「ルリーアお嬢様、はじめまして」
「…………え?」
心地良い揺れだなぁ、と思っていたら、目の前にたいそうなイケメンがいた。
耳が隠れないくらいの絶妙な黒髪は艶めいていて、その黒色の瞳をたたえた目つきも切れ長で芸術級に美しい。
気球の向こうの夜空も相まって、濡れガラスのように美しかった。
燕尾服を模した美しく豪華な服装も、彼の黒髪と黒い瞳によく合っている。
私がこの世界で目を覚ます前、まだ画面の向こうに恋をしていたときのあの執事キャラクターに、とてもよく似ていた。
「な、な……!?」
「おっと、気を付けてくださいね。あまり大きく動くと危ないですから」
そうのたまうイケメンは、なぜか気球を操っていた。
気球はなんだか布の縫い合わせでできていて、いつだかテレビで見たトルコの熱気球とはだいぶ様相が違って、まるで玩具みたいだった。
……いやぁ、これはもしかしたら夢かもしれない。
目をこすり、二徹明けの寝起きの頭で、ここに来るまでの記憶を遡ってみよう。
たしか、転生した先の家でそれなりにいびられて育ったんだ。
そしてある日、なんかよくわからない噂のあるおじさんに嫁げとかなんとか言われて、それで「嫁ぐ人間に趣味なんか不要」って作った人形とか布とかを全部捨てられたんだよね。
んで、部屋に閉じこもって、夢中で周りにあるものでひたすら縫いまくって寝落ちたら、気づいたらここにいた……と。
……やっぱり夢かな、これ。
でもよくよく見てみたらこの気球、私があてがわれていた部屋のカーテンとか、テーブルクロスとかでできてるから、夢じゃないなこれ。
「は~……」
「お嬢様……どうかされました?」
回りきらない頭でため息をつくと、気球を操っていたイケメンがこちらを心配そうに見つめていた。
そうだ、そもそもこのイケメンについても、なんだか夢のような出来事なんだ。
「一つ聞きたいんだけど……あなたは、カイトくん?」
「ええ……あ、そうでしたか!」
イケメンは、当たり前のように頷いたけれど、すぐにハッとして「すみません」と眉尻を下げて申し訳なさそうな顔になる。
「そういえば、まだ自己紹介をしていませんでした」
そして姿勢を正して胸に手を当てると、にこりとそれはもう世界が輝きで浄化されそうなほど眩しい笑顔でこちらを見つめた。
「私はカイト。ルリーアお嬢様の専属執事です。あなたに心のやすらぎを与えるため、はせ参じました」
「や、やっぱり……!」
目を覚ました直後でも、異世界なんかに転生して公式のイラストを長らく見ていなくても、推しの顔面は忘れてなかった!!
彼は、私がまだ日本人だったころにドハマりしていたゲーム、新感覚シミュレーション恋愛アプリ、『となりの執事と貴族令嬢』の攻略キャラクターの一人。
黒髪黒目の真面目系の見た目で、その見た目に似て頭脳明晰で落ち着いた性格のインテリタイプ。でも実は中身は結構なやきもち焼きという性格にべた惚れして始めたもの。
ある日、貴族令嬢として生きてきた主人公に、専属執事がつくことになった。
最初は主人と執事という身分差のある二人でとくにビジネスライクな関係性だったけど、日々起こるイベントや会話で少しずつ近づいていって……と、恋愛が始まるわけ。
毎朝カイトくんが起こしてくれるし、夜寝る前も「おやすみ」って言ってくれて、本当にあのアプリは素敵だった。
まさか、そんなカイトくんが実はこの世界に来てくれるなんて……!
そう心の中で萌えに浸りながら、スカートに縫いつけたポケットから推しことカイトくんのぬいぐるみを取り出そうとして――
「あれ? ない!」
この異世界に来て、唯一の癒やしだったカイトくん人形を無くしたことに気がついた。
「うそ! 無くした!?」
大声をあげると、カイトくんは首を傾げた。
「あ、ごめんね、急に大声出しちゃって」
「いえ。ですが、もし何かお忘れ物などあれば、一応まだ戻れますが」
再び心配そうにこちらを見やるカイトくんに、私は首を横に振って応えた。
「残念だけど、仕方ないわ。あなたの姿を模したぬい……ぬいぐるみを作って、お守り代わりに持ってたのよ。唯一あの女に捨てられなかったものだから」
そう強気に言ったはいいものの、寂しさはある。
この世界に転生してきて、はじめて作ったぬい。そして、一番長く私のそばにいてくれたぬいだったから。
「ああ、それのことですか」
すると、カイトくんは納得したような表情でそう言うなり、気球の調整の手綱から手を放し、再び胸に手を当てた。
すると彼の体が急激に光りはじめて、思わず目をつむる。
でもそれは一瞬の出来事ですぐに光は収まり、おそるおそる目を開いて……
「そのぬいとやらは、私です」
手のひらサイズのぬいが自立して、さらには片手をあげてそうのたまう。
フェルトのような生地で作ったあの簡素だけど思い入れのあるぬいが、動いていた。
「…………はい?」
「私があなたが作ったぬいです。あなたがカイト、と名付けてくれたんですよね?」
ぬいの口元の黒い線がにやりと吊り上がる。
……待って。
私は、あのゲームの世界に来たと思っていたんだけどそうじゃなくて、目の前のカイトくんは実は私が作ったぬいの擬人化ってこと……?
