六花の薔薇 ―refrain―


翼はきっと忘れてる。
俺と翼が出会った日のこと…。

今でも俺は忘れない。




初等部に入った頃、御影は祖父の別荘に入り浸っていた。
二日おきに学園に登校するもどちらかが登校している時は屋敷の使用人や家族以外あってはいけなかった。
屋敷に引きこもるのも退屈なため、御影はよく祖父の別荘にいた。

そんな時だった。
翼と出会ったのは…。

たまたまだった。
退屈しのぎに廊下の壁を叩きながら歩いていた。

その時ガコンと壁が外れてそのまま体勢を崩して御影は転げ落ちて行った。

「痛たたっ…」

「…大丈夫?」

そこには部屋が広がりひとりの女の子か心配そうに御影を見ていた。

そして…

「大丈夫かい?君」

「何処か打った?」

父とよく似た男の人と匂いが違う女の人に出会った。


駆けつけた祖父は顔面蒼白にして慌てていた。
地下で暮らす家族のことは誰にも言ってはいけない、秘密にできるか?としつこいくらい聞いてきて、その真剣さに幼な心に絶対秘密にしなければならないと理解した。

そして教えてくれた。
父の双子の弟 影榛(かげはる)、人間種の妻 (そら)
そしてふたりの子ども 翼。

それから御影は登校しない日は別荘に通い翼と一緒に遊び、影榛と空と過ごすことが多くなった。


「どうして、翼はここにいるの?」

「知らない」

「外に出ないの?」

「出ちゃダメって」

「なんで?」

理解が出来ない御影は頭を傾げる。

すると横から影榛が座る。

「俺たちは外に出れないんだ、出たら怖い鬼に見つかるからね」

「鬼?鬼なんていないよ?」

「居るんだよ、鬼は」

そう言って笑う影榛にますます理解が及ばなかった。

影榛は父とそっくりなのに雰囲気は柔らかくていつも笑っていて優しかった。

とても物知りで色々な事を教えてくれた。
空も優しく人間種が何故ここに居るかなど子どもの御影にはどうでもよくて…。
ただ翼を本当の妹のように可愛がっていた。

それから数年。
この関係は、変わらず続いた。
そして、ある日のことだった。

影榛が、ぽつりと呟いた。

「……もし、俺と空に何かあったら」

いつもと同じ、穏やかな声…けれど、どこかだけ違った。

「翼を守ってくれないか?」

御影は目を丸くする。

「守る……?」

聞き慣れない言葉。
影榛は、少しだけ困ったように笑った。

「うん」

静かに頷く。

「御影にしか、頼めない」

その言い方が、やけに引っかかった。
理由は分からないのに、胸の奥が、少しざわつく。

「……分かった」

気づけば、そう答えていた。

「守る」

影榛は、安心したように目を細めた。

「ありがとう、御影」

その笑顔は、いつも通り優しかった。

「……あ、あともうひとつ」

ふと、思い出したように続ける。

「ん?」

影榛は、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
それから、ゆっくりと顔を上げる。

「これだけは、忘れないで」

その声だけが、妙に静かだった。

「お前に、きっと起こることがある」

言葉を選ぶように、間を置く。

「その時は」

さらに一拍。

「一瞬でいい」

視線が、まっすぐに御影を捉える。

「“死んだことにしろ”」

「……は?」

意味が分からなかった。

どうしてそんなことを言うのか。
どうして、そんな目をするのか。

影榛は、それ以上何も言わなかった。
ただ、いつもと同じように笑っただけだった。

あの時は、理解できなかった。
ただの、変な約束だと思っていた。

けれど今なら、分かる。

あれは、“方法”だったんだ。








光が、御影を囲む。
やわらかいはずの光が、逃げ場を塞ぐように絡みついた。

――ドクンッッ

「……ぅ」

次の瞬間。
体の奥で、何かが“弾けた”。

熱い。
血が、逆流する。
心臓が、嫌な音を立てる。

「はぁ……っ、く……」

息が、うまく吸えない。
胸の奥が焼けるように痛みぐらり、と視界が揺れる。
御影は、膝をついた。

「……っ」

内側から、何かが押し上げてくる。

拒めない。
止められない。

書き換えられる…そんな感覚が、確かにあった。

「御影……!」

その声だけが、遠くで揺れていた。

その瞬間、内側で、何かが弾けた。

音は、なかった。
けれど確かに、“何かが切り替わった”。

次の瞬間…光が、消え視界が、静かに開ける。
そこには、変わらないはずの世界があるのに何かが、決定的に違っていた。

「……はぁ、はっ、けほっ」

喉の奥が焼けるように熱い。
それでも理解してしまう。

“使える”。

「……っ」

倒れた黎影に、視線を落とす。
静かに、息を整える。

「ふー……」

肺の奥まで空気を満たしてから。

御影は、口を開いた。
それは呟きではなかった。

命令だった。

「――全能力、解除」

次の瞬間。

空気が沈み、ざわりと見えない何かが世界を這う。

拒むものは、ない。
抗うものも、ない。

ただ従った。
鋳薔薇家の能力…それは絶対服従。

棘薔薇家を縛っていた“すべて”が、この瞬間終わった。






静寂が、落ちた。
さっきまであった“圧”が、どこにもない。

風が吹く。
ただ、それだけだった。

「……っ」

微かに、指が動く。

「……は……」

掠れた声。
黎影の瞼が、ゆっくりと開いた。

視界が、ぼやける。
月明かり。
揺れる木々。

そして、御影。

「……御影……?」

その声には、さっきまでの余裕はなかった。
黎影はそのまま言葉を発する。

「…僕死んだんじゃなかったの?」

「…死んでないだろ」

