俺とコイツの凸凹主従ライフ

 林の中にひっそりと佇む夜の廃墟。生ぬるい風が生い茂った雑草を不気味に揺らす。朽ちた扉、ひび割れた窓。雲間から月明りがこぼれると、寂れた屋内に薄っすらと光が舞い込んだ。そこに、一人の少年が血まみれになって仰向けに倒れていた。聞こえるのは、今にもこと切れそうなか弱い呼吸。
 人生というものはこんなにも突然に、あっけなく終わりを告げるものなのか。徐々に薄れていく意識のなか、篠宮晃人(しのみやあきと)はそう考えていた。
 遠くから、金物が揺れる小高い音と、足音が近づいて来るのが聞こえた。少しずつ暗くなっていく視界。
 ――ああ、仏か何かが迎えに来たのか。
 側で止まった足音と気配。晃人は目だけを動かし、その姿を瞳に映した。雲が晴れ、月明かりがくっきりと輪郭を浮かび上がらせる。さらりとした黒髪。肩に預けた錫杖が月の光に反射した。
 晃人が最後に目にしたのは、黒い和装姿の少年だった。

 時は1日前に遡る。
「晃人、放課後みんなでカラオケ行こうって話してるんだけど、晃人も来るよな!」
 晃人は箒をはく手を止めて答えた。
「もち!行く行く!」
 高校2年生になって新緑がまぶしく映えてきた頃。新しくなったクラスでは、もう大分と仲のいい者同士グループが出来上がっていた。1年の頃から見知った顔ぶれもあり、晃人は新しいグループに馴染むのにも時間はかからなかった。
 声をかけてきた正一に、晃人は続けて返した。
「場所は?駅前の店?」
「おう、あそこファミレスも近いし、カラオケ終わってから寄ろうぜ」
「了解!」
 教室の掃除を終え、机の位置を戻している時だった。突然、教室内に一瞬の悲鳴と何かが倒れる大きな音が響いた。驚いて視線を向けると、机と机の間に挟まり、すっ転んでいる正一の姿が目に入った。
「正一!?」
 その場にいた女子も含め、クラスメイトが正一に慌てて駆け寄る。どうやら掃除道具に足をとられ転倒したらしい。晃人は正一の上半身をゆっくりと起こして聞いた。
「大丈夫か?痛み響く場所とかあるか!?」
「いや、平気。サンキュな晃人」
 その返答にホッと胸を撫でおろしつつ、晃人は続けて言った。
「あとで痛みが出てくることもあるし、一応、保健室に――」
「邪魔。そこ俺の席なんだけど」
 背後から降ってきた冷たい声。晃人は眉を寄せ、振り向いて睨むように見上げた。
「おい、この状況でその言い方はねぇんじゃねーか?」
「知らん。勝手に転んだそいつが悪いんだろ」
「お前……っ!」
「晃人!いいから、保健室行こ!な!?」
 真っ黒な冷たい目で見降ろすクラスメイト――榎本柳、それが彼の名前だ。春、クラス替えで見知った顔が多かった中、晃人にとって彼だけは初めて見る顔だった。どんな奴なのかと思って声をかけても無視され、返事が返ってきたと思っても素っ気ない。それどころか、逆なでするような一言が付け加えられる。近寄るなというオーラをひしひしを感じた。
 これは晃人だけに限ったことではなかった。彼は誰に対しても同じ反応だ。当然、クラスのどのグループにも属することなく、いつも一人だった。
「ぬあー!ムカつく!」
 商店街を歩きながら晃人は溜めていたイライラを声にして吐き出した。
「篠宮、まだ言ってんの?」
 後ろを歩いていたクラスメイトの麻衣が苦笑しながら言う。
「だってよー、あんな言い方なくね?正一は別にふざけて転んだわけじゃないのにさ!」
「まぁまぁ、もう済んだことだし、俺も全然平気だったんだから気にすんなよ」
「そうだよ晃人。あいつの言い方にいちいち反応してたら疲れるだけだぜ?」
「僕もそう思―う」
