◇
自慢というより、ただの事実なのだけれど。
俺は、とにかくよくモテた。
小五・小六のバレンタインは、クラスのほぼ全員の女子からチョコをもらったし、中学生の頃は月に一度は誰かに告白されていた。
誇張でもなんでもない。本当にそうだった。
顔がそこそこ整っていたのは事実だし、中学生で文化祭バンドなんかやれば、そりゃわかりやすく人気も出る。
だけど、それにしてもフィクションみたいにモテ続けた理由を、俺がちゃんと理解したのは高校に入ってからだ。
「次、誰の番だろね?」
「えー? 何の話?」
「鶴見だよ、鶴見。ナオと別れたらしいじゃん?」
「そうなの? まだ一か月くらいじゃんね?」
「ナオから別れたんだって」
「へえ、鶴見ってそういうの多くない?」
「でもまあ、すぐ次見つかるっしょ」
「そうなの?」
「――だって鶴見って、誰が告ってもOKするじゃん」
放課後、教室に忘れ物を取りに戻った俺は、ちょうどそんな女子たちの雑談を聞いてしまった。
これから練習だというのに、よりにもよって大事な譜面を机の中に置きっぱなしにしていたのだ。
けど、あの空気の中へ踏み込んで取りに行くほど、俺は鋼のメンタルじゃない。
教室前で足を止め、数秒だけ躊躇い、それから静かに引き返した。
言われていることは――確かに、事実だ。
中学の頃は、付き合うだとか恋人だとか、そういうのがまだ気恥ずかしくて、告白されても丁寧に礼を言って受け流していた。
ただ、高校に入ってからは告白されたら、その子とちゃんと付き合うようになっていた。
べつに、誰でもいいと思っていたわけじゃない。
“俺のことを好きだと言ってくれる子”を可愛いと思えたし、その好意が素直に嬉しかった。
だから、付き合ったらちゃんと向き合っているつもりだった。
なのに、だいたいはこう言われる。
『――鶴見って……私のこと好きじゃないよね?』
その都度「そんなことないよ」と返しても、たいていはそのまま別れ話に続いた。
最初は“女の子って難しい”くらいにしか思ってなかったけど、誰と付き合っても同じ理由で終わるものだから、さすがに気づいた。
――どうやら原因は、俺のほうにあるらしい。
だからといって、その原因が何なのか、はっきりわかるわけでもない。
ただ、つい先日、付き合っていた彼女に別れを告げられてから頭の片隅で考えていたことを、女子の会話を聞いた今ようやく決めた。
しばらく彼女は作らない。
“順番待ち”とか“誰が告ってもOK”とか、そんな雑なラベリングをされたまま続ける気はないし、逆に自分が相手をそう見られる立場に置いてしまうのも、どちらにしても気分がいいものじゃない。
――ポロロン……
控えめな鍵盤の音が、廊下にふっと零れた。
その瞬間、考えごとを断ち切られ、俺はハッと顔を上げる。
気づけば、いつの間にか音楽室の前まで来ていた。
今日の練習は第二音楽室だというのに、完全に足が勝手に動いたらしい。
まあいい。どうせ譜面を取りに、もう一度教室に戻らないといけない。
さっきの女子たちの話題も、今ならもう別の方向へ流れているだろう。
そう思った矢先に、また「ポロロン」とピアノの音。
聞き覚えのある旋律だ。
反射的に、開け放たれたままの音楽室の扉から中を覗き込んでいた。
辿々しいが、王道J-POPの聞き慣れたメロディだから、すぐにわかる。それにこれは、最近俺たちのバンドで練習している曲だった。
定番曲だから、たまたま弾いているだけかもしれない。
けれど、誰が弾いているのかは単純に気になった。
音楽室にいるのはピアノに向かうその人だけで、後ろ姿からして女子ではない。
部活のメンバーかと思ったが、背中の雰囲気ではわからなかった。
誰だろう、と考えながら、俺は足音を立てないよう前へ進んだ。
