名前を呼ぶ距離



六月に入った頃、キャンパスの空気はすっかり落ち着いていた。
新歓の浮つきも消えて、みんなそれぞれの居場所を見つけ始めている。

悠人もそうだった。

サークルの仲間と談笑する姿は、もう“見慣れた光景”になっていた。

いや、別に寂しくないし。
まじで。
そんな、悠人が居なきゃ何もできないとか、そんなガキじゃねぇし。

そう、ただ胸がざわつくだけだ。
だけど次第に、何も感じないふりがうまくなっていった気もする。

講義で隣に座らなくなった。
昼も、一人か別の友人と食べる日が増えた。

「おい隼人。最近悠人と一緒じゃねぇの? ツインズだろ?」
高校時代からの友人が茶化す。
ツインズ、なんて、なんだか久しぶりに聞いたな。
いや、周りが言ってるだけで双子じゃないんだけど。

「誰がツインズだよ。ただの腐れ縁だっつの」
いつものようにカラッと笑ってそう返す。

そう、ただの腐れ縁。
一緒にいようが居まいが、関係ない。

悠人と距離を取ることは、“悠人を嫌いになること”じゃない。
うん、そう、そうだ。

ただ、いつも一緒にいた幼なじみという関係を、少しずつ過去にする練習をしているだけ。

***

「うぉあ!?」
「うわっ、すみませ──、あ……」
「あ……」

もう帰ろうと階段を一番下まで降りた瞬間、ぶつかりそうになった人の顔を見て、俺も、相手も互いに目をぱちぱちとさせた。

「悠人」
「隼人じゃん。もう帰り?」
「ん。悠人も?」
「そ。帰り一緒になるの、久しぶりだね」
「ん」

なんだかとってもぎこちない会話をしながらも、自然と二人、並んで歩き始める。
こういうの、なんか久しぶりかも。

「もうすぐ試験だねー」
「だな」
「もう勉強始めてる?」
「いんや、まだ」
「そっか。じゃまだ大丈夫だ」
「いややれよ」

会話が、途切れがちになる。
悠人が、じゃない。
俺が、だ。
会話を続ける気がないわけじゃないのに、今までどうやって話していたかわからないんだ。

「……最近、さ、忙しい?」
悠人がためらいがちに、探るように聞いてくる。
「いんや、別に。いつも通り」
せっかく話を振ってくれているのに、馬鹿な俺はそれだけで済ませてしまう。

本当は、聞きたいことが山ほどあった。
どんなサークルなのか。
誰と仲がいいのか。
楽しいのか。

でも、それを聞く立場が、自分にあるのか分からなかった。

名前を呼べば、会話は続いたかもしれない。
「悠人」と呼ぶだけで、昔みたいに戻れたかもしれない。

でも、呼ばなかった。

呼ばないまま、俺達は家のすぐ近くの、分かれ道で分かれる。

「またな」
悠人の声に、俺はただ、不愛想に手を軽く上げただけだった。



「────あぁ~マジ意味わからん俺」
家に帰って、部屋に入って、ベッドにダイブして布団に顔を埋める。
声に出るのは情けないいら立ちの声だけ。

悠人と別れる時、昔なら必ず、名前を呼んでいたはずだ。

「悠人、また明日な」って。

それが、今日は喉まで出かかって、消えた。

当たり前だったはずなのに。
距離を、開けたんだ。俺が。自分から。

ずっと一緒にいると思っていた。
でも、そんな保証はどこにもない。

環境が変われば、人は変わる。
それは自然なことだ。

今の俺は、ただそれが嫌で不安で仕方がなくなって拗ねてる駄々っ子。

「まじ、なんなの。俺……」

言葉は静かな部屋に吸い込まれて消えた。