ちなみに、高校時代、藤沢とまともに話したのは、その一度きりだ。
クラスも違えば、関わっていた友達の層もまるでかぶらない。
俺は軽音部や、運動部なんかの、比較的目立つ連中と絡むことが多かった。
一方の藤沢は成績が良いらしく、どちらかといえば教師に気に入られるような、大人しい秀才グループの中にいた記憶がある。
絡みがほぼゼロだったのに、どうして俺が藤沢の好意に気づいたのか――理由は単純だ。
あいつ、やたらとこっちを見る。
体育の時間。
廊下ですれ違う時。
文化祭でステージに立ったときなんか、こっちを見たまま胸に手を当ててポカンとしていて、思わず笑いそうになった。
さっきも言ったけれど、俺は基本的に“俺のことを好きなやつ”は嫌いじゃない。
可愛いと思う。
藤沢は体格もそこそこでかいし、何より男だけど、同じ男から向けられる羨望の視線というのも、案外悪くない。
これは別に俺だけじゃなく、誰でも多少は思うことだと思う。
廊下ですれ違うたび、適当に「よぉ」と声をかけてみる。
それだけで藤沢は「わっ」とか「あっ」とか、言葉にならないリアクションを返してくる。
その慌てようも、なかなかおもしろかった。
――とはいえ、俺にとって藤沢はそれだけの存在だった。卒業したら、きっと会うことはなくなるんだろうなと漠然と思っていたのだ。
だから、正直めちゃくちゃ驚いた。
大学入学数日前――東京で借りたマンションで引越しの片付けをしてる途中。ゴミを捨てに部屋を出たところで、俺は藤沢に出会したのだ。
「こんにち、は?」
俺は玄関前でゴミ袋を握りしめたままその姿を見上げて瞬いてしまった。
背が高いイケメン。髪型も東京の人って感じだし、黒縁メガネもしてなかった。だから、最初は(この人藤沢に似てんなぁ……)って思ったくらいだ。
けれど、相手が気まずそうに視線を泳がせた瞬間、すぐに全部がつながった。
「あれ、ふ、藤沢……?」
「……う、うん」
え、なんで?
どういうことだ?
「隣、鶴見……だったんだね、わ、わぁ偶然」
(いや、絶対嘘だろ。めちゃくちゃ演技下手だなこいつ)
俺は心の中で突っ込んだ。
藤沢はちょうど隣の部屋に入ろうとしていたところで、ドアノブに手をかけたままだった。
そこへ俺が出てきた、というわけだ。
「藤沢も、大学東京だったんだな?」
「うん、C大」
「えっ? まじっ?! 一緒じゃん!」
「へ、へぇ! ソレハスゴイグウゼンダネ!」
いや、だから下手くそなんだよな。
「てか、なんでC大? 藤沢ならもっと良いとこいけたんじゃね? 学部は?」
「法学部……」
「あー、そゆことか」
うちの大学は他はそこそこでも、法学部だけはずば抜けて偏差値が高い。
なるほど、そこは納得だ。
(……ってことは、俺を追いかけてきたと考えるのは、いくらなんでも自意識過剰か?)
