六花の薔薇 ―refrain―



壱夜は、スクリーンに映し出された光景に息を呑んだ。

『それでは――お楽しみ下さい』

その音声と同時に、映像が切り替わる。

そこに映っていたのは、怯えきった子どもたちと、彼らに襲いかかる吸血種の姿だった。

必死に逃げ惑う小さな身体。
しかし大人から逃げ切れるはずもなく、次々と捕まえられる。

牙が首元に突き立てられる。

『ぁぁあああああ!!!』

悲鳴。泣き声。
赤く飛び散る血。

カメラは容赦なくそれを映し続ける。
まるで見世物のように、様々な角度からどこから撮っているのかも分からない、異常な視点で。

壱夜は思わず、スクリーンから目を逸らした。

何だ、これ……。
人間種……?

怒りが、全身を焼いた。

握り締めた拳に爪が食い込み、じわりと血が滲む。

それとは対照的に、この部屋にいる吸血種たちは違った。
彼らはスクリーンを見上げ、楽しげに声を上げている。

まるでスポーツ観戦でもしているかのように。

その光景が、どうしようもなく腹立たしかった。

その時、スクリーンに映る人物に壱夜は目を見開く。

――愁……?

映像の中で、愁は襲われそうな子どもたちを庇い、次々と物陰へと導いていた。
見つかりにくい場所へ、慎重に、確実に。

その様子に、先ほどまで歓声を上げていた観客たちがざわつき始める。

「何をしているの?」
「他のプレイヤーに見つからないようにしているのか?」
「なんのために?」
「後で独り占めするつもりじゃない?」
「……あの人、何がしたいの?」

次々と“狩り”を続ける者がいる中で、
愁だけが、子どもたちの手を取り、守るように遠ざけていく。

その姿に、見る者たちは理解できず、困惑する。

違う。
愁は、最初から“狩る側”じゃない。

その瞬間、壱夜の脳裏に言葉が蘇る。

『人間種の存在を確認した場合――確保、保護。
 加担している吸血種は、全員“暗血線(あんけつせん)”送りだ』

潜入前、御影が告げた命令。

ここにいる吸血種は、数百にも満たない。
一人で相手取るには、正直厳しい。

――それでも。

一人残らず、逃がすつもりはない。

壱夜は静かに息を整え、拳を緩めた。

――始めよう。

この狂った“遊戯”を、ここで終わらせるために。






「……はぁ、はぁ……」

走り続けるうちに、呼吸が浅くなる。
小さな子どもを抱えて走り回るなど、そう何度もできることじゃない。泣き喚く子を宥めるのにも、想像以上に体力を使う。

愁は次々と子どもを見つけては、物陰や子どもしか入れないような狭い隙間へと隠していった。

「ここから、絶対に出てくるな」

そう伝えると、子どもたちは不安げな目で、それでも素直に頷く。

そうして移動を続けていると、背後からひとりの男が近づいてきた。

「……何してんだ。独り占めか?」
「……」

男の口元には、べったりと血が付着している。興奮を隠しきれない様子だった。

「お前のせいで獲物がどこにもいねぇんだよ。独り占めすんな」
「……獲物って」

動物じゃねぇんだよ、こいつらは……。

苛立ちを押し殺しながら、愁は男の動きを警戒する。今にも襲いかかってきそうな気配があった。

「ぁ、」

そのとき、物陰に隠れていた子どもが体勢を崩し、顔を覗かせてしまった。
その瞬間、男がにやりと口角を上げる。

愁は一直線に駆け出した。
同時に、男も子どもを攫おうと手を伸ばす。

一歩…ほんの一歩の差で、愁は子どもを抱き上げ、男から距離を取った。

「……いたっ」

腕の中で、子どもが自分の頬に触れ、手のひらを見る。
そこにはべったりと赤い血。頬には、一本の切り傷から血が流れていた。

子どもが恐る恐る視線を上げると、目の前の男は、手に付いた血を舐め取っていた。

「……お前……」
「いい匂いだなぁ〜! なぁーんでこんな血って美味いんだろうなぁ〜!」

「……いかれてやがる」

血を飲むことしか頭にない。
命としてすら見ていない、ただ血に飢えた化け物だ。

間一髪で子どもは守れた。
だが、愁の能力は意思疎通。攻撃型の壱夜ほどの力はない。それでも、六花として幼い頃から鍛錬は積んできた。ただの貴族に遅れを取るつもりはない。

子どもを守りながら、か……。

陸玖は大丈夫だろうか。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。

「愁、伏せて!!!」

耳を劈く叫び声に、反射的に愁は子どもの頭を抱え込み、身を屈めた。

ドガンッ!!