 隣を歩く紀彰と翔も同調する。まだ納得がいかないというふうに、晃人は口を尖らせた。すると、麻衣の隣を歩いていた穂乃花が真面目な声で口にした。
「でも榎本くんってさ、外見だけはちょっといいんだよね」
「えー?穂乃花ああいうのがタイプなの?」
「ほら、クールな感じっていうの?ちょっと吊り上がってる目元とか、鋭い視線も良くない?鼻筋もすっと通ってて顎もシュッとしてるし、サラサラの黒髪ストレートは艶があってかっこいいなぁって」
「やめとけやめとけ、あんな不愛想な奴。近くにいたらフラストレーションが溜まって――」
 途中まで言って、晃人は「悪ぃ、ちょっと待ってて」と駆け出した。友人たちがその背中を見送ると、晃人は横断歩道の近くに立っていた男性の前で止まった。男性は白い杖を両手で掲げて持ち、晃人と何やら話をしている様子だった。すぐ戻って来ると晃人は言った。
「ごめん、そこのデパートまであの人送っていくから先にカラオケ行ってて」
「お、おお……」
 再び走り去って行く晃人の後ろ姿。ポカンとしている友人たちのなか、穂乃花が口にした。
「私、知ってる。あの白い棒持ってる人、視覚障害の人だ。さっきのSOSのサインだよ」
「マジ?よく知ってるな!」
「私は知ってただけ。でも篠宮くんは知ってて行動もできちゃう人なんだね。すごいや」
 正一は目を細めながら晃人の背中を眺めた。
「晃人ってさ、ちょっと世話焼きなところもあるけど、人のために行動できる良いやつだよな」
「うん、そうだね」
 その場の全員が頷く。晃人自身は、きっと大したことではないと思っているのだろう。そういう驕らないところが、好感を抱いて仲良くなってしまう所以なのだと正一たちは思うのだった。
「じゃあまたねー!」
 晃人が合流し、時間いっぱいまで楽しんだあと、麻衣と穂乃花は帰宅の途に就いた。残った男子組だけで近くのファミレスへ赴くと紀彰が思い出したように、あることを話し始めた。
「そういや、3丁目の廃墟の話、続きがあってよ」
「え、廃墟?なに、何の話……?」
「あぁ、晃人はちょうど居なかったんだよな。晃人が合流する前、カラオケの途中で話してたんだよ。3丁目の廃墟に幽霊が出るって」
 その言葉を耳にして晃人は思わず口元が引きつった。体が強張り冷汗が滲む。表向き平気そうに装っているのだが、実のところ晃人は怖い話や幽霊、怪奇現象といった類が苦手なのだ。
「幽霊を見た奴が言ってたらしいんだ。そいつ、霊に足掴まれてパニック起こしてたんだけど、その時、一瞬目の前がピカッと光って、気付いた時には廃墟の外にいたらしい」
「へぇ、それは不思議体験だね」
「な!俺たちも行ってみねぇ!?」
「また紀彰はそうやって軽いノリで言う。肝試しにはまだ早いぞ?」
「いいじゃん、何もなければないで!廃墟探検とかワクワクするだろ?」
「まぁ、ちょっとくすぐるよね、あの寂れた感じ」
「だろ!?」
 あまりの急展開に晃人は彼らの顔を左右に追うしか出来ず、開いた口も閉じる暇がなかった。話はどんどん盛り上がる一方だ。とても「行きたくない」とは言い出せない雰囲気になり、あれよあれよという間に話がまとまってしまった。
「じゃ、明日の放課後に決行ってことで!」
 店を出て解散する友人たち。晃人はしゃがみ込んで頭を抱えた。お化け屋敷ですらへっぴり腰になるというのに、本物が出ると噂の廃墟に行くだなんて。
 こればっかりは流石に断ろう――そう決意したはずだったのに、目の前には噂の廃墟がおどろおどろしくそびえる。とうとう断り切れず、やって来てしまった。
「流石に、夕方だと雰囲気あるね……」
「お?翔怖がってんな?」
「でも、やっぱ空気が違う感じはするな」
「何だよ正一まで。仕方ねーな、じゃあパッと行ってパッと帰るか。ほら晃人も、行くぞ!」