「まあ、これからお隣さんだし、よろしくな! じゃ、ゴミ捨ててくるから」
軽く手を上げて藤沢の横を抜け、外廊下通りゴミ捨て場へ向かう。
このエリアはC大だけじゃなく周囲に大学が多くて、学生向けのワンルーム物件がひしめいている。
このマンションも例に漏れない。
歩きながら何気なく振り返ると――藤沢はまだ同じ場所に立って俺を見ていた。
目が合った瞬間、やましいことを指摘されたみたいにびくっと体を揺らし、そのままそそくさと部屋に消えていった。
前へ向き直り、軽く首を傾げる。
俺がもし女の子なら、今のはちょっと警戒したほうがいい気もする。
でも、相手は藤沢だし……まあ、気にするほどでもないか。
そう考えをまとめ、エレベーターのボタンを押した。
◇
「いや、普通に怖いってそれ」
客足が落ち着いた夕方のチェーンのコーヒーショップ。
カウンターの後ろでは、豆や備品を補充しながらバイトの女の子たちがコソコソと雑談を交わしている。
俺はその声と、店内に流れるジャズアレンジのポップスをBGMに、カウンター下でレモンスライスを作っていた。
バンドをやるには、とにかく金がかかる。
楽器本体やメンテナンス費用。それから練習スタジオのレンタル代。
サークルのイベントも参加費は自腹だし、個別でライブを企画すれば、当然会場代なんて出してもらえるわけがない。
アマチュアの学生バンドじゃ、毎回チケットを全部売り切って黒字にするなんてことはほぼない。
俺だけじゃなく、大抵のやつがバイトをしている。
このアルバイトを始めたのは、三年になった今年の春から。
グランドオープンに合わせて新規スタッフを大量募集していたので応募した。
これまでいくつか掛け持ちしていたけれど、練習時間も確保したいし、一応大学生なので課題もある。
そのうえ、そろそろ就活も始まる。
だから、とりあえず当面はこのカフェと、ときどき単発で入れる引越しバイトの二本で落ち着こうと考えている。
「そうかなぁ、でも、ちょっと考えすぎかなとも思うんだよね。自意識過剰かなって」
「そんなことないよ!」
女の子たちの会話がヒートアップし始めていた。
けれど、当人たちもはっとしたのか、一瞬息を詰めて、声のトーンが落ちる。
俺は、というと、話の内容が気になっている。
“考えすぎかなぁ”と言っていたのは、近隣の女子大に通っているマナちゃんだ。
上京したばかりの一年生で、バイト中はウェーブのかかった長い髪を後頭部でまとめている。
(ちなみにマナちゃんは、バイト内人気ナンバーワン女子だ。)
“そんなことないよ!”と、少し熱が入りすぎてしまったのは、フリーターのアオイ。
確か俺と同い年で、ショートカットが似合う姉御肌。前にみんなでカラオケに行った時ハスキーボイスがいい感じだった。
さて。
二人の会話の断片だけ拾っても、だいたい状況は整理できる。
要は、マナちゃんが同じ大学の男にしつこくされている、という類の話だ。
とはいえ、強引なことをされているわけではない。
たとえば、グループワークのプリントを一緒に提出したがる。
班調査やペア作業に、毎回当然のように誘われる。
といった内容だけみれば可愛いものだ。
マナちゃん自身も性格が寛容なので、最初は受け入れていたらしい。
けれど、仲良くなった女友達とペアを組みたくても、先にその男に誘われてしまうらしく、だんだん対処に困るようになってきたという。
さらに最近は、毎日のように取り留めのない連絡が来るらしい。
それが今の状況だ。
「でもね、何されたとかではないの。だから、もうやめてっていうのもなんか違う気がして」
とマナちゃん。
なるほど、確かにやりにくい。
多分、というかほぼ確でその男はマナちゃんに気がある。
けれど、告白するわけでもなく、倫理的な一線も越えていない。
つまり、あるとすればただの純粋な恋心だ。
「でもさ、それでマナはストレス感じてるわけでしょ」
「……うん」
「じゃあ、やめてって言っていいよ。だって好きでもない人の好意って、場合によっては恐怖だよ」
「――えっ」
小さく漏らした俺の声は、後ろの二人に聞こえてしまったらしい。こちらを気にするような気配を感じて、俺は「分厚く切りすぎたなぁ」と呟いて、手元のレモンをタッパーに移し替えてみる。
だけど誤魔化しきれなかったみたいだ。
「鶴見もそう思わない?」
アオイが話を振ってくる。
