大学の春は、思っていたより早かった。
入学式の日、校門の前は人で溢れていて、知らない顔ばかりが視界を流れていく。
その中で、悠人だけはすぐに見つけられた。
「おーい、隼人ー!!」
向こうも俺に気づいた途端に名前を呼んで、俺は反射的に手を上げた。
それだけで、少し安心した。
あぁ、変わらないんだなって。
「人多すぎだろ」
「な。迷子になるわ」
そんな他愛ない会話をしながら、講堂へ向かう。
並んで歩く距離は、これまでと何も変わらなかった。
***
最初の数日は、確かに一緒だった。
履修登録。
キャンパス内の場所確認。
学食。
だけど気づいたら悠人の足取りは少しずつ速くなっていた。
少しずつ、少しずつ、距離があく。
サークルの新歓期間が始まると、一気に空気が変わった。
『今日、バレーの新歓行ってくる』
『明日は飲み会』
『今度、先輩に誘われてさ』
悠人の予定が、俺の知らないところで埋まっていく。
いや、まぁ、別に俺への報告義務があるわけじゃない。
俺だって、興味のあるサークルはあったし、それが別々だって不思議じゃないんだ。
今までがたまたま一緒だっただけで。
それなのに────なんだろう、胸の奥がざわつく。
ここのところキャンパスで悠人を“見かける”ことが増えた。
でも、隣にいるのは俺じゃない、この違和感。
俺の知らない誰かと笑って、俺の知らない話題で盛り上がっている。
その輪の外側から、声をかけるタイミングを失う。
ここのところ、ずっとそうだ。
何だか女々しくて、こんな自分がすごく嫌だ。
「ゆう──っ」
名前を呼びかけて、口を閉じる。
今じゃない。
今、俺が呼ぶ理由はないんだ。
特に何もないんだから、邪魔するべきではない。
そんな理屈を並べて、結局何もしない。
そんな俺に、悠人の視線が向いた。
「お、隼人!!」
悠人は、俺の葛藤も知らずに相変わらず俺を呼んだ。
「隼人、次の講義どこ? 昼、空いてる?」
以前と何も変わらない口調で。
なんだろう。それが妙に刺さるんだけど。
俺だけが、距離を測っている?
俺だけが、線を引いている?
いやいやいや、なんかさ、それって……ただの子どもじゃね?
「……」
一緒に歩いていても、少し間が空く。
無意識に、半歩後ろを歩いている自分に気づいて、嫌になる。
「……隼人、なんかあった?」
言葉を返すこともせずにぼぅっと足を進める俺を不審に思ったのか、悠人が立ち止まって尋ねて、俺は首を横に振った。
「いや……別に」
嘘じゃない。
でも、本当でもない。
だけどもう少し、言葉の返しようはあったのにな、なんて後から思うのが今日だけじゃない。毎日だ。
「そう? それならいいんだけど……。何かあったら言いなよ? 隼人」
「ん」
名前を呼ばれるたび、安心する。
同時に、いつまで呼ばれるんだろう、と考えてしまう。
その考えが浮かんだ瞬間、胸がきゅっと縮んだ。
***
ある日、講義が終わったあと、久しぶりに俺は悠人と次の教室に移動していた。
「次の講義だりー」
「まぁね。でも寝てたらまた残されるから、ほどほどにね」
なんて他愛のない会話をしながら二人並んで廊下を歩いていた時だった。
「悠人ー!! ちょっといいー?」
俺の知らない男が、悠人を呼んだ。
きっと同じサークルの奴なんだろう。何度か悠人といるのを見たことがある。
振り返った悠人が、ちらりと俺を見てから、一瞬、迷うように眉をへにゃりと曲げて「ごめん、先行ってて」と言った。
俺は頷いた。
「分かった」
ただそれだけ。
ただそれだけ言って歩き出してから、俺は一度も後ろを振り返らなかった。
なんだか、もやもやしてしまったから。
名前を呼べば、俺の言葉を聞いてくれたと思う。
でも、呼ばなかった。
呼ばない、という選択をした。
それが正しい気がした。
幼なじみなんて、ずっと続くものじゃない。
ずっと一緒にいられるなんて、そんなわけがない。
今までがただ、腐れ縁すぎただけ。
そう思わないと、追いかけてしまいそうだった。
***
「はぁ……」
夜、一人でベッドに横になって、天井を見つめる。
今日一日、悠人の名前を何回呼んだだろう。
数えようとして、やめた。
だって声に出して呼ばなかった回数のほうが、はっきりしてるんだから。
距離は、急に離れるわけじゃない。
少しずつ、じわじわと、言葉にならないまま広がっていく。
――名前を呼ぶ距離って、どれくらいだっけ。
考えても答えは出なかった。
でも、確かにもう、昔と同じじゃない。
そう感じてしまった時点で、何かは変わっていたんだと思う。