凄まじい音が部屋を揺らす。
視線を上げると、目の前にいた男は、力なく床に倒れていた。

あまりにも一瞬の出来事で、何が起きたのか理解するまで、少し時間がかかった。

「……陸玖」

振り返ると、陸玖は銃を構えたまま、倒れた男に狙いを定めて立っていた。

「……はぁ……はぁ、はぁ……」

肩で息をしながら、腰に手を当てる。その姿から、ここへ辿り着くまでの必死さが伝わってくる。

「……陸玖、大丈夫か……?」
「大丈夫なわけないでしょ!」

怒鳴るように言われ、愁は思わず言葉を失う。

「名前呼んでも全然反応ないし! 目の前で吸血種が子ども襲ってるし! 走り回って、やっと見つけたと思ったら、今にも殺り合いそうな雰囲気だし!」
「……ごめん。集中してて、声届いてなかった」
「なんのための意思疎通だよ!!」

必死な表情で怒鳴る陸玖。
吸血種である自分に、ここまで本気で心配を向けられるとは思ってもみなかった。愁は、少しだけ言葉に詰まる。

「もう……」
「……ごめん。ところで、陸玖さん」
「……なに!」

倒れている男を指さし、愁は問いかける。

「あいつ、死んだ?」
「死んでないわよ。気絶してるだけ。ゴム弾頭で撃ったから」
「……ゴム弾でも、頭撃ったら死ぬだろ」
「吸血種が何言ってんの」

愁は念のため、男の呼吸を確認する。
生きている。
やはり吸血種というのは、異様なほど頑丈らしい。

「……お姉ちゃん、大丈夫?」

陸玖の背後から、他の子どもより少し年上の子が、恐る恐る顔を出した。

「大丈夫よ。ありがとう」

陸玖は微笑み、その子の頭をそっと撫でる。

「陸玖、その子は?」
「私が飛ばされた部屋にいた子。ほかの子より年齢が上だから、色々教えてもらったの」

陸玖は一度深く息を整え、そして静かに言った。

「……お兄も、“鬼ごっこ”に参加してる」







屋敷の一室。
暖炉では、ぱちぱちと小さな音を立てて火が燃えている。
暖かい空気に満たされた部屋の中央には、大きなソファがひとつ。

男はそのソファに寝転び、気怠げに目の前のスクリーンを眺めていた。

「……いいの?」

黒いワンピースに身を包んだ夜々は、部屋の隅に身を潜めるように立ち、ソファの上の男に声をかける。

「なぁーにが」

視線をスクリーンから外さないまま、男はぶっきらぼうに返した。

「……プレイヤーのひとり、人間種だった」
「あぁ、そうだな」

あまりに軽い返答に、夜々は思わず眉をひそめる。

「……気づいてたの?」
「気づいてねーわけねーだろ」
「……じゃあ、なんで」
「……いい機会だと思ってな」

男はそう言うと、ゆっくりとソファから立ち上がり、スクリーンへと歩み寄る。

そこには、人間種の女と吸血種の男が、必死に子ども達を守りながら行動する姿が映し出されていた。

「さて……始めるか」

低く呟いた、その次の瞬間。
男の姿は、まるで最初から存在しなかったかのように、部屋から消えていた。

残されたのは夜々ひとり。

夜々は動かない。
ただ、スクリーンをじっと見つめ続ける。

まばたきひとつせず、
その光景を――瞳に焼き付けるように。






一通り話し終えた少年は、最後にこう締めくくった。

「だからね、僕たちは……逃げるしかないんだ」

その言葉を、愁と陸玖は物陰に身を潜めたまま、真剣に聞いていた。
語られた内容は、あまりにも現実離れしている。

少年は、物心ついた時からこの“鬼ごっこ”に参加させられていたという。
運良くここまで生き延びてきたが、多くの子どもは幼さゆえに逃げ切れず、大人の吸血種に捕まり、餌食となって命を落とす。