「あー俺は、よくわかんないケド……」
肩をすくめて、首を傾げる。
「そういうもんなの?」
と逆に尋ねると、アオイは「そうだよ」と強く頷いた。
「そりゃ、嬉しいって場合もあるだろうけどさ。ストレス感じるとか、怖いって思うのは、相手の行動がどう転じるかわからないからって恐怖もあるわけよ」
「なるほど……」
俺はアオイの言葉に頷いた。
つまり、今はきちんと線を守っている彼が、いつ“望まない範囲”に踏み込んでくるかわからない――その可能性に、マナちゃんは怖さを覚えているということだ。
相手の男にも同情はできるが、マナちゃんの感情はもっともだと思う。
好きでもない相手からの好意は、そういうふうに受け取られることもあるわけだ。
そこで、自動ドアが開いて客が入店してくる。
三人とも自然と居住まいを正し、アオイがカウンターで注文を受ける。
俺はレモンを冷蔵庫にしまってから、マナちゃんに小さく声をかけた。
「俺でなんかできることあったら言ってね。女の子だけじゃ対処できないこともあるかもだし」
マナちゃんは「ありがとう」と、結い上げた髪を揺らしてこくこくと頷いた。
その仕草を確認してから、俺はゴミ袋を数枚手にして客席へ出る。
店内の数ヶ所に置かれたダストボックスのゴミを集め、新しい袋に入れ替える予定だ。
新規の入店は落ち着いているとはいえ、長居の客がそこそこ席を埋めている。
通りすがりに汚れたテーブルをダスターで拭きながら、作業を進めた。
俺が藤沢に恐怖を感じないのは、マナちゃんが女の子で、俺が男だからなのだろうか。
物理でこられたら圧倒的に敵わないから、女の子は男に本能的に恐怖を抱く場合がある。
一方俺なら、物理でこられても――
「いや、あいつ、そこそこ体格いいよな?」
小さく呟いてから藤沢の姿を思い浮かべる。
高校の頃から背は高かったが、最近マンションで見かけると、昔より猫背が改善されつつあって、どこか筋肉質になっている気がする。
何かトレーニングでも始めたのだろうか。
髪型やメガネをやめたこともあるし、服装にも気を遣っている様子で、全体の印象がだいぶ変わった。
(まさか俺のためだったりして)
そんなわけない、とわかっていても、つい内心で軽口を叩いてみる。
本気でそう思っているわけでははい。
ただ、やっぱり俺はマナちゃんとは違って、仮にそうだったとしても恐怖とは結びつかないみたいだ。
むしろ、可愛い奴だと思う。
それは、たぶん男女の違いだけでなく、性格の差もあるのかもしれない。
クラスも違えば、関わっていた友達の層もまるでかぶらない。
俺は軽音部や、運動部なんかの、比較的目立つ連中と絡むことが多かった。
一方の藤沢は成績が良いらしく、どちらかといえば教師に気に入られるような、大人しい秀才グループの中にいた記憶がある。
絡みがほぼゼロだったのに、どうして俺が藤沢の好意に気づいたのか――理由は単純だ。
あいつ、やたらとこっちを見る。
体育の時間。
廊下ですれ違う時。
文化祭でステージに立ったときなんか、こっちを見たまま胸に手を当ててポカンとしていて、思わず笑いそうになった。
さっきも言ったけれど、俺は基本的に“俺のことを好きなやつ”は嫌いじゃない。
可愛いと思う。
藤沢は体格もそこそこでかいし、何より男だけど、同じ男から向けられる羨望の視線というのも、案外悪くない。
これは別に俺だけじゃなく、誰でも多少は思うことだと思う。
廊下ですれ違うたび、適当に「よぉ」と声をかけてみる。
それだけで藤沢は「わっ」とか「あっ」とか、言葉にならないリアクションを返してくる。
その慌てようも、なかなかおもしろかった。
――とはいえ、俺にとって藤沢はそれだけの存在だった。卒業したら、きっと会うことはなくなるんだろうなと漠然と思っていたのだ。
だから、正直めちゃくちゃ驚いた。
大学入学数日前――東京で借りたマンションで引越しの片付けをしてる途中。ゴミを捨てに部屋を出たところで、俺は藤沢に出会したのだ。
「こんにち、は?」
俺は玄関前でゴミ袋を握りしめたままその姿を見上げて瞬いてしまった。
背が高いイケメン。髪型も東京の人って感じだし、黒縁メガネもしてなかった。だから、最初は(この人藤沢に似てんなぁ……)って思ったくらいだ。
けれど、相手が気まずそうに視線を泳がせた瞬間、すぐに全部がつながった。
「あれ、ふ、藤沢……?」
「……う、うん」
え、なんで?
