『 拝啓、お元気ですか。
今夜も大きな月が出ています。窓の外からは、虫の音が聞こえてきます。
こちらは朝晩すずしくて、もうはや秋がやって来てしまいました。今年はぐずついた雨の日ばかりで夏らしい夏を感じられないままだったよ。
そちらはこれから春にむかうのかな?どんな花が咲いて、どんな香りがするのだろう。
君がギターケースひとつだけをかかえてそちらへ旅立っていってしまってから二ヶ月。
僕は毎日、同じような日々を過ごしています。朝起きて、寝癖を直して、背伸びして。
そうそう、君にいつも笑われていた僕の寝癖。髪を伸ばしはじめたらだいぶ大人しくなってきたんだよ。不思議だよ。
そう、それから学校へ行く。一人で歩いて。
君がいた頃は、よく君の自転車のおしりに乗っけてもらって楽をしていたけど。一人でのぼる坂道は、なんだかすごくきついような気がしてます。
天文部はあいかわらず、ゆうれい部員ばかりが増えます。ゆうれいたちは昼ごと科学室に集まって、ビーカーでインスタントラーメンを作って食べたりして。まあ、君がいた頃とかわりなく、僕らはぼんやりと高校生をやってます。
君は今、どんな言葉を歌っているんだろう。
誰に聞かせているのかな。
その人はきっと幸せにちがいない。だって君の歌を一番近くで聞けるんだから。
ああ、君の歌が聞きたいな。朝ぼらけの透明な空気のような君の歌声が。
なんだろう、なんだかセンチメンタルになっちゃった。せっかくの秋のさわやかな空気をしんみりさせるのも勿体ない。ここらへんでやめておくことにするよ。
体に気をつけて。それと、喉にも。
君が帰るのを待ってるよ。
親愛なる一穂へ』
出すあてのない手紙はもう何十通になるだろう。もうすぐ机の引き出しからあふれ出しそうだ。
目の前の窓からは、ひっきりなしに鈴虫の声が聞こえてきて、一人ぼんやりと座る部屋の中が妙にさむざむと感じられて、僕は机の隅に置いているラジオのスイッチを入れた。
ざあざあざあざあとノイズが鳴る。一穂が毎日のように遊びに来ているころにはラジオかレコードを流しっぱなしにするのが当たり前だったけど、今はどちらも埃をかぶっている始末だ。僕にとって音楽とは一穂のことで。それ以外のものは僕にはよく理解できない。
一穂は僕のことを『音楽オンチ』だと言っていた。それは『頭痛が痛い』なんていう言い回しと同じで意味が重複しているよと何度か言ってみたけど、一穂は『詩に文法はいらないんだ、必要なのは愛だけ』と言って笑ったっけ。
一穂の笑顔が見たいな。一穂の声が聞きたい。ラジオのダイヤルを回して一穂のお気に入りの放送局にあわせる。FM78.9、冗談みたいにゴロがいいこの放送局は洋楽邦楽、新旧問わずに本当にいい曲だけをかけるんだと一穂が言っていた。
『……次にお届けする曲はKAZUHOの『君の空へ届けたい』。ニュージーランドのレーベルからデビューしたての彼。日本語の深い歌詞で世界を駆け抜けています。今夜が世界初オンエアです。それではお聞きください』
DJの言葉に目を見開いた。ラジオを両手でつかんでスピーカーに耳をくっつける。そこから流れ出した音楽は、たしかに一穂のメロディで。流れ出した歌声は、たしかに一穂の歌声で。
二か月ぶりに聞く一穂の声は、かわらず透き通っていて、けれど確かに今までとは違う雪の香りをまとっていた。
ああ、一穂。
君が過ごした冬を、今僕も感じていられる。
遠く離れた国から舞い降りた歌が、僕を君へとつなげてくれる。
君と離れてわかったんだ、君と会えないと世界は無音とおんなじなんだ。
知らない間に、僕は泣いていたらしい。頬が涙で濡れてちょっと痒い。ゆるすぎる涙腺を君に見られたら、また笑われるんだろうな。
曲を聞き終えて、出すことのない手紙に封をして机の引き出しにしまう。これが最後の手紙だ、もう一穂に手紙は書かない。僕は机の引き出しに鍵をかけた。
クローゼットからスーツケースを引っ張り出して手当たり次第に衣服を詰め込む。修学旅行以来使うあてもなかったパスポートと貯め続けたバイト代をまとめてポケットにねじ込んだ。
飛行機に乗って季節を超えて会いに行こう。僕の顔を見たらきっとまた一穂は『わざわざやってくるなんて馬鹿だなあ』と言うだろう。一穂みたいに小さな荷物一つで旅立てない僕を、大きなスーツケースを笑うだろう。いつものように変わらぬ笑顔で。一穂はいつでもどこにいても変わらないって、ただ季節をまとって深く大きくなっていくんだって、歌声を聞いたらわかったんだ。
手紙も出せない僕は君に会うのが怖くて震えてる。でも僕はどうしても伝えなくちゃ。ラジオから流れた君の歌を世界で一番最初に聞くことができた幸運が、僕をこんなに幸せにしてくれたということを。君の冬が僕の心の中に降らせた雪の優しさを。まぶたに光った氷の粒を。
音楽オンチな僕だけど、歌も歌えない僕だけど、僕の思いのすべてを文法のない言葉で、君に届けにいくよ。
