塚の頭を、笑いながら軽くこづいた。
「あ」
金沢が、階段脇のほうへ視線を向ける。
つられて全員でそちらを見ると、そこに藤沢が立っていた。
ライブが終わってしばらく経つのに、ここで待っていたらしい。
俺たちに気づいた藤沢は、壁から身を離し、わずかに緊張した面持ちで姿勢を整える。
「おつかれ……さま」
軽く会釈してくる藤沢に、俺は「お、おう」と顎を引いた。
というか、今のやり取り聞かれてたかな。別に問題はないけど、なんとなく気まずい気持ちになってしまう。
「わぁ、皆勤くん!」
「お、ほんとだ!」
「おつかれ」
「今日もきてくれてありがとう!」
ライブ後のテンションもあって、メンバーは一斉に藤沢へ雪崩れ込む。
不意の距離に驚いたのか、藤沢はびくっと肩を揺らしつつ、でもどこか嬉しそうに小さな声で「あ、おつかれさま……です」と応じていた。
「どした藤沢、何か用?」
俺は藤沢に群がるメンバーの壁を押し広げながら近づく。
「うん、今日、ひとことお礼言いたくて」
「お礼?」
少しドギマギしてしまう。あの歌のことだろうか、ただのファンサ……だけど、なんだかめちゃくちゃ気恥ずかしい。
「招待してもらったから」
「ああ」
そっちか。
「いや、そんな礼とかいいよ。他の人もみんなそれで入ってるし」
「うん、でもひとこと言いたくて。ありがとう」
「……う、うん」
なんだか、妙な空気が流れてしまうのは、直前に戸塚が変なことを言ったせいだ。しかも、すぐ横でその戸塚を含むメンバーたちが、なにやらニヨニヨした顔で俺たちのことを見守っている。勘弁してくれ。
「じゃあ、俺、いくね」
同じく、妙な空気を察したのか、藤沢はそう言って軽く右手を上げた。
「えー? 皆勤くん帰っちゃうの?」
軽々しく声を上げたのは金沢だ。
「ウチらこの後打ち上げなんだけど、皆勤くんもまざっちゃえば?」
「えっ?!」
藤沢が激しく戸惑った様子だ。ちなみに表情は相変わらずあまり動かないが、目がカッと見開いている。
「おー、そうだな。混ざっちゃえよ」
「うんうん」
「行こうぜー!」
メンバーが次々と声を重ねていく。
藤沢は極端に人見知りだ。俺にはあまりわからないけど、そういう人はあまり親しくない集団の中に急に放り込まれたりしたら相当しんどいのではないだろうか。
案の定、藤沢は引きつったような笑みのまま、助け舟を求めるみたいにこっちへ視線を寄越してきた。
「いや、みんな、藤沢だって予定が――」
「んよしっ、行こう! 決まり!」
俺の言葉なんて聞いてない戸塚が、藤沢の首にがっしり腕を回した。
藤沢はその勢いに抗えず、抵抗が下手な大型犬みたいに、そのまま押し流されていく。
まあ、本当に嫌なら藤沢もそう言うだろう。
どう見ても戸惑ってはいるけど、逃げたいほどでもなさそうだ。いざとなったら俺が理由をつけて帰してやればいい。メンバーもそれで十分満足するはず。
やれやれと内心で息をつきながら、俺もその後に続いた。
◇
サークルのイベントは、だいたい毎回同じ会場だ。
その流れで、打ち上げもセットみたいに同じ店になる。ビルの一階にある、個人経営の小さな店。サークルの卒業生のツテで使わせてもらっているとかで、人数の増減にも寛容だ。
だから、予約人数なんてあってないようなもので、入れさえすれば誰が来てもOK、というゆるい空気が最初からある。
見たこともない人や、誰かの親兄弟と思しき年齢の離れた人が混ざるのもザラだ。