音楽室の中央付近にある指揮台まで行き、その縁に軽く腰を預ける。
演奏者は気づく様子もなく、鍵盤に向かっている。
ポロ、ポロロン……ポ……
ところどころで引っかかって、テンポも安定していない。下手だ。
音楽部の人でもないし、経験者でもなさそうだった。
サビらしき部分をどうにか弾き終えると、その背中は項垂れるように丸まり、「はぁ……」とため息がこぼれた。
足元に置かれたスクールバックの布タグが青だ。つまり、俺と同学年の二年。
「なんでその曲、練習してんの?」
声をかけると、演奏者の肩がびくりと跳ねた。驚き方が大袈裟で、逆に申し訳なくなる。
ゆっくり振り返った顔には、ボサボサの黒髪。前髪が長くて、縁の太い眼鏡に半分かかっている。猫背気味の姿勢も含めて、控えめな印象の男子だ。
そして、俺はその顔を知っていた。
――ただ、名前はなんだっけ。
隣のクラスで、体育の授業が一緒。そこまでは思い出せるのに、名前がどうしても出てこない。
「つ……鶴見……」
向こうは、しっかり俺のことを覚えているらしい。
まずい、この流れで「何くんだっけ?」はさすがに言えない。
「ごめん、急に声かけて。驚かせたよな」
「いや、別に……」
苦笑いで誤魔化した俺に、相手は低くそう返し、猫背のまま鍵盤へ向き直って俯いてしまった。
練習途中を聞かれたから気まずいのだろうか。
まあ、とりあえず早く立ち去ろう。名前も思い出せてないし。
「あのさっ!」
裏返った声に呼び止められたのは、俺がそっと踵を返しかけた瞬間だ。
あまりにも素っ頓狂な声音だったので、別の方向から飛んできたのかと思ったが、声の主はピアノの前で俯く「名前なんだっけ」くんだった。
「なに?」
俺はすでに体半分立ち去ろうとしていた足を止めて答えた。
「名前なんだっけ」くんは、振り返ろうとしてるのか、なんだかよくわからない中途半端な場所に視線を泳がせている。
「あの、この曲は、なんていうの?」
「え?」
「鶴見たちが、最近……練習してるよね」
「ああ」
軽音の練習音を聞いて気に入ったのか?
だとしたらちょっと嬉しい。……けど、この曲は去年の大ヒット曲だ。
知らないってどういう生活してんだ。
俺はピアノの前に座ったままの「名前なんだっけ」くんのほうへ歩み寄った。
彼は、自分で呼び止めておいて、近づくとびくっと体を固くする。
猫背でわかりづらいが、背はそこそこ高い。なのに反応だけは小動物めいている。
――ポロロン。
鍵盤に右手を滑らせて、サビのメロディラインだけを拾って弾く。
ほんとに“なぞる”だけの簡単なやつだ。
すぐそばで、「名前なんだっけ」くんが息を止めたのがわかった。
そんなに手元を凝視するな。……照れるだろ。
「YUAの夜光って曲。俺らがやってるのはバンドアレンジだけど」
「夜光……」
「まじで知らない? 去年めっちゃ流行ったけど」
「そういうの、疎くて……」
名前なんだっけくんが、申し訳なさそうに肩をすぼめる。
その動きに、体育の授業の光景がふっと重なった。
高跳びでも短距離でも、名前を呼ばれるたび、たしかにこんなふうに縮こまってた。
損してるよな。
表情の作り方が下手だから無愛想に見えるし、背中を曲げるから自信がなさそうに見える。
たしか体育の時もそんなふうに思った気がする。
体育教師は彼のことをなんて呼んでいたっけ。
ここまで出てきてるのに、肝心の名前だけがどうしても出てこない。
「鶴見、すごいね。ピアノも弾けるんだね」
「え? あ、ああ、小6の途中までやってた」
でかかった名前を手繰り寄せるように、「名前なんだっけ」くんの伏せた頭を見下ろす。
「すごいなぁ」
呟きながら、「名前なんだっけ」くんは、またポロポロと下手くそな手つきで、鍵盤に指を置いた。