愁は思わず頭を抱え、俯いた。

「……こんなこと、あっていいのかよ……」

その低い呟きに、陸玖は胸の奥から湧き上がる怒りを必死に押し殺した。
いつから行われていたのかも分からないこの惨劇。
それを六花という最高権力の一端にいる自分たちが、見逃していたという事実。

愁は、自分自身への怒りに歯を食いしばる。

「鬼ごっこは、いつ終わるの?」

陸玖の問いに、少年はきょとんと首を傾げた。

「……わかんない。いつも、気づいたら牢屋に戻ってるから」
「……戻って、る……」

その言葉で、陸玖の脳裏に黒いワンピースの少女の姿が浮かんだ。
間違いない。

(あの子が、御影の言っていた“能力者”)

確信に近い感覚が、陸玖の中で強く脈打つ。
それは理屈ではなく、彼女特有の鋭い勘だった。

【学園】を出ようとした時、突然現れた御影の言葉が蘇る。

『首謀者は能力者だ。百年前に六花権限を失った元貴族。油断するな』

六花権限を失った元貴族。
気づけば知らない空間にいたこと。
少年の言う“牢屋”へ戻されるという現象。

すべて、あの少女の能力によるものなのか。
それとも、能力者はひとりではないのか。

分からないことが、あまりにも多すぎた。

「……誰かの能力、か……」

愁の呟きに、敵の数を想像して胸がざわつく。

「陸玖、さっき……海偉も参加してるって言ったよな?」
「……うん。この子がね。鬼ごっこが始まる前に、人間種のお兄さんと会ったって」

少年は勢いよく頷いた。

「うん!そうだよ!人間のお兄さん!
お姉さんと同じ目の色してたの!」

「……目?」

愁は、思わず陸玖の瞳を見る。
一見すると黒だが、よく見れば深い緑が混じっている。

「おお……緑だ。今まで気づかなかった」
「うん!最初は吸血種かなって思ったの。
だって吸血種って、目の色いろいろあるでしょ?
でも、なんとなく人間だって思って……
人間なのに、緑の目が綺麗だなって覚えてたの!」

「……遺伝か?」

愁の問いに、陸玖は静かに答える。

「ハンターの一族の血を引く人間は、緑の瞳で生まれることが多い。理由は分からないけど」
「じゃあ、そのお兄さんってのが海偉ってことか?」
「多分ね。緑の瞳の人間種なんて、ハンターの一族しかいないもの」

愁は少年に視線を戻す。

「そのお兄さんとは、どこで会った?」
「牢屋だよ!僕たちが暮らしてるところ!
ヤヤとトキが連れてきたんだ!」

「ヤヤ? トキ?」

少年は、少し声を潜めて話し出す。

「ヤヤは女の子で、トキがお兄さん。いつも一緒にいるの。
トキの言うことは絶対で、逆らっちゃダメなんだ」

「その二人が能力者ってことか?」

愁が小さく問う。

「……多分」

陸玖の答えに、愁は頷いた。

「じゃあ……さっきの人間のお兄さんも、そのヤヤとトキに?」
「うん。トキが牢屋に連れてきたよ。
でもね――お兄さんを見つけたのはハクなんだ」

「……ハク」

またひとつ、名前が増える。
この時点で三人。
能力者は最低でも三人いる可能性がある。

「鬼ごっこが始まるまで、お兄さんと一緒にいたんだ。
だからきっと……お兄さんも、どこかにいるよ」

――どこかにいる。

その言葉に、陸玖の胸が少しだけ緩んだ。
海偉は生きている。
そしてきっと、愁や自分と同じように――
子どもを守りながら逃げているはずだ。

(どうか……無事でいて)

陸玖は、心の中でそう祈った。







「おっらぁぁああ!」

野太い咆哮とともに、海偉の拳が吸血種の男の頬を捉えた。
鈍い衝撃音が響き、男の身体が吹き飛ぶ。

気づけば、そこはおもちゃ箱をひっくり返したような、異様な部屋だった。
巨大なぬいぐるみ、積み木。
理解が追いつく前に、仮面をつけた吸血種たちが次々と襲いかかってきた。

