「はあ~、久しぶりの町だ」
使用人に車で町の手前まで送ってもらい、そこから歩いて町中へ向かう。
レンガ調の建物が並び、人々が行き交う。
【リデルガ】に来て、こんなに人の多い場所は舞踏会以来だ。
人の波に圧倒され、翼は思わず息を飲む。
前に進もうとしても、人ごみに押されて足元がもつれた。
「…わっ!」
その瞬間、誰かに手を掴まれた。
「翼!」
御影だ。すかさず翼の手を握り、流されそうになる翼を人ごみから救い出す。
「…ありがとう」
「ううん、人多いからね」
御影はそのまま翼の手をぎゅっと握る。
握られた温もりに、翼の胸が少し高鳴った。
◇
「はぁ~」
人が多い。すれ違う人、人、人、人の群れ。
愁は顔を隠すようにフードを深く被る。
最近、色々あって町に来る余裕もなかった。
今日は気分転換にひとりで歩いている。
町の人々は、今何が起こっているか知らない。
皆、笑顔で笑い合い、日常を楽しんでいる。
この笑顔を守らなくちゃな…。
愁はぼんやり周囲を眺め、いつも通りの日常が続いていることを確認する。
「おいっ!!次こんなことがあったら【暗血線】に報告するからなっ!!!」
急な怒鳴り声に、周囲が一斉に注目する。
目に入ったのは、中年の男に叱られるまだ幼さが残る男の子の姿。そして、隣には姉らしき人物が頭を下げている。
「すみません!すみません!このようなことがないよう言い聞かせますので…本当にすみません」
しかし、男の子は頑なに謝らない。
「ほらっ!香月も謝って!」
「………っ」
「すみません!香月!」
「っけ、だから下層の奴らは!これだからしつけがなってねーんだ!」
頭をペコペコ下げる姉と、意地でも頭を下げない男の子。
-なんか訳ありだな…まあ、この町では珍しい光景ではないけどな…。
愁はその光景を横目に、町の深層部分へと歩みを進めた。
◇
活気に溢れる町。色んな店が並び、皆笑顔で楽しそうだ。
翼にとって、目に映るものすべてが新鮮だった。
【リアゾン】にいた頃は、町に出ることすら許されなかった。
学校と家の往復だけ。それ以外はずっと家に籠っていた。
何も出来なかった。許されなかった。それが翼の人生だった。
町にあるものすべてが珍しく、あちこちに視線が移る。
太陽に反射してキラキラ光るものに、思わず目を奪われた。
「飴細工」
御影が耳元で囁く。
「あれは飴細工っていうんだ、食べ物だよ」
「食べれるの?」
「うん、近くで見る?」
「…ぇ」
戸惑う翼を、御影は手を引き、店の前まで連れて行く。
おじさんは器用に飴を作っていた。
ハートや動物、色とりどりの形が並び、太陽に照らされてキラキラ光る。
「翼、どれがいい?」
「え…?」
「選んでいいよ。遠慮なし」
翼は少し緊張しながらも、キラキラ光る飴たちを見つめる。
「お嬢ちゃん、気に入ったのはあったか?」
「…えっと」
「ははっ、ごめんごめん、急かすつもりじゃなかったんだ」
おじさんは微笑み、翼を見つめる。
「リクエストも受け付けてるぞ。なんでも言ってみな」
「…リクエスト?」
「俺は何でも作れるからな」
リクエスト…
「あの、じゃあ…薔薇は作れますか?」
「薔薇?花のか?」
「……はい」
「お安い御用だ!ちょっと待ってな」
おじさんは手際よく飴を操り、あっという間に花びらを重ね、薔薇の形を作っていく。
翼は目を離さず、その工程を真剣に凝視した。
「はいっ!薔薇の完成だ、どうぞお嬢ちゃん」
手渡された薔薇の飴は、太陽に反射してキラキラ光り、とても美しかった。
「綺麗だね、翼」
「…綺麗」
「ははっ、そう言われると作ったかいがあるなあ」
「あの…お代は」
御影がカバンから財布を取り出そうとすると、
「いいよ、兄ちゃん。今回はサービスだ」
「いや、それは…」
「良いもん見せてもらったからなあ」
おじさんは翼の頭にポンっと手を置き、にこやかに微笑んだ。
「今日を楽しめよ、お嬢ちゃん」
「…………」
「じゃあ、行こうか、翼」
「うん…ありがとうございました」
おじさんがひらひらと手を振り、
薔薇の飴細工だけが光に触れて、キラキラ輝いていた。
◇
「あああぁー食いすぎたー、てか買いすぎたー」
町はずれの河川敷。川の流れる音が心地いい。
愁のお気に入りの場所だ。ひとりで町を訪れたとき、こうしてゴロンと寝転がり、太陽と川の自然に触れる時間が最高だった。
あぁ~寝そう~。
ガサガサっ
んっ?
ガサっ
んっ?何の音だ?