「すごいなぁ」とかちょっと間の抜けた語尾の伸ばし方をするのに、ほとんど無表情だからなんだかチグハグな印象を受ける。
「もうけっこう忘れたけどな、よいしょっと――」
お尻で「名前なんだっけ」くんの半身をぐいっと押し、椅子に半分だけ腰をかける。「ゎっ」と小さな悲鳴が聞こえたけれど、ひとまず無視。
俺は身体を斜めにして隣へ入り、鍵盤の前に両手を置いた。
右手でメロディを拾い、左手で軽く和音を支える。
凝ったアレンジはもう無理だが、形だけなら十分思い出せる。
食い入るように、俺の手元を見つめる視線は、照れ臭いが悪い気はしない。Bメロからサビ前までをひととおり弾いてやると、無愛想に見えていたその顔が、わずかに光を宿すのがわかった。
ふと我に返る。名前もろくに思い出せない相手に、この距離感はさすがに近すぎたかもしれない。
以前、付き合っていた子に言われたことがある。
『鶴見の態度って、変に期待を持たせるところがあるよね』
その時は、「ちょっと何言ってるかよくわからない」と肩をすくめた。
けれど、こういうことかもしれない――と今まさにそう思ったのは、「名前なんだっけ」くんが真っ赤な顔を上げたからだ。
同時に、記憶がつながった。
こいつ、体育の時はメガネを外していた。
あのとき一瞬だけ思ったのだ。
――けっこう整った顔なのに、前髪で隠してしまうのはもったいないな、と。
そんなことを思い出したせいだろう。
気づけば俺は、彼の前髪を指先でそっと持ち上げていた。
その瞬間、思い出した。こいつの名前。
「藤沢だ!」
脳の奥でひとつの線が鮮やかにつながるような感覚に、声が自然と大きくなった。
自慢というより、ただの事実なのだけれど。
俺は、とにかくよくモテた。
小五・小六のバレンタインは、クラスのほぼ全員の女子からチョコをもらったし、中学生の頃は月に一度は誰かに告白されていた。
誇張でもなんでもない。本当にそうだった。
顔がそこそこ整っていたのは事実だし、中学生で文化祭バンドなんかやれば、そりゃわかりやすく人気も出る。
だけど、それにしてもフィクションみたいにモテ続けた理由を、俺がちゃんと理解したのは高校に入ってからだ。
「次、誰の番だろね?」
「えー? 何の話?」
「鶴見だよ、鶴見。ナオと別れたらしいじゃん?」
「そうなの? まだ一か月くらいじゃんね?」
「ナオから別れたんだって」
「へえ、鶴見ってそういうの多くない?」
「でもまあ、すぐ次見つかるっしょ」
「そうなの?」
「――だって鶴見って、誰が告ってもOKするじゃん」
放課後、教室に忘れ物を取りに戻った俺は、ちょうどそんな女子たちの雑談を聞いてしまった。
これから練習だというのに、よりにもよって大事な譜面を机の中に置きっぱなしにしていたのだ。
けど、あの空気の中へ踏み込んで取りに行くほど、俺は鋼のメンタルじゃない。
教室前で足を止め、数秒だけ躊躇い、それから静かに引き返した。
言われていることは――確かに、事実だ。
中学の頃は、付き合うだとか恋人だとか、そういうのがまだ気恥ずかしくて、告白されても丁寧に礼を言って受け流していた。
ただ、高校に入ってからは告白されたら、その子とちゃんと付き合うようになっていた。
べつに、誰でもいいと思っていたわけじゃない。
“俺のことを好きだと言ってくれる子”を可愛いと思えたし、その好意が素直に嬉しかった。
だから、付き合ったらちゃんと向き合っているつもりだった。
なのに、だいたいはこう言われる。
『――鶴見って……私のこと好きじゃないよね?』
その都度「そんなことないよ」と返しても、たいていはそのまま別れ話に続いた。
最初は“女の子って難しい”くらいにしか思ってなかったけど、誰と付き合っても同じ理由で終わるものだから、さすがに気づいた。