だが、海偉は止まらない。

現れるたびに拳を叩き込み、蹴り倒し、すべてを返り討ちにしてきた。

「舐めんじゃねぇぞ!ハンターの末裔を!」

足元に転がる気絶した吸血種たちに向かって中指を立て、べっと舌を出す。

そして、ふと背後を振り返る。

物陰に身を寄せ、震えていた子どもたちに声をかけた。

「もう大丈夫だ」

その一言に、数人の子どもが恐る恐る顔を出す。
潤んだ瞳には、まだ恐怖が色濃く残っていた。

海偉自身、最初は何が起きているのか分からなかった。
だが、仮面をつけた吸血種たち。
“鬼ごっこ”という言葉。

これは、吸血種が人間種を狩る遊びだ。
そう理解するのに、時間はかからなかった。

海偉は子どもたちの頭を、ひとりひとり優しく撫でる。

「ここはもう安全そうだ。さっきの場所で、終わるまで隠れてろ。俺が他の部屋に行って、お前らの仲間を助けてくる。……絶対、顔を出すなよ」

子どもたちはこくこくと、何度も頷いた。

「いい子だ」

海偉は微笑み、次の部屋へと足を向ける。

この空間は、扉で細かく区切られているらしい。
扉を開けるたび、同じような異様な部屋が現れる。
構造は掴めない――だが、迷っている暇はなかった。

カチャリ、と次の扉を開く。

その瞬間。

視界いっぱいに広がったのは、赤。
赤、赤、赤――血の海だった。

「……ぇ」

その向こうで、ひとりの男が子どもの首元に牙を突き立て、
じゅる、じゅる、と生々しい音を立てて血を啜っている。

思考は、完全に吹き飛んだ。

次の瞬間、海偉の身体はすでに動いていた。

「――っ!」

拳を振りかぶり、全力で殴りかかる。

「!?」

だが、海偉の渾身の一撃はあっさりとかわされた。

今まで相手にしてきた吸血種とは、明らかに動きが違う。
その男は、まるで糸が切れた人形のようにふらふらと立ち上がり、じっと海偉を見据えた。

「……さっきの人間だぁ」

にやり、と口元が歪む。

「……さっき?」

ぞわりと背筋に寒気が走る。
男は笑みを浮かべたまま、身体を左右に揺らしていた。

「【学園】にいたよねぇ〜。僕ね、君の血が吸いたくてねぇ〜。
でもねぇ、(とき)に怒られたんだぁ。
君はハンターの一族なんだってぇ〜。殺しちゃダメだってぇ〜」

あの時は、ね。

「……っ」

記憶が繋がる。
【学園】の森を歩いていたあの日。
不意に感じた異様な気配、そして背後からの衝撃。

こいつだ。

「でもねぇ〜、もういいんだよぉ〜」

男は楽しそうに声を弾ませる。

「鬼ごっこ、始まったからぁ〜。
食べてもいいって刻が言ってたから、来たんだよぉ〜」

語尾を伸ばす、粘ついた話し方。
その一つ一つが海偉の神経を逆撫でする。

「……頭イカれてんじゃねぇの、お前」

次の瞬間。

男の姿が、消えた。

「……っ!!」

気づいた時には、背後から強烈な蹴りが叩き込まれていた。
身体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
海偉は咄嗟に受け身を取り、床を転がった。

「凄いねぇ〜、凄いねぇ〜!」

狂ったような笑い声が響く。

「やっぱりハンターの一族だよぉ〜!あははははっ!」

「……血ぃ飲まねぇと、まともに喋れねぇのか?」

男は首を傾げ、楽しげに答える。

「……そうかもねぇ〜。
僕ねぇ、血を飲まないと、頭おかしくなるんだぁ〜。もうずっと、そうなんだなぁ〜」

意味が分からない。
だが、理解する必要もなかった。

「だからねぇ〜」

男の視線が、物陰へ向く。

「まずは、あの子たちからでいいよねぇ〜」

にやり、と歪んだ笑み。

次の瞬間、男は子どもたちの方へと走り出した。

「――っ!!」

海偉も即座に追いかける。
必死に手を伸ばす。

震え、固まったままの子どもたちの顔が視界に入る。

ダメだ。

ダメだ、ダメだ!

絶対に、間に合わせる。