今夜も大きな月が出ています。窓の外からは、虫の音が聞こえてきます。
こちらは朝晩すずしくて、もうはや秋がやって来てしまいました。今年はぐずついた雨の日ばかりで夏らしい夏を感じられないままだったよ。
そちらはこれから春にむかうのかな?どんな花が咲いて、どんな香りがするのだろう。
君がギターケースひとつだけをかかえてそちらへ旅立っていってしまってから二ヶ月。
僕は毎日、同じような日々を過ごしています。朝起きて、寝癖を直して、背伸びして。
そうそう、君にいつも笑われていた僕の寝癖。髪を伸ばしはじめたらだいぶ大人しくなってきたんだよ。不思議だよ。
そう、それから学校へ行く。一人で歩いて。
君がいた頃は、よく君の自転車のおしりに乗っけてもらって楽をしていたけど。一人でのぼる坂道は、なんだかすごくきついような気がしてます。
天文部はあいかわらず、ゆうれい部員ばかりが増えます。ゆうれいたちは昼ごと科学室に集まって、ビーカーでインスタントラーメンを作って食べたりして。まあ、君がいた頃とかわりなく、僕らはぼんやりと高校生をやってます。
君は今、どんな言葉を歌っているんだろう。
誰に聞かせているのかな。
その人はきっと幸せにちがいない。だって君の歌を一番近くで聞けるんだから。
ああ、君の歌が聞きたいな。朝ぼらけの透明な空気のような君の歌声が。
なんだろう、なんだかセンチメンタルになっちゃった。せっかくの秋のさわやかな空気をしんみりさせるのも勿体ない。ここらへんでやめておくことにするよ。
体に気をつけて。それと、喉にも。
君が帰るのを待ってるよ。
親愛なる一穂へ』
出すあてのない手紙はもう何十通になるだろう。もうすぐ机の引き出しからあふれ出しそうだ。
目の前の窓からは、ひっきりなしに鈴虫の声が聞こえてきて、一人ぼんやりと座る部屋の中が妙にさむざむと感じられて、僕は机の隅に置いているラジオのスイッチを入れた。
ざあざあざあざあとノイズが鳴る。一穂が毎日のように遊びに来ているころにはラジオかレコードを流しっぱなしにするのが当たり前だったけど、今はどちらも埃をかぶっている始末だ。僕にとって音楽とは一穂のことで。それ以外のものは僕にはよく理解できない。
一穂は僕のことを『音楽オンチ』だと言っていた。それは『頭痛が痛い』なんていう言い回しと同じで意味が重複しているよと何度か言ってみたけど、一穂は『詩に文法はいらないんだ、必要なのは愛だけ』と言って笑ったっけ。
一穂の笑顔が見たいな。一穂の声が聞きたい。ラジオのダイヤルを回して一穂のお気に入りの放送局にあわせる。FM78.9、冗談みたいにゴロがいいこの放送局は洋楽邦楽、新旧問わずに本当にいい曲だけをかけるんだと一穂が言っていた。
『……次にお届けする曲はKAZUHOの『君の空へ届けたい』。ニュージーランドのレーベルからデビューしたての彼。日本語の深い歌詞で世界を駆け抜けています。今夜が世界初オンエアです。それではお聞きください』
DJの言葉に目を見開いた。ラジオを両手でつかんでスピーカーに耳をくっつける。そこから流れ出した音楽は、たしかに一穂のメロディで。流れ出した歌声は、たしかに一穂の歌声で。
二か月ぶりに聞く一穂の声は、かわらず透き通っていて、けれど確かに今までとは違う雪の香りをまとっていた。
ああ、一穂。
君が過ごした冬を、今僕も感じていられる。
遠く離れた国から舞い降りた歌が、僕を君へとつなげてくれる。
君と離れてわかったんだ、君と会えないと世界は無音とおんなじなんだ。
知らない間に、僕は泣いていたらしい。頬が涙で濡れてちょっと痒い。ゆるすぎる涙腺を君に見られたら、また笑われるんだろうな。
曲を聞き終えて、出すことのない手紙に封をして机の引き出しにしまう。これが最後の手紙だ、もう一穂に手紙は書かない。僕は机の引き出しに鍵をかけた。
クローゼットからスーツケースを引っ張り出して手当たり次第に衣服を詰め込む。修学旅行以来使うあてもなかったパスポートと貯め続けたバイト代をまとめてポケットにねじ込んだ。
飛行機に乗って季節を超えて会いに行こう。僕の顔を見たらきっとまた一穂は『わざわざやってくるなんて馬鹿だなあ』と言うだろう。一穂みたいに小さな荷物一つで旅立てない僕を、大きなスーツケースを笑うだろう。いつものように変わらぬ笑顔で。一穂はいつでもどこにいても変わらないって、ただ季節をまとって深く大きくなっていくんだって、歌声を聞いたらわかったんだ。
手紙も出せない僕は君に会うのが怖くて震えてる。でも僕はどうしても伝えなくちゃ。ラジオから流れた君の歌を世界で一番最初に聞くことができた幸運が、僕をこんなに幸せにしてくれたということを。君の冬が僕の心の中に降らせた雪の優しさを。まぶたに光った氷の粒を。
音楽オンチな僕だけど、歌も歌えない僕だけど、僕の思いのすべてを文法のない言葉で、君に届けにいくよ。