一応、リーダーが「おつかれー」のひとことだけ乾杯をするけど、儀式っぽいのはそこまで。
すぐにガンガンに音楽を流したりして、ワケがわからないままに朝になってることもある。
ただ、酔った勢いで楽器を壊したり無くしたりするとシャレにならないので、“楽器を持ってるときは飲みすぎ禁止”というルールだけは一応ある。
もっとも、戸塚はこれを守ったためしがなくて、結局最後はいつも葉山が面倒を見ている。
最初の藤沢はというと、メンバーに囲まれてガチガチに固まっていた。
けれど、みんなが程よく酔って場がゆるんでくると、その緊張も少しだけ薄れたようで、今は俺の隣のテーブル席の隅で、大きい体をなんとか小さくまとめて座っている。
ずっとジンジャーエールだけを握りしめているが、酒は苦手なんだろうか。
店内では今日のライブで演奏されたコピー曲が音量高めで流されていて、普通に喋るとまったく声が届かない。
仕方なく、肩が触れるくらいの距離まで寄って、藤沢の耳元へ声を落とす。
「……あのさ、気づいた?」
仕方ないんだよ、こうしないと多分俺の声は届かない。藤沢はうまく聞き取れなかったのか「えっ?」と眉を上げ、俺の口元のほうへ身を寄せる。
「気がついたかって、今日のライブの」
「ライブ……ああ!」
心なしかリアクションや表情の変化がいつもより大きい。音楽がうるさいせいだろうか。
「ラヴァーボーイでしょ!? ギターから入るアレンジにしたんだね! すごく良かったよ!」
くるりと振り向いた藤沢の表情は、切れ長の目をいつもよりパチリとひらき、僅かに口角を上げている。
間近で目があって気まずいのは俺だけなのか。そう思うと、少し悔しい気がする。
……照れとか、ないのか?
探してみても、藤沢はただ素直に嬉しそうにしているだけで、まったく見当たらない。
「いや、それもそうなんだけど」
俺が聞きたかったのは、ハンドサイン気がついたかってこと。
だけど、この感じ気がついてないのか?
てか、よくよく考えたら確認するのめちゃくちゃダサいな?
「まあ、なんでもない」
俺はそう言葉を濁して、ジントニックの入ったグラスを誤魔化すみたいに傾けた。
「うぃー、皆勤くん、飲み物足りてる?」
突然、藤沢と壁のすき間に、戸塚が強引に身体をねじ込んでくる。藤沢の身体が押されて俺のほうまでぎゅうぎゅうだ。
「てか、名前なんだっけ?」
「藤沢だよ、教えただろ」
戸塚に戸惑う藤沢の代わりに俺が返すと、酔っぱらった戸塚はグラスを揺らしながら「そうだ、藤沢くんだ」とへらへら笑う。
「ねね、藤沢くんってさ、音楽が好きなの? Blue Mugが好きなの? それとも鶴見が好きなのかなぁ?」
今度は金沢が俺と藤沢の間に滑り込んできた。
普段は戸塚よりよほど常識的なタイプなのに、酔うとややこしい方向へ振れる日がある。今日はそのパターンだ。
「おまえ、こんな狭いところ入り込むなよ。相模が怒るぞ」
「ウチらはそんなことで揉めませんー、信頼しあってるんですぅ」
金沢は妙に得意げに口を尖らせると、またすぐ藤沢のほうへ向き直る。
その反動で、ポニーテールの毛先が俺の顔にパシッと当たった。
「で? どうなの藤沢くん? やっぱり鶴見目当て?」
なんのアピールなのか、金沢は小首を傾げている。その向こうで、藤沢が気まずげに視線を泳がせていた。チラリと俺と目が合うと、すぐにテーブルの上にそらしてしまう。