「お、おう……」
 薄暗い屋内。生ぬるい風と吹き抜ける低い音。冗談を交えて怖さを紛らわしながら廃墟の中を進む晃人たち。しかし、その背後にうごめく怪しげな影には誰も気付いてはいなかった。
「お、一周したな。何だ、なにも起きなかったじゃねーか」
 全員が気を緩めたその時だった。
「うわあああああ!」
 急に翔が叫び走り出した。その声に驚き、全員があとを追いかけ走り出す。
「何だよいきなり!」
「いた!何かいた!!こっち見てた!あれ絶対ヤバいやつだって!!」
「うしろ追って来てる!?」
「分かんねぇ!けど、とにかく外に逃げろ!」
 無我夢中で外へ逃げた友人たち。だが、あることに気が付く。
「あれ?晃人は……?」

「おぉーい、正一、のり、翔、いたら返事してくれよぉ」
 恐る恐る声を出して呼んでみるが辺りは静かなままだ。みんなと同じ場所を走っていたはずだった。それなのに、角を曲がった途端、全員の姿が見えなくなっていた。もう随分と歩き回っている。けれど、なぜだか一向に出口に辿り着けない。
 すると、通路の奥から小さな声で、「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。正一の声だ。よかった。晃人は緊張の糸が緩み、声のする方へ駆け出した。
「何だよぉ!お前らこういうのマジでやめろって――」
 角を曲がったその瞬間、晃人の息はひゅっと跳ねた。
 そこには、首があらぬ方向へ曲がり地べたを這いつくばっている髪の長い何かがいた。そいつの口から聞こえるのは確かに正一の声。しかし、どう見ても正一の姿ではない。晃人は腰が抜け、その場から動けなくなった。震える手足、歯がガチガチと鳴る。逃げなくては――そう思うのに体が思うように動かない。
 次の瞬間――気付いたら異形の顔が眼前に迫っていた。勢いよく叩き付けられた背中。痛い。怖い。助けて。必死に抵抗するも成す術はない。異形は容赦なく晃人の首に嚙みついた。生温い液体が目の前に迸る。晃人は瞬時に理解した。あぁ、これは死ぬ――と。
 再び嚙みつこうとした、その瞬間――異形に一枚の御札が直撃した。雄叫びを上げる異形の化け物。そいつは身を翻すとたちまち闇の中に消えていった。
 倒れている晃人から、か弱い呼吸がもれる。流れ続ける大量の鮮血。和装姿の少年は彼がもう助からないことを悟る。すると、少年は一枚の御札を取り出した。
 廃墟から、ほんの一瞬仄かな光が差した。辺りは元の静けさを取り戻し、そこには月明かりに照らされ、ひっそりと佇む廃墟だけが残っていた。

 ハッと目が覚めた。カーテンから差す陽の光。そこは、見慣れた自分の部屋だった。晃人は思わず自分の首元をおさえた。しかし、何ともない。
「妙にリアルな夢だったな……」
 夢だったことに安堵すると、晃人は身支度を済ませ学校へ向かった。
「晃人、おっはよー!」
 教室に行くと、席に座ったまま元気な声を出して手を振る紀彰の姿が目に入った。彼の席は、晃人とは前後に位置している。そのためか、休憩時間は紀彰と晃人の席にいつものメンバーが集まることが多い。晃人はそんな変わらない光景に何だかホッとした。
「おはよ!一時間目って英語だったっけ?」
「あ、ヤバ!今日12日じゃん。俺、当てられるかも!正一、お前毎回予習してるんだろ?ちょっとノート見せて!」
「やだね」
「そこを何とかー!」
「もう、のりくん、せめて当てられそうな日くらいは予習してきなよ。まぁ僕も昨日予習サボっちゃったけど」
「おはよー!ねぇねぇちょっと聞いたんだけどさ!」
 麻衣が何やら楽しそうに意気揚々と話しかけてきた。