自分が作ったぬいが擬人化したことには嬉しさを覚えるけど、本当のカイトくんじゃなかったことには少し残念に思うのは、ちょっとわがままかな・
ああもう、頭が回らない!
でもとりあえず、真っ先にやってほしいことはある!
「いったんその話は脇に置いておいて、今すぐ人間に戻ってこの気球を制御して!!」
ぐらりと体が揺れる。風に煽られていて、なんだかさっきよりもかなり不安定になっている。このままだと気球落ちるんですけど!!!!
カイトくんのぬい――カイトは再び胸に手を当てて小さな可愛らしい目を瞑り……何も変わらなかった。
「お嬢様、たいへんです」
「何よ」
「戻れません」
「……はい?」
カイトはぬいらしい可愛らしい目でウインクをよこしながら言った。
「ぬいに戻ったときに魔力を使い果たして、あの姿に戻れなくなっちゃいました」
「あ、え……は、ちょ、はあっ!?」
そういえばカイトくん、意外と抜けてるところがあった!!
いや、でもこのカイトはカイトくんそのものじゃないんだし、そんなところまで寄せなくていいんだけど!?
「じゃ、じゃあ私が操作して――」
「あ、でももうダメかもしれません」
「なんで、ってきゃあああっ!!」
気球がぐらりと大きく傾いて、一気に下へ下へと高度をさげていく。
ひとまず私は、「うわあああ」と間抜けな声を出すぬいを左手で必死につかみ、右手で気球を操作する手綱をしっかり握って、来たるべき衝撃に備えた。
――これから始まる壮大な出奔生活は、そんなドタバタから始まったのだった。
「…………え?」
心地良い揺れだなぁ、と思っていたら、目の前にたいそうなイケメンがいた。
耳が隠れないくらいの絶妙な黒髪は艶めいていて、その黒色の瞳をたたえた目つきも切れ長で芸術級に美しい。
気球の向こうの夜空も相まって、濡れガラスのように美しかった。
燕尾服を模した美しく豪華な服装も、彼の黒髪と黒い瞳によく合っている。
私がこの世界で目を覚ます前、まだ画面の向こうに恋をしていたときのあの執事キャラクターに、とてもよく似ていた。
「な、な……!?」
「おっと、気を付けてくださいね。あまり大きく動くと危ないですから」
そうのたまうイケメンは、なぜか気球を操っていた。
気球はなんだか布の縫い合わせでできていて、いつだかテレビで見たトルコの熱気球とはだいぶ様相が違って、まるで玩具みたいだった。
……いやぁ、これはもしかしたら夢かもしれない。
目をこすり、二徹明けの寝起きの頭で、ここに来るまでの記憶を遡ってみよう。
たしか、転生した先の家でそれなりにいびられて育ったんだ。
そしてある日、なんかよくわからない噂のあるおじさんに嫁げとかなんとか言われて、それで「嫁ぐ人間に趣味なんか不要」って作った人形とか布とかを全部捨てられたんだよね。
んで、部屋に閉じこもって、夢中で周りにあるものでひたすら縫いまくって寝落ちたら、気づいたらここにいた……と。
……やっぱり夢かな、これ。
でもよくよく見てみたらこの気球、私があてがわれていた部屋のカーテンとか、テーブルクロスとかでできてるから、夢じゃないなこれ。
「は~……」
「お嬢様……どうかされました?」
回りきらない頭でため息をつくと、気球を操っていたイケメンがこちらを心配そうに見つめていた。
そうだ、そもそもこのイケメンについても、なんだか夢のような出来事なんだ。
「一つ聞きたいんだけど……あなたは、カイトくん?」
「ええ……あ、そうでしたか!」
イケメンは、当たり前のように頷いたけれど、すぐにハッとして「すみません」と眉尻を下げて申し訳なさそうな顔になる。
「そういえば、まだ自己紹介をしていませんでした」
そして姿勢を正して胸に手を当てると、にこりとそれはもう世界が輝きで浄化されそうなほど眩しい笑顔でこちらを見つめた。
「私はカイト。ルリーアお嬢様の専属執事です。あなたに心のやすらぎを与えるため、はせ参じました」
「や、やっぱり……!」
目を覚ました直後でも、異世界なんかに転生して公式のイラストを長らく見ていなくても、推しの顔面は忘れてなかった!!