愁は異変に気づき、目を開けた。
そこには、愁の買い物袋を漁る子どもの姿があった。
「…お前、さっきの…」
「!!」
子どもは愁と目が合うや否や、食料を抱え一目散に逃げ出す。
「ちょっ、おい!」
逃げる子どもの首根っこを掴み、持ち上げる。
「おい、何してんだガキ」
「離せっ!離せよう!」
「暴れんなって、別に取って食おうなんて思っちゃねーよ」
「やだっ!離せ!離せえええ!!」
「おまっ暴れんなって!!!」
「うわあああ!!!」
「ちょっと!!!うちの弟に何をしてるんですか!離してください!!!!」
「はっ…」
これまたさっきの…
「おねえちゃん…」
大人しくなった香月。
愁はパッと手を離すと、香月は姉の元へ行かず、その場に立ち尽くしている。
「香月!大丈夫?って…これ」
香月が抱えている食料を見て、姉は愁と香月の顔を往復して状況を把握する。
「…また、盗もうと…したの?」
「………」
「香月!!!!」
姉は香月の両肩を掴み、身体を揺らす。
愁は咄嗟に姉の腕を掴んだ。
「俺が言うのも変だけど、その辺でいいんじゃない?」
「……っ、ごめんなさい、私…本当にすみません…」
二人の身なりは下層の住人らしく、顔色は蒼白だった。
腹でも空いているんだろう。
ぽろぽろと、香月の瞳から涙が零れる。
「…だって…だって…」
「…香月?」
「父さんが死んでから、十分に食べてねーじゃんっっ!!!」
「…香月…ごめんね、ねえさんもっと頑張って、たくさんご飯食べれるように…」
「違うっ!!!!違うよ!!ねえちゃんだよ!!!」
「…………」
「働いてばっかなのに、ご飯は俺にばっかくれる。仕事場で食べてるっていうけど、あれ全部嘘だろっ!!!食べてねーの知ってるよっっ!!!!」
「……香月…」
「これじゃ、ねえちゃんも死んじゃう…やだ、やだよ…だからっ」
香月は濡れた瞳で、愁を睨みつけた。
「くれよおおおお!!」
「いって!」
愁にぽかぽかと殴りかかる香月。
「にいちゃん、下層の恰好してるけど、本当は金持ちなんだろ!?
見たらわかるよおお!少しくらい俺らに食料分けてくれよおおおおお!!!」
その場で泣き崩れる香月。
あぁ…俺はこういうのが苦手なんだよ。
「香月、香月。ごめんね、ありがとう。ごめんね」
姉は香月をぎゅっと抱きしめる。
愁はその光景を見て、なんだかいたたまれない気持ちになった。
頭をガシガシとかき、空を見上げ、もう一度香月に向き直る。
「あぁ、もう!ほら、好きなだけ持ってけ」
「……ぇ、いや、そんなのダメです。私たち本当にお金なくて…」
「本当か!?本当にいいの!?」
「あぁ、いいよ。その代わり…」
その言葉を聞いた瞬間、香月は愁を警戒する。
「姉さんを二度と泣かせんな」
「ぇ…」
予想外の言葉にきょとんとするふたり。
「姉さんはお前を守ろうと必死だ。その頑張りを、盗みなんかで困らせんな。分かったか?」
愁は香月の目線に合わせ、しゃがみ込む。
「男ならな、卑怯な真似なんてせず、姉さんを守れ。守ってやれ。なっ?」
そう言って笑うと、香月は大きく頷いた。
「良い子だ」
「あの、本当にいいんでしょうか…」
「いいよ、別に」
「でも…」
「別に後から請求したり、姑息な真似なんてしねーから。じゃあな」
愁は背を向けて歩き出す。
「お兄ちゃんー!!ありがとうおおおお!!」
後ろで香月が大声でお礼を言っていて、愁は少し笑った。
まだ自分も独り立ち前のひよっこなのに、いっちょ前のことを言っている自分がおかしかった。
子どもの前でカッコつけたがりの馬鹿だな。
「へえ~、こんな一面があったとは」
「おわっ!!」
建物の角から現れた人物が愁に声をかけた。
「御影!翼まで!なんでここに…」
「変装までして…」
「それは別にいいだろ…」
「あのふたりは?」
「さあな、知らねーよ」
「…………」
さっきまで愁と話していたふたりは、買い物袋を抱えて帰っていった。
「愁…あの女の人…」
「ぁ?女?なんだよ」
愁の顔を見ると、「何が言いたいんだ?」とでもいうような表情をしている。
「ぁ、いや、なんでもないよ」
「そっ、なあ翼!翼!この先の通りに美味しいパン屋があるんだ!行かね~?俺奢るぜ!って何それ、飴細工?」
「うん、薔薇」
「めっちゃ綺麗じゃーん!」
愁と翼は、楽しそうにパン屋に向かって歩き始める。
「おーい!御影ー!行くぞー!」
「うん」
◇
町に行って二日後の、天気の良い昼下がり。