「昨日、あんたら3丁目の廃墟に行ったんだって!?」
「うおっ、麻衣お前、情報入るの早いな」
 その会話に、晃人は思わず立ち上がった。震える手と口。次第に青ざめていく晃人の表情。様子がおかしい晃人に正一が声をかけた。
「……どうした?晃人」
「今……、廃墟行ったって……本当、なのか……?」
「何言ってんだよ。晃人も一緒に行ったじゃん」
「え……?」
「でもさ、結局何も無かったし、正直拍子抜けしたよな」
「雰囲気だけ楽しんだってことでいいじゃん」
「えー?もっとこう、幽霊に遭遇した的な話聞けるかと思ったのにー!」
 みんなの口ぶりはとても嘘をついているようには聞こえなかった。昨日、晃人は廃墟に行っていた。きっとそれは事実で、晃人自身も記憶がある。ならば、そのあとの出来事はどこまでが現実で、どこからが夢なのか。夢でないならば、自分は今ここに居られるはずがない。
 なぜなら、あの時――。思わず、異形に噛み付かれた時の音や感触がフラッシュバックする。途端、晃人は気持ち悪さを覚えその場にうずくまった。結局その日、友人たちに心配されながら晃人は早退することとなった。
 帰宅してベッドに横になるも、考えることは昨日のことばかりだった。あの廃墟で自分は死んだ――はずだ。仮に、あのあと病院に運ばれたとしても、あの傷はたった一日で治るものではない。そもそも今朝、自分のベッドの上で目を覚ましたのだ。家族もいつもと変わらなかった。一体何がどうなっているのか、まったく意味が分からない。晃人は説明のできない恐怖に怯えながらその日を過ごした。
 夜もなかなか眠れず、何度も寝返りをうつ。その時だ。ふと、どこからか声が聞こえてきた。
 今度は何なんだ!?そう思い、晃人は恐怖のあまり咄嗟に耳を塞いだ。ところが声は止まず、むしろ、さっきよりはっきり聞こえてきた。外から聞こえている声ではない。これは――頭の中から聞こえている!?そう思った時だった。
『おい、聞こえてんだろ』
 ばくばくと心臓が大きく鳴る。晃人は上擦りながら恐る恐る声を出した。
「……だ、誰だ?」
『あ、やっと繋がった。じゃ、今から魂魄飛ばすから』
「は?何、こんぱく?」
 声の主は晃人が言い終わるのを待たず御札を構えると術を発動させた。
 晃人は一瞬、宙に浮いた感覚がした。いや、浮いていたに違いない。でなければ尻もちをつくはずがない。
「いてて……何なんだ?」
 目を開けると、そこは見覚えのある寂れた場所だった。割れた窓ガラス、壊れた扉、コンクリートの壁、蔦が侵入している屋内。そこは昨日、襲われた廃墟の中だった。
「よう、来たな」
 顔を上げると学ランを着た男子生徒が背中を向けて立っていた。こちらを振り返る素振りもなく背中越しに言葉をかけられた。彼の顔は暗くてよく見えないが、その制服は晃人が通っている高校の制服とよく似ていた。
「早速だが働いてもらうぞ」
「は?何言って……」
 彼はじっと一点を見つめているようだった。彼の視線の先に目をやると、そこにはうごめく何かがいた。ずるずると這いつくばって近づいてくる音。月の明かりに照らされ、姿形が次第に浮かび上がる。それは紛れもなく、昨日嚙み付かれた異形の化け物だった。その体にはボロボロになった御札の切れ端が張り付いている。彼が舌打ちをしたのが聞こえた。
「さすがにあれじゃ威力が足りないか」
「な、何なんだよあれ……。昨日の、化け物……?」
「詳しい説明はあとだ。とにかく今は――」
 そう言うと彼は晃人の襟元をつかみ、あろうことか異形めがけて放り投げた。
「戦ってこい」
「は!?ええええええ!?」
 軽々と放り投げられた体はちょうど異形の頭上まで届いた。異形は今にも嚙み付こうと口を開けて構えている。