どういうことだ?
「隣、鶴見……だったんだね、わ、わぁ偶然」
(いや、絶対嘘だろ。めちゃくちゃ演技下手だなこいつ)
俺は心の中で突っ込んだ。
藤沢はちょうど隣の部屋に入ろうとしていたところで、ドアノブに手をかけたままだった。
そこへ俺が出てきた、というわけだ。
「藤沢も、大学東京だったんだな?」
「うん、C大」
「えっ? まじっ?! 一緒じゃん!」
「へ、へぇ! ソレハスゴイグウゼンダネ!」
いや、だから下手くそなんだよな。
「てか、なんでC大? 藤沢ならもっと良いとこいけたんじゃね? 学部は?」
「法学部……」
「あー、そゆことか」
うちの大学は他はそこそこでも、法学部だけはずば抜けて偏差値が高い。
なるほど、そこは納得だ。
(……ってことは、俺を追いかけてきたと考えるのは、いくらなんでも自意識過剰か?)
「まあ、これからお隣さんだし、よろしくな! じゃ、ゴミ捨ててくるから」
軽く手を上げて藤沢の横を抜け、外廊下通りゴミ捨て場へ向かう。
このエリアはC大だけじゃなく周囲に大学が多くて、学生向けのワンルーム物件がひしめいている。
このマンションも例に漏れない。
歩きながら何気なく振り返ると――藤沢はまだ同じ場所に立って俺を見ていた。
目が合った瞬間、やましいことを指摘されたみたいにびくっと体を揺らし、そのままそそくさと部屋に消えていった。
前へ向き直り、軽く首を傾げる。
俺がもし女の子なら、今のはちょっと警戒したほうがいい気もする。
でも、相手は藤沢だし……まあ、気にするほどでもないか。
そう考えをまとめ、エレベーターのボタンを押した。
◇
「いや、普通に怖いってそれ」
客足が落ち着いた夕方のチェーンのコーヒーショップ。
カウンターの後ろでは、豆や備品を補充しながらバイトの女の子たちがコソコソと雑談を交わしている。
俺はその声と、店内に流れるジャズアレンジのポップスをBGMに、カウンター下でレモンスライスを作っていた。
バンドをやるには、とにかく金がかかる。
楽器本体やメンテナンス費用。それから練習スタジオのレンタル代。
サークルのイベントも参加費は自腹だし、個別でライブを企画すれば、当然会場代なんて出してもらえるわけがない。
アマチュアの学生バンドじゃ、毎回チケットを全部売り切って黒字にするなんてことはほぼない。
俺だけじゃなく、大抵のやつがバイトをしている。
このアルバイトを始めたのは、三年になった今年の春から。
グランドオープンに合わせて新規スタッフを大量募集していたので応募した。
これまでいくつか掛け持ちしていたけれど、練習時間も確保したいし、一応大学生なので課題もある。
そのうえ、そろそろ就活も始まる。
だから、とりあえず当面はこのカフェと、ときどき単発で入れる引越しバイトの二本で落ち着こうと考えている。
「そうかなぁ、でも、ちょっと考えすぎかなとも思うんだよね。自意識過剰かなって」
「そんなことないよ!」
女の子たちの会話がヒートアップし始めていた。
けれど、当人たちもはっとしたのか、一瞬息を詰めて、声のトーンが落ちる。
俺は、というと、話の内容が気になっている。
“考えすぎかなぁ”と言っていたのは、近隣の女子大に通っているマナちゃんだ。
上京したばかりの一年生で、バイト中はウェーブのかかった長い髪を後頭部でまとめている。
(ちなみにマナちゃんは、バイト内人気ナンバーワン女子だ。)
“そんなことないよ!”と、少し熱が入りすぎてしまったのは、フリーターのアオイ。
確か俺と同い年で、ショートカットが似合う姉御肌。前にみんなでカラオケに行った時ハスキーボイスがいい感じだった。
さて。
二人の会話の断片だけ拾っても、だいたい状況は整理できる。
要は、マナちゃんが同じ大学の男にしつこくされている、という類の話だ。
とはいえ、強引なことをされているわけではない。
