寒い夜だった。
空には幾千もの星が、凍りついたように瞬いている。
その夜空を見上げ、涙を零す者もまた――
この世界に見捨てられたひとりだった。
――ああ、どうか。
震える指先で、少女は夜空へと手を伸ばす。
届くはずのない願いだと知りながら。
――この世界に、平和を……。
その瞬間、首筋を裂くような激痛が走った。
熱い。
何かが流れ落ちる。
それが“血”だと理解した時には、もう遅かった。
視界が滲み、星空が遠ざかっていく。
赤い……。
ああ、こんなにも赤い――。
夜空を背に、ひとりの男が立っていた。
口元を血で染めたまま、静かに涙を流している。
――どうして……泣いているの?
自分を殺した相手だというのに、その表情があまりにも苦しげで、少女は不思議と恐怖を感じなかった。
「……ごめん……なさい……」
その声を最後に、少女の意識は闇へと沈んでいった。
それは――今から、何千年も昔の出来事。
この世界に、“吸血種”が現れた夜の話だ。
それから長い時が流れた。
吸血種は夜の支配者となり、
人間はただ、怯えながら血を奪われる存在となった。
血は生きるために必要だった。
だがそれ以上に、血は――争いの理由となった。
人間は恐れ、武器を手に取った。
吸血種は飢え、さらに血を求めた。
やがて世界は、
【血の争い】と呼ばれる戦争へと堕ちていく。
夜と昼。
狩る者と、狩られる者。
その戦いは、何百年も終わることなく続いた。
だがある日、ひとつの「提案」が示される。
互いの領域へは踏み込まないこと。
人間は血を“提供”すること。
その代償として、吸血種は人を襲わないこと。
完全な信頼ではなかった。
だが、滅びよりはましだと、両種はその約束を受け入れた。
世界は、ふたつに分かたれる。
吸血種の住まう国――【リデルガ】
人間種が生きる国――【リアゾン】
境界が引かれ、血の争いは、表向き終結した。
人々はそれを「平和」と呼んだ。
――だが。
それが誰のための平和だったのを、問う者はいなかった。
夜空に星が瞬く限り、血を巡る因縁が消えることはなかった。
そして今。
その約束が揺らぎ始めていることを、まだ誰も知らない。
寒い夜。
リアゾンの片隅で、ひとりの少女が夜空を見上げていた。
まるで、何千年も前の“彼女”と同じように。
そして彼女はまだ知らない。
自分が、この世界の“境界”に立つ存在だということを。