 食われる!そう思い、晃人は咄嗟に目をつむった。もうダメだ――そう思った時だった。
 体が異形に触れた瞬間、なんと異形が勢いよく弾け飛んだのだ。その反動で晃人も吹き飛び二転三転と転げ、彼の側まで舞い戻る。
「へぇ、中々の威力だな」
「お前、いきなり何すんだ!」
 顔を上げ、正面から彼の姿を見るや、晃人は目を見開いた。鋭く冷たい目つき、闇のような真っ黒な瞳。不愛想な表情。
「おまっ……榎本柳!?何でお前がこんな所に――」
 言いかけると奥から様々な異形が姿を現した。
「ヒッ!?」
「ゆっくり話をしている時間はない。先にこいつらを片づけるぞ。ほら、早く立て。もう一回やって来い」
「は!?」
「あいつらに触れるだけでいい。早く行け」
「無理無理無理!あんなグロいやつ触りたくねぇっつの!」
「んなこと言ったって……」
 柳が指を差した方向に目をやる。
「来てるぞ」
 勢いよく二人の元へ駆け寄って来る異形たち。晃人は雄叫びを上げながら手を突き出し顔を背けた。すると、再び晃人に触れた異形が一直線に吹き飛び、周りにいた異形を巻き込んで飛んでいった。
「よく飛んでくな。お前も」
 柳の後ろでうつ伏せに倒れている晃人。柳は改めて異形に視線を向け、一歩、足を進めた。
「ま、初めてならこんなもんか。ここからは俺がやるから見とけ」
「は?何を……」
 そう言うと柳は御札を一枚取り出し詠唱を唱えた。すると、たちまち御札から錫杖が出現し、手に取るとそのまま異形に向かって走り出した。次々と気化するように異形が消えていく。そうして遂に最後の一体が消え失せた。
 ゆっくりと戻って来る柳の姿に月明りが差す。シャランと小高い音を鳴らす錫杖、艶やかに光る黒髪、無感情な表情。ぼんやりとしていた記憶が徐々に蘇る。
「あっ!お前、昨日……!」
「思い出したか?」
「思い出したって言っても、何がなんだか……榎本、お前もあいつらも一体何なんだ!?俺、昨日あの化け物に襲われて……多分、死んだはずじゃ……」
「あれは悪霊になり果てた地縛霊だ。俺はそいつらを退治している祓い屋。で、お前は昨日の夜、悪霊に襲われてここで死んだ。それは事実だ」
「やっぱり俺、死んだのか……」
 晃人は、はた、と止まった。
 いや、おかしいだろう。何で死んだのに普通に学校行って友人と会話できているのだ。今日は朝食もちゃんと食べた。トイレもお風呂も、いつも通り日常生活を送っていた。それに、友人たちや家族の反応もいつも通りだった。おかしいことだらけで晃人の頭は混乱していた。そんな晃人を尻目に柳は錫杖を御札の中に納めながら言った。
「お前は確かに死んだよ。けど俺が生き返らせた。式神転生術を使って」
「しき…、は?転生?」
「式神転生術は死んだ人間に使う術だ。魂魄が冥界へ飛んでいく前に式神として転生させる術。それをお前に発動させた」
「式神って……確か、陰陽師が出てくる漫画で登場してた、使い魔みたいなやつだよな?」
「まぁ、解釈的には間違っていない。基本的に俺が使用するのは御札と錫杖だ。場合によっては式神を使う。御札は色んな術が使えるから専らこっちを使うけどな。あぁ、クラスの奴とお前の家族には御札で記憶操作させてもらった。お前がここで死んだことは誰も知らない」
 無感情に淡々と進める柳の話があまりに突飛で、晃人の脳はまだ処理がしきれずにいた。
「式神は基本的に悪霊退治の時に呼び出して戦わせるが、それ以外の雑用なんかに使役することも可能だ。一度契約したら式神は術者の言うことには絶対服従。つまり、お前は今、俺と主従関係を結んでいるってことだ」
「なっ!?何だよそれ!」
