ヒーローになりたい

 俺、蜂須賀(はちすか)亮太(りょうた)の子どもの頃の夢は、ズバリ「ヒーローになる!」。
 幼稚園時代は戦隊ヒーローの証であるヒーローバッジを胸につけ、戦いごっこに明け暮れる毎日。
 小学生になると持ち前の明るさと声のデカさで、誰よりも目立つ存在に。
 運動会では足の速さを活かし、リレーのアンカーとして大活躍。
 中学校でサッカー部に入ると、あっという間にエースの座についた。

 俺ってヤバくね? ヒーロー人生一直線じゃん?

 もちろんヒーローは友情にだって熱い。
 親友から、『江の高行って、俺と一緒に弓道部を作らないか』なんて、とんでもないことを言われた時も、俺は『いいぜ』って快く協力してやった。

 しかしその頃から、俺のヒーロー人生は狂い始めていたんだ。

 ***

「だからぁ、彰人(あきと)の言い方はきつすぎるんだって。あんなふうに言ったら、一年生みんな辞めちゃうじゃないか」
「はぁ? 当たり前のこと言っただけだろ。すずが甘すぎるんだよ」

 あー、あいつらまたやってる。

 高校二年生の冬。ここ、()(しま)高校弓道部の部室では、今日もふたりが言い争いをしていた。
 弓道部部長の永井(ながい)すずと、エースの千田(ちだ)彰人だ。

「ずっと思ってたんだけどさ、彰人はその態度、もうちょっと改めたほうがいいよ。部活はひとりでやってるわけじゃないんだから」

 彰人を諭すようにすずが言った。
 すずは普段おとなしいけど、やる時はやる男で、仲間からの信頼が厚い。
 だから全員一致で、できたばかりのこの弓道部の部長に選ばれたんだ。

「だったらすずは、もっとビシッとみんなに言え。団体戦で惨敗したのに、能天気なやつが多すぎだろ」

 団体戦で惨敗……その言葉が俺の心に突き刺さる。流れ矢にあたった気分だ。
 彰人は俺を弓道の世界に誘ったやつで、不愛想で口が悪い。
 でも間違ったことは言っていない。惨敗したのは本当のことだし。

 とにかくふたりとも、弓道への思いが熱すぎるせいで、時々こんなふうに言い争いが起きるんだけど……最近、ちょっと多すぎる。
 俺はふたりの間に割り込み、大げさに両手を開いた。

「まあまあ、ふたりとも」

 仕方ない。こいつらを止められるのは俺しかいないんだ。

「いい加減ケンカはやめたまえ」
「は? なんだよ、ハチ。その意味不明キャラ」

 彰人が俺に突っ込んできた。
 よしよし、これでいいのだ。ふたりの気がこっちに向いてくれれば。

「なぁ、お前ら、明日から冬休みだけど暇か?」
「唐突だなぁ、ハチは。別に暇だけど」

 すずもこっちのペースに乗ってきた。ケンカの仲裁、成功だ。
 ついでに険悪なふたりのために、俺が一肌脱いでやるか。

「明日ってクリスマスイブじゃん? 三人でクリパしねぇ? ここにケーキとかチキン持ち込んで」
「こんなところでできるわけねーだろ」
「そうだよ、神聖な弓道場でパーティーなんて」

 まぁ、このふたりなら、そう言うと思っていたけど。

「じゃあ、江の島にイルミネーションでも見に行くか?」
「やだね、24日なんて、カップルだらけだ」
「激混みだよ、きっと」

 たしかに男三人でイルミは悲しすぎるか。

「だったら俺んち来いよ。三人でケーキとチキン食おうぜ! お前らコンビニで買ってきてくれ!」

 俺が言ったら、ふたりがあきれたようにため息をついた。

「お前んちでケーキ食って、楽しいか?」
「毎日会ってるしね」
「ノリ悪いな、お前ら! 最近部活ばっかで遊んでなかっただろ? 弓道バカのお前らにも休息が必要だ。24日の昼、ケーキとチキン持って俺んち集合な!」

 これでふたりのギスギスが、ちょっとでも丸くなればいい。
 俺にできることは、そのくらいしかないんだ。

 俺が弓道を始めたのは高一の春。
 初心者の俺が、経験者のこいつらより下手くそなのは当然だったけど……一年半経った今でも、俺はたいして上手くない。
 だけどこのふたりはさらに上達して俺を引き離していくし、あとから入ってきた一年にさえ俺は抜かされていく。