「そ、そうだね。鶴見――高校の時からカッコよかったから……ファンというか、そんな感じで……」
「ふぅ〜!」
と、テンションの行き場を失ったみたいな声を戸塚が上げる。
まあ、俺も悪い気はしないけど、ちょっとどういう顔をしていればいいかわからなくて、緩みそうな口元を左手で覆い隠した。
「でも、今はBlue Mugのファンでもあるよ。金沢さんのコーラス、めちゃくちゃ好き。今日のラヴァーボーイの時、女性の声だとまた雰囲気が変わって……なんていうか、逆にエモいっていうか。あと、戸塚くんのギター……あの、主旋律じゃないところで、ちゃんと曲を支えてる感じ。あれが入ると、全体が締まるっていうか……すごい、いいなって」
何故かやたらと早口で一気に喋った藤沢に、戸塚と金沢が一瞬キョトンと瞬いている。けれど次の瞬間、ふっと空気が緩み、二人して藤沢を両側から抱きしめた。
「はぁ、藤沢くん好き……」
「俺も……愛してるかも」
ふざけたテンションの二人に、やっぱり藤沢はびくりと体を硬直させていた。
「てか、藤沢くんって鶴見の顔ファンじゃなくて、ちゃんと音楽好きだったんだな」
空になってしまったグラスを揺らしながら、戸塚が藤沢の肩を叩く。
「うん、元は父親の影響で古い英国ロックくらいしか聴かなかったんだけど、鶴見のおかげでJロックも好きになったって感じかな……」
「へぇ――てか、英国ロック……」
普段は鈍い戸塚が、何かを結びつけそうな顔をしたのを察して、俺は慌てて「次何飲む?」と話を逸らした。
戸塚と金沢がそれぞれ酒の名前を挙げ、藤沢は遠慮がちにジンジャーエールを握り直した。
「おっけー」と答えつつ、俺はまとめてウーロン茶を四つオーダーする。
「自分でやってみたいとは思わないの? てか、なんか楽器やってた?」
そう尋ねた金沢はさっきから藤沢に興味津々で、俺に背を向けたままだ。
「あー、ちゃんとはやったことないんだ。ピアノと、ギターはちょっとだけ触ったことあるんだけど……」
「「ええっ!」」
興奮したように、背筋を伸ばす戸塚と金沢。
慌てて、藤沢が両手を胸の前に持ち上げる。
「いや、ほんとに触ったことあるくらいで、弾けるとかの段階までいけてないよ」
「でも、興味はあるんでしょ?!」
「ギターやるなら、教えてやろっか!」
さっき褒められたからなのか、二人はすっかり藤沢がお気に入りの様子だ。
たがな、戸塚。ギターを弾けるのはお前だけではないんだぞ。藤沢が俺とお前、どっちに教わりたいかなんて、わざわざ言葉にするまでもない。
アピールするつもりではなかったけど、俺は自然と背筋が伸びて、手のひらをグーパーしてしまう。
「え? いいの?」
「へ?」という俺の声は、店内の喧騒に消えていく。
「もちろん、いいよいいよ! 藤沢くんギター持ってる?」
「持ってない」
――おい。
「んじゃ、サークルの備品使うか」
「てか、サークル入っちゃえばぁ?」
――おいおい。
「いや、それは……さすがに」
「とりあえず今度、練習来いよ! 学内使う時だったら、気軽に遊びに来れるっしょ」
――おいっ、てば!
「嬉しい……」
「んじゃ、LINE交換しようぜ」
「ウチもー!」
俺の目の前で、俺を置き去りにしたまま話がどんどん決まっていく。
藤沢の人見知りが、戸塚のずうずうしさと金沢の酔ったテンションに押し流されている。
なんだよ、藤沢。ギターなら俺から教われよ。お前だってほんとはその方がいいはずだろ?