たとえば、グループワークのプリントを一緒に提出したがる。
班調査やペア作業に、毎回当然のように誘われる。
といった内容だけみれば可愛いものだ。
マナちゃん自身も性格が寛容なので、最初は受け入れていたらしい。
けれど、仲良くなった女友達とペアを組みたくても、先にその男に誘われてしまうらしく、だんだん対処に困るようになってきたという。
さらに最近は、毎日のように取り留めのない連絡が来るらしい。
それが今の状況だ。
「でもね、何されたとかではないの。だから、もうやめてっていうのもなんか違う気がして」
とマナちゃん。
なるほど、確かにやりにくい。
多分、というかほぼ確でその男はマナちゃんに気がある。
けれど、告白するわけでもなく、倫理的な一線も越えていない。
つまり、あるとすればただの純粋な恋心だ。
「でもさ、それでマナはストレス感じてるわけでしょ」
「……うん」
「じゃあ、やめてって言っていいよ。だって好きでもない人の好意って、場合によっては恐怖だよ」
「――えっ」
小さく漏らした俺の声は、後ろの二人に聞こえてしまったらしい。こちらを気にするような気配を感じて、俺は「分厚く切りすぎたなぁ」と呟いて、手元のレモンをタッパーに移し替えてみる。
だけど誤魔化しきれなかったみたいだ。
「鶴見もそう思わない?」
アオイが話を振ってくる。
「あー俺は、よくわかんないケド……」
肩をすくめて、首を傾げる。
「そういうもんなの?」
と逆に尋ねると、アオイは「そうだよ」と強く頷いた。
「そりゃ、嬉しいって場合もあるだろうけどさ。ストレス感じるとか、怖いって思うのは、相手の行動がどう転じるかわからないからって恐怖もあるわけよ」
「なるほど……」
俺はアオイの言葉に頷いた。
つまり、今はきちんと線を守っている彼が、いつ“望まない範囲”に踏み込んでくるかわからない――その可能性に、マナちゃんは怖さを覚えているということだ。
相手の男にも同情はできるが、マナちゃんの感情はもっともだと思う。
好きでもない相手からの好意は、そういうふうに受け取られることもあるわけだ。
そこで、自動ドアが開いて客が入店してくる。
三人とも自然と居住まいを正し、アオイがカウンターで注文を受ける。
俺はレモンを冷蔵庫にしまってから、マナちゃんに小さく声をかけた。
「俺でなんかできることあったら言ってね。女の子だけじゃ対処できないこともあるかもだし」
マナちゃんは「ありがとう」と、結い上げた髪を揺らしてこくこくと頷いた。
その仕草を確認してから、俺はゴミ袋を数枚手にして客席へ出る。
店内の数ヶ所に置かれたダストボックスのゴミを集め、新しい袋に入れ替える予定だ。
新規の入店は落ち着いているとはいえ、長居の客がそこそこ席を埋めている。
通りすがりに汚れたテーブルをダスターで拭きながら、作業を進めた。
俺が藤沢に恐怖を感じないのは、マナちゃんが女の子で、俺が男だからなのだろうか。
物理でこられたら圧倒的に敵わないから、女の子は男に本能的に恐怖を抱く場合がある。
一方俺なら、物理でこられても――
「いや、あいつ、そこそこ体格いいよな?」
小さく呟いてから藤沢の姿を思い浮かべる。
高校の頃から背は高かったが、最近マンションで見かけると、昔より猫背が改善されつつあって、どこか筋肉質になっている気がする。
何かトレーニングでも始めたのだろうか。
髪型やメガネをやめたこともあるし、服装にも気を遣っている様子で、全体の印象がだいぶ変わった。
(まさか俺のためだったりして)
そんなわけない、とわかっていても、つい内心で軽口を叩いてみる。
本気でそう思っているわけでははい。
ただ、やっぱり俺はマナちゃんとは違って、仮にそうだったとしても恐怖とは結びつかないみたいだ。
むしろ、可愛い奴だと思う。
それは、たぶん男女の違いだけでなく、性格の差もあるのかもしれない。