月明かりを見上げながら黎影はまだ覚醒仕切らない頭で考える。
でも感覚で分かる…能力は消えたと…。

「…どうやって…?」

「死んだことにした」

「…はあ?」

黎影は上体を起こし御影の方へ視線を向ける。

「心肺停止にしただけ、一瞬」

「…そんなこと、よく思いついたね」

「……」

乾いた声だった。
御影は答えない。
その沈黙の中で。
黎影の表情が、ゆっくりと変わっていく。

「……あぁ」

小さく、息が漏れる。

「……そっか」

自分の胸に手を当てる。
何も、ない。

「……消えたんだ」

確認するように、呟く。

「……全部」

指先が、わずかに震える。
笑う。

「……はは」

力のない笑い。

「……すごいね、御影」

顔を上げる。
その目は、もう笑っていない。

「初めからこうするつもりだったんだ」

御影は答えない。
その沈黙の中で、黎影は小さく息を吐く。

「一瞬だけ“ひとり”になってさ」

かすかに、口元が歪む。

「その力で、全部消したんだろ?」

視線が、まっすぐ御影を射抜く。

「……誰も、選ばなくていいように」

そして言った。

「優しいね、御影は…」

「………」

「…僕のこと…殺せたのにね」

掴む力が、強くなる。

「分かってるでしょ……?」

声が、震える。

「なんで殺さないんだよ……!」

ぐっと引き寄せる。

「殺せばよかっただろ!!」

叫びが、夜に叩きつけられる。

「……っ」

息が、乱れる。

「……殺してよ……」

今度は、かすれた声。
力が、抜けるように。

「じゃないと……」

視線が、揺れる。

「僕……何のために……」

言葉が、続かない。
御影はそっと黎影の手を掴んだ。

「…俺は、優しくない。」

「…は?」

黎影から、困惑の声が漏れる。
御影は視線を逸らさない。

「黎影は、ずっと」

言葉を探すように、わずかに間を置く。

「周りに答えようとしてた」

指先に、少しだけ力が入る。

「全部……お前に押し付けたのは、俺だ」

「……」

黎影は何も言わない。

「俺は」

短く、息を吐く。

「お前から逃げた」

夜風が、揺れた。

そして御影は、少しだけ力を込めて言った。

「次は自分の人生を生きろ」

「……自分の……?」

黎影の声が、わずかに揺れる。
御影は、はっきりと頷いた。

「自由に、生きろ。誰かのためじゃなくて」

視線を逸らさずに続ける。

「お前自身のために」

黎影の心に何かが落ちた。

「…急に言われても、」

「俺も一緒に考える」

そう言って御影は笑った。

そして御影は、少し離れた場所に立つ翼へと目を向けた。不安そうに揺れていた視線が、重なる。

御影が、ほんの少しだけ微笑む。
それを見た瞬間、翼の表情がふっとほどけた。



その日何かが、静かに終わった。

棘薔薇家に縛られていた“運命”も、六花も蘭寿家いや、赤羽家も…

そしてこの世界から、“能力”が消えた。












「本当にっ!そっくりねええ!!」

「ちょっと、真理愛。見すぎ」

壱夜に軽く小突かれ、真理愛は不満げに頬を膨らませながらソファへ移動した。

「だって!だって!今まで見れなかったんだよ!?双子並んでるとこ!」

「今さら騒ぐな」

「無理でしょ〜!」

「無理だな」

真理愛と愁がハモる。
賑やかな声が、部屋に広がる。

――あれから、数ヶ月。

「……にしても」

壱夜が、ぽつりと呟く。

「ほんとに、なくなったんだな。全部」

一瞬だけ、空気が静まる。

「あぁ」

短く返したのは、御影だった。

「能力も、家のしきたりも」

その言葉に、誰も反論しない。

「……未だに信じられないけどね」

真理愛が肩をすくめる。

「次期当主が双子で、しかも片方“死んでなかった”と」

庵が呟く。

「笑えねぇ話だな」

愁がため息をつく。

「上も大混乱だったらしい。処分だのなんだのって」

弦里が言う。

「結局、どうなったの?」

すっかり体調のよくなった琉伽がら問う。
ほんの一瞬だけ、間が空く。

「…特になし」

あっさりとした返答。

「は?」

思わず、声が漏れる。
御影は肩をすくめた。

「表向きは、な」

「いやいやいや、納得できるわけないでしょ!」

真理愛が食い気味に身を乗り出す。

「能力消えて!双子問題あって!普通もっとこう……あるでしょ!?」

「結果的に全部終わったんだ。上も下手に触れられねぇだけだろ」

愁が言う。

「それでもさ〜!」

部屋の空気が、少しだけ騒がしくなる。

「で、これから黎影はどうするの?」

弦里の問いに黎影は答える。

「…御影の補佐でも、しようかと…」

「補佐…いいな!」

壱夜の言葉に黎影は控えめに微笑む。

「黎影は昔から頭良かったしね」

弦里は頷く。
そしてまた騒がしくなる面々。

翼はそんな光景を見て心の底から安堵した。

皆が笑ってる…それだけで心が軽い。

あの日夜々がゲートを開けてくれて御影がいる場所まだ来れた。
一件落着した後、夜々と刻は暗血線に捕まり事情聴取を受けたが何故かすぐに釈放されふたりで静かに暮らしているという…。

凜々はこちら側の事情を知りすぎた為、今は翼の使用人として働いている。
当の本人も【リアゾン】に帰りたくないというのが本音らしかった。


それぞれが、それぞれの場所で。
ちゃんと、生きている。










普通とか普通じゃないとか、人と違うとか…。
それは時に残酷に人を蝕む。
それでも人は違いを理解し、共に歩んで行かなければならない。
どんな自分でも自分を愛してくれる人がいるならそこが居場所だ。

私は今日もここで生きている。