そんなこと口に出せるワケないけど。
なんだか、やたらと、面白くない。
イベントが終わった会場の空気は落ち着いていた。
照明が戻り、人の声が引いていくと、機材を動かす小さな音だけが残る。
俺はギターをケースにしまい、足元のペダルを外してバッグに収める。
ステージ周りでは、出演者とスタッフが、慣れた手つきで片づけを続けていた。
出口のほうから、サークルの仲間が帰り支度をしながら「先に店向かってるねー」と声をかけてくる。
俺が手を上げてそれに応じていると、隣で相模が「じゃ、俺らも行くか」とケースのストラップを肩に掛けながら言った。
その一声で、戸塚も葉山も金沢も、ゆるく合流してくる。
「それにしても、皆勤くん、やっぱ鶴見のことガン見だったな」
ライブハウスの狭い階段を登りながら、戸塚が揶揄い半分で振り返る。
「なんてぇか、目がハート?」
「うっそ、私見えなかったよ、どこにいたぁ?」
俺の後ろに続く葉山と金沢が会話に割り込んできた。
荷物の少ない葉山はそのままの流れで、金沢のシンセケースをひょいと持ち上げてやっている。
「まあ、同じ男をも虜にしてしまうんだよね、俺の魅力は」
こういうときに謙遜や否定はしない。あの後味の気まずい空気が苦手だし、軽口を投げられるのも日常茶飯事なので、大抵こんなふうに冗談で受け流している。
「今日、鶴見の招待枠で入れたんだろ?」
「まぁね」
「なんだ、鶴見けっこう皆勤くんのことウェルカムなんだ?」
「そりゃ、貴重なファンですからねぇ」
取り留めのない軽口を交わしながら階段を登りきる。
「つか、それ以外にも満更でもなかったり?」
「ばぁか」
戸塚の頭を、笑いながら軽くこづいた。
「あ」
金沢が、階段脇のほうへ視線を向ける。
つられて全員でそちらを見ると、そこに藤沢が立っていた。
ライブが終わってしばらく経つのに、ここで待っていたらしい。
俺たちに気づいた藤沢は、壁から身を離し、わずかに緊張した面持ちで姿勢を整える。
「おつかれ……さま」
軽く会釈してくる藤沢に、俺は「お、おう」と顎を引いた。
というか、今のやり取り聞かれてたかな。別に問題はないけど、なんとなく気まずい気持ちになってしまう。
「わぁ、皆勤くん!」
「お、ほんとだ!」
「おつかれ」
「今日もきてくれてありがとう!」
ライブ後のテンションもあって、メンバーは一斉に藤沢へ雪崩れ込む。
不意の距離に驚いたのか、藤沢はびくっと肩を揺らしつつ、でもどこか嬉しそうに小さな声で「あ、おつかれさま……です」と応じていた。
「どした藤沢、何か用?」
俺は藤沢に群がるメンバーの壁を押し広げながら近づく。
「うん、今日、ひとことお礼言いたくて」
「お礼?」
少しドギマギしてしまう。あの歌のことだろうか、ただのファンサ……だけど、なんだかめちゃくちゃ気恥ずかしい。
「招待してもらったから」
「ああ」
そっちか。
「いや、そんな礼とかいいよ。他の人もみんなそれで入ってるし」
「うん、でもひとこと言いたくて。ありがとう」
「……う、うん」
なんだか、妙な空気が流れてしまうのは、直前に戸塚が変なことを言ったせいだ。しかも、すぐ横でその戸塚を含むメンバーたちが、なにやらニヨニヨした顔で俺たちのことを見守っている。勘弁してくれ。
「じゃあ、俺、いくね」
同じく、妙な空気を察したのか、藤沢はそう言って軽く右手を上げた。
「えー? 皆勤くん帰っちゃうの?」
軽々しく声を上げたのは金沢だ。
「ウチらこの後打ち上げなんだけど、皆勤くんもまざっちゃえば?」
「えっ?!」
藤沢が激しく戸惑った様子だ。ちなみに表情は相変わらずあまり動かないが、目がカッと見開いている。
「おー、そうだな。混ざっちゃえよ」
「うんうん」
「行こうぜー!」
メンバーが次々と声を重ねていく。
藤沢は極端に人見知りだ。俺にはあまりわからないけど、そういう人はあまり親しくない集団の中に急に放り込まれたりしたら相当しんどいのではないだろうか。