――どうやら原因は、俺のほうにあるらしい。
だからといって、その原因が何なのか、はっきりわかるわけでもない。
ただ、つい先日、付き合っていた彼女に別れを告げられてから頭の片隅で考えていたことを、女子の会話を聞いた今ようやく決めた。
しばらく彼女は作らない。
“順番待ち”とか“誰が告ってもOK”とか、そんな雑なラベリングをされたまま続ける気はないし、逆に自分が相手をそう見られる立場に置いてしまうのも、どちらにしても気分がいいものじゃない。
――ポロロン……
控えめな鍵盤の音が、廊下にふっと零れた。
その瞬間、考えごとを断ち切られ、俺はハッと顔を上げる。
気づけば、いつの間にか音楽室の前まで来ていた。
今日の練習は第二音楽室だというのに、完全に足が勝手に動いたらしい。
まあいい。どうせ譜面を取りに、もう一度教室に戻らないといけない。
さっきの女子たちの話題も、今ならもう別の方向へ流れているだろう。
そう思った矢先に、また「ポロロン」とピアノの音。
聞き覚えのある旋律だ。
反射的に、開け放たれたままの音楽室の扉から中を覗き込んでいた。
辿々しいが、王道J-POPの聞き慣れたメロディだから、すぐにわかる。それにこれは、最近俺たちのバンドで練習している曲だった。
定番曲だから、たまたま弾いているだけかもしれない。
けれど、誰が弾いているのかは単純に気になった。
音楽室にいるのはピアノに向かうその人だけで、後ろ姿からして女子ではない。
部活のメンバーかと思ったが、背中の雰囲気ではわからなかった。
誰だろう、と考えながら、俺は足音を立てないよう前へ進んだ。
音楽室の中央付近にある指揮台まで行き、その縁に軽く腰を預ける。
演奏者は気づく様子もなく、鍵盤に向かっている。
ポロ、ポロロン……ポ……
ところどころで引っかかって、テンポも安定していない。下手だ。
音楽部の人でもないし、経験者でもなさそうだった。
サビらしき部分をどうにか弾き終えると、その背中は項垂れるように丸まり、「はぁ……」とため息がこぼれた。
足元に置かれたスクールバックの布タグが青だ。つまり、俺と同学年の二年。
「なんでその曲、練習してんの?」
声をかけると、演奏者の肩がびくりと跳ねた。驚き方が大袈裟で、逆に申し訳なくなる。
ゆっくり振り返った顔には、ボサボサの黒髪。前髪が長くて、縁の太い眼鏡に半分かかっている。猫背気味の姿勢も含めて、控えめな印象の男子だ。
そして、俺はその顔を知っていた。
――ただ、名前はなんだっけ。
隣のクラスで、体育の授業が一緒。そこまでは思い出せるのに、名前がどうしても出てこない。
「つ……鶴見……」
向こうは、しっかり俺のことを覚えているらしい。
まずい、この流れで「何くんだっけ?」はさすがに言えない。
「ごめん、急に声かけて。驚かせたよな」
「いや、別に……」
苦笑いで誤魔化した俺に、相手は低くそう返し、猫背のまま鍵盤へ向き直って俯いてしまった。
練習途中を聞かれたから気まずいのだろうか。
まあ、とりあえず早く立ち去ろう。名前も思い出せてないし。
「あのさっ!」
裏返った声に呼び止められたのは、俺がそっと踵を返しかけた瞬間だ。
あまりにも素っ頓狂な声音だったので、別の方向から飛んできたのかと思ったが、声の主はピアノの前で俯く「名前なんだっけ」くんだった。
「なに?」
俺はすでに体半分立ち去ろうとしていた足を止めて答えた。
「名前なんだっけ」くんは、振り返ろうとしてるのか、なんだかよくわからない中途半端な場所に視線を泳がせている。
「あの、この曲は、なんていうの?」
「え?」
「鶴見たちが、最近……練習してるよね」
「ああ」
軽音の練習音を聞いて気に入ったのか?