 しかもあいつらのすごいところはそれだけじゃないんだ。
 弓道を避けていたすずをさりげなくアシストして、ここまで引っ張り上げたのは彰人だし、彰人の生きる目標となったのがすずだっていうし……そんなの俺がかなうわけねーじゃん。

「そういえば彰人、隣のクラスの女子に、クリスマスデート誘われてなかった?」

 すずの言葉に、俺は目を見開く。

「すずだってさっき、後輩女子からクリスマスプレゼントもらってたじゃん」
「ちょっ、ちょっと待てー! 俺はなんにもねーぞ! そんなアオハルな話は!」

 ああ、すっかり忘れてた。
 こいつら意外とモテるんだった。

「はぁ、かなわねぇ……」

 このふたりは物語のヒーローで、俺はただのモブキャラ。
 ヒーローになんてなれないんだって――俺はもう、とっくに知っている。

 ***

『はぁ? 中止ってなんだよ!』

 24日の昼、自分の部屋のベッドの上で、俺は彰人の怒鳴り声を聞いていた。

「悪い。ちょっと腹が痛くて……ベッドから起きられねーんだ」

 今朝、姉ちゃんから『彼氏にあげるケーキの味見して』って言われて……食ったら見事に腹を壊してしまった。

『よかったぁ、彼氏にあげる前にあんたに食べてもらって』
『よくねーだろ!』

 姉ちゃんは危険すぎる手作りケーキはやめて、ケーキ屋でケーキを買って、彼氏の家に行ってしまった。
 一体、あのケーキに何を入れやがったんだ。くそっ。

『腹痛いって……大丈夫?』

 電話の向こうから、すずの声が聞こえてくる。
 やっぱりすずは優しいなぁ……でもその優しさは、プレゼントくれた女子に向けてやってくれ。

『まったく、24日に集まろうって言ったのはお前だろ』

 彰人がぶつぶつ怒っている。
 そうだよな。こんなことになるなら、お前も女子とデートしたほうがよかったよな。

『しょうがないよ。具合悪くなっちゃったんだから』
『どうせ変なもん食ったんだろ。自業自得だ』
『彰人! ハチがかわいそうだろ』

 ああ、やばい。俺のせいでまたふたりがケンカをしてしまう。

「ごめんって、ふたりとも」
『もう俺ら、お前んち向かってるんだぞ』
「だったらそのまま、女子とイルミにでも行ってくれ」
『は? おい、ハチ……』

 彰人が何か言いかけたけど、俺は電話を切って布団に突っ伏した。
 最悪なクリスマスだ……。
 腹は痛いし、パーティーはできないし、ふたりに仲直りさせてやれなかったし……。

「俺って、思ってたより、ずっとダサくね?」

 こんなんでヒーローになりたかったなんて、笑える。

 俺はぎゅっと目を閉じる。
 小さい頃の俺は、胸にヒーローバッジをつければ、なんにでもなれる気がしていた。
 どんなに強いやつでも倒せるし、絶対負ける気がしなかった。
 困っている人がいれば助けられるし、みんなから憧れのまなざしを向けられると思っていた。

 それなのに――。

「全然、違うじゃん」

 弓道なんかやらないで、サッカー続けていればよかったかな。
 いや、続けていてもおんなじか。
 中学の弱小サッカー部でエースになったって、強いやつがたくさん集まっている高校のサッカー部では、きっと挫折を味わうだけだ。
 それでこうやっていじいじと、上手なやつらのことを妬んでいるんだ。

 ピンポーン。
 誰かが家にやってきて、母さんと話している。
 姉ちゃんが彼氏にフラれて帰ってきたのかも。そうだったらいいのになんて考えている俺は、相当ひねくれている。
 すると部屋のドアがトントンと叩かれて、返事をする前に開いた。

「よっ、ハチ」
「来ちゃったよ」
「えっ! 彰人とすず!?」

 俺は驚いてベッドの上に飛び起きた。

「もしかしてハチ……泣いてた?」

 すずの声にハッと気づいて、手で目元をこすったら濡れていた。

「うわっ! なんだこれ! 俺、泣いてる!?」
「マジか? 自分で気づいてなかったのかよ」
「泣くほど、腹が痛かったのか」
「いや、もう痛くねーし!」
「じゃあ泣くほど、クリパしたかったんだ」
「違うって!」