案の定、藤沢は引きつったような笑みのまま、助け舟を求めるみたいにこっちへ視線を寄越してきた。
「いや、みんな、藤沢だって予定が――」
「んよしっ、行こう! 決まり!」
俺の言葉なんて聞いてない戸塚が、藤沢の首にがっしり腕を回した。
藤沢はその勢いに抗えず、抵抗が下手な大型犬みたいに、そのまま押し流されていく。
まあ、本当に嫌なら藤沢もそう言うだろう。
どう見ても戸惑ってはいるけど、逃げたいほどでもなさそうだ。いざとなったら俺が理由をつけて帰してやればいい。メンバーもそれで十分満足するはず。
やれやれと内心で息をつきながら、俺もその後に続いた。
◇
サークルのイベントは、だいたい毎回同じ会場だ。
その流れで、打ち上げもセットみたいに同じ店になる。ビルの一階にある、個人経営の小さな店。サークルの卒業生のツテで使わせてもらっているとかで、人数の増減にも寛容だ。
だから、予約人数なんてあってないようなもので、入れさえすれば誰が来てもOK、というゆるい空気が最初からある。
見たこともない人や、誰かの親兄弟と思しき年齢の離れた人が混ざるのもザラだ。
一応、リーダーが「おつかれー」のひとことだけ乾杯をするけど、儀式っぽいのはそこまで。
すぐにガンガンに音楽を流したりして、ワケがわからないままに朝になってることもある。
ただ、酔った勢いで楽器を壊したり無くしたりするとシャレにならないので、“楽器を持ってるときは飲みすぎ禁止”というルールだけは一応ある。
もっとも、戸塚はこれを守ったためしがなくて、結局最後はいつも葉山が面倒を見ている。
最初の藤沢はというと、メンバーに囲まれてガチガチに固まっていた。
けれど、みんなが程よく酔って場がゆるんでくると、その緊張も少しだけ薄れたようで、今は俺の隣のテーブル席の隅で、大きい体をなんとか小さくまとめて座っている。
ずっとジンジャーエールだけを握りしめているが、酒は苦手なんだろうか。
店内では今日のライブで演奏されたコピー曲が音量高めで流されていて、普通に喋るとまったく声が届かない。
仕方なく、肩が触れるくらいの距離まで寄って、藤沢の耳元へ声を落とす。
「……あのさ、気づいた?」
仕方ないんだよ、こうしないと多分俺の声は届かない。藤沢はうまく聞き取れなかったのか「えっ?」と眉を上げ、俺の口元のほうへ身を寄せる。
「気がついたかって、今日のライブの」
「ライブ……ああ!」
心なしかリアクションや表情の変化がいつもより大きい。音楽がうるさいせいだろうか。
「ラヴァーボーイでしょ!? ギターから入るアレンジにしたんだね! すごく良かったよ!」
くるりと振り向いた藤沢の表情は、切れ長の目をいつもよりパチリとひらき、僅かに口角を上げている。
間近で目があって気まずいのは俺だけなのか。そう思うと、少し悔しい気がする。
……照れとか、ないのか?
探してみても、藤沢はただ素直に嬉しそうにしているだけで、まったく見当たらない。
「いや、それもそうなんだけど」
俺が聞きたかったのは、ハンドサイン気がついたかってこと。
だけど、この感じ気がついてないのか?
てか、よくよく考えたら確認するのめちゃくちゃダサいな?
「まあ、なんでもない」
俺はそう言葉を濁して、ジントニックの入ったグラスを誤魔化すみたいに傾けた。
「うぃー、皆勤くん、飲み物足りてる?」
突然、藤沢と壁のすき間に、戸塚が強引に身体をねじ込んでくる。藤沢の身体が押されて俺のほうまでぎゅうぎゅうだ。
「てか、名前なんだっけ?」
「藤沢だよ、教えただろ」
戸塚に戸惑う藤沢の代わりに俺が返すと、酔っぱらった戸塚はグラスを揺らしながら「そうだ、藤沢くんだ」とへらへら笑う。
「ねね、藤沢くんってさ、音楽が好きなの? Blue Mugが好きなの? それとも鶴見が好きなのかなぁ?」
今度は金沢が俺と藤沢の間に滑り込んできた。
普段は戸塚よりよほど常識的なタイプなのに、酔うとややこしい方向へ振れる日がある。今日はそのパターンだ。
「おまえ、こんな狭いところ入り込むなよ。相模が怒るぞ」