だとしたらちょっと嬉しい。……けど、この曲は去年の大ヒット曲だ。
知らないってどういう生活してんだ。
俺はピアノの前に座ったままの「名前なんだっけ」くんのほうへ歩み寄った。
彼は、自分で呼び止めておいて、近づくとびくっと体を固くする。
猫背でわかりづらいが、背はそこそこ高い。なのに反応だけは小動物めいている。
――ポロロン。
鍵盤に右手を滑らせて、サビのメロディラインだけを拾って弾く。
ほんとに“なぞる”だけの簡単なやつだ。
すぐそばで、「名前なんだっけ」くんが息を止めたのがわかった。
そんなに手元を凝視するな。……照れるだろ。
「YUAの夜光って曲。俺らがやってるのはバンドアレンジだけど」
「夜光……」
「まじで知らない? 去年めっちゃ流行ったけど」
「そういうの、疎くて……」
名前なんだっけくんが、申し訳なさそうに肩をすぼめる。
その動きに、体育の授業の光景がふっと重なった。
高跳びでも短距離でも、名前を呼ばれるたび、たしかにこんなふうに縮こまってた。
損してるよな。
表情の作り方が下手だから無愛想に見えるし、背中を曲げるから自信がなさそうに見える。
たしか体育の時もそんなふうに思った気がする。
体育教師は彼のことをなんて呼んでいたっけ。
ここまで出てきてるのに、肝心の名前だけがどうしても出てこない。
「鶴見、すごいね。ピアノも弾けるんだね」
「え? あ、ああ、小6の途中までやってた」
でかかった名前を手繰り寄せるように、「名前なんだっけ」くんの伏せた頭を見下ろす。
「すごいなぁ」
呟きながら、「名前なんだっけ」くんは、またポロポロと下手くそな手つきで、鍵盤に指を置いた。
「すごいなぁ」とかちょっと間の抜けた語尾の伸ばし方をするのに、ほとんど無表情だからなんだかチグハグな印象を受ける。
「もうけっこう忘れたけどな、よいしょっと――」
お尻で「名前なんだっけ」くんの半身をぐいっと押し、椅子に半分だけ腰をかける。「ゎっ」と小さな悲鳴が聞こえたけれど、ひとまず無視。
俺は身体を斜めにして隣へ入り、鍵盤の前に両手を置いた。
右手でメロディを拾い、左手で軽く和音を支える。
凝ったアレンジはもう無理だが、形だけなら十分思い出せる。
食い入るように、俺の手元を見つめる視線は、照れ臭いが悪い気はしない。Bメロからサビ前までをひととおり弾いてやると、無愛想に見えていたその顔が、わずかに光を宿すのがわかった。
ふと我に返る。名前もろくに思い出せない相手に、この距離感はさすがに近すぎたかもしれない。
以前、付き合っていた子に言われたことがある。
『鶴見の態度って、変に期待を持たせるところがあるよね』
その時は、「ちょっと何言ってるかよくわからない」と肩をすくめた。
けれど、こういうことかもしれない――と今まさにそう思ったのは、「名前なんだっけ」くんが真っ赤な顔を上げたからだ。
同時に、記憶がつながった。
こいつ、体育の時はメガネを外していた。
あのとき一瞬だけ思ったのだ。
――けっこう整った顔なのに、前髪で隠してしまうのはもったいないな、と。
そんなことを思い出したせいだろう。
気づけば俺は、彼の前髪を指先でそっと持ち上げていた。
その瞬間、思い出した。こいつの名前。
「藤沢だ!」
脳の奥でひとつの線が鮮やかにつながるような感覚に、声が自然と大きくなった。