 俺はつい叫んでしまった。

「俺はただ、お前らに仲良くなってほしかっただけだ! クリパなんてどーでもよかったんだよ!」

 彰人がきょとんとした顔をしたあと、すずを見る。

「別に俺ら、仲悪くないよな?」
「うん。悪くないよ」
「でも、最近ケンカばっかりしてただろ!」
「ケンカなんかしたっけ?」
「してないと思うけど」

 はぁ? ふざけんな! 心配して損したぜ。

「それはたぶんケンカっていうか……僕たち、言いたいことを言い合えるようになったってことかな」

 すずの声に彰人が「そうだな」とうなずいた。それから俺のほうを向いて続ける。

「だからハチも、思ってることはちゃんと言えよ」
「え……」
「お前もしかして、この前の試合のこと、気にしてる?」

 彰人の声に俺は驚き、とっさにうつむいた。それからぼそりとつぶやく。

「き、気にするに決まってるだろ。俺だけ下手くそで、ガチガチに緊張しちゃって、一本もあたらなくて……俺がお前らの足引っ張ってるって、誰が見ても思うじゃん」
「思わねーよ。そんなこと」
「いや思うって! 彰人とすずだって、どうせそう思ってるんだろ!」

 言ってからすぐに口を押さえた。
 なんだ、これ。カッコ悪すぎる。
 するとなぜか彰人が、声を上げて笑い出した。

「な、なんで笑うんだよ!」
「いや、ハチって意外と繊細だよなーって思って」
「はぁ? バカにしてんのか!」
「してねーって。誰だって試合は緊張するよ。俺だってするし」

 嘘つきめ。いつだってお前は、澄ました顔して平然と矢を放ってるじゃねぇか。

「それに団体戦はチームワークが大事だろ。だからハチが思ってること、今みたいになんでも言ってほしい。そしたらきっと、一緒に改善していけると思うから」

 その言葉に、俺はハッと顔を上げた。なんだか胸が熱くなってくる。

「彰人……お前、いいこと言うじゃん」
「いや、俺もすずに言われたし。部活はひとりでやってるわけじゃない、って」

 するとすずが、あははっと笑って俺たちに言った。

「じゃあ僕たちのチームワークをさらに深めるために、これ、ハチにあげるよ」

 すずがコンビニの袋を俺に差し出した。

「ふたりからのクリスマスプレゼントな」

 彰人も付け足す。

「え、なんで?」
「まぁ、腹痛でぼっちのクリスマスは、さすがにかわいそうだと思って」
「ケーキは無理そうだから、それにしたんだ」
「あ、ありがとう」

 俺はコンビニの袋を受け取り、中身を取り出した。

「えっ」

 出てきたのは、おまけつきのお菓子。戦隊ヒーローのパッケージだ。

「ハチ、そういうの好きだろ」
「しかもおまけつきだよ」
「は? 俺は小学生じゃねー!」

 そう言いながらも袋を開ける。中にはお菓子と、ヒーローバッジが入っていた。

「やべえ! レッドだ!」

 それは俺の好きだったレッドのバッジで、ついテンションが上がる。

「つけてみろよ」
「えー、マジか?」
「僕がつけてやるよ」

 すずがバッジを俺の胸につけてくれた。キラリと輝く真っ赤なヒーローバッジ。
 かっこよすぎだろ……。

「うおー、なんか俺、力湧いてきた! なんでもできる気がするぜ!」
「単純なやつ。やっぱ小学生か」
「写真撮ろうよ! 写真!」

 バッジをつけて、外を走り回っていた頃を思い出す。
 あの頃の俺は、なんにでもなれる気がしていた。

「撮るよー」
「ハチ、似合ってるじゃん」

 でも現実はそんなに甘くなくて。
 写真の中でふざけている俺は、ちっともカッコよくなくて。
 だけど今日、ちょっとだけ思ったんだ。
 ヒーロー戦隊はチームで戦うんだ。だったら俺みたいな役割のヒーローがいても、いいんじゃないかって。

「よし! 明日は学校行って練習するぞ! プレッシャーとの戦いだ!」

 俺はベッドの上に立ち上がり、ポーズを決めた。

「はぁ……こいつすぐ調子に乗るよな」
「もう腹は大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫! 明日お前らにも買ってやるな。ブルーとイエローのバッジ」
「「いらねーよ!!」」

 ふたりの声がハモった。
 俺が声を上げて笑ったら、彰人とすずも笑った。
 ああ、俺、こいつらと同じ部活でよかったかも。
 ケーキもチキンも食えなかったけど、三人で過ごした今年のクリスマスは、きっと一生の思い出になる。