彼は、私がまだ日本人だったころにドハマりしていたゲーム、新感覚シミュレーション恋愛アプリ、『となりの執事と貴族令嬢』の攻略キャラクターの一人。
黒髪黒目の真面目系の見た目で、その見た目に似て頭脳明晰で落ち着いた性格のインテリタイプ。でも実は中身は結構なやきもち焼きという性格にべた惚れして始めたもの。
ある日、貴族令嬢として生きてきた主人公に、専属執事がつくことになった。
最初は主人と執事という身分差のある二人でとくにビジネスライクな関係性だったけど、日々起こるイベントや会話で少しずつ近づいていって……と、恋愛が始まるわけ。
毎朝カイトくんが起こしてくれるし、夜寝る前も「おやすみ」って言ってくれて、本当にあのアプリは素敵だった。
まさか、そんなカイトくんが実はこの世界に来てくれるなんて……!
そう心の中で萌えに浸りながら、スカートに縫いつけたポケットから推しことカイトくんのぬいぐるみを取り出そうとして――
「あれ? ない!」
この異世界に来て、唯一の癒やしだったカイトくん人形を無くしたことに気がついた。
「うそ! 無くした!?」
大声をあげると、カイトくんは首を傾げた。
「あ、ごめんね、急に大声出しちゃって」
「いえ。ですが、もし何かお忘れ物などあれば、一応まだ戻れますが」
再び心配そうにこちらを見やるカイトくんに、私は首を横に振って応えた。
「残念だけど、仕方ないわ。あなたの姿を模したぬい……ぬいぐるみを作って、お守り代わりに持ってたのよ。唯一あの女に捨てられなかったものだから」
そう強気に言ったはいいものの、寂しさはある。
この世界に転生してきて、はじめて作ったぬい。そして、一番長く私のそばにいてくれたぬいだったから。
「ああ、それのことですか」
すると、カイトくんは納得したような表情でそう言うなり、気球の調整の手綱から手を放し、再び胸に手を当てた。
すると彼の体が急激に光りはじめて、思わず目をつむる。
でもそれは一瞬の出来事ですぐに光は収まり、おそるおそる目を開いて……
「そのぬいとやらは、私です」
手のひらサイズのぬいが自立して、さらには片手をあげてそうのたまう。
フェルトのような生地で作ったあの簡素だけど思い入れのあるぬいが、動いていた。
「…………はい?」
「私があなたが作ったぬいです。あなたがカイト、と名付けてくれたんですよね?」
ぬいの口元の黒い線がにやりと吊り上がる。
……待って。
私は、あのゲームの世界に来たと思っていたんだけどそうじゃなくて、目の前のカイトくんは実は私が作ったぬいの擬人化ってこと……?
自分が作ったぬいが擬人化したことには嬉しさを覚えるけど、本当のカイトくんじゃなかったことには少し残念に思うのは、ちょっとわがままかな・
ああもう、頭が回らない!
でもとりあえず、真っ先にやってほしいことはある!
「いったんその話は脇に置いておいて、今すぐ人間に戻ってこの気球を制御して!!」
ぐらりと体が揺れる。風に煽られていて、なんだかさっきよりもかなり不安定になっている。このままだと気球落ちるんですけど!!!!
カイトくんのぬい――カイトは再び胸に手を当てて小さな可愛らしい目を瞑り……何も変わらなかった。
「お嬢様、たいへんです」
「何よ」
「戻れません」
「……はい?」
カイトはぬいらしい可愛らしい目でウインクをよこしながら言った。
「ぬいに戻ったときに魔力を使い果たして、あの姿に戻れなくなっちゃいました」
「あ、え……は、ちょ、はあっ!?」
そういえばカイトくん、意外と抜けてるところがあった!!
いや、でもこのカイトはカイトくんそのものじゃないんだし、そんなところまで寄せなくていいんだけど!?
「じゃ、じゃあ私が操作して――」
「あ、でももうダメかもしれません」
「なんで、ってきゃあああっ!!」
気球がぐらりと大きく傾いて、一気に下へ下へと高度をさげていく。
ひとまず私は、「うわあああ」と間抜けな声を出すぬいを左手で必死につかみ、右手で気球を操作する手綱をしっかり握って、来たるべき衝撃に備えた。
――これから始まる壮大な出奔生活は、そんなドタバタから始まったのだった。