「今説明しただろ。お前は俺の式神になったんだ。これからは俺の言うことには全てYESと答えて働いてもらう」
「ふざけんなよ!いきなりそんなこと言われて納得すると思ってるのか!?」
 柳は据わった目で晃人を見つめて言った。
「じゃあ、お前はあのまま死んでたほうが良かったか?」
「……っ!そういうわけじゃねぇ、けど!人が死んだら勝手に生き返らせて式神だの主従関係だの絶対服従だの!受け入れられるわけないだろ!そもそも、あの時お前近くにいたんだろ!?だったら何で俺が襲われる前に助けなかったんだよ!人の命何だと思って――」
 途端、晃人は激しい息苦しさに襲われ膝を付いた。過呼吸なのか、息がうまく出来ない。
 体勢を崩した晃人を見降ろす柳。その表情は、ただただ無感情。下僕一人どうなろうと構わない、そんなふうに見て取れた。
「生きたいか?」
 その言葉に、晃人は歯を食いしばりながら、歪めた表情で柳を見上げて答えた。
「……ったり……まえ、っだ!」
 柳は無感情なその目を細めた。体を屈ませて晃人の体を抱き起こすと、柳は晃人の唇に顔を近付けた。乱暴に重なり合う唇。晃人はもはや何が起きているのか思考が追い付いていない。何度も交じり合う舌と舌。
「んん……っ、んう……」
 口の端からだらしなく垂れていく唾液。晃人の喉がごくりと鳴った。
 唇が離れると荒く乱れていた晃人の呼吸は徐々に正常に戻っていき、顔色もみるみる良くなっていった。それどころか、ふわふわと心地良さを感じる。そんな不思議な感覚に陥った。
「ん……あれ?今、何がどうなったんだ?」
「俺のDNAを送り込んだ。さっき苦しくなっただろ。お前の魂魄は肉体と離れていくらか時間が経っている。尚且つ奴らに力を使った。その時間が長くなればなるほど魂魄は消耗し、いずれ消滅する。つまり死ぬってことだ。そうならないように、術者が式神にDNAを与えて魂魄の生命維持をさせるんだ。それでしばらくは問題ないだろ」
 唾液を送り込んだ。そう言った柳の言葉を反芻する。晃人は呼吸するのに必死で何が起こったのか分からなかったが、次第に冴えてきた頭で先程の行動を振り返った。蘇ったのは、唇と唇、舌と舌が深く絡み合った濃厚な感触。
「お、おまっ、さっき俺にキっキス……!!」
「あんなの人工呼吸みたいなもんだろ。何だ、お前キスすんの初めてなのか?」
「うっ、うううるせぇ!」
 彼女がいたことはおろか、キスなんてしたことがない。一生に一度しかないファーストキスを、男に、しかも榎本柳に奪われてしまうなんて。あまりの屈辱に、晃人は血涙が出そうだった。
 キスの一つくらい手練れてます、みたいな涼しい顔をしやがって!晃人はそう思いながら、これ見よがしにごしごしと口を拭った。
「これで分かっただろ。拒否したところでお前は俺のDNAがなければ死ぬ。嫌でも何でも関係ない。死にたくないなら俺に従え。お前の選択肢はそれだけだ」
 ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!!上から物言いやがって!あまりにも理不尽な仕打ちに晃人は腹の底からそんな言葉が湧いてきた。
 ならば!そう思い、晃人は顔を上げ、柳に指を差しながらタンカを切った。
「選択肢はそれだけだ?ふざけんな!選択肢が無いってんなら作ってやるよ!俺は元の人間の体に戻ってやる!そんでいつかお前に目に物見せてやる!それが俺の選択肢だ!」
「……出来るものならやってみなよ」
 柳は冷え切った漆黒の目を細め、澄ました顔で返す。
 見てろよ!絶対、元の体に戻ってぎゃふんと言わせてやる!晃人はそう心に固く誓った。
 こうして、最悪の出会いを果たした二人の、でこぼこ主従関係が始まったのだった。