空は青く、鳥は優雅に鳴き、日の光は心地よく差し込む。
そんな、何もない日。翼はベッドに転がっていた。
「…はぁ…」
誰もいない部屋でため息をつく。
大きすぎるベッドの上を、翼はごろごろと往復する。端に行っては戻り、また端へ。
ベッド脇の棚に置かれた、食べずに飾ってある飴細工を手に取り、窓から差し込む光にかざす。
光を受けてキラキラと輝く飴細工を、ぼーっと眺める。
「…綺麗」
その光を見つめたあと、翼は自然と真っ白な天井に目をやる。
なぜ翼がこんな真っ昼間からベッドにいるかというと。
【二日前】
『あら、これは濃吸症ね』
『こう…きゅう、症…?』
翼は聞きなれない言葉を、少し戸惑いながら繰り返す。
隣で急に笑い出した御影。
翼の診察に来てくれた【学園】専属の保健医でもある諸矢紫呉は、御影の笑顔を見て微笑んだ。
『翼さん、これは一種の風邪みたいな症状なんだけどね』
紫呉が話し始めても、御影は笑うのをやめられない様子だ。
『…ふふっ、この風邪はね、実は、ふっふ…』
笑いが収まらない御影を見て、紫呉は続きを話した。
『子どもがなる風邪なの』
『…子ども…』
『吸血行為を覚えた子どもが他人の血を身体に入れることで、一定値血は濃くなるの。血を飲み始めれば身体は慣れていくけれど、まだ慣れていない子どもはよく熱を出すのよ。吸血種として身体が作り変えられている――つまり成長している証みたいなものね』
『もしかしてとは思っていたけど、濃吸症はまだだったんだね』
なるほど、そういうことか。だから御影は笑っていたのか、と翼は納得する。
つまり私は、まだ子どもということ…。
御影の笑顔を思い出して、翼は少しイラッとした。
ここに来るまで、血は飲んでいなかったのだ。
今、御影の血を飲むようになったばかり。
だから身体が血に慣れていないのも当然なのだ。
『あはは』
それなのに、御影はまだ笑っている。
イライラは収まらず、翼はむすっとした顔をする。
『大丈夫よ、翼さん。誰でも濃吸症になるものなんだから。逆に言えば、ならないといけないものなの…って、ちょっと御影くん笑いすぎ』
『いや、うん…ひひっ、ごめっ』
お腹を抱えて笑う御影に、翼のむすっとした表情はさらに強まる。
『…もう、御影くんったら…』
紫呉は御影に飽きれた視線を送る。
『翼さん、数日熱が出ると思うんだけど、沢山血を飲んでね?』
『…飲んで、いいんですか?』
『うん。これは身体が血に慣れるための成長だから、飲むことが薬かな?』
そう言って微笑む紫呉。
鎖骨くらいまでの落ち着いた茶髪で、20代半ばほどの女性。翼にとっては、同年代ばかりの世界の中で、落ち着いた雰囲気の大人の女性としてとても頼もしく、そして美しく映った。
そして、あれから二日。
熱は下がったが、高熱のせいかまだ身体が怠く重い。
コンコン…
扉をノックする音と共に、少し開いた隙間から御影が顔を出す。
「熱どう?」
御影は飲み物や食べ物を持ってきてくれ、ベッドの横で「これはあーだ、こーだ」と説明してくれる。
だが、翼の耳にはその言葉は一ミリも入ってこない。
今、翼の視線が注がれているのは――御影の首筋だけ。
美味しそう…
その思考だけが、翼の中で膨らむ。
「…聞いてる?翼」
御影が顔を近づけると、翼はグイッと手を伸ばし、そのまま首筋にガブッと噛みついた。
「…っ!」
一瞬の痛みに耐え、御影はため息をつく。
またこの子は急に…
基本、翼は噛みたい欲求に素直だ。
今は濃吸症の影響もあり、いつもより衝動的に噛んでくる。
まあこれも、身体が慣れれば回数も少なくなっていくのは目に見えている。
今は…今だけ…。
御影は濃吸症が治るまで、大人しく噛まれることに決めていた。
カタンっ
それは小さな、小さな音。誰も気づかない、そんな音。
真理愛はよろけた身体を壁で支えた。
翼が濃吸症にかかったと聞いて、御影の屋敷に訪れていた。
…そして見てしまった。
扉の隙間から覗いた光景、翼が御影の首筋を噛んで血を飲んでいる姿を。
「………っ」
真理愛の心臓は一気に跳ねた。
見てはいけないものを見てしまったような感覚に襲われ、その場にいることすら許されない気がした。
屋敷を後にした真理愛は、森の中をひたすら走る。行く当てもなく、ただ前だけを目指して…。
そして気がつくと、いつの間にか‘‘あの‘‘広場に辿り着いていた。
「…ここ…」
風が通り抜ける。昔の記憶が、ふと蘇る。
あの日の…まだ幼かったあの日の…記憶。