「ウチらはそんなことで揉めませんー、信頼しあってるんですぅ」
金沢は妙に得意げに口を尖らせると、またすぐ藤沢のほうへ向き直る。
その反動で、ポニーテールの毛先が俺の顔にパシッと当たった。
「で? どうなの藤沢くん? やっぱり鶴見目当て?」
なんのアピールなのか、金沢は小首を傾げている。その向こうで、藤沢が気まずげに視線を泳がせていた。チラリと俺と目が合うと、すぐにテーブルの上にそらしてしまう。
「そ、そうだね。鶴見――高校の時からカッコよかったから……ファンというか、そんな感じで……」
「ふぅ〜!」
と、テンションの行き場を失ったみたいな声を戸塚が上げる。
まあ、俺も悪い気はしないけど、ちょっとどういう顔をしていればいいかわからなくて、緩みそうな口元を左手で覆い隠した。
「でも、今はBlue Mugのファンでもあるよ。金沢さんのコーラス、めちゃくちゃ好き。今日のラヴァーボーイの時、女性の声だとまた雰囲気が変わって……なんていうか、逆にエモいっていうか。あと、戸塚くんのギター……あの、主旋律じゃないところで、ちゃんと曲を支えてる感じ。あれが入ると、全体が締まるっていうか……すごい、いいなって」
何故かやたらと早口で一気に喋った藤沢に、戸塚と金沢が一瞬キョトンと瞬いている。けれど次の瞬間、ふっと空気が緩み、二人して藤沢を両側から抱きしめた。
「はぁ、藤沢くん好き……」
「俺も……愛してるかも」
ふざけたテンションの二人に、やっぱり藤沢はびくりと体を硬直させていた。
「てか、藤沢くんって鶴見の顔ファンじゃなくて、ちゃんと音楽好きだったんだな」
空になってしまったグラスを揺らしながら、戸塚が藤沢の肩を叩く。
「うん、元は父親の影響で古い英国ロックくらいしか聴かなかったんだけど、鶴見のおかげでJロックも好きになったって感じかな……」
「へぇ――てか、英国ロック……」
普段は鈍い戸塚が、何かを結びつけそうな顔をしたのを察して、俺は慌てて「次何飲む?」と話を逸らした。
戸塚と金沢がそれぞれ酒の名前を挙げ、藤沢は遠慮がちにジンジャーエールを握り直した。
「おっけー」と答えつつ、俺はまとめてウーロン茶を四つオーダーする。
「自分でやってみたいとは思わないの? てか、なんか楽器やってた?」
そう尋ねた金沢はさっきから藤沢に興味津々で、俺に背を向けたままだ。
「あー、ちゃんとはやったことないんだ。ピアノと、ギターはちょっとだけ触ったことあるんだけど……」
「「ええっ!」」
興奮したように、背筋を伸ばす戸塚と金沢。
慌てて、藤沢が両手を胸の前に持ち上げる。
「いや、ほんとに触ったことあるくらいで、弾けるとかの段階までいけてないよ」
「でも、興味はあるんでしょ?!」
「ギターやるなら、教えてやろっか!」
さっき褒められたからなのか、二人はすっかり藤沢がお気に入りの様子だ。
たがな、戸塚。ギターを弾けるのはお前だけではないんだぞ。藤沢が俺とお前、どっちに教わりたいかなんて、わざわざ言葉にするまでもない。
アピールするつもりではなかったけど、俺は自然と背筋が伸びて、手のひらをグーパーしてしまう。
「え? いいの?」
「へ?」という俺の声は、店内の喧騒に消えていく。
「もちろん、いいよいいよ! 藤沢くんギター持ってる?」
「持ってない」
――おい。
「んじゃ、サークルの備品使うか」
「てか、サークル入っちゃえばぁ?」
――おいおい。
「いや、それは……さすがに」
「とりあえず今度、練習来いよ! 学内使う時だったら、気軽に遊びに来れるっしょ」
――おいっ、てば!
「嬉しい……」
「んじゃ、LINE交換しようぜ」
「ウチもー!」
俺の目の前で、俺を置き去りにしたまま話がどんどん決まっていく。
藤沢の人見知りが、戸塚のずうずうしさと金沢の酔ったテンションに押し流されている。
なんだよ、藤沢。ギターなら俺から教われよ。お前だってほんとはその方がいいはずだろ?
そんなこと口に出せるワケないけど。
なんだか、やたらと、面白